はじめましてをはじめよう。
「わかってた。行きに通ったんだもん。帰りもあるよね…。」
「…大丈夫か?」
「モーマンタイだぉ…。」
うん、虚勢張りました。下から見るより上から見下ろした方が、めっちゃ怖い。おもいきり崖じゃないですかやだぁ。蜂蜜ゲットして忘れてたでござる。
ぐぬぬ…、でも、帰るためには降りるしかないのだ。ゼロさんの体幹が鬼なのと力持ちなのは折り紙付きです。安全性ばっちり。あとは私が腹をくくるだけ。ちら、ともう一度崖を見下ろして、ゴクリと喉が鳴った。
「ゼロさん、お願いしても良い?」
さっき八つ当たりしてしまったから、ダメかもですが…。ダメだったらちゃんと自分で降りるよ?がんばる。
そんなことをもだもだと言っていたら、ひょい、と軽く横抱きにされた。
「怖ければ目を閉じていろ。」
「ありがとうございますッ!」
優しくかけられた言葉に、大人の!余裕!なんて思いつつ、顔を両手で押さえたまま叫ぶ。
ふわっとした浮遊感に身体が強張る。次の瞬間には軽い着地音の後、ずざざっとスライディングを決めているような音が耳に届いて。
「もういいぞ。」
「あ、…ぁりがとう…ッ、」
ぽんぽん背中を叩かれて、目を開ければ眼前には森。首だけ振り向くと先程までいた崖がはるか頭上に。それを確認したら、竦んでいた肩の力が抜けた。
「…はぁあ、私も、鍛えたら出来るようになるかな。」
毎回ゼロさんに運んで貰うわけにもいかないよね。ご迷惑お掛けしてしまう。やあ地面。きみがとっても恋しかったよ。平って素晴らしいね。当たり前のことに気付かされる瞬間だったよ…。
「そうだな…、出来ないことはないと思うが。」
なにやら考え込んで煮え切らないゼロさんに、あっ(察し ってなったわ。うん。
「悩んでも仕方ないことは未来の自分にまかせるべき!と、いう事でですね…。過去の自分が今の私に課した課題を片付けねばならんのじゃ…。」
なにかって?『聖女専用断罪履行生物』の生成ですよ。おあつらえ向きに周りは森と崖。人っ子一人いないし、開けているしで万が一何かがあっても被害は最小限にできるかも。
「…よし、いつまでもわからないことを心配しても先に進まない。当たって砕けるぞい。」
カラ元気で気合を入れたら、顎を掬われて瞼に口付けが降ってきた。
「リンなら、問題ないだろう。気負うな。」
超自然体で、警戒もまるでしていないという雰囲気を出して笑うゼロさんに、信頼していると、信じていると言われてるみたいで。…ゼロさんスパダリ度高すぎませんか?被弾したわ。まぁ露骨にやる気と元気出たけどね!所詮私などゼロさんの手の平でころころ転がされとるんじゃい!
