表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女の顔は何度まで  作者: かたつむり3号
第三章 蠢く闇
11/25

02


 城内は混乱を極めていた。

 恐怖に染まった悲鳴ばかりが轟いて、しかし状況を知らせる声は1つも届かない。何が起こっているのか。誰も知らず、不安は恐怖ばかりを研ぎ澄ます。


 第三王子のエドワードもまた、伝播する恐怖に身を震わせていた。

 王城の奥、寝室にいる彼のそばには誰もいない。普段であれば扉の外で警護に当たっている騎士も、城内に響く悲鳴を聞き様子を見てくると離れたきり戻ってこない。

 何が起こっている。誰かいないのか。

 時折、堪らず声をあげてみるけれど返事はない。

 自ら様子を見に部屋を出る勇気は浮いてこないまま、エドワードはベッドの上で縮こまる。


 ……どれだけそうしていただろう。

 ふと顔を上げる。響いていた悲鳴が聞こえない。代わりに、こちらへ向かってくる複数の足音がする。

 規則正しいリズムで響く音は、聞き慣れた騎士のそれではない。しかし敵意を感じるほどの荒々しさもない。


 誰だ。

 また不安が呼ばれ、ついでに恐怖も連れてくる。

 逃げるべきか。脳裏を過ぎった警告を呑み込むより先に、寝室の扉が開け放たれた。ノックもなかった。つまり来訪者は味方ではないということだ。エドワードの顔から血の気が引く。


「あら、驚いた」


 聞こえたのは、姿を見せたのは、女だった。

 室内に踏み込んできたのは、聖女である。かつて己の婚約者であり、大聖女の席に座っていた女。エレオノールであった。

 驚いた。その言葉のまま目を丸くして、じっとエドワードを見つめている。


「え、エレオノール……?」

「まさかベッドから出てすらいないなんて。危機察知能力が赤子以下だわ」

「エレオノール!」


 声に滲む侮蔑の念を、エドワードは過たず感じ取った。尖った声が口から勝手に飛び出す。

 しかしエレオノールは気にした様子もなく、普通に歩を進めてきた。灯りのない室内の陰になっていた扉のそばから、窓から差し込む月光が照らすベッドのそばへ、普通に歩いて、迫ってきた。

 鼻先をかすめた拒絶感の名前を呼びたくなくて、声を張る。


「貴様ここをどこだと思っている!」


 しかしやはり、エレオノールは普通に返事をした。


「あなたの寝室以外のどこだと思うのです?」

「っ……!」


 当たり前のように反抗され、言葉に詰まった。その隙にも、エレオノールは言葉を重ねる。


「はぁ……。ちょっと言い返されただけで二の句を継げないなんて、甘やかされ過ぎではなくて?」

「き、貴様……誰に向かって――」

「よくもまあ、そこまで自尊心ばかり立派に育ったものだわ……」


 エレオノールは歩みを止めない。エドワードはようやく、自分がまだベッドの上にいることを思い出した。慌てて足を外へ出し、しかし爪先が床に触れる前にエレオノールの腕が伸びた。


「なっ――!?」


 胸倉を掴み上げられる。座ったままのエドワードを、高い位置から見下ろして。柘榴のような熟れた双眸が、エドワードの口を縫いつけた。燃えるような眼光に、身が竦んだ。

 なんだ。なぜこの女がここにいる。何をしに来た。

 いまさら……今になって、疑問が胸を満たす。

 先程まで響き渡っていた悲鳴が止んで。そうしたらエレオノールが現れて。複数あった足音の1つが彼女で。であれば、残りは誰だ……?


 背筋を冷たいものが伝う。ガチガチと鳴っているのが己の歯だと、エドワードはしばらく気づけなかった。


「おまぬけさん」


 視界がブレる。床へ投げ捨てられたのだと、体を打ちつけた痛みを感じてようやく理解した。

 その愚鈍さに、エレオノールが舌打ちを漏らしたことにも彼は気づけない。


「理解なさい。あなたには知る義務がある。この国で今、何が起こっているのか。わたくしたちがこれから、何をするのか。すべて理解しなさい」


 立て。

 エレオノールは命令した。

 その声に熱はなく、冷たさに慄いた体が勝手に起き上がる。


「な、なんだ、お前……何を――」


 何をしようというのか。

 問うために開いた口は、最後まで言葉を紡げなかった。開け放たれたままの扉から、新たな来訪者が姿を見せる。

 それは闇。仄暗い夜を纏った、人間に似た、けれど人間ではありえない男であった。


「ぁ、……は?」


 初めて見る存在に、エドワードの思考は塗り潰された。


「呆けていないで、挨拶なさい。彼は魔族。これからあなたたちを、この国を支配する種族の名よ」


 魔族。この国を支配する。――俺を、支配する。

 足元から恐怖が這い上がる。背筋を駆け抜け、脳天を突き抜け、エドワードは悲鳴をあげた。尻もちをつきながらも、エレオノールからも魔族だという男からも遠ざかろうと床を這う。しかし扉を塞がれている彼に逃げ場はなく、寄った壁際に背をつけへたり込めば、もうどこにもいけなかった。


 エドワードは理解する。

 これだった。城内を駆け巡っていた悲鳴の、恐怖の正体はこれだったのだ。

 魔族。聖女が魔族を招き入れた。結界の向こう、聖王国を脅かす魔よりもずっと、もっと恐ろしい、おぞましい何かを彼女たちが連れてきた。

 反逆である。聖女が国家へ反旗を翻した。

 許し難い。許されるべきではない。神罰が下って死んでしまえ。

 すさまじい速度で脳内を巡ることを何1つ舌にのせられず、エドワードはただ震える。喉が焼けるような悲鳴が止まらない。

 恐ろしい。ただ、恐ろしい。恐ろしくて堪らない。


「うるさい」


 エドワードが這った距離を一息で詰めて、エレオノールの腕が再び胸倉を掴み上げる。

 ぱあんっ――。

 頬を張られ、痛みと衝撃で吐き出していた悲鳴が止まった。痛い。涙が滲んだ。


「また騒いだら、今度は彼に叩いてもらいます」


 わかった?

 エドワードは首が外れるほど頷いた。声を発するのも恐ろしくて、返事はできなかった。エレオノールの言う『騒いだら』がどの範囲かわからない。


「立ちなさい」


 従う。

 涙の膜が決壊し、頬を伝った。恐ろしくて堪らない。同じくらい、悔しくて堪らないけれど恐怖を超える熱量には至らず、唇を食んだ。こぼれた嗚咽すら騒いだうちに含まれてしまったら、今度はあいつに叩かれる。己よりずっと体格のいい魔族の男の力がどれほどかわからない。頬を叩かれ、そのまま首がもげたらどうしよう。

 一度浮かんだ不安は際限なく次の恐怖を呼び、エドワードは身じろぐことにも怯えてしまう。

 支配する。エレオノールの言葉は、早くも現実味を帯び始めていた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