家に帰るまでが、試験ですよ。
「ふぉああ…、」
戦闘試験当日。担当教官との一対一の模擬戦闘と、受験生同士の乱戦を、ギル先生をはじめとした実際に従魔とダンジョンへ赴いている先輩テイマーに見守られつつ行われる。会場はギルドの横に併設されている訓練場。だから一般見学者さんもいるよ。入場無料。将来テイマー職を目指している人が見に来たり、冒険者が勧誘するために来てるんだって。あとは暇つぶしの観戦。月に一度試験があるから、春先は込み合うけれど今は人も疎らで少ないから、観覧席の人の方が、受験者より多い。今日は私を含めて五人なんだが…。
「か、カッコいい!カッコいい!」
私以外の四名様が連れている従魔たちが、滅茶苦茶かっこよきだった。体高100㎝はある銀灰色の狼くんは、凛々しいお顔でご主人様の女性の隣に、お行儀よく座ってらっしゃる。
「ヴェアウルフよ。見るのははじめて?」
「はい、おおお、イケメンフェイス…。毛並みふわふわだ…。」
あ、ご心配なく。ぶしつけに触ったりしませんよ。今日の試験内容に、育成状況チェックもあるからね。綺麗に整えたカッコいい姿でご主人様と居たいよねぇ。
隣の屈強な男性が連れているのは、体長5mだというアナコンダの様な蛇。丸太の様な胴体を飾る鱗が光を反射して、とっても美人。
「こいつは捕まえるのに苦労してなぁ。」
「美人さんですね!こんなに美人なら、苦労も報われたのでは。」
「ははっ、まぁな!」
今回の最年少の少年は、可愛い兎を抱き締めていて頗る可愛いのだけど、可愛いお顔に似あわず凶悪な角が額に装備されている上に、毒があるそうだ…。綺麗なバラには棘があるんですね…。
「気を付けてね、触れると危ないよ。」
「わぁ、教えてくれてありがとう…。可愛いお顔でも強いんだね。能ある鷹は爪を隠すって奴かい?かっこいいね。」
そしてまるで保護者の様な顔で、甲斐甲斐しく女の子のお世話をしている二足歩行の猫。この猫さん、なんと妖精さんだそうで…ッ!
「よ、妖精…ッ!」
「うん、私の家族なの。」
「何それ尊い。」
思わず年甲斐もなく大はしゃぎで、受験者の皆さんにお話を伺いに行ってしまった。いや、まだ試験開始まで時間があったから…。ストッパーのゼロさんは、他の受験者さんのお友達や身内の方と同じく、観覧席にいるからやりたい放題だぜ。
「はぁあ、すごい…、語彙力死んだ…、」
もう、もう朝からお腹いっぱいである。来てよかった。今日の試験に出られてよかった。最の高である。
「サスラ見てみて、皆カッコいいね!凄いね!」
最初困惑されたけれど、従魔に眼を奪われ過ぎてついつい賛美を贈りまくっていたら、少しずつお話してくれた。わかるよ!うちの子自慢したいよね!
「妖精を従魔にしているあの子も凄いけれど…、この子、ホーリースライムよね?」
「はい、そうですよ。」
「今回は随分レアリティが高いわね…。」
狼くんのご主人様も、狼くんに負けないくらいクールビューティーなお姉さんだ。眉間に皺を寄せても絵になるなんて、眼福でござる。
「いいなぁ、私ももふもふな従魔が欲しいなぁ…。」
テイマーの暗黙の了解というものがあるらしく。育てや性格、性質については話すけれど、どこで発見したか、どのようにテイムしたか。は、聞いてはいけないそうだ。そりゃあそうだよね。必要最低限、ギルドマスターには報告されるし、その他に知られたら乱獲されて市場飽和しちゃうもんね。それでも、人の口に戸は立てられないから、噂話程度には回ってしまうようだけれど。
「お待たせいたしました。それでは、これより試験を始めます。呼ばれた方はこの場に残り、他の方は観覧席でお待ちください。」
今日も今日とて、スーツをバシッと決めているクラージュさんが、案内を入れてくれた。トップバッターは狼くんとお姉さんで、私はサスラと一緒に観覧席へ移動する。…と言っても、試験だから一般見学者さんとか応援に来てくれている方々とは区画が違うから、ゼロさんとはお話しできないんだけどね!
