01
すやすやと寝息を立てるエミリの眉間には、深いしわが刻まれている。護衛の気配は極限まで潜められているが、監視の目は確かにそばにあった。見られていると思うと気になって眠れない。エミリはもうずっと、安心して眠るという経験をしていなかった。
目元にできた濃い隈に、ミィとレイが眉根を寄せる。こんなにも疲れ切って、なのに国は彼女をろくに休ませてくれない。
「さあ、始めましょう」
もう隠す必要はない。もう隠れる必要はない。
2人がエミリのそばに膝をつき、魔力を練る。エレオノールもまた、同じように魔力を練った。放出された魔力が室内を満たし――影が蠢いた。
「おまぬけさん」
空気を震わせた音は、エレオノールの口角を自然と持ち上げた。
聖女は潔白でなければならない。聖女は清廉でなければならない。味気のない質素な内装と、反発するような純白のシーツや衣類。曇った窓を通して差し込む痛い程の陽光が照らす室内は、いつだって気が滅入る。
まるで牢獄のようだと鬱々とした気分を誘発する聖女の部屋を今、鮮烈な赤が華々しく彩った。
エレオノールの余りある魔力、練りに練った、この瞬間のために研ぎ澄ませた魔力で構築した結界が、影の放った攻撃ごと全員を押し潰した。生々しい命の花弁が滴って、しかしエレオノールたちの毛髪の先すら濡らせずいる。惨劇は、攻撃とは別に張ったもう1枚の大きな結界の向こう側で起こった。
汚らわしい血に汚されるなどごめんだ。
敵を屠るのならば結界の外で。それが聖女に課されたルールである。魔も人も関係なく、聖女の敵は結界の内へは招かれない。
「結界とは囲い、守るだけではないのよ」
範囲の指定と対象の限定。訓練に訓練を重ね、この日のために習熟した。他の一切は傷つけず、対象だけに結界をぶつける。鉛でできた柱のように形成した結界を、四方八方からぶつけ殴り潰す。手加減は忘れた。
「わたくしの魔力が満ちた場所で生き残りたいのであれば、じっとしていなければならなかったわね」
それでも生かしはしなかったけれど。エレオノールは口角を吊り上げた。
己の魔力の流れを見失う聖女などいない。ましてや彼女はエレオノール。魔力を通せば、蟻の歩みであっても感知できる。影と呼ばれている連中であっても、実体のある人間である以上、見逃してはもらえない。
「さて、エミリはどう?」
潰れた命にはもう興味を示さず、エレオノールは視線を下げる。夕焼けが差し込むには早い時間であるのに、室内が赤らんでいるのは不思議な気分だ。その理由が自分にあることなど忘れたように、視線と一緒に高揚した気分も下向ける。
「大丈夫です、エレオノールさん」
ミィとレイに問うたつもりであったが、返事をしたのはエミリであった。目元の隈はまだ色濃いが、顔色は随分と明るくなっている。
これまで幾度も、思うまま取れない休息の穴埋めに、魔法による回復を施してきた。しかし万全の状態にしてあげることは叶わなかった。
エレオノールを大聖女として仰ぎ見てきた聖女たちが、エミリに魔法をかけるなんてありえない。
エミリを心身共に疲弊させている張本人である王子の主張により、満足に癒してあげることができなかったのである。祈りの時間にこっそりと、蒼白になった顔にほんのりと血を通わせる程度の癒しを与えることしかできなかった。
「こんなに体が軽いのは久し振りです」
「魔法で癒すのは今日だけよ。落ち着いたら、しっかりご飯を食べて、たっぷり眠ってもらいますからね」
「はい! 私、エレオノールさんのかぼちゃスープが飲みたいです!」
パッと手を挙げたエミリに続いて、ミィとレイもびしっと手を揃えた。
「それじゃあ、お祝いのメニューに加えましょう」
きゃあ、と歓喜の悲鳴が始めた。
そうしていると、3人ともごく普通の年頃の娘にしか見えない。身に宿る聖なる力を恨む日々もあっただろう。憎んだこともあっただろう。けれど彼女たちは、その力で誰かを癒すことを選択できる。守り慈しむ使い方を捨てない聖女たち。
愛おしい。今度こそ、守ってみせる。
エレオノールは笑みを深め、はしゃぐ少女たちの気を引き締めるべく手を叩いた。
「さあさあ、その辺になさい。エミリ、顔を洗って着替えていらっしゃい。ミィとレイは外の手伝いに合流してね」
はい、という声は三重に、明るく反響した。