第3話 燃焼
館を出たルージュは人の世界の会社に就職した。
奇妙なのは人も魔の者も同じ。仕事では色々な事が起きた。
仕事にも人間としても慣れてきた頃、職場の人間から呼び出される。
1
館が斡旋する仕事に就職出来た。組織の息が少しでもかかっている所は正直嫌だったが利用出来るものは何でも利用してやろうと思った。
館が斡旋している、といってもどの程度あちらにこちらの正体を話しているかルージュは知らない。通常は、乗り移った者が就職していて、いわゆる先輩がいる会社という認識だ。基本的に人として振る舞う。
初勤務は会社の概要や更衣室の場所、仕事の説明でそれだけでも相当に緊張したが実際の勤務はもっと緊張した。あちらの言っている事を理解出来ているかとか変な動きをしていないかとか。考えればきりがない。
「よろしくお願いします。同じシフトを回すサカエです」
「よろしくお願いします」
「あと他にもう一人いるけど今日は休みで、今度会えますよ」
二十代後半の見た目の女性。あらかじめ聞いていたが彼女は乗り移った者だ。あちらも当然こちらの事を聞いているだろう。でも何も言わない。我々は人なのだからそんな「普通」のことは言わない。
ここの部署は数人の社員とアルバイトがいるようだ。夜勤もある。シフト制なので毎日全員がいるわけではない。いつも違ったメンバーと仕事をするわけである。
とにかくまずは仕事を覚える事。これだけで気付けば半年が経っていた。正確に出来るように、それでいて速く出来るように頑張っていた。他の職員とも打ち解けてきたと思う。本性もばれていない。若い女、ということもあって男性の多い職場だったから油断しているようだ。これは好都合だった。
歓迎会をやらなくていいと断ったらもの凄い顔をされた。店の予約を済ませてしまっていてもうキャンセル出来ないと言われた。主役であるルージュの意思は考えていないのか、単に酒が飲みたいだけなのか、人とはこういうものなのかと思ったが顔は笑顔を作っておいて、すまなそうにしなくてはならない。複雑だ。結局行く羽目になり、しかも皆の前で挨拶をさせられた。こういう儀式をしなくては仲間になれないのだろうか?
ある日勤務中に上司がいないことに気が付いた。最初は気のせいでどこかにいるだろうと思っていたが次第に皆もいない事に気付く。その日の出勤している職員全員が探していたので職場自体にいないのが確定した。午後の追加受注の確認と生産開始の時間が迫り、事務所にいる更に上の上司に報告しに行く事態となった。
ここで誰かが携帯端末を取り出したらしく、上司の居場所が判明する。なんと、アルバイトの人を病院へ連れて行くのに出て行ったらしい。このアルバイトはルージュよりも後に入った二十歳くらいの女性だ。
「もうすぐ戻るってさ」
「は?」
「というかあの子今日非番でしょ」
「というか実家暮らしだし」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「(若いメスを妊娠させたオス・・・)」
皆が呆れた顔をしていた所から少し離れた場所でルージュは思った。
「大丈夫ですかね」
以前からいるアルバイト二人組のうちの一人が言った。
「(いやいや、全然大丈夫じゃないよ。おかしいだろ)」
と思ったが口には出さず。
住む場所も変わった。この会社の寮に引っ越したのだ。徒歩五分という近さで、すでに朝起きるという行為が苦手になっていたルージュにはこの近さは幸運だった。ただ、とても忙しかった時期に残業が長引き、明日の出勤まであと八時間、というところまで残業時間が経過したときルージュは怒りをさすがに表に出した。
「お前はいいだろ、寮近くて。あいつらは普通のアパートに住んでるから、帰るまで一時間とかかかるんだから文句言うなよ」
