色恋は、見てるのが一番楽しい。
「グルル…、ゥワフッ…グフッ」
…なんぞ。オフトゥンの外から、何かカリカリひっかく音と、声がする。眠い目を擦って窓を見ると、ちょうど日が昇り始めた頃。うむ、ふかふかのおふとぅん、最高だったぜ。
「…毛玉?え、でかっ。」
起き上がって伸びをすると、ドアの前に白くてでっかい毛玉が落ちていた。いや、落ちていたってサイズ感じゃないんだが。私の声に驚いたのか、びょんっと身体を跳ねさせた毛玉が、こちらを振り返った。
「わ、(U^ω^)わんわんお!だぁああ!!」
お犬様じゃ!お犬様がいらっしゃる!何故?ヴォイスさんちの子ですか?いや、それ以外ないよね。昨日見なかった気がするけれど、普段は自由行動なのかな?いやいや、そんなことは置いておいて!
「触りたいッ!…おいでおいで、怖くないよ?」
素早く床に膝と片手をつけ、もう片方を下の方から差し出す。抱き着きたいけれど、嫌われたくはないのじゃよ。だって犬派だもの!!
「ヴ、ヴォフッ!バウッ!」
なんだか焦っているように吠えられてるけど、何言っているかさっぱりわからん。あ、可愛いのはわかるよ!真っ白でふわふわな毛並みに、大きい体躯。超大型犬だな。グレート・ピレニーズかな?…目の色が青いけど。異世界だからかな?魔物だったら困るけれど、嫌な感じはしないし大丈夫そう。
「ぐぬぬ、ダメかな?あーそーぼ!」
くそう、なかなか寄ってきてくれない。作戦を変更して、四つん這いで背中を伸ばし、頭を下げてお尻を上げる。犬界の、遊んでポーズ『プレイバウ』である。これでどうですか!
「ヴォフッ!バウッ!」
「うーん、だめか。」
なんだか慌てたように吠えられている。なんだろ。遊ぶ年じゃないか、遊びたくないとかかな?じゃあ、服従すれば新入りとしてみてくれないかな。
「あそぼ?」
床が絨毯なのをいいことに、寝っ転がって仰向けになってみた。…なんか固まってる?呼んでも反応しな
「ワッ…、ワンワンワン!ガウッ!バウッ!」
「ええ、なんかめちゃめちゃ怒られてる気がする…。」
物凄い勢いで吠えられた…。ぐうう、仕方ないので正座に戻ると、吠えるのが止まったので、遊びに誘ったのが原因なんだろうな。なにゆえ。そんなに遊ぶの嫌ですか。
「うう、撫でたい、もふもふしたいよ…、ダメ?おねがいします…。」
魅惑のもふもふっぷりに、半泣きである。だって、この世界なぜか犬も猫もほぼ見かけないんだよ!両手を下の方で広げて、もう一度待機。これでダメだったら、ヴォイスさんにお願いして、仲介役になって頂くしかっ…!
「…!あ、ありがとうございますぅううう!!」
半べそで待機していたら、犬くんが困り顔で寄ってきてくれた。何この子やさしい!しゅきっ!!
「あああっ、ふわっふわだぁ…かわいい…癒される…っ。」
超大型でがっしりしているから、思い切り抱き着いても微動だにしない。包容感と安定感、半端ない。それにふわんふわんの毛並みが素晴らしい!良い匂いもする!首のモフ毛に顔を埋めて抱きしめると、あったかくて安心する匂いがする。これがアニマルセラピーって奴か!
「語彙力死ぬ、最高っ、大好き!」
耳の付け根や首回りをわしわしかいて、そのまま顔を寄せて、頭部を抱き締める。ああ、柔らかくて耳が分厚くてかわいい。ぐりぐりのおめめも、ぬいぐるみみたいでたまらなく可愛い!表情筋がでろでろになる!