「……ふ、」
わかり易い自分に笑って、肩の力が抜けた。ゼロさんに少しだけ後方に下がって貰って、深呼吸。
何が欲しい?なにがしたい?神様にお祈りするように両の手を合わせて。何を願いたい?何を叶えたい?私が私に聞いてくる。
私にしか扱えない、私だけの武器が欲しい。それは武器として存在するのだから、生き物を傷付け、殺めるだろう。それでも、私が生きるために、それが欲しい。
自分で選ぶために。後悔しないために。自分の弱さを誰かの所為にしたり、アルヘイラを恨まないために。
私だけの、力が欲しい。
合わせた手の平から、煌々と光が漏れ出しているのがわかる。ゆっくりとそれを開いて、調えるように撫でると、模様の描かれた球体が出来た。真珠の様に光り輝く純白。金の蔦模様。そんな球体が、どういう仕組みか私の目線の高さに浮いている。…これ、アルヘイラの神殿で見た模様と同じだ。
「…これが、断罪履行生物?」
「リンの飴に似ているな。」
うん、私も模様付きの飴ちゃんに見える。飴ちゃんよりも幾ばくか大きいけれども。なんだか思ってたよりも随分と無機質というか、もっと、腐ってやがる!早すぎたんだ!みたいな生物が生まれるかと思っていたから、拍子抜けだ。
そんなことを思いながら、矯めつ眇めつ摘まんだ聖物を眺めていたのが、悪かったんだ。
「っ!?だっ、ダメ!サスラッ!」
自分の出したとは思えないような、悲鳴に似た声が森に響いて。サスラが、聖物を取り込んでしまっていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
気が付いたら、ただそこにいた。ぼくが何かはわからなくて、でもお腹がすいて、だからぼくのからだにぶつかる物をたべた。からだの中に入るとじゅわってなって、お腹がいっぱいになるから。
いつもお腹がすいたらたべて、つかれたらとまって、ここがどこかはわからないけど、そうやってぼくは底にいた。
どれくらいかわからないくらいがたったとき、はじめてぼくはたぶん死んだ。たぶんなのは、ぼくが生きてたから。いたいって、はじめて思ってビックリして、そしたら死んでた。
でもぼくは気が付けば同じように生きてた。よくわからなかったけど、ぼくはそういうモノなんだなぁって思った。
それからたまに死んだり、生き返ったりしながらそこにいた。何回かに死んだとき、ぼくの中がおかしくなった。
なんだろう?ってたしかめようとしたら、突然世界が変わった。凄く吃驚した。だって、今まで何も見えなくて、感じなくて、何かわからなかったモノ達が、何なのかわかるようになったから。
ぼくの中に明るくて、温かいモノが出来ていた。明るいも、温かいも、わからなかったぼくがわかるようになった。たぶんそれは、ううん、絶対に、この目の前にいる人間のせい。
青いのは強い。黒いのはすごく弱い。わかる。わかるようになった。地面も、じめじめも、薄暗いのも。ぼく、こんな所にいたのか。今は黒いのがぼくを運んでいる。温かくて、優しくて、なんだかぼくの中がほわほわする。気がついたら、お腹は空かなくなっていた。黒いのの側は、ふわふわ浮いて、あたたかくて、お腹がいっぱいで、ずっとそばにいたくなる。たぶんコレは、嬉しいって奴。
黒いのが、青いのを攻撃するように言ってきた。ぼくは黒いのが何を話しているかわからないけど、たぶん言ってきてたと思う。だって、青いのにぼくを押しつけてたから。そっか、青いのは、敵なんだね。黒いの、ぼくより弱いもんね。
なら、ぼくが黒いのを護らなきゃ。
青いのはよく黒いのを見てる。青いのが黒いのを捕食しようとしたときに、おもいきりぶつかってやったら、青いのが怒って追い掛けてきた。でもぼくはとても強くなっていて、簡単には捕まらない。まぁ、最後は捕まっちゃったけれど。
死んじゃうかな?死んでもまた生まれるから、そしたら黒いのを捜そう。黒いのの側にいたいから。きっと黒いのは、ぼくといっしょにいてくれる。だから殺されてもだいじょうぶ。そう思って青いのに殺されるのを待ってたけど、なんでか青いのはぼくを殺さなかった。