担当教官の男性は、以前サスラの知能検査でお世話になったサブマスターさんだった。確か名前は、ミーノさん。ミーノさんの従魔は、テイマー見習いが一番最初にテイムするという、鉄鼠。ただ、サイズがおかしかった。補講で見た時の鉄鼠、手の平二個分のサイズだったのに対し、ミーノさんの鉄鼠は大型犬くらいある。…でっかい鼠って、こんなにビジュアルが恐ろしいんだね。すごく、魔物です。
「ぉああ…ッ、すごい、狼くんカッコいい…ッ!」
そんな鉄鼠に怯む事もなく、狼くんは攻撃を与えていく。大きな身体に反してやはり鼠、素早い鉄鼠の動きに翻弄されても、お姉さんの指示をしっかり聞いて、一撃一撃を確実に当てている。鉄鼠の反撃があっても、お姉さんを信じて果敢に挑んでいく姿は、もう、もう、筆舌に尽くしがたく。
「ね、ね、サスラ見た?凄いね!」
我、大興奮。その後に続く、蛇くんや兎さん、猫さんの戦いにも、思わずサスラを掲げたり、抱き締めたりしながら称賛を贈りつつ観戦していた。…サスラの知能が高いという事も、それにより怒りのボルテージが上がっていることも、解かっていなかった。
「ひぇえ、」
目の前には、それはそれは笑顔のミーノさん。と、従魔のビットくん。見上げてもまだ足りないそのサイズ目測2m超え。身体の前半身が鷲、後半身が馬、背中には大きな羽…。皆大好きグリフォンと馬の子、ヒッポグリフォさんじゃないですかぁあ!
「よろしくお願いします。」
「はい、頑張りましょう。」
深々とお辞儀をして、抱えていたサスラを降ろす。…なんでサスラの相手は鉄鼠くんじゃないんですかね。あ、レベル差ですか。ですよねー。ははは。
「サスラ、頑張ろうね。試験に受かったら、一緒にお出かけできるからね。」
ぐっと、拳を握って、気合を入れる。いや、戦闘の指示とか、練習はしたんですよ。ただ、サスラの知能が高い上、言い合い程度しか争ったことのない私の指示を仰ぐより、いっそ自己判断の方がいいね…。と、ギル先生に言われてしまって。はい、お荷物は私でございます。
もはやご褒美を上げたり、お願いを聞いてあげる以外に、サスラにしてあげられることが無いのだ。…ナイテナイヨ。
「それでは、戦闘開始。」
クラージュさんの声がしたその瞬間、サスラが掻き消えた。…あれ?デジャビュ?なんて思う間もなく、前方からドッゴォン!という、爆発的な衝突音と人々のどよめきが聞こえた。み、見たくない…ッ!でも見ないわけにいかない…ッ!
「…わぁお。」
意を決して音のした方を見れば、地面にめり込んで隕石が衝突したかのようなクレーターを作っているサスラ。そして、引きつった笑いのミーノさんと、若干腰の引けてるビットくん。
「さ、サスラッ!死に至らしめてはならぬ!気絶!せめて気絶にして!!」
あんな勢いでビットくんにぶつかったら、複雑骨折内臓破裂、胴体真っ二つの泣き別れ待ったなしである。勘弁してくれ。渾身の勢いで叫ぶと、ぴくっと、サスラが震えて、核が私の方を向いた。…え、なんか、怒ってる?
「サスラ?」
じとーッと、何か言いたげに私を睨んで(?)いるサスラ。あれ、なんかこれも見たことあるな?つい最近…ゼロさんがこんな感じで、私とサスラを見ていたような?
「あっ、」
思い当たってしまった仮定に、冷や汗が出る。サスラはもしかして、やきもちを妬いているんだろうか。私が他の従魔を、サスラの目の前で褒め称え、羨み、あまつさえ『私も欲しい』と求めてしまった。サスラがいるのに。そ、そんなの怒るに決まってるじゃないか!ああああ、馬鹿か私は!いくらそんなつもりがなくとも、サスラが私の言葉を『自分に不満がある』『他の従魔ばかり褒めている』と、そう受け取ったのだから悪いのは私だ。
「さ、サスラカッコいい!サスラが一番だよ!」
ともかく今はサスラの機嫌を少しでも治して、ビットくんへの八つ当たりを防がねばならぬ!八つ当たり(殺害)なんて許せるかッ!
