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聖女の顔は何度まで  作者: かたつむり3号
第一章 聖女様の侍女
4/25

04


 午後の祈りの時間まで仮眠をとるエミリを置いて、エレオノールは部屋を出た。

 朝食は残さず食べていたが、瞬きに随分と時間を要していた。食事の味がわかったかも怪しい。朝の祈りと朝食を済ませればすぐにでも休ませてあげたいが、邪魔はいつだって列を作って待ち構えている。夜会のたびに新しく仕立てるドレスの相談、茶会や舞踏会の招待状への返事、王子とのデートのために削られた王妃教育の穴埋め等々、あげ連ねるとキリがない。

 今日も今日とてそんなこんなで、エミリがベッドに横たわったのは太陽が天辺に迫ってようやくのことだった。苛立ちから思わず舌打ちが漏れる。


 礼拝堂へ向かうと、既に全員が集まっていた。

 毎日、欠かさず行っている報告会である。

 一介の侍女でしかないエレオノールは、礼拝堂には気安く近づけない。聖女の矜持を穢したという理由で、立ち入りには大司教の許可を得るよう王子から厳命が下っていた。数日に一度、過去の自分がいかに愚かで浅ましい生き物であったのか反省し、歪んだ心根を正すという名目で、聖女と共に祈りの間で跪くことが許されている――という設定だ。

 この設定を守るため、外出に際して日々あらゆる口実を用意するのが面倒だ。今日は洗濯である。カモフラージュのために持ち出した洗濯籠は、その辺へ放り捨てた。


「遅くなってごめんなさい」


 集まっているのはエミリを除く19名の聖女と、大司教以下3名。一介の侍女へと身を堕としたエレオノールに、それでも全員が頭を下げた。特に大司教と彼の部下たちはほとんど倒れ込むようにして身を伏せた。


「エミリは……?」


 不安げに声を震わせた聖女アンに、エレオノールは笑みを向ける。みなエミリを案じていた。

 エドワードの婚約者に据えられてから、エミリはあらゆる理由で呼び出されては茶会だ夜会だパーティーだと連れ回されている。聖女としての務めは表向き、穴を開けるわけにはいかないという設定だ。そのためエミリは現在、針の穴に糸を通すような過密なスケジュールでの活動を強いられている。


「今は仮眠をとっているわ。大丈夫よ」


 エレオノールの言葉に安堵の息を吐いた聖女たちを見渡して、頷く。始めよう。これ以上はもう、待てない。

 本題へ入るべく視線を、這いつくばっている大司教たちへ向ける。


「準備はどうなっているの?」


 熱のない高圧的な言葉に、彼らは背筋を震わせた。


「は、はい。滞りなく……!」

「手抜かりはないわね?」

「もちろんでございます!」


 すっかり怯え切った様子の大司教の返事に、エレオノールはひとまず満足した。

 婚約の破棄を突きつけられたあの夜、エレオノールの王子への態度を叱責するため戻ってきた大司教を、彼女は満面の笑みで出迎えた。背後に控えた聖女たちも一様に笑みを浮かべていたが、怒りで沸騰した彼は気づけなかった。

 一撃だった。たった一撃。まったく予想していなかったエレオノールの一撃で、彼は無様にも床に転がった。

 結界は何も、国を覆うばかりが芸ではない。浄化ばかりが技ではない。物理的に魔を押しとどめる壁でもあるのだ。


 エミリの侍女として教会に縛りつけ、あわよくば一緒になって祈らせ結界を補強させよう。エレオノールは、その魔力は、遊ばせておくにはもったいない。聖女ではないエレオノールであれば、20歳を過ぎても据え置ける。

 見え透いた安い思惑にいまさら、気づかないほどまぬけではない。


 ずっと鍛えてきた。試行錯誤を繰り返してきた。歴代の聖女たちが残した身を守るための、自分たちのための結界の使い方を。決して外に漏らさず、教会の人間にも気取られず。聖女たちは脈々と受け継ぎ研鑽を重ねてきた。

