01
家に帰りたい。
彼女はいつも泣いていた。
異世界から連れてくることはできても、元の世界へ戻す方法はない。何度言っても、彼女は聞き分けられなかった。帰りたい。王は彼女の、涙に濡れた声しか知らない。
「愛、……愛しているんだ。愛しているんだよ……」
王の声は悲愴に沈んでいる。
愛している。何度も、何度も伝えてきた。
帰りたいと泣く彼女に、少しでも笑顔を与えたくて。愛している。元の世界など忘れてしまえ。ここには、こんなにもお前を愛してくれる人間がいる。だから帰りたいなどと、そんな寂しいことを言わないでくれ。
愛している。
兄である第一王子の暴力にさらされて、しかし誰の手当てもなく自力で回復してしまう異形の娘。兄は娘が悪いと言った。身の程を知らない娘が悪いのだと。己の妻になる女を、兄は殺したいほどに憎んでいた。あんなにも可哀想で、あんなにも可愛そうな女を。
泣くばかりで非力な彼女はしかし、この国を守るときには何者をも寄せつけない強力な力を発揮するのだ。彼女はきっと、異世界より招かれた際、リリアージュ聖王国を守る女神の一部を宿したに違いない。
そんな女神を愛さないとは、兄は愚かな男であった。そうはなるまい。あの兄のようには、決してなるまい。
「愛している。愛して、……あんなにも愛したのに……!」
放っておいて。
家に帰りたいと泣かなくなった彼女はしかし、今度はそんなことを言い出した。やはり泣きながら、触らないでと彼女は嘆いた。
それがなぜなのか、王にはわからない。
大聖女という誉れ高い地位に恵まれ、大勢の聖女に囲まれて、何が不満であるのか。暴力を振るうばかりの兄はもういない。泣かずに済むよう、消してやった。
助けてやったなどと、恩を着せるつもりはない。そんなこと、したこともない。
けれどこの国で誰よりも彼女を愛し、誰よりも彼女に優しいのは王である。国の長が、こんなにも愛していると言っているのに。彼女は泣くことをやめなかった。
なぜなのか。どうしてなのか。
「なぜ受け取らぬ。なぜ受け入れぬ。何が不満だ。なぜそうも強情なのか!」
可哀想な娘の心を慰めてやらねば。彼女は女神の一部を宿し、この国を守ってくれる生き物である。彼女がいればこの国は安全だ。彼女がいれば、――わしの安全は保障される。魔に怯えなくて済む。
王は彼女を害する兄を殺し、彼女の体を守った。しかし彼女は泣くのをやめない。であれば心も守ればいいのか。女は愛され、子を産み母となることが幸福であるという。ならば愛そう。
そうやって心を捧げ愛し、彼女は3人も子を産んだ。けれど彼女は泣くのをやめない。
であればどうすればいいのか。こんな神に歯向かうような真似をしでかすほど、彼女は一体、何に怒っているのだろう。
「……ないのか」
王は思い至る。そうか、やっとわかった。
「お前は、吉兆ではなかったのだな……」
この国は間違えた。救世主を招いたと思っていた。異世界の乙女はみな、女神の一部を授かって、こちらへやってくるのだ、と。
そうではなかった。
この国が招いていたのは――
「お前たちは、悪魔だったのか……」
天が寄越した、神の使いなどではない。人が招いた、清らかな人間などではない。あれは地より這い出た、悪魔であったのだ。
だから魔が寄る。だから魔族などという異形を招くことができる。人間の住まうこの国に、魔族などという恐ろしい存在を招き入れることができたのだ。
「ずっとわしらを、騙していたのか……」
あんなにも愛していたのに。王の頬を、音もなく涙があふれこぼれた。