と以前からいるアルバイト二人組のもう一人が返した。このもやもやとした感情をどう表わしたらいいか、適切な言葉が出てこなくて言い返せなかった。考えに考えた反論は、遠い自宅を選んだのはその者の意思だからそれを引き合いに出すな、だろうか? もっと勉強しなくては。ルージュはますます燃えた。
事故が起きた。一緒に掃除をしていた一年上の先輩が機械に手を挟まれたのだ。ルージュは別の機械担当だったが近くにいて、最初は気が付かなかった。小さく「あっ」という声が聞こえた。なんとなく先輩のほうを見てみる。立ったまま、慌てているような変な動きをしている。これはまずいのではと思い、次に非常停止ボタンを押さなくてはと判断し、ボタンを見た。するとそれを押す手が見えた。広範囲に動いている機械が止まる音。それから静寂。停止ボタンを押した彼がそのまま先輩に駆け寄る。アルバイトの片方だった。ずっと後ろの工程の場所に居たはずなのにここまで来たらしい。ルージュも先輩を覗きこんだ。機械からは抜け出せたが手を押さえている。
「イワヤさんを呼んできて」
アルバイトの彼が言った。上司の名前だ。
「はい」
事務所は少し離れた所にある。ルージュは走った。途中で放送も鳴った。先程指示を出したアルバイトの声だ。やや切羽詰まった声でやはり上司を呼んでいる。事務所にたどり着く前に上司たちと鉢合わせた。イワヤだけでなく他の上司も一緒だ。放送を聴いて何か起きたと判断し出て来たのだろう。ルージュは場所を案内した。
現場の把握と再発防止の話し合いがその場で行われている。後から駆け付けた近くの仕事場の人達に先輩は囲まれていた。
ともかく指は落ちなかった。分厚い包帯を巻いて数週間勤務していたのを見た。回復したあとに雑談の話題に上がった時。
「ルージュさん何もしなかったね」
「大丈夫、とかも言わなかったって」
と言われた。
何か起きた後、比較的被害が微少だったため笑い話として話題に出る、どこにでもある人間社会の風景だ。皆は笑っていたし悪気もなかったように見えたがどう解釈しても、良い風に言っていない。明らかに駄目な箇所の指摘だ。ルージュはなんと返そうか言葉に詰まってしまったくらいだ。指摘するならそう言えばいい。先輩として普通の行為だ。けれどそうではない。悪く言っていないから、笑いながらの雑談にして良いという空気に思えた。ルージュが言葉に詰まったのは、なんと返したらあちらは満足するだろうか、とも考えたからだ。反省の言葉を待っている感じでは無かったが、そういう類を言わないといけない圧力を感じた。先輩である彼には同期や入社してからの一年間という時間で知り合った同僚がいる。その者達に囲まれたあの場で、人をかき分け、「大丈夫ですか?」と言いに来る入社したての若い女。この図がどう見られるかなんて魔の者であるルージュでもわかる。そんなものに成りたくない。
あ、そうか。後日でも、次に会った時に言えば良かったのだ、とここまで考えてやっと気付く。
ああ、人とは。
面倒臭い。
とまあこの職場はおかしな人間達ばかりだった。ここだけに限った事だろうか? だが「研修中」もそうでもなかった事を思い出す。どこに行っても多分こうだ。人とは本当に面白い。群れるとどうしてこんなにおかしな思考をするのだろうか。自分もいつかこういう思考になってしまうのだろうか。いや、そうはならないだろう。なりたくないと思っているからだ。単に合わせるのが上手くなって行くだろうと予想出来る。でもこれも嫌だなと思った。
考える事が沢山だ。人として生まれたばかりなのだから考える事が山のようにあるのは当然なのだが、「生きる」以外の事が多すぎる。否、人はもうこの星の生命体としては安定しているので「人間社会で生き残る」ことを考えるのは当然か。
2
入社してから一年に迫る頃、夜勤が終わった朝、着替えを終え会社の玄関まで来たとき靴箱に何か入っているのに気が付いた。手紙だ。直感で恋文だと思った。心臓がどくりと鳴った。