 それは教会内での不当な扱いに対する反逆のため。引退後に結婚して、夫から与えられる理不尽から身を守るため。誰にも害されず、何にも脅かされない、聖女だけの砦を築く術。

 結界の内側はどこよりも安全な場所だが、外側にある脅威には一片の容赦もない。拳に纏わせた結界で油断しきった横っ面をぶん殴られて、平然としていられる人間などこの世のどこにもいなかった。まして大司教など、聖女の上に踏ん反り返って魔術師協会に媚を売るだけの肉袋である。倒れる以外の未来はなかった。


『生か死か。服従か反抗か』


 選びなさい、と。誰もが見惚れる宝石のような美しさを崩さずにっこりと笑んだエレオノールの声は、大司教に一瞬で己の立場を理解させた。これから先、自分にできるのは彼女たちが気まぐれを起こさないよう祈ることだけなのだ、と。

 些細なミスも許されない。彼の余生は、気まぐれに死を振り下ろされぬよう息を殺して、聖女に絶対服従する。それだけが彼に許された人生の全てになった。

 こうして聖女たちの反逆は静かに、誰にも気づかれることなく開始した。1年、それだけあれば準備は十分に整った。なにせ聖女の歴史は長い。教会に在籍している人数は20名だが、引退していった聖女たちはみな恨みを忘れていない。

 誰一人許さない。聖女を軽んじてきた連中は誰一人、彼女たちを利用して甘い汁を啜ってきた連中は何人も、死などという生温い赦しは与えない。


「これ以上はエミリの体が持たないわ。折よく今夜は満月。始めましょう」


 侍女の仮面を投げ捨てて宣言する。

 エレオノールを切り捨てた後、王家は彼女がエミリを害する可能性があるという理由で護衛をつけた。王家の影と呼ばれる隠密部隊の一部を、エミリに付き纏わせている。

 大聖女エミリと侍女エレオノール。時が満ちるまで、2人の関係は表向き主従ということにして、それらしく振る舞ってきた。多忙を極め疲労困憊の大聖女と、彼女を支え献身的に尽くす侍女。

 そばで見ていたのなら、すぐに気づいたはずだ。エミリは真にエレオノールを慕い頼りにしていたし、エレオノールは真にエミリを思いやり支えていた。2人の間にある信頼は本物であったし、むしろエミリが王子へ向ける笑顔こそ偽りであったのだと。

 気づき、少しでも心動かされる者がいればあるいは……。聖女たちの期待は長続きせず、あっさりと砕かされた。誰も彼も命令に忠実なだけの木偶の坊。護衛を恐れて大人しく跪いていると、エレオノールを嘲笑する気配を隠す素振りすら見せない。

 エミリのそばを離れない彼らの目は、欺くまでもなく隙だらけだった。結界を張れるだけの所詮ただの女だと、エレオノールだけでなくすべての聖女を侮っている連中ばかりで、みな内心ほくそ笑んでいる。


 いよいよですね、と聖女たちが頬を染める。この1年、悪意ばかりを胸に抱いていた彼女たちは待ち焦がれていた。


「アイとマイは伝令を。ミィとレイはわたくしと来てちょうだい。あとの子たちはあれを運んで待機。よろしいわね?」


 はい、と声が揃った。それぞれの双眸に宿る熱い気持ちを受け取って、しっかりと頷く。そしてすぐさま冷ややかな視線で、いまだ這いつくばったままの大司教たちを射抜いた。


「あなたたちも行くのよ」


 失敗は許さない。言外に込められた命令に、彼らは床に額を擦りつけ応じた。

 恐怖は骨身に刻まれている。いまさら、裏切るなどという気は毛ほどもない。反逆の罪に問われることよりも、神に罰を与えられることよりも、聖女を怒らせることのほうが、彼らにとっては恐怖であった。

 怯え震える体を鞭打って駆け出す。

 その背を見送って、エレオノールも踏み出した。

 

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