青いのは嫌そうな顔をしていたけど、黒いのが笑うと、嬉しそうにする。だからぼくは死なないみたい。黒いのが嬉しいと、ぼくは死なない。なるほど、と思った。
「サスラ」
黒いのが、ぼくを呼ぶ。その瞬間に、また世界が変わった。ぼくの身体という奴が、熱くなって意識が遠のいた。死んだのかと思った。
ぼくはどうやら強くなった。だってリンの言葉がわかる。黒いのは、リン。青いのは、ゼロサン。ぼくはサスラ。リンがぼくに付けてくれた、『ぼく』を『ぼく』にするための音。
「サスラは可愛いね。」
「サスラ格好いい!さすが!」
「サスラ、大好きだよ。」
リンは沢山ぼくに話しかけてくる。だからぼくも沢山リンに返事をする。でも、ぼくはまだ音が出せなかった。もどかしくて、身体を震わせてみたり、跳ねてみたりした。ぼくの気持ちが伝わることは無かったけれど、リンが嬉しそうに笑うから、それでもいいかなって思った。
いつか、リンに好きって、言えたら良いな。知ってるよ。リンが好きって音を出すと、ゼロサンが嬉しそうにしてる。だから、好きって言うのは、嬉しい音なんだ。強くなったら、言えるかな。
リンがぼくを拾って、周りがわかるようになった。ぼくがぼくになったら、音がわかるようになった。リンといればきっと、音も出せるようになるはずだ。…どれくらい強くなれば良いかな?ゼロサンより強くなれば良いかな。
早く強くなりたい。強くなるには、強い奴に勝たなくちゃいけない。でも、強い奴はつよいから、負けたらぼくは死んでしまうかもしれない。ここはもう、あの暗い底じゃないから、死んだら元に戻らないんだ。どうしようかなって考えて、すぐにわかった。ゼロサンはぼくより強い。でも、ゼロサンはリンに弱くて、リンはぼくが好きだから、ゼロサンはぼくを殺さない。うん。ゼロサンと戦おう。
ゼロサンがリンを捕食しようとした時に、ぼくがそれを止めたら怒ってた。でもその後に、ぼくがリンを安心させようと思ってくっついたらもっと怒ってた。だから、戦う時はリンにくっつけばいい。念のため、ゼロサンがリンを捕食しようとしたらそれも止めよう。捕食したらリンが無くなるからね。
「サスラッ!!」
怒ってる。リンが。目から水を出して、震えてる。ぼくを呼んでる。ゼロサンと戦っている時より、身体が熱くなって、すごく速く動けた。気が付いたらぼくはゼロサンに勝っていて。…それから毎日、凄く眠い。
なんだろう、上手く身体が動かない。ただ、ぼくは凄く凄く強くなっていた。嬉しかった。もしかしたら、リンに好きって言えるかもしれない。えへへ、楽しみだな。でも、眠くて、あんまり起きていられなくなってきた。
リン、リン、ぼく、知ってるよ。リンはぼくのご主人様なんだよね。先生のところでおるすばんした時に、ビットとキュウに教えて貰ったんだ。他にもたくさん教えてもらったよ。
ぼくはとってもめずらしい。でもそのぼくより、リンはもっとめずらしい。皆、リンの側は空気が綺麗で落ち着くって言ってたよ。ぼくはなんでかそれがすごく嬉しくて、それって自慢って言うんだって。リンはぼくの自慢のご主人様。美味しいご飯をくれる。優しくて、あったかくて、好きっていうのよりもっともっと。それは大好きって言うんだよね。リンがぼくに、たくさん言ってくれた音だ。聞こえると、うれしくて、むずむずして、ぼくも大好きって、なる音。
リン、底から連れ出してくれてありがとう。空から降る水みたいに、たくさんの好きをありがとう。ぼくは、強くなりたい。リンに大好きって言うために。リンを護るために。
ああ、なんだか身体が熱い。でも、はじめてリンにあった時みたいに、目の前が、頭の中が、開けていくような、世界に溶ける様な感覚がする。
リンの、ご主人様の声がする。
起きなくちゃ。
ご主人様に、大好きって言うために。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
サスラがリンの生成した聖物を取り込んでしまった。俺もリンも聖物に気を取られて、サスラの伸ばした触手に気が付かなかった。レースの様な触手が聖物に絡みつき包み込むと、サスラの身体の中へ沈み込み、ゴポリと音を立てた。