「サスラは強いから、手加減できるよね?」
内心冷や汗が止まらないけど、全力で顔に笑顔を張り付けて、腹に力を入れて震える声を明るく矯正した。信じてるよサスラ!とダメ押しすると、まるで深いため息をつく様に、ゆっくり膨らんで、元のサイズに縮むサスラ。き、器用だね。ジェスチャーがどんどん人間臭くなってないかい?
ぽうんぽうんと跳ねながらクレーターから脱すると、くる、とビットくんに向き直る。そのまま、微動だにせずにサスラはビットくんを見つめて。…え、どうしたんだろう。見つめられているビットくんは、前脚を所なさげに動かして、落ち着きなく。視線がミーノさんに行ったり来たり。同じように、ビットくんの背後にある観覧席の先輩テイマーさん達も、険しい顔でサスラを見ている。そのうちだんだんと、冷や汗をかき始めて。終いにビットくんは俯き、
「ピュゥゥウ、」
甘える様な、泣く様な声が、上がった。それを聞くと、今度はミーノさんが困ったように手を上げて。
「ううん、ビットにサスラ君は荷が勝ち過ぎたようだ。」
「わかりました。それでは、ビットは棄権。サスラの勝利とします。」
「ええええッ、」
サラっと、クラージュさんに宣言されたサスラの勝利に、私は全くついて行けなかった。何が起こったんだ。これが、これが飲茶視点というやつなのか。
「では、他四名の受験者は前へ。乱戦を開始します。」
淡々と進行するクラージュさんの隣に、ローブを着たお姉さんがやってきて、何事か唱えると、サスラの作ったクレーターがきれいさっぱり消えた。ま、魔法…。あのお姉さんは魔法使いさんなのか。
綺麗になったフィールドに、受験者と従魔が集まると、一気に物々しい雰囲気に包まれる。開始前のフレンドリーさは、消失していた。
「悪いけど、あんたの従魔は先に潰させてもらう。」
「見習いからの本試験で、当たる強さじゃないのよ。」
「従魔は強いけど、主人はそうでもないようですし…。」
「恨まないでね。」
各自から別れの言葉を賜ってしまい、ため息が出る。…うん、しょうがないね。共通の敵がいるなら、皆で叩くのが一番いい。こんなに強くてカッコいい従魔を連れた人達が、『サスラ』を強敵と認識して、評価してくれている方が、嬉しいんだから。私も大概、アレだな。
「サスラ、」
呼べば、すぐに振り向いて、側に来てくれる。
「傷付けてごめんね。私の従魔はサスラだけだよ。」
ぽん、と跳ねて腕に納まったサスラに、ぐいぐい頬擦りして笑う。それに、ぷるぷる震えたかと思うと、ぷよん、と頬にサスラがくっついてきて。もしや、ここはほっぺたなのかッ?真似っこしてるのか?!何それ可愛い…ッ。
「あのね、皆を傷付けずに、勝ってほしいの。出来るかな。」
怪我をするって、挑んだ証の様なモノだ。ねぇ、それすら許されない圧倒的勝利って、強者にしか選べない選択肢だと思わないかい。相手に怪我を負わせずに勝利する、縛りプレイって奴だよね。哂う私に、サスラのご機嫌は治ったようだ。…だってさ、ビットくんが勝てないサスラに、複数人いるからって、初心者が勝てるわけがないじゃないか。いくら、私が弱かろうとも。矜持高くてごめんね!ちょっとイラっと来た!
