02
悪魔。
自分たちが担ぎ上げ、自分たちが攫ってきた乙女たちを、王は悪魔だと切り捨てた。プツン、と頭の奥で音がする。
エレオノールは放ったばかりの王の体を再び掴んで、今度は床へ投げ捨てた。カエデの結界は打ち消して、玉座から引き剥がす。
「誰が理解を放棄していいと言いました?」
エレオノールの声からは温度が抜け落ちている。
悪魔などと言って、自分たち人間の枠から聖女を弾き出して。理解できない相手を異物だと切り捨てて。あれらは自分たちには理解できないものだと、考えることを放り出す。そんなことを、この状況で、認めてもらえると思うなよ。
「私たちは人間ですよ」
エミリの双眸が硝子玉のように透き通る。第三王子の婚約者になってから、ありとあらゆる理由をつけて連れ回された。祈りの時間を削れない身の上で、休む間も与えられない生活。幾度となく無理だと訴えた。話を聞かない第三王子をすっ飛ばして、茶会も夜会も参加するから回数を減らしてくれと幾度も頼んだ。それらすべてを生返事で聞き流してきたのがこの男だ。王と名前のついた肉袋。
勝手に攫って、勝手に息子の婚約者にして、エミリのすべてを奪ったくせに。自分の立場が悪くなった途端に悪魔呼ばわりだ。責任を押し付けて被害者面しようという魂胆か。そうはいくか。
「あなたはいつもそう。私の話を聞いてくれたことなんて、一度もない」
家に帰りたい。
攫われてきたカエデにとって、それは当たり前の訴えである。家族がいた。友達がいた。帰りたいに決まっている。
右も左もわからない異世界で、国のために身を捧げろと言われて、どうして頷けると思うのか。
『この国はお前を必要としている。その若さで生きる意味を得られるなんて、お前は幸福な女だな。そうだ、お前はいずれこの国の王子と結婚するんだ。王妃になれるぞ。すごいだろう?』
異世界の国のことなんて知るか。日本が私を必要としてくれなくても、私には日本での生活が愛おしい。国なんて重いもの、背負えない。生きる意味なんて要らないから、家族に会わせて。友達と遊ぶ約束をしていたんだ。王子と結婚なんてしたくない。私には日本で好きになった男の子がいるの。いつか告白しようと、自分磨きの最中だったのに。王妃になんてなりたくない。すごくなくていいから、私の生活を返して。
『可哀想に。凶暴な兄はもういない。これからは私がお前を愛してやろう。大事にしてやるからな。もう痛い思いをせずに済む。安心していい。私はお前を愛してやるし、子だって産ませてやる。心配するな。王妃として、好きなだけ贅沢をさせてやろう』
憐れんでほしいなんて言ってない。もう放っておいて。愛してくれなくていい。大事に思うなら解放して。体の傷が消えたって、心はずっと痛いままだ。安心できるのは聖女たちといるときだけよ。愛なんて要らない。子どもなんて要らない。あんたとの子なんて産みたくない。私のことを心配しているのなら、教会へ戻して。王妃になんてなりたくない。贅沢じゃなくていいから、聖女たちと穏やかに生きる自由をちょうだい。
「愛しているなんて口ばっかり。あなたの愛は、私を傷つけるという意味では第一王子の暴力と同じだった」
家に帰りたいと泣くカエデに、帰れないと言っているのにどうしてわからないんだ、と首を傾げた。帰れるかどうかにかかわらず、カエデはずっと帰りたかった。その気持ちすら理解しようとしなかった男だ。
放っておいてと泣くカエデに、こんなに幸福な条件に囲まれて何が不満だ、と口を尖らせた。王が与える幸福はどれも、カエデの幸福ではない。奪われたもののひと欠片だって返してくれないのに、幸福ばかりは押し付ける。
こんなによくしてやってるのに。そう言わんばかりの態度は、1つひとつがカエデの心をズタズタに裂いた。どうしていつまでもカエデが泣いているのか。考えたことなど一度もないのだろう。
「大嫌いだった。死ねばいいと思ってた。どうしてあなたは生きているのだろうって、ずっと思ってた。第一王子は死んだのに、どうして第二王子は生きてるんだろうって」
「ぁ、……」
「言葉が通じないのなら、しかたないわよね?」
カエデはこぶしに結界を纏う。
「心の傷は見えないから、見える傷にしてあげましょう」
回復魔法が使えることは、幸か不幸か。ずっと考えてきた。第一王子のつける傷を自分で治して、痛みはそれで消えるけれど、次の日にはまた傷ができる。傷つけても治るから、王子は段々と力加減を忘れていった。
けれど今、今日、回復魔法が使えることを幸福だと、初めて思うことができそうだ。ようやく、その機会に恵まれた。
「大丈夫よ。私、回復魔法は得意なの」
死なないように、丁寧に、殴ってあげますからね。
王の喉から、呼吸に失敗したらしい不自然な音がした。
これは復讐だ。負わされた傷を返すこともまた、復讐だ。散々エゴで傷つけられた。今度はカエデが、怒りのままに拳を振るう番だった。