「はぁあっ、好き!ちゅ、……あっ、」
やべ、鼻ちゅうしようとして、勢い余ってちゅうしてしまった。ごめん犬くん…。ほんとに事故なんだ許して。八割位よっしゃーラッキーッ!って思ってて、すまぬ。
「うむ、ヴォイスさんには謝っとこ。」
勝手にちゅうしちゃったのは、謝罪したら許してもらえるかな…。慰謝料請求は甘んじて受けよう。しかし物足りぬ。
「もっと一緒に居たい…っ!あわよくば一緒にお昼寝とか添い寝とかお散歩とかブラッシングとかお風呂とか…っ!」
はっ!そうだ、ヴォイスさんにお願いしに行けばいいじゃないか。それで、丸一日お世話させていただこう!!そうと決まれば善は急げだ。気合入れた朝ご飯で媚を売って、お願いを通しやすくしなければ。
「犬くんまたね。ご主人様にお願いしてくるね!」
動かない犬くんの眉間にキスを落として、大急ぎで着替えて階下のキッチンに向かった。まさかその後、犬くんに会えなくなるなんて、思っていなかったから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「…………っ、」
頭が熱に浮かされて、心臓が、死ぬほど痛む。服の上からそれを押さえる自分の手も、腕も赤いのがわかる。
『大好き。』
シンジョウの声と笑顔が、なんどもフラッシュバックしては沸騰したように全身に熱が回って、視界が滲む。柔らかさに触れた額と、唇を思い出して、ぐらぐらと揺れる思考に、煩すぎる心臓の音が、追い打ちをかけてきて。そのまま絨毯に倒れこんだ。
まだ夜の明けきらぬ頃、身体に違和感を覚えて目が覚めた。視界が低く、声も出ない。またヴォイスの実験かと思い、家主の部屋へ駆ける。たどり着く頃には自分が四足の生き物だと分かった。これだから、コイツの所に来るのは嫌なのだ。
「ヴォフッ!」
「ん?おやおやぁ~、随分な格好だね。」
薄暗がりに、ベッドに腰かけるヴォイス。読んでいた本を置き、弧を描く愉快そうな口と目が、苛立ちを煽ってくる。白々しいことを、と言おうとして、出たのは唸り声。
「一応言っておくけれど。僕じゃあないよ。妖精の気配があるからぁ…、まあ順当に考えれば、プーカかな。君、プーカのお返し貰ってないでしょう?」
笑いながら告げられた言葉に、は、と固まる。そういえば、シンジョウのことで忘れていたが、あの時自分も確かに試されていた。くそ、『妖精の悪戯』の解除方法なんて、知らんぞ俺は。
「あははっ、面白い顔。犬って百面相するんだねぇ。」
「グルルル…、」
大笑いするヴォイスが腹立たしい。笑い事ではない。この先このままだったら、どうやってシンジョウを護るんだ。どうにかして、神殿に…、
「面白かったから、良いことを教えてあげる。明朝には解けそうだよぉ。」
妖精の魔力濃度が薄いから、もって6時間、ってとこかなぁ。と告げられた。…ヴォイスの魔力を可視できる『魔眼』が見たのなら、その通りなのだろう。
この姿は頂けないが、この程度で済んで、良かったと言うべきだろう。すぐに戻るというなら、それまで部屋にいればいい話だ。気を落ち着ける為に、大きく吸って、吐き出した息は重い。
「まぁまぁ。折角なんだから、楽しまなきゃ損だよ?感想聞かせてねぇ。」
何が、というより早く、聞こえたのはヴォイスの魔法発動音。気が付いた時には、薄暗い部屋。先ほどまで自分が借りていた部屋とは違う、甘い果物の様な、爽やかなハーブのような香り。…まて、この部屋は、
「…ヴァッ、ヴァフッ!」
シンジョウにあてられた部屋か。まずい…、いくら野営で隣に寝られようと、部屋が別であるのに、勝手に入っていいわけがあるか!!
「ぅ、…ん、」
「………ッ!」
寝返りを打つシンジョウに驚いて、つい声を上げそうになってしまった。危ない、起こすのは、なんとなくだがまずい気がする。やましいとかではなく、シンジョウの性格的に、揶揄われる可能性が高すぎる!
…一瞬、悪くないかもしれない。と思ってしまった思考を、頭を振って全力で落とす。違う、その、なんだ。別にここに来るとき、抱き上げるのを拒否されて、気にしているとかでは、断じてない。ヴォイスとのやり取りだって、お互い冗談の域だったのだ。気にすることではない!
ともかく、ここから出なければ。振り返ると丁度背丈の高さに、丸いドアノブがあり、ほっと息をつく。身体は犬だが、中身は人間なんだ。抵抗はあるが、咥えて回せば簡単に出られるだろう。そっとノブを咥え、まわ…らなかった。おもわず焦って、ガチャガチャと何度も回す。しかし、ドアは一向に開かない。…おい、まさか。ヴォイスの奴、魔法でカギをかけて行ったのか!?