その場で読むか悩み、でも誰かに見付かるのを恐れ鞄に仕舞った。無くさないようにしっかり持って、急いで帰宅し部屋の鍵を掛けた。
内容は「大事な話がある」だった。
手紙はいつ入っていたのだろう。昨日の出勤前には無かった、と思う。いつものようにぎりぎりまで起きてぎりぎりまで寝るという不摂生な生活で、慣れてきた所為もあって当然のように時間ぎりぎりの出勤だ。従って急いでいた。気が付かなかっただけか朝に自分と交代だったか。昨日は居ただろうか。あるいは非番だったがわざわざ来て入れたか。
心臓が動いているのがわかる。
元は自分の物では無かった心臓が今では自分に合わせて動いている。
寮に住んでいる同期に連絡してみるとこんな朝に起きている奴が二人いて、部屋に集まり相談してみる。「えー、無い」と言われた。手紙という手段が駄目だという。
シフトの仕事で、夜勤と昼勤がある。一年近く勤務していてわかったのは、シフトがずれると会わないときは全然会わない、だ。長期の休みをお互い取っていないにも関わらず会わないのだ。ふとシフトが合うと「久しぶりですね。休んでました?」と挨拶するくらい。だから手紙という古風な方法は合理的だとは思う。
日にちは書いていない。携帯端末の連絡先が書いてある。こんな時代にわざわざこんな連絡の仕方があるだろうか。冷静になってきた。告白ではないかもしれない。
素っ気なく、当たり障りのないように、と考えながらメッセージを送った。このくらいの連絡先が知られたところでどうということはない。しばらくして返事が来た。話は直接会ってしたいので、という内容で場所と時間が提案された。はい、わかりました、と返す。
ふう、と一息ついた。あちらのほうのボロは出していない筈。人の体に成ってしまっているため、人の体を逸脱した力をルージュはもう持っていなかった。だから疑う要素自体が無い。
魔の者という存在は一般にはもちろん把握されていない。しかし人間の創作物にはたくさんの生き物が存在する。だからそういう目で探されると見付かる可能性は充分にある。そもそも海で見付かってしまう者は一年に数名はいる。
外はまだ夜のほうが長い季節のため薄っすらと明るいだけだ。朝が近いことはわかるが大半は夜。もそもそとパンを食べながら手紙を改めて見るが、心臓の動きが邪魔でもうこれ以上は読んでいられない。
ルージュは出発した。場所は海浜公園。海から魔の者が出て来ませんように、と謎の祈りをした。
海に沿って公園が作られていてこれがまた広い。広いので区域毎に番号が振られているのだ。指定された番号の出入り口をくぐり砂浜までは出ずずっと手前の芝生のほうに留まる。海を見る為に設置されたベンチを見付けてその一つに座った。背後は防風林と海岸でも育つ低木が植わられている。
よくもまあ、あまり話したこともない同僚の手紙に呼び出され、行くものだ。ここまで来たので冷静になっているようだ。寒い空気が喉を通り肺に入るのが感じられる。海は静かだ。さすがに誰も泳いでいない。もう少し明るくなったら人が来るだろう。
背後から気配がした。
ぼさぼさの頭に眠いように見える目。以前からいるアルバイト二人組の一人、ツバキだ。確か学生。年齢は見た目ではルージュより上である。
「あ、おはようございます。って何か変だね」
あはは、と歯切れ悪く言った。
「お疲れ様です」
ルージュは普通の挨拶を返した。
「えっと、来てくれてありがとう」
「・・・」
「・・・」
「・・・・・・」
「ルージュさんもしかして体調悪い?」
「え?」
「なんかムスッとしているから・・・」
しまった。素が出ていた。仕事中は明るく素直で元気な新人、を演じていたのだ。眠いのと疲労と手紙ですっかり忘れていた。
「実はですね」
やっと話が始まった。
「僕、バイト辞めるんです」
「え、辞めるんですか?」
「この前の出勤で最後だったんですよ」