「サスラッ、サスラ…ッ!」
今にも倒れそうなほど青褪めるリン。悲鳴の混じる声に、震える身体を支え、サスラに伸ばそうとする手を止める。聖物を取り込んだサスラは心配だが、万が一リンに何かあれば…。それはサスラの本意ではないはずだ。
宙に浮き薄く発光するサスラの身体。気泡が幾度も上がっては、ごぽごぽと水底のような音を出している。…気泡が上がるたびに、少しずつサスラの白い身体が薄黒く染まっていく。
「ゼロさん、放してください。」
「ダメだ。安全と言えない物の側に行かせるわけにいかない。」
リンを押さえる腕に、小さな手が、爪が食い込む。指先が白む程込められた力と、震える手から視線を移せば、ギリ、と歯を食いしばる音がした。
「私は正気です。…ロックス、放して。」
リンの両目、強く光る瞳の奥に、聖物に描かれていた模様と同じものが浮かび上がっている。
「触れるなよ。」
サスラに引きずられているのか、感情の揺れによって引き起こされているのか。普段とは違うリンを刺激するのも得策ではないだろう。リンを押さえていた腕から力を抜き、…サスラが聖物として動く可能性に備え、剣を持つ。それを確認したリンは何も言わずにサスラに近づき、そっと手を伸ばすと淡い光がサスラを包む。
「回復魔法も、神聖力も反応しない…。サスラ…ッ。」
両手を握りしめたまま苦し気に上がる声に、唇を噛んだ。サスラの白い身体は、闇の様に黒く染まっていた。
瞬間、どろりと身体が崩れ、耳障りな音を立てて地面に落ちた。細い悲鳴を上げるリンを引き寄せると、溶け落ちた粘質の中から何も変わらない聖物だけが残り浮かんで…、否。
「模様が違う…?」
蔦の絡まったような模様の中心に、サスラの核と同じものが刻まれていた。それを包み込むように、溶け落ちた粘性の液体が絡まり、さらにその周りを硬質な金属が覆っていく。それらは生き物の骨格を形作る。牙を持つ獣の頭蓋。背骨、肋骨、鳥の翼、蛇の尾、獅子の脚。金属で作られたそれらに染み込む様に、溶け落ちたサスラだったものが染み込んで。聖物を心臓として、金属の骨格の周りを粘性の血管と筋繊維が隙間なく埋め尽くして。
生き物としての器が、出来上がっていく。
溶け落ちた液体がすべて吸収されると、頭蓋の額にサスラの核が浮かび上がった。瞬間、眩いほどの光を放ち、それが治まるころには、
「か、かわいいね?」
「…そうだな?」
生き物と見間違うほどの、豊かな毛並みを持った『なにか』が出来上がっていた。
獅子の子の様な顔と身体は白く、背には翼が生え、鱗の混ざる脚は毛皮に覆われている。大きさは50㎝ほどだろうか。眠る様に浮かんでいるその生き物に、
「…サスラ?ッサスラ、サスラ。」
リンがサスラを呼ぶ。何度も呼ぶたび、まるで血が通っていくかのように獅子の身体がわずかに震え、脈動し、ついには白い瞼の下から金の瞳が現れた。それはぼんやりと視線をさまよわせ幾度か瞬くと、真っ直ぐリンを見つめ、
「ますたぁ、だいすき。」
眼を細め、口角を上げ…人の様に微笑んで、子供の声で愛を伝えた。
「…ッ、サスラァアアア゛ッ!!!」
…一瞬迷ったが、滝の様に涙をこぼしながらサスラを抱き締めるリンに、思わず笑ってしまって。これではもう止められんな。剣をリングにしまい二人の側に寄れば、ぼとぼとと涙を落とすリンにサスラが笑っていた。
「ましゅたぁ、くすぐったい。」
「ぅうう゛、じんぱいさせたサスラが悪いッ、すごいしんばいじだッ!」
「んへへ、ますた、すきぃ。」
「私もサスラが大好きだよぉお!!」
鼻声で叫ぶリンと、まだ上手く話せないのか舌ったらずなサスラで騒がしくも幸せそうだ。その光景に肩の力が抜ける。リングから取り出した水袋でタオルを軽く濡らし、
「リン、落ち着け。確認することがあるだろう。」
「ぅう、ごめんにゃざい゛…ッ、」
ぐすぐすと鼻を鳴らすリンの眼にあてる。リンの瞳に現れていた模様も消えていた。泣き腫らしている目は、後で回復魔法をかければすぐに治まるだろう。サスラは顔を冷やしているリンを浮かびながら見つめている。…羽ばたく必要が無いのか?