「グォッフ!!」
「んん、」
怒りでドアを破壊しそうになり、慌てて伏せる。鋭くなった聴覚が、シンジョウの寝息を拾っては、ぞわぞわと背中が粟立つ。…俺は何も悪事などしていない。後ろ暗い事などしていない!!必死に自分に言い聞かせながら、耳を前足で押さえ、ふて寝することにした。
まぁ、一睡もできなかったんだが。空も漸く明るくなり始め、もうそろそろこの悪戯も終わるだろう。…いやまて、シンジョウはかなり朝が早い方だ。このままでは、俺が戻ってすぐ、シンジョウが起きてしまうんじゃないか?そうなったら、俺は、寝ている女の部屋に無断で侵入した男に、寝込みを襲いに来た男になるのでは…?!
「グルル…、ゥワフッ…グフッ」
まずい、それは不味い!なんとかして、いやもういっそのこと扉を壊してしまおう。そもそも、追い打ちにこんな悪戯をしてきたヴォイスの所為なのだから、扉の一枚ぐらい構わないだろう。
「…毛玉?え、でかっ。」
扉の材質を目測し、破壊しようとした瞬間、聞こえてきた背後からの声に身体が跳ねた。ばっ、と振り返ると、きらきらと瞳を輝かせるシンジョウと目が合う。
お、起きてしまった!ザッと血の気の引く音がする。冷や汗のような感覚と、冷水を浴びせられたように身体が震える。なにか、なにか言わなければっ、
「わ、わんわんお!だぁああ!!」
「…グゥ?」
意味不明なシンジョウの叫びに、思考が止まる。なんといったんだ、わん?思わず首を傾げてシンジョウを見ると、頬を紅潮させ、素早く床に膝をつけてきた。
「触りたいッ!…おいでおいで、怖くないよ?」
一瞬、蕩けるような微笑みにみとれ…いやいやいや、しっかりしろ俺!というか、シンジョウは…っなんて恰好なんだお前は?!いくら個人部屋だろうと、男の家でそんな格好で寝る奴があるかッ!!
「ヴ、ヴォフッ!バウッ!」
何とか服を着させようと声を出しても、口から出るのは吠える声か唸り声。焦っている間にシンジョウは四つん這いで、あられもない格好をとりだした。おおおお、お前っ!だから駄目だと言っているだろうが!というか、胸が…ッ服を着ろっ!!
「あそぼ?」
「……ッ!」
コロ、と絨毯の上に仰向けに転がったシンジョウの、白い足。下着の裾がめくれて、太腿が丸見えで。深いカットに見える谷間が、柔らかく形を変えている胸を彩るレースが。求めるように俺を呼ぶ、普段より少し高い、甘い声、が…。
「ワッ…、ワンワンワン!ガウッ!バウッ!」
…っ違う!見ていない!不可抗力だ!!恥じらいを持てと、言っているだろう!体中の血が沸騰したように、熱い。いかん、だめだ、冷静になれっ。
ぐっと、奥歯を噛み締め、口を引き結ぶ。ぶんぶんと勢いよく頭を振って、せめて頭に昇った血を下げようと試みる。
「うう、撫でたい、もふもふしたいよ…、ダメ?おねがいします…。」
シンジョウの悲痛な声に、はた、と見つめれば。涙目で覗うようにこちらを見て、両手を広げていた。ごく、と上下する、自分の喉の音が、やけに耳に残る。
ふらふらと、誘われるまま、俺はシンジョウの腕の中に収まってしまっていて。そして、それを既に後悔していた。
「あああっ、ふわっふわだぁ…。」
全身の隙間を埋めるように抱き締められ、身体が硬直する。…っ、落ち着け俺、おちつけ。今までだって、女に誘われることが無かったわけじゃない。その気にならず、断り続けていたが。あの時のように、ただ離れれば良いだけで、