「あー、そうだったんですね。知らなかったです」
シフトを見ていないのでツバキが最後だった日はいつだったかわからない。休みだったかすれ違ったシフトだったか。最後に一緒に勤務したのは結構前だったと思う。どちらにせよ記憶は曖昧だった。辞める理由を訊いて話を膨らまそうと思ったがやめた。もしかしたら聞いて欲しいのかもしれないのがどう出ようか。
「あとこれは全然・・・関係あるようなないような話なんだけど。ルージュさんどこ出身だったっけ」
「この辺ではないですよ。実家でもないし地元でもありません。もっと遠くです。最初の自己紹介でも言いましたけど」
「うん。だよね・・・」
そこだけはなぜか珍しい顔付きをした。
「見せたい写真があって、実家にあると思ったんだけど見付からなかったんだよね。うーん残念」
ふと後ろを見た。まだ薄暗い遠くに人影が複数あった。もう人が来る時間かと思ったが、大きな影が飛び出して来てその認識が間違っていたことに気付く。
げ、という言葉が出て来るのをすんでのところで抑えた。人の形をしているのは人に乗り移った魔の者で、大きな影が乗り移っていない魔の者だ。ルージュは瞬時に悟った。
あれは、処分だ。殺しているのだ。
乗り移れなかった者、乗り移る順番を待つ者、乗り移らないと決めた者、その者達が人の世界に危害を加えたら制裁が下る。乗り移って人に成った者でも例外はない。人と迎合すると決めた以上、人に成ってしまった以上、理不尽な人間性や社会性に遭っても危害を加えてはならない。人間を守る為というより、長期的に見て自分達を守る為だ。絶対に見付かってはならない。
説得して海に戻らせるという方法はある事にはあるのだが大概が殺される。話して説得出来る奴は、最初からこういう行動を起こさないからだ。
そうしたルールを逸脱した者を制裁する者達がいるというのは聞いていた。あれはきっとそうだ。
もう何もかも元には戻らないというのに、あの者は街へ出て来たのだろうか、と考えたい事が山ほど出てきたが状況が状況だ。
「あああああツバキさんあっちへ! あっちへ行きましょう!」
「いきなり何!?」
「あっち、あっち!」
「あ、何か人が集まっているね」
「でもなーんかやばそうだから逃げましょう!」
「警察に通報したほうが」
「それはもっとやばい! いえいえ、あちらの、見えない所に行ったら電話でもなんでも! とにかく誰もいない所に行きましょう!!」
「誰もいない所? それはそうしたいけど」
ツバキの体を反対方向へぐいぐい向ける。
「ええ? ちょ、ちょっと待って。やっぱり警察へ通報したほうがいいよ」
やはり人間とは基本的に善良だな、と諦めてルージュは反対方向の低木の近くにしゃがむ。ツバキがこちらを見ている。こちらに来いと手招きをしてみた。彼は素直にやって来て隣にしゃがんだ。
「・・・通報しても無駄ですよ、きっと。それよりも見付かるほうがやばい気がします」
「やばいって何が?」
ツバキは笑った。
何がどうやばいかは確かにわからなかったがとにかく見付かりたくなかった。
「ほら、目撃者は消されるとかあるでしょう」
「人ひとりがいなくなったらすぐに捜索されてあっという間に見付かるよ。昔ならともかく、きちんと管理されているしね」
「おーい、こっちに民間人がいるぞう」
見張り役に見付かった。ちゃんと統率されているなあ・・・とルージュは呑気に思ってしまった。彼女一人ならなんとも無いがツバキはどうなるのだろう。目撃した人間はどうなるのかそういえば知らなかった。あの者と一緒に殺されてしまうとか? それは人間が動いてしまうのでさすがに無いと思うが・・・。良いほうの想像で人質か脅迫か。
逃げられないなら言い包める作戦に移行、いくつか立案、どれが最適か判断・実行―、などと考えていたらあちらの人型の集団の、中心から少し離れた所にいた奴がこちらに来た。
ああ、こいつは―。