「戦闘開始。」
「身の程を知れ。」
サスラを抱き締めたままそういえば、びゅるっと鞭の様なモノがサスラから飛び出て。
「きゃぁあああ!?」
「何ッ、降ろせッ!!」
「やだやだ怖いよぉおッ!」
「ぎゃぁああ!?」
きらきらと美しく輝く光の粒が、レースの様に伸びていて。受験者四人と従魔四匹をそれぞれ絡めとって、空中に浮かばせていた。…え、私に一切重さが来ないんですが、どういう原理なの。怖い。
流石に捕まえただけで勝利にはならないらしく。ちらっと見ると、クラージュさんとミーノさんに微笑まれてしまった。そりゃあそうか。抜け出るかもだもんね。じゃあ、逃げられない状況になれば、サスラの勝ちかな?
「うーん、五月蠅いから、回してしまえ。」
現在進行形で、頭上から聞こえる罵詈雑言と悲鳴。このレースの触手(?)元々聖属性だから、ケガさせたらそのまま回復させれば大丈夫でしょう。笑ってサスラに指示を出すと、サスラも嬉々として触手を振り回し始めた。…思春期男子が乗ったコーヒーカップより回しますやん。ゼロさんを見てごらんサスラ。頭抱えてるよ。たぶん後で怒られる奴。ギル先生が楽しそうだから、ワンチャン助けてもらえるかも。
「そろそろいいかな?」
絶叫が聞こえなくなってきた頃、サスラにお願いして皆を降ろしてもらった。三半規管に大ダメージがいっていることでしょう。四人と四匹は、それぞれ気絶しているか、四つん這いにすら成れ無い様で、母なる大地に沈んで呻いている。やったぜ。
「…戦闘不能、確認致しました。勝者、サスラ。」
「ありがとうございました。」
しっかりお辞儀をして会場から出ると、サスラにぷにぷにと頬を撫でられた。
「ふふ、サスラお疲れ様!受かってるといいねぇ。」
試験結果はギルドの掲示板に張られるそうだから、お昼ご飯食べたら見に行こうね。そう言ってサスラの額の核に口付けると、ご機嫌は完全に治ってくれたようで。
「リン。」
「あ、ゼロさん。試験終わりました!」
サスラともちもち頬をすり合わせていたら、ゼロさんも会場から出てきた。…いや、忘れていたとかじゃないよ!サスラのことで頭がいっぱいだっただけだよ。ほんとほんと。
「ああ…、あー…、よく頑張ったな。」
苦笑いでぽんぽんサスラを撫でるゼロさん。うん、いま色んなあれこれを飲み込んだな?いや、私もよくわからないで勝ったとこあるけどさ。…あ、そうか。もう、いいのか。
「サスラ、ビットくんに何をしたんだい?」
もう、聞いてもいいのだ。わからないなら、わからないと。弱みにも、貸しにもならないんだ。ゼロさんには。
「ん?ああ、威圧をしていたな。」
いあつ?威圧って、プレッシャーをかけていたってことかい?首をかしげる私に、ゼロさんも首がかしげてる。
「開始前から、殺気と威圧が出ていたぞ。随分機嫌が悪かったようだが…、何かしたのか?」
「…ほかの、従魔をほめたり…、羨んだりしました…。ごめんなさいサスラ。」
開始前ってことは、ヴェアウルフくん褒めた時からってことやん。本当に申し訳なかった。しょんもりする私に、サスラが優しくすり寄ってくれた。ぉああ、かっわ!
「…サスラッ!すきっ!」
サスラに見捨てられたら生きていけないよ!私の癒し!なんて心の広いスライムなんだ!
「…気持ちは、わかる。」
「へぁ?なにかいったかい?」
サスラをぎゅうぎゅうに抱きしめて、頬っぺたもちもちしてたから、ゼロさんの声がよく聞こえなかった。ワンモアプリーズ。え、サスラなんでゼロさんに触手(?)伸ばしているんだい。なんでゼロさんと握手したんだい。…君たちやっぱり仲良しだな?
「まぁ、ここで話すのもなんだからな。ギルドの応接室を借りた。そこでサスラに褒美でも労いでもするといい。」
「おお、かたじけない。」
ここじゃあ邪魔になるもんね。ご厚意に甘えて、みんなでギルドの応接室に行くと、中でギル先生が待っていた。ちら、とゼロさんを見て、もう一度ギル先生を見る。うん、見間違いじゃないみたいだ。ゼロさんが苦笑いしているあたり、共犯だね?