「かわいい、癒やされる…。」
弱くないが、苦しくもない力加減で包まれて、首筋に擦り寄られて、心拍数が上がる。鼻を擽る爽やかな甘い匂いも、シンジョウからうつる体温も、柔らかな感触も。不味いと思うのに離れがたくて。
好き放題触られ、撫でられ、その度に優しく声をかけられて。心地よさにぼんやりと、思考を放棄していた。
だめだ、しっかりしろ。遠くで、人間としての理性が、ぎりぎりの所で『俺』を引き戻してくる。犬の感覚に、引っ張られるな。そう強く心を持ち直したところで、
「大好き。」
ちゅ、と口先に柔らかさが重ねられて、微笑まれた。
それから、シンジョウが部屋を出て行くまで、記憶が飛んでいた。いや、正しくは、上がりすぎた熱でまともにものを考えられず、五月蠅すぎる心臓の音で何も聞こえていなかった。
倒れ込んだ絨毯の上で、キツく握り締めた手を、人に戻った身体を、何処か遠くのことのように眺める。
…わかっている。俺は今犬だったのだから、シンジョウは犬と楽しく触れ合っていただけだ。俺に触れて、俺に言ったわけでは、無い。
それが、余計に胸を締め付けて、あまりの痛みに思わず唸る。シンジョウに、俺を意識させることは、可能だろうか。…難題な気がしてきた。シンジョウだからな…。
ふと、まだ出会って一ヶ月もたっていないことを思い出して、乾いた笑いが漏れる。俺は、元部下のように十年も待てる気がしない。
まさかこの年になってから、これほど誰かを求め、欲しがる日が来るとは、思わなかった。
「…恥も外聞も無いか。今は何も持ってはいないのだから。」
『騎士団長』も『部下』も、地位も名誉も、なにもない。ならいっそ、思うままに動けば良いのではないか。信頼を得るのも大事だが、そのままただ『いい人』でいるつもりなど無い。
だんだんと落ち着いてきた心臓に、何度か手を握っては開く。身体を起こせば、階下から良い香りが漂ってくる。シンジョウには悪いが、もう犬はいない。…将来的に、俺で我慢して貰うか。
ふ、と弧を描く口元を抑える。確かに『恋は落ちるものでどうしようも無い』のだな。と、元部下の言葉に感心した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「い、犬くんがいない…っ?!」
「うん、ここにふらっと来て、勝手にまた何処かに行くから、僕が飼ってるわけじゃ無いんだよねぇ~。」
そ、そんなぁあ!!行方も名前も知れず、どうすればいいんだっ!思わずテーブルに突っ伏して世を嘆く。
「うぅ、いぬくん…っ!こんな事ならもっとモフモフすればよかったっ!」
悔いても悔やみ切れぬぅう!くそうくそう!うちの子じゃ無いよ、と言われて、じゃあ私と一緒に旅に出ても良いのでは?!なんて、夢みたいに舞い上がって、すぐさま部屋に戻った。たぶんあのスピードは世界新記録出たよ。けれど、既に犬くんの姿はそこに無く。泣きながら戻ってきたよね。ぴえん。
「いやぁ、案外すぐみつかるかも知れないから、そうしたら可愛がってあげなよぉ。」
「そんなの当たり前じゃ無いですか!絶対お迎えする!でろでろに甘やかしてやるぅう!」
「んん゛、」
ヴォイスさんの激昂…、激昂?に、決意がみなぎった。次は逃がさないぞ犬くん!旅するワンコなんて、格好いいじゃないか!あ、ゼロさん大丈夫かい?受け取って、新しい水よ。スープのペッパー器官に入ったの?
