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聖女の顔は何度まで  作者: かたつむり3号
第五章 乙女たち
23/25

05


 国境は熱気に満ち溢れていた。誰もがエレオノールの合図を待っている。

 それぞれの配置についた魔族たちの姿は見えない。しかし浮足立った彼らの気配はそこら中にあった。今か今かと、弾けんばかりの期待がエレオノールの肌を焼いている。


 魔力を練る。


 エレオノールの合図で、魔族は進撃を開始する。森を抜け、そこから広がるリリアージュ聖王国の土地を踏み荒らし、破壊と蹂躙の限りを尽くしながら王宮まで駆け抜けるのだ。


 魔力を練る。


 バクバクと鳴る心臓が痛い。鼓動が響いて、鼓膜を破ってしまいそうだ。エレオノールは高ぶる気持ちを制することができずにいる。

 ずっと待っていた。この瞬間を待ち焦がれていた。

 自由も人権ない、窮屈な生活。息が詰まる。このまま喉が詰まってしまえば楽になるのに。何度そんなことを考えただろう。

 やっと終わる。ようやく解放される。

 勝手にこぼれ落ちる笑みが口角を引っ張った。


 結界の向こう側で蠢く影が、怯えたようにジリジリと遠ざかった。結界を隔ててなお圧倒する。エレオノールから漏れ出る魔力の片鱗が、荒ぶる魔の本能を押しのけて恐怖を引きずり出した。


 合図は3度。

 長く魔を押しとどめ、国を囲い守ってきた結界が、魔族によって破られる。そういう筋書きだ。もちろん実際に結界を破るわけではない。魔族にそれほどの力はないし、結界が破損した場合の危険性を考慮すれば、安易に選べない手段だった。

 そこで、エレオノールである。

 規格外の魔力を内包し、歴代随一の魔力操作技術を身に付けた聖女。召喚された乙女すら置き去りにするエレオノールの才はまさに、天から授かったというほかないものだろう。

 彼女の技術で、結界が魔族によって脅かされたよう偽装する。大仕事だ。聖女の神聖な魔力を流すことで保たれる結界。その流れを、乱す。


 練り上げた魔力をそのまま放出し、結界へぶつける。


 ドォンッ――、と。

 すさまじい音がした。衝撃が空気を揺さぶって、落雷にも似た轟音を国中に轟かせた。

 すぐに2度、3度と轟音が続く。――3度目が鳴り止むのを待たず、地割れのような歓声が森を揺らした。

 魔族の進撃が始まったのである。


「は、はは……あはは――はは、あははははっ――!」


 エレオノールは哄笑した。愉快でならない。

 遂にここまできた。これで本当に、すべて終わる。

 己の中に流れる魔力を恨む日々。祈りの間で肩を寄せ合って慰め合う日々。哀れな聖女。惨めな聖女。

 彼女たちを苦しめていたすべてと縁を切る。さよならだ。


 目端に浮かんだ涙を払い、天を仰ぐ。旋回していた鴉が下りてくる。嘴を撫でると、鴉はエミリの声で鳴いた。


『エレオノールさん、お疲れ様でした!』


 通信機の役割を果たすというこの使い魔は非常に便利だが、鴉が流暢に話をするという状況にイマイチ慣れない。返事をすれば、向こうではエレオノールの声で鳴くのだろう。


「ありがとう。ちゃんとそっちまで聞こえていた?」

『そりゃあ、もう! 地震が起きてるみたいでした!』


 すごかった、と興奮するエミリの声に混じって、他の聖女たちの声も漏れ聞こえる。詳細は聞き取れないが、興奮している様子は伝わった。しばらくはガヤガヤと盛り上がっていた聖女たちだが、カエデの一声でピタッと落ち着きを取り戻した。打合せしていたような流れに、くすりと笑みが漏れる。

 小さな咳払いを漏らしたエミリの、はっきりした声がした。


『エレオノールさん、もう戻りますか?』


 結界に目を遣る。

 乱れた流れは既に修復され、元の状態へと戻っていた。近寄ってきた魔の表面をジリジリと焼いている。

 歴代随一などと持ち上げられても、エレオノールひとりで結界をどうこうすることなどできはしないのだ。万が一にでも綻んではいけないから、と様子を見るためしばらく留まることも考えたが、問題なさそうである。


