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聖女の顔は何度まで  作者: かたつむり3号
第四章 頂の椅子
16/25

03


 さて、と。

 ひとしきりエレオノールを撫で回し、ついでにエミリも撫でつけて、カエデは場を仕切り直した。


「まずはご挨拶を。初めまして、魔族の長。元大聖女でエレオノールの母親代わりを務めます、カエデと申します」


 美しいカーテシーだった。

 カエデは王妃だとは名乗らなかった。そういえば、エレオノールも彼女を紹介する際、大聖女としか言わなかったと思い出す。

 聖女と国との間に横たわる溝の深さが、垣間見えたような気がした。


「初めまして、……エレオノールの夫になった、夫をやっている……夫だ。名前は……――」


 自己紹介には慣れていない。というか初めての経験だった。どう言えばいいのかわからず、ぐだぐだと3回も「夫」を主張してしまった。せめて名を名乗れ。

 そこではたと思い出す。エドワードは思い出す。

 エドワードという名はついさっき、この国の第三王子であるエドワードから奪った名前である。

 目の前に立つ女は王妃とは名乗らなかったが、名乗らないだけで彼女は紛れもなく王妃である。王の妃。つまり彼女は第三王子の実母である。

 エレオノールの母親代わりが産んだ実の息子から奪った名を名乗る義理の息子。……ややこしい。

 大問題なのではないだろうか。エドワードは冷や汗びっしょりになった。

 どうしよう。妻の手前、ものすごくかっこつけて名前を奪ってやったが、初めて名乗りをあげる相手が、奪った名前の持ち主の実母である。

 殺されるのではないだろうか。実子の名を奪い、義娘を誑かした。エドワードへの評価は下がりに下がって、一足飛びに殺意の対象になるかもしれない。

 どうしよう。

 だらだらと冷や汗を流しながら、ぱくぱくと声の出ない口を開閉しているエドワードを見兼ねてか、エレオノールが口を開いた。


「メープル大聖女様、彼はついさっき、エドワードという名を得ました」


 ぎゃあ――――っ!?

 エドワードは胸の中で絶叫した。


「あら、聞き覚えのある名前ね」


 頬に手を添え、首を傾げるカエデの反応に、エドワードは膝が震え始める。そんな彼の様子を、エミリがニヤニヤと盗み見ていることに気づいた。彼女はエドワードを尊重してくれる。けれどそれは、彼に対して肯定的であるということとは別の問題であった。そして優しくしてくれることは、まずもってありえない。


「はい、はーい! 彼はついさっき、第三王子から名前を奪いました!」


 ぎゃあ――――っ!?

 エドワードは自分が卒倒しなかったことを誇りに思う。よく頑張った。もっと頑張れ。


「あら、そうなの? エドワード……」


 実の息子、第三王子の名を奪った。その事実を前に、カエデはきょとんとした。


「あの子、まだ生きているの?」

「はい。エミリの案で、被害者の経験を、体験してもらおうということになりましたので」

「ふーん……」


 心臓がバクバクとうるさい。はち切れそうだ。弾けたらどうしよう。

 カエデが口を開く。


「うん、いい考えなんじゃないかしら?」


 ぱん、と手を叩いて、彼女はにこやかにそう言った。


「は、ぇ……?」


 思わず口端から奇妙な音が漏れる。エミリが吹き出し顔を背けた。その肩が激しく震えている。そこまで可笑しいのならいっそ声をあげて笑え。


「それでは、改めまして。初めまして、エドワードさん。私は実の母親ではないけれど、エレオノールは自慢の娘よ。どうぞ可愛がって、たくさん幸せにしてあげてくださいね」


 優しい声だった。慈しい言葉だった。


「もちろん、言われるまでもなく」


 そう答えるしかないだろう。応えるしかないだろう。

 私と一緒に幸せになってください。エレオノールへの告白ではそう言ったけれど、彼女の幸せを優先するのは前提だった。


「まあ、かっこいい。エレオノール、素敵な旦那様ね」

「はい、世界で一番の旦那様です」


 面映ゆい。

 直視できずに顔を背けたエドワードの視界の端で、エミリが思い切り舌打ちしていた。あからさまな態度の変化に、堪らず声をあげた。ところで、と。今度はエドワードが場を仕切り直す。


「私の言えたことではないが、実の息子の処遇に関して、あなたはそれでいいのか?」


 カエデの態度は、エレオノールの幸福を願う姿と、あまりにかけ離れていた。

 名を奪ったと言われても動じず、生死を問う瞬間であってもまるで他人事のようだった。生かされている理由を聞かされたときでさえ、彼女はむしろ同意していた。賛成していた。

 そこに生じる違和感を、エドワードは拭えずにいる。


「構いませんよ」


 あっさりと、カエデは頷いた。


「私はあの子の産みの親ですけれど、親子の情などありませんから」


 カエデの双眸が硝子玉のように透き通る。


「こちらへ誘拐され、大聖女に担ぎ上げられ、そして用が済んだら王妃として子を産む道具にされて。情なんて湧く隙はありませんでした」


 そこのあれ。

 カエデが指さした先では、すっかり忘れ去られながらも、変わらず震えている王がいた。


「あれに触れられることは、耐えがたい苦痛でした。それでも耐えるしかないから、私は自分の爪を剥がして耐えました。それで足りなければ指を折って、時には噛み千切って。そうして耐え忍びながら3人、産みました。産まれた子はそのままどこかへ連れて行かれて、抱きしめることも頭を撫でることも、どころか名付けすらしていません。ただの苗床でしかなかった女が、産み落とした命に情を移すことなどできようもありませんでしょう?」


 空気が底冷えする。


「3人の王子はみんな、聖女を国の安全装置か何かとしか見ていません。実母がその聖女であったのに、それがなんだと言わんばかり。恨みこそすれ、憎みこそすれ、愛するなんてとても」


 無理。

 はっきりとしたカエデの言葉は乾燥している。声を彩る感情が読めない。ない交ぜになった絶望からはもう、なんの味もしなかった。


「私は聖女として過ごした時間だけが大切で、聖女の仲間たちだけが大事で、聖女の味方だけを守ります。それ以外は、要らない」


 感情を削ぎ落したカエデの声からは、徐々に温度すら抜け落ちていく。


「私はあれを夫だと思ったことは一度もないし、あれらを息子だと感じたことは一度もない」


 座れと言われたから、逆らえなかったから、言われるがまま座っただけ。その椅子の名が聖女か、大聖女か、王妃か。違いはそれしかない。愛着など抱きようもなく、嫌悪と吐き気ばかりを抱きしめて生きてきた。

 怒りを沸騰させて、嫌悪を煮詰めて、怨念を焦げつかせ、そうしてカエデは生きてきた。


「私の大切で大好きで大事なすべてをないがしろにするのなら、誰であれ私の敵ですからね。聖女は敵に、容赦しない。そういう生き物なのです、私たち」


 思い出したように、にっこりとあどけない少女のような笑みを浮かべたカエデは、とても美しかった。

 

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