「犬が居れば、こんなに豪華な食事が出るのかぁ。何か飼おうかなぁ?」
「やめろ。お前は自分の世話もままならないだろうが。」
咽て赤くなった顔を仰ぎながら、ゼロさんがヴォイスさんを窘めている。…確かに、この部屋の惨状を見ると難しそうだな。掃除やごはんは、定期的に確認に来る部下が世話をしてくれているらしい。
「フラグの波動を感じる…!」
「えぇ~、すごい小言いうんだよ。好みじゃないよぉ。」
「次回会う時に、進捗お願いしますね!コイバナが嫌いな女子なんていませんので。」
なにそれ。とぶつくさ言いながら、デザートのトライフルを頬張っているヴォイスさんを生温かく見つめる。火種なんて、どこにでも落ちているものさ!ボヤでも起きれば、話に花が咲くよね。楽しみ。
「そんなにいうなら、自分の身の周りの心配しなよねぇ。」
紅茶を飲み込む瞬間に言われたものだから、一瞬咽そうになって、何とか持ち直す。含み笑いで見てくるヴォイスさんに、ほんとに性格悪いなぁ。と、私の勘が言ってくる。
…敵の味方かもしれないのに焦がれる様な、すぐさま惚れる甘酸っぱい年齢を、とうに過ぎてるんですよ。自分の安全、大事。大人の心は、都合の悪いことが聞こえないのだから。
「…ふふ。身の周りの安全は、ゼロさんの業務内容に含まれてますので。私の保護者に確認してくださーい。」
どうせ、あの後聞いたんでしょう。聖女の話を。まあ、私はとくに困らない…というより、出来ることがない。
落ち着いてきて、思い出したのは白い空間、美しい女神、並び立つ少女。虫螻のように私を見る少年、誰かと放り棄てられて、ゆらゆら揺れて眠くなって。
それだけ。あとは、目覚めたら知らない男が居て、騎士団長だったとか、クビになったとか言われて。私には確認するすべはなくて。出会う人皆、その人の知り合いなのだから、口裏を合わせられれば、どうしようもない。
この世界が異世界なのは納得した。いや、させられた。主に、アルたんや、感じたことのない『殺気』なんかで。あとは妖精の異物感とか…ね。解からせられた。が、しっくりくるな。
後は、とりあえず前提として、信じることにしている。ゼロさん善人だし。最近ちょっと意地悪だけれど。前職とか、今は関係ないからね。国の人間で、あの少年王に売り飛ばさないでくれれば。直接害が無ければ、何でもいい。最悪、神聖力全開でいれば、すぐに聖物が生まれて私を守る…はずだから。
だから、私だけは、死なないだろう。
なんせ、私が死んだら困るのは、この世界とアルたんなのだ。アルたんが自分で聖女を呼ばないあたり、干渉できないか呼べないか、なんだろう。そして眉唾すぎて、伝説レベルで呼び出されなかった聖女。その間溜まりまくった魔力を、循環できる人間がやっと来たのだから。
塵を片付けたいであろうアルたんは、一人は必ず聖女にしなければならない。と言っていたから。相当限界なのだろうな。神聖力が溜まれば消費しに来るといったのも、無駄に聖物を生み出して、他の人間に目をつけられない為だろう。…自分でいっておいてなんだが、聖女という割に外見的特徴があるわけでもないし、名乗り、聖女の証明でもしなければ、気が付かれない自信がある。
ううん。まぁ、こうして彼方此方、旅行していると思えば、まだ楽しいし。深く考えるの、疲れるからやめとこう。
にっこり笑い返して、紅茶のおかわりを入れる私に、ロックスはもの好きだねぇと、ゼロさんを憐れんでいる。
確かにアルたんに捕まって、私の護衛させられてるとか、不憫過ぎて笑える。…どこかで、テンプレみたいなもふもふ従者とか現れないかなぁ。
そうしたら、わざわざ隙を見て撒かなくても、ゼロさんを納得させてお別れできるのに。
「さて!お腹もいっぱいになったんだからぁ、みせてくれる約束だよねぇ~?」
立ち上がり、パン、と手を叩いて嬉しそうに笑うヴォイスさんに、そう言えばピアスをつけるのだったな。と思い出す。
「ただ光って終わり。だと思うよ?当店、クレームは受け付けておりませぬが、そこの所よろしいか?」
「もちろん!はい、どうぞぉ。」
しっかりと握らされた小箱を開ければ、前に見たときと同じく、ちょこんと鎮座する白く丸いピアス。光の角度で七色に輝き、幻想的な雰囲気を纏っている。
腰のポーチから針を取り出し、浄化をかける。ヴォイスさんが準備万端に出してくれた鏡で確認しつつ、プーカの印の隣に穴を開け、新しいピアスをつけた。
流れ出る血に染まるピアスから、ぱっと、光が飛んで。でもそれは、はじめて見たときのようにおさまる事も無く、ぱちぱちと光の花を咲かせながら、眼前に集まりだした。飛び回る光の花。それが弾ける度、線香花火のように暗がりに溶けて消える。