「お疲れ様。結果が出るまで、ここで休んでいるといいよ。ついでに、サスラはこれからご飯なんだろう?見学してもいいかな。」
うっぉ、まぶしっ!とんでもなく純粋な瞳で、にこにこ笑っているギル先生に、私は…、まぁ、逆らえるはずもなく。ご自由にどうぞ、というので精いっぱいだった。
「サスラ、ご飯だよー。」
揉み手のようにきゅっと手を握って、開く。それだけで、銀色の絵の具を溶かしたかのような液体が入った、ガラスの丸い球体が、六個ほど出来上がる。
「これが神聖力かな?一つ、もらっても?」
「どうぞ。食べると甘くておいしいですよ。」
私から出てる神聖力(不可視)を好きなように食べていたサスラ。それだと、ちゃんと食事しているのかわからなくて不安だったので、おにぎりみたいにならんかな?と試したものがこちらになります。通称アメちゃん。
「…は、はっはっは!食べたのかい?」
「え、そんなにおかしいことしたかな。」
「…まぁ、普通ではないな。」
「ゼロさんも食べたじゃないか!突然の裏切り!謀反?!」
一瞬ぽかんとしたギル先生に大笑いされてしまった。なにゆえ。あとゼロさんも美味しいって言ったじゃないか。大丈夫って言っているのに、身体に違和感はないかってしつこいから、あーん。って言ったら口開けたから放り込んだよね。へっへっへ。
「ああ、本当だ。ほんのり甘いね。」
ぽいっとアメちゃんを口に入れたギル先生は、もごもごしながら机から何か取り出して。…あ、鑑定機だよねそれ。見たことあるぞ知ってるぞ。何するんだろう。
「ふんふん、なるほど。これは人にあげないほうがいいなぁ。」
どうやら自分自身を鑑定して、アメちゃんの効力を調べているようだ。さすがプロ。なんて、感心していたのもここまでだった。
「『自動回復』か…。治癒力が上がってるのかな?どれどれ。」
スパっと。手のひらをペーパーナイフで切りつけたギル先生に、息を飲む。え、え、なん、なんでゼロさんといいギル先生といい、自傷行為にためらいがないの?!
「おお、ちゃんと治るね。…ああ、このカウントが制限時間か。なるほど。どこまで効力があるかな。」
うきうきと効果音が付きそうなのに、やっていることが物騒すぎる。これ、これって止めないとまずいのでは?!
「せ、先生あのッ!たかがアメなので!過信よくないです!」
「うん。だから調べようね。今ならアメで治らない傷も、シンジョウ君が居るから大丈夫でしょう?」
必死に止めようとする私に、諭すように、優しく穏やかにギル先生は言って。
「…ひゃい、」
その恐怖に逆らえなかった。…お、大人怖いよぉおおッ!!
ギル先生は優しくて、穏やかで、物腰柔らかな紳士。なんて、それも一部で間違いではないけれど。それだけじゃあギルドマスターなんて、務められませんよね…。
私の返事を聞いたギル先生は、間髪入れずに自分の小指を切断した。一瞬、何が起こったかわからなくて、机に転がっている小指を理解した瞬間、だくだくと流れる血に、ひゅっと息を飲んだ。声なんて出なかったけど、悲鳴だった。
ギル先生はそんなことお構いなしに、
「あ~、傷口は塞がるけれど、繋がらないね。シンジョウ君、治せる?」
なんて、笑いかけられて。もう、もう、半分泣きながら治した。治せた。やったことなんてなかったけれど、混乱して手が震えてたけど、人間やればなんとかなる。
しかも治した後、時間がもったいないからって、パカパカ毒を呷り始めた。
「従魔からとれる毒だよ、これは神経毒で、こっちは腐食毒。」
なんて説明しながら。戦慄した。もう、血の気が引きすぎてちょっと立ち眩みがした。
「あ、これ以上は無理かぁ。」
カフッと、ギャグみたいに吐血した先生に、全然笑えなくて、
「シンジョウ君、治せる?」
嗤って私を見るギル先生に、頭が冷えて。唇を噛んで、腹に力を入れて、自分の頬を引っ叩いた。