「ますた、いるからねぇ、うくの。いないとねぇ、がんばると、とべる。」
「…神聖力で浮いているのか。」
俺の視線に気が付いたサスラが、簡潔に告げてくる。要約して伝えれば、こくりと頷いて。…モンスターとして知能が高いとは聞いていたが、こちらが聞くことを予測し、先んじて返答するとは。
「サスラはかしこいね。」
タオルで冷やしつつ、落ち着いてきたのかリンがサスラを褒めれば、気を良くしたサスラが胸を張って。
「んと、ますたぁとおはなし、したかったから。これいれたから、はなせる、もっとわかるなった。」
「私の為に…ッ!尊みが深すぎてキュンキュンする…ッ!」
「落ち着け。」
これ。と自分の胸…心臓を差すサスラ。リンと会話するために聖物を取り込んだのか。思い切りが良いのも主人に似たのか?
「はぁあ、サスラの声が合成音声に似てるのは、その所為なんだね。元は聖物…私の予想では機械とかAIなんだけど。そこから引っ張ってきてるのかな?身体の中、機械になってたし。」
「エーアイ?聞いたことのない単語だが、リンの世界のものか?サスラの身体の中の金属も、金属だという事しかわからなかったが。」
「うん。…ああ、やっぱり。」
ポーチから取り出されたテイマーギルドのカードには、『ホーリースライム・希少種』の文字が消えて、『自動人形・タイプ合成獣・聖属性』となっていた。
「自動人形って、モンスターか魔物で存在するの?」
「俺は見たことがないが…。地下や鉱山にドワーフの国がある。そこのゴーレムに、オートマタと呼ばれるモノが存在した…はずだ。」
それこそ御伽噺なんだが。リンも御伽噺のような存在だからな。案外当たり前にいるのかもしれん。なるほど、と呟いたリンの視線はサスラを向いたままで。
「ふへへ、サスラ可愛いね。でもなんでキメラ?」
「…ますた、ビットほめる。もふもふいぬすき。うろこへびもすき。すきたくさんある。ぼくがいちばんすきなのに。」
ニコニコと笑うリンに、サスラはムスッと、如何にも不機嫌だとわかりやすいほど態度に出して、金の目を眇めてじっとりとリンを見つめている。
「ぜんぶあれば、もっとすきなる。ますた、ぼくがだいすき?」
「~~ッだいすき!」
でれでれと様相を崩して、サスラを抱き締めて頬擦りして。リンの答えに満足したのか、ふんっ、と笑ったサスラは大人しく抱かれることにしたらしい。リンは暫く使い物にならなそうだな。サスラを見る度サスラが話す度、思考が霧散して全ての興味がサスラに向いてしまっている。
「サスラ、回復魔法は使えるのか?」
「できる。」
「他に何が出来る?」
「コレができること、できる。わかる。」
とんとんと、自身の心臓を叩くサスラ。…後で詳細を調べる必要があるな。
「寝食に変更はあるか?」
「うんと、ますたぁのごはんたべる。ぼくのおふとんでねる。」
リンの…、神聖力の飴か。サスラの布団はオレンジのクッションのことだろう。なら今までと変わりは無いな。
「せっかくだから、一緒のご飯も食べてみようねー?」
たどたどしく話すサスラに、リンは可愛い可愛いと繰り返しながら尻尾を撫でたり、太い前足を撫でたりと好き勝手に触れている。楽しそうだな。
「サスラは私の事マスターって呼んでたんだね?」
「んーん、リンはリン。ビットが、ごしゅじんさまなんだからなって。いっぱいよびかたある。むつかしい。」
「おぁあ、名前で呼んでたのも可愛い…。ビットくんと仲良し尊い…。」
「ゼロサンがリンっていう。リンはリン?」
「うん、私はリンだよ。でもゼロさんは、ゼロサンって名前じゃないよ?」
「ぅ?ますたぁ、ゼロサンっていう。」
「うんうん。『さん』は敬称だからね。本当は『ロックス』っていうお名前だよ。」
「ぉっくす。」
「ロックス。」
「うぉっす?」
「ロ・ッ・ク・ス。」
「お・っ・く・しゅ!」
「…可愛くて死にそう。」