「…、妖精王?」
次第に形作られる人としての形。それに呼びかければ、ぱん、と花がすべて散って。現れたのは月光色の長い髪を風に遊ばせ、引き締まった肉体に薄布を撒く、まるで美術品のような男。
プリズムのように、光を七色に反射する薄水色の宝石。髪と同じ月光色の額縁で飾り立てたそれと、目が合った。そんな月の光に咲き誇る、薔薇のような美丈夫が、ふ、と微笑んで。
「やっだぁ!はじめましてぇ、マリリンって呼んでね!」
バチコーン☆っと幻聴が聞こえる勢いで、ウィンクされた。なんかパンチ効いたの出て来たなぁ!きゃーって両手を前で振るの、JKかよ。
「マリリン、来てくれてありがとぉ!よろしくね!」
「ノ・リ・が・良・い~♡既に好きっ。」
同じテンションで返したら、大喜びされたでござる。え、妖精王オネェさんなの。キラキラの笑顔で中指と人差し指でピースハートを作り、ラブ注入されとるんだが。
「こ、これが妖精王かぁ…。いや僕も人の事言えないけどさぁ。」
若干引き気味のヴォイスさんが笑える。あ、ゼロさんもあまりの衝撃に石像みたいになってるな。
「なによぉ、イケメン二人も侍らせて、聖女ちゃんったら…やるわね。」
「ふふふ、そのうちの一人に、マリリンは入りたいの?私にこれ、くれたよね。それとも私を、いつでも殺せるように、の、保険かな?」
瞬間、ゼロさんが私と妖精王の間に割って立つ。困惑している雰囲気が伝わってくるのに、『王』相手に護ろうとしてくれるんですね。
ちょっと嬉しくなって、顔に出ないよう口を引き結ぶ。
対してヴォイスさんは、どこから取り出したのか、物理攻撃でも殺傷力高そうな杖を握り、愉悦そうな顔で私を見ている。ううん、この野郎。
「やぁん、そんなに焦らないで?そんなにイキ急いでも、良いことな・い・わ・よ♡」
「ふふ、ごめんね。マリリンがあんまり美しいから、上がっちゃって。甘いものは好きかな?それとも、お酒の方が良い? 」
「誘ってくれるの?なら、甘いモノでも頂こうかしらぁ。」
空いている席へ周り、椅子を引けば、慣れた様子でマリリンは椅子に座る。そのまま新しいカップに紅茶を注ぎ、食べきれなかった自分のデザートを出した。
「まぁ!とっても美味しいわぁ!お店開けるんじゃ無い?」
「マリリンのような美しい方に食べて貰えるなんて、光栄だな。ありがとう。」
微笑み見つめ合う私とマリリンに、なんとも言えない顔を向けるゼロさんに気がついて、吹き出しそうになった。なんて顔ですかそれ。
「はぁ~♡こんなに良くしてくれたら、答えないわけにいかないわねぇ。」
美味しかったわ。と、食べ終わったのか口をふきんで綺麗に拭うと、にっこり笑って席に促される。自分の席に座れば、組んだ手に顎を乗せたマリリンにぱちん、とウィンクされた。
「先ずは、聖女ちゃんが言った通り。監視と、必要ならいつでも殺せるように。二つ目は、勿論あなたを護るためよ。」
「聖物に護られては、手が出せないからかな。そんなに強いんだね。聖女専用断罪履行生物。」
「ええ、しゃれにならないわぁ。ほんと、アルたんったら困っちゃう。」
白魚のような指が、テーブルを弾けば、まるでテレビ画面のように、何かを映し出す。
「まぁ、リンたんなら、大丈夫そうね。」
「今のところ?」
「もう、意地悪ね。こんなに早く気付かれて、牽制しに来る聖女なんてはじめてよ?ドキドキしちゃう。」
うふ♡と笑うマリリンに、ああ、ほんと、
「面倒くさい。したいことと、言われたことは、したければするよ。死なれたくないなら護って。よろしくね。」
「あら、案外女王様なのね。嫌いじゃ無いわ。」
下がるテンションに、余裕の表情を返されて。まったく。大人は純粋さが足りないよね。腹の探り合い、狸ばかりで疲れる。
ふ、と肩から力が抜けて、まぁいいか。と思い直す。楽しく生きていきたい。難しいことなど考えずに、面倒なことに捕らわれずに。
アルたんは、生きていれば良いといった。マリリンは、私が某かの一定値を超えなければ、護ってくれるらしい。
それだけわかっていれば、いいや。悪事を働くつもりも、無いんだもの。暇潰しを作って、消化して。冒険して、何にも囚われないで。生きよう。
画面のように映し出されたテーブルを、みる。儀式、召喚、少年王。鎧の兵士達、ローブの魔術師、ウォンカさん。…私を庇う、ゼロさん。
同じ場面を延々と巻き戻しては再生するテーブルに、そっと触れる。うん、本当にお人好しだなぁ。
嬉しくて…ちょっと、困る。