「治します。」
落ち着け。深呼吸しろ。ふらつくな。踏ん張れ。先生がやっている事は、わざとだ。効力を調べ、自分の好奇心を満たし、私が役に立つかを見ている。証明しなければ。いざというときに取り乱さず、自分の役割をこなせるように。やり方はどうかと思うけどね!!ギッとギル先生を睨んだら、嬉しそうに笑われた。ぐぬぬ。
結局、あれやこれやと試すうちにお昼の休憩が終わり、呼びに来たクラージュさんに窘められるまで、ギル先生は止まらなかった。
「うん。『自動回復』は五分間。『毒無効:中』『治癒:中』ってところかな。骨折や打撲なら余裕で治るから、あまり人に渡すのはお勧めしないなぁ。」
「…リン、大丈夫か?」
「だいじょうぶ…、安全に予行演習ができたと思えば…、ダイジョウブ…、」
ギル先生がいるとか、クラージュさんがいるとか、知るか。クラージュさんが止めた時点で、心配して声をかけてくれたゼロさんに抱き着いて、メンタルの回復をはかってますなう。SAN値がピンチなんじゃ。
「その、止めてやれなくて…、」
「それは大丈夫です。ギル先生態とでしょう。ゼロさん私に甘いから、スパルタ担当ですか。」
申し訳なさそうに謝罪しようとするゼロさんの言葉を遮る。いや、本当ゼロさん何も悪くない。むしろ甘ったれ根性の私が悪いまである。言いながら、ぐいぐいゼロさんにおでこ押し付けて、舌打ちしそうなのを押し込んだ。わかってますー、根性なしですみませんね。
「うんうん。シンジョウ君はほんとにいい子だね。」
「誉め言葉として頂戴しておきます。」
威嚇する勢いでギル先生を見たら、今度は本当に優しく微笑まれた。から。拗ねるのはやめて、ゼロさんから離れた。…何残念そうにしてるんですかゼロさん。もう少し取り繕って。
「ふふ、仲良しだね。」
「ゼロさんは私の嫁なので。」
「…なんでそうなるんだ。」
きりっとキメ顔でいったら、ゼロさんにペスッとはたかれた。心持は自由だから!あと耳赤いよゼロさん!
「あ、衝撃展開過ぎて結果発表忘れてた。」
「もう張り出しているから、見ておいで。」
はい、と、何故かお昼寝中のサスラをギル先生に手渡された。んん?別に確認なら私だけでよいのでは?…まぁいいか。
「じゃあちょっと行ってきます。」
あ、掲示板はこの部屋を出てすぐだから、護衛も何もいらんわい。フラグじゃないよ。ゼロさんにそういったら、不安になるからやめろ。と注意されて。それに笑いながら掲示板を見に行った。
「…だから安易にフラグを立てるのはやめろとあれ程ッ!!」
フラグの回収がサラマンダーより速いんだが!?絶叫する私に、目の前の典型的な金持ちって感じのおっさんは、何言ってんだこいつ。って顔で私を見てる。
いや、掲示板みて、私とサスラが合格してるのは見た。うれしくて、ギルドの職員さんに思わずハイタッチ。誰か知らんが。そしたらその場にいた、会場で見てたよって人達が、おめでとーって言ってくれて。へっへっへーなんて笑ってたら、今ここ。…うん、私も何されたかよくわからんのだ。これだから異世界はッ!
多分転移かなんかなんだろうけれど。足元はふかふかの絨毯。部屋の調度品も高そうだけど、あんまり趣味はよくないな。目の前のおっさんはこう…ふくよかで全部の指に指輪つける勢いだし。悪い金持ちの見本みたいだ。
「ホーリースライムはどこで手に入れた?」
「…。」
「そのスライムを渡せば、一生遊んで暮らせる金と共に、すぐに帰してやる。」
「…。」
さて、どうしようかな。まさか予習後すぐに復習の時間が来るとは。進〇ゼミだってこんな弾丸ツアー組まないぞ。なんというか、ゼロさんとサスラの殺気に徐々に慣らされたり、モンスターの死骸についさっきのギル先生の自傷があったから、割と冷静だ。今誘拐されてるんだよね?