懐かしい、とも少し違う。不思議な感覚を感じルージュは黙った。
少し冷静になれた。
暗い赤の服に一重のつり気味の眼。元の姿はきっと上の弟に似ていただろうなとなぜかずっと想像していた。
「んーどうした?」
砂浜をのっそり歩いてきた男はルージュを認めた。彼とは、カイト以上に交流が無かった。名前はアキ。海神の一番目の息子、すなわちカイトの兄だ。
「目撃者ねえ・・・あ、お前は知ってる。でもそっちは知らん。人間?」
「はい、一般人かと思われます」
「私たちはたまたまここで話していただけ。別に何かしようだとか、無いから」
ルージュは背にツバキを庇うようにして言った。
彼女は遠くの地から来た者だ。故郷から出てあてもなく海を彷徨っていたところに海神の噂を聞きつけ世話になった。海神に恩はあるが息子達はそれとは関係が無かった。血筋が良いが、それだけだ。彼等が凄いわけではない。だから敬ったりはしない。これは大体の魔の者に共通する認識だ。
「へえ・・・こんな時間に?」
「僕は徹夜明けです。学校からそのまま来て徹夜中と言いますか」
「私は夜勤明け」
「お、おーすげえ。夜に仕事か。そういう仕事もあったな、この近くだっけか。すげー。今度そこの買うから」
などと言うが真意が見えないのが怖い。
「というわけで私達はこれで・・・。ほら、あまり離れたら任務に支障を来たすんじゃない?」
「俺はどっちかというとナビゲーターだからもういいの。叩くは別担当だし」
「あ、そう・・・」
「ちょいちょい。待てって。お前あれだろ・・・うん、思い出した。カイトの女」
「え!」
「違う」
「は~。だってやけに仲良かったじゃん」
「あなたよりはね。でも友達じゃない」
「じゃあ何?」
「さあ」
「変わってる奴同士、お似合いだと思ってたんだけどなー」
「本人に聞いたら良かったじゃない」
「えー嫌だよ。何考えてるかわかんねーし。聞いてもどうせあーだこーだ屁理屈っていうの?言われたね」
「え、ルージュさん彼氏いたんですか。あ、どうしよう、聞くの忘れてた・・・」
「違うって言ってるじゃないですか」
「だったとしてももう関係ないしな」
「・・・」
「・・・」
最初から何もかも関係ないだろ、という言葉はさすがにやめた。
何とも言えない空気が流れてツバキが狼狽える。監視役の男がこっそり言った。
「カイトさんは、亡くなられているんです」
あっそういう事なんですね・・・という身振りで監視役にお礼を言うツバキ。
「というわけで別に通報とか撮影とかやろうと思っていたわけじゃないから。帰っても問題ないよね。この人間にはちゃんと言っておくから」
「僕消されちゃいます?」
何言ってるんだ、とルージュは無言で見た。
「でもあの黒いのって、あれですよね。昔から言われていた一人で遊んじゃ駄目って言われている魔物」
「言われている? 魔物?」
「あ、そっか、知らないですよね。ここら辺の子供には小さい頃から一人で遊んではいけません、攫われて体を乗っ取られてしまうって言われて育つんですよ。防犯の為の迷信だと思っていたけど本当だったんだ」
はえーと遠くを見ている。黒い塊は砂浜の真ん中あたりで動かない。恐らくもう死んでいる。周りで人が動いているがもう切迫した感じではなかった。
ルージュはこっそりとアキを見た。ばれているぞ、と意味を込めて。それに対してアキの反応は薄かった。口を少し歪めるだけ。
アキの「仕事」は人の世界に出た魔の者の処分だったのか。明け方によく帰宅していたのは夜更けに動いていたからで、でももしかしたら今までも見られた事があったのかもしれない。
「それにしても、本当にこういう部隊?があったのね」
「最近はさすがに数は減ったがな。まあなんかあったら教えてくれ」
「同族殺しなんて恐れ入る」
これは小声で言った。
「おうおうそうだよ。めっちゃ大変なんだよ」
そこで何か思い出したように更に言った。