「そうね、戻るわ。よろしくね、エミリ」

『お任せください! いきますよー!』


 言うや否や足元に魔法陣が現れた。景色が変わる。


「おかえりなさい!」


 熱い抱擁にバランスを崩す。すんでのところで踏ん張るも、続く参加者の圧に負け、エレオノールにその場に尻もちをついた。


「ただいま、みんな」


 全員が晴れやかな顔をしている。計画の実行を告げてからも晴れていたが、その比ではない。ひとつの曇りもない。真昼の青天のような笑顔である。


「みんな、もうひと踏ん張りできる?」

「もちろんです!」

「当たり前じゃないですか!」


 国を滅ぼしている最中にもかかわらず、彼女たちはどこまでも明るい。そのことに胸を痛める資格がないことは承知しているつもりだが、つい眉尻が下がってしまう。


「エレオノールさん、どうかしましたか?」

「お疲れですか?」

「癒しましょうか?」

「それなら私が」

「いいえ、私が」


 エレオノールを労わる空気は一瞬で、すぐさま各所で火花が散り始めた。早く大人にならなければいけなかった反動か、彼女たちは時折、こうして子どものような喧嘩でじゃれ合う。かわいい、かわいい乙女たち。

 エレオノールは口角を持ち上げ、下がり眉を苦笑へ塗り替える。


「ほらほら、喧嘩しないのよ。わたくしは平気だから」


 はーい、としょげて見せる姿も愛らしくて、上がった口角はそのまま笑みの形で留まることにしたらしい。


「さあ、魔族の方々が戻る前に準備を整えてしまいましょう」


 魔族の侵攻は王宮まで。つまり彼らはじきにここへ戻ってくる。

 彼らが戻ってきたら、そのときは、聖女の復讐が完了する。


「メープル大聖女様、各地の聖女たちの様子はいかがですか?」

「魔族が通過した土地の聖女たちは、もう待ちきれないみたい。……到着を待っている土地も、反応はそう変わらないようだけど」


 周囲を飛び回る鴉からの通信は随分と姦しいものであるのか、カエデは耳を塞いでいた。はしゃぐ乙女たちの声で掻き消されていたが、耳を傾けてみれば確かに、鴉は待ち侘び急かす聖女たちの声を吐き出し続けている。


「エレオノールさん、私たちも待ちきれないんですけど……」


 エミリが袖を引く。

 乙女たちも同調するようにわくわくと頷いて見せる。


「あなたたち……」


 計画では、魔族が王都に到着したタイミングで、国中の聖女が一斉に魔法を展開することになっている。その魔法により聖女は魔族を退け、国は守られたという筋書きだ。

 しかし彼らが戻るにはまだ時間がかかるだろう。

 待っている間は休息と、魔力の洗練、そして復讐完了のお祝いで食べる食事の用意をすることになっていた。


「エレオノール、先走る聖女が出てはいけないわ。他の聖女たちには先に軽くやっちゃってもらいましょう」


 聖女は奮闘したという演出になる。最後の一撃をエレオノール、エミリ、カエデの三人が担当に、予定より大きな魔法で飾れば筋書きに齟齬はないだろう。

 カエデは力説した。

 乙女たちの心を代弁しているようで、その実、一番そわそわと落ち着きなく待ちきれなくなっているのは彼女自身であるようだった。

 エレオノールは深い嘆息ののち、諦めることにした。


「わかりました。それでは――」

「私、魔族のみなさんに連絡してくるわね!」

「メープル大聖女様、話を――」

「エレオノールさん、私は他の聖女のみなさんに連絡してきます!」

「……よろしくね」


 ひゃっほーい、と聞き慣れない歓声をあげ、カエデとエミリが駆け出していった。

 立ち上がり、土埃を払う。ない交ぜになってしまった感情も、一緒に払い落とす。


「それじゃあ、終わらせましょうか」


 仕上げだ。

 

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