「一つ聞きたいんだが。」
「なんだ。」
「君は私に顔が割れているわけだけれど…、①私を消すから関係ない。②君が権力者だから、私じゃ手出しができない。どっちかな。」
返事をしてくれるとは思わなかったけれど、普通に会話はするのか。もっと一方的に、暴力でも振るわれるかと思った。じっとおっさんを見ると、ふん、と鼻で笑われた。
「さてな。そのスライムはずいぶん優秀なようだ。戦闘能力にもたけている。が、ここで暴れるのはお勧めしない。一介のテイマーが貴族を襲う…、極刑は免れんぞ。」
「なるほど。ちなみに伯爵とかそういう?」
余裕たっぷりに足を組み替えてるけど、…ムチムチ過ぎてぜんぜん格好がついてないぞ。にしても、貴族かこいつ。ふんふん。階級高いと拙いんだっけ?公爵が一番高いのか?あれ、なんだっけ。
「…お前に教えることなどない。さっさとそのスライムを渡せ。」
むっと不機嫌を隠しもしないおっさんに、違和感を感じる。…貴族って、もっとこう、手下とか使用人とか、いるもんじゃないのか?なんで直接私と話をしている?サスラの戦闘力は知っているのに拘束もしないのか?
「君、貴族じゃないな。午前の試合状況を知っていて、ギルドから私が転移?したっぽいから、仲間っていうか…金で雇った奴がいるのか。でも人数がいないね。私を拘束すらしない。転移させられる奴が高かった?こんなに宝石に調度品があって、金持ちっぽいのに、破落戸雇う金がない?じゃあこれはなんだ。…魔法か。これ、…幻術だな?」
私が断言した途端、おっさんが苦虫を嚙み潰したような顔になった。いやぁ、幻術はヴォイスさんとこですごいの見た後ですしお寿司。あと、貴族というか、位の高い人達の言動・所作なら、ウォンカさん達で予習しました。
「思い上がるなよ、さっさとそのスライムを寄越せ!」
おっさんが怒鳴った瞬間、バン!と背後の扉が開け放たれて、ぞろぞろとむくつけき男共が下卑た笑いとともに入ってきた。おおん。まさかの追加要因。課金したんかな。
「フンッ、護衛の男もいなければ、態度ばかりデカい小娘がッ!」
囲んできてるのは五人。当たり前だけれど、みんな私より大きいし、ガタイのいい男。質が悪かろうが、私なんてワンパンで沈められるだろうな。
「激昂するのは、図星を突かれたからの可能性が高い。おっさんの反応から幻術は当たり、金がないのも、破落戸の質からわかる。貴族じゃないのも当たり。なんか違和感があるな、なんだ。なんだ。」
戦えない私が、今できること。考えること。自分の経験を頼りに、予測すること…いや、待てよ。そもそも、テイマーギルドって、そんな簡単に誘拐とか起こったらまずくないか。確かにレアリティ高いと狙われるとか、危ないとか再三言われたけれど。さっき知った、ギル先生のスパルタ具合。もしかして、
「何をわけのわからないことを…、ふッ、少し痛めつけて、素直にさせてやれ。」
意地悪く笑うおっさんの言葉に、破落戸達が笑いながら手を伸ばしてきて。
「ああ…おっさん、演者だな?コレ、試験の続きか。ほーん。なるほど。」
思わず、私も笑ってしまった。一瞬、止まった破落戸達とおっさんに、
「見てる奴らがいるなぁあああ?」
これが試験だと確信してしまった思い込みからくる安心感と、私の回復しきっていないストレス値は、拙い方向にぶっ壊れていた。
「サスラ、殺すな。全員お仕置きだ。」
私の指示を待っていたサスラは、任せろと言わんばかりにプルンと震えると、びゅるっと光るレースのような触手で破落戸達とおっさんを巻き取った。おお、全員顔が真っ青だね!
「はっはっは。いい声で泣けよ。吐くまで回せ。」
自分史上、最高にいい笑顔で言い切った私の命令を止めたのはギル先生に頼まれて止めに来たゼロさんだった。
試験?受かったよ!やったぜ。
うちのヒロインは基本的に桃姫系じゃないんです…。
おもちの趣味です、すまぬ…すまぬ…。
強がり女子がヒーローに啼かされてるのが好きなんじゃすまぬ…。