首を傾げて何度も言い直すサスラに悶絶しているリン。しっかりしろ。…たどたどしく名前を呼ばれるのも、リンに自分の名を呼ばれている事も、むず痒いが止める気も起きない。好きに呼んでくれ。
「楽しんでいるところ悪いが、そろそろ日が沈む。街に戻るぞ。…サスラは、隠していく方が良いだろうな。」
「サスラに似たモンスターっていない?拙いかな。」
「それも含めて、先生の意見を聞いた方が良いだろう。」
獅子の子ならいいが、翼が生えて尾が蛇だからな…。何かに入れるか、布でくるむかと話し合っていれば、耳を動かして話を聞いていたサスラが挙手の様に前脚を上げた。
「ぼく、スライムなれる。」
予想外の提案に、思わずリンと顔を見合わせる。…合成獣なのではないのか?サスラを抱えたままのリンは、持ち上げて目線を合わせると、サスラの発言の意図を汲もうと試みていて。
「…元に戻るってこと?」
「んと、なりたいになれる。」
「スライムにも、今の姿にもなれる?」
「なれる。」
「他のにもなれるの?」
「ますたにもなれる。」
「おっふ、マジか。」
ふんふんと息荒く得意げに話すサスラ。合成獣だという事ですら問題だというのに、そもそも生き物としての『ガワ』を変えられるとはどういうことだ。…姿を変える魔法はある。同じものかどうかはわからないが。
「…見せてくれるか?」
「うん!」
機嫌よく返事をすれば、そのままサスラの足下から粘性の膜が上がり全身を包む。ぎゅるぎゅると風が水をまき上げる様な音を立てて、霧の様に霧散した。
「わぁ。…ん、あ、私?キッズですな。」
現れたのは、アーモンド形の黒目勝ちの瞳、艶のある黒髪に愛らしい顔立ちの、子供。3歳くらいだろうか?確かに目鼻立ちの特徴はリンに似ている。今の、大人の自分が現れるのかと身構えていたリンが混乱して。これは…もとの骨格に限界があるのだろうか。
「ますた、すごい?すごい?」
「すごいよぉおお!サスラ天才!子供の頃の私にそっくり!!」
両手を伸ばして抱っこをせがむサスラを抱き締めて、頬擦りしている…のは良いんだが。上掛けを出してサスラにかける。流石に人の姿で何も身に着けていないのはまずい。人型に変わることが既にとてつもない事なのだが、異常事態が起こりすぎて、俺自身頭が働かなくなってきていた。
「はっ、これ、サスラがゼロさんに変身したら、子供の頃のゼロさんが見れるという事では?!」
「ますたぁ、ロックシュなる?いいよ?」
「おいこらまっ」
何を言っているんだお前たちは。俺の制止も虚しく、先ほどと同じように膜に包まれたサスラの身体は同じく3歳ほどの子供に変わっていた。…紺の髪に、青い瞳の。
「ひぁあ…ッ、かわいい…ッ!天使やないか…ッ!」
「そんなに目付きの悪い子供の何が可愛いんだ…。」
「存在。」
間髪入れず真顔で全肯定され、思わず目をそらす。俺のことはお構いなしにサスラを構い倒している。傍目に、俺に似た子供を抱いて笑うリンに、こう、心臓あたりがムズムズと…いや、だからそういう問題ではない。落ち着け。
「んん゛…、そろそろサスラはスライムになってくれ。本格的に日が落ちるぞ。」
これから先いくらでも構う時間は取れるだろう。いまは蜂蜜蜂の納品と、ギルダー先生への相談が最優先だ。そう言えば、リンは不承不承にサスラをスライムの形態へ変身させた。
「ふふ、骨格が増えた分ちょっと大きくなったね。」
「おおきいはつよい?ぼく、つよい?」
「うん、サスラすごく強くなったねぇ。…聖物については、一旦おいておこう。」
優しくサスラを撫でながら遠い目をして乾いた笑いを漏らすリンに、うなずいて。この状態なら一回りサイズが大きくなっただけだ。それこそ、ギルダー先生でもなければ違和感を感じないだろう。問題は、そのギルダー先生への説明だが…。
夜までに開放されるだろうか…。おそらく質問攻めにされ、答えるまで軟禁されることが想像に易い。大きく吸った息は、吸ったそれより深く重く吐き出された。