「過去にこれを嬉々としてやった奴がいてさあ」
「はあ」
「八つ裂きっての? それはもう徹底的にやるから、さすがに皆付いていけなくなって結局辞めたんだよね。処分ていってもさ普通あそこまでやるう? ま、当然だよな。笑える。これがまた結構最近の話なんだよ。お前も知ってる奴だよ。あーこわい」
「へえ。そいつは、凄いね」
単に話に合わせて言ったつもりだが、アキの反応を見るとご所望の返しではなかったようだ。話からするにそいつも乗り移った者のようだがこれ以上聞いても面白くなさそうだったので話を変える。
「砂浜じゃやりにくいでしょうに」
「・・・それはあちらも同じだろ。こちらは普通の人なんだ」
アキが不機嫌そうに言った。
「砂も一緒に捨てれば簡単に証拠隠滅ですね」
二人に見詰められ固まるツバキ。
「うわ、こわ。やっぱ人間て悪意をわかってるな」
「悪意を理解しているのはこちらも同じでしょ」
「ところでさ、これ本当に人?」
アキがツバキを見て言っている。
「だってさ、その色、人にしてはちょっとおかしくない?」
ルージュの仕事の制服は帽子を被っているので髪の色なんてわからない。朝日が射してきた。暗かったので気が付かなかった。確かに、この辺りの人にしては毛色が少し違うようにも思えたが現代ではどうにでもなる。
ツバキは人ではないと言われても動揺や怒りは無いようだった。
「ルージュさんも髪の色・・・変わっているよね」
ぎくりとした。これは人としては色が濃すぎる。
「染めているだけだし」
「イメージと違うなあ」
そちらの勝手なイメージだろ。これは地毛だ。正確に言うと元の体の色に近い。なぜかこういう色に変わってしまったのだ。これは乗り移った者には割とよくある現象だった。
「こいつの事はどうでもいい。家に魔物でも入れたとしか思えない」
「地毛ですよ。実家もすぐそこ、昔からある普通の家です。家族も普通の人間です」
「やっぱ先祖返りかなんかか。ま、現代じゃ何も起きないんだよなあ」
「改めて聞くけどルージュさんはどこ出身だったっけ?」
ツバキが静かに話した。
「昔遊んだ親戚に顔が似ているんだ。夏休みしか会ったことがなかった子なんだけど。いや、これは記憶が変わってしまって思い込んでいるだけだと思う」
「うん。別人ですよ」
「そうだよね・・・。だって海で行方不明になって十五年くらい経つわけだし。ずっと聞きたかったんだけどやっぱり違うみたいだな。うん、うん。そんな事あるわけないな。はあ、すっきりした」
これが大事な話か。
この死体は、我々の体は、どこかで死んだ人間達の体を使っている。だからまだ生きている家族がいるのは必然だった。しかしいきなり当たってしまうとは。運が無い。
誤魔化すことが出来たのと別人だという本当の事を伝えられたのでルージュは安堵した。これで彼も色々と諦めがつくだろう。
3
「あの、魔物はわかりました。退治している人達がいるのもわかりました。でも、では、そんな事をしているあなた方は何者なんですか。警察でもなさそうだし政府関係者? それとももっと全然違う、例えば民間の研究所の人とかなんですか?」
この疑問に行き着くのは普通だと思う。これを聞かれた事も過去にあるかもしれない。どう返すのだ?とルージュはアキを見た。身分が上の者に判断を委ねるというわけではないが、少なくとも、人間の世界に出て行った自分には勝手に喋るという権利は無いだろうと思えたからだ。アキは体こそ乗り移ったものの、まだあちら側の者だ。
「何を隠そう俺達はあれと同じ魔の者だー!」
「魔の・・・者?」
「謎の技術で人の死体に魂を移した魔の者! それがあれと我々の違いだー!」
「ええええ! いいの言っちゃって!? そこは誤魔化すとか記憶改竄とか頭部強打で記憶を飛ばすとか! しないんだ!?」
「こういう事を言うのがまさに魔の者。こっわー」
「はあ!?」
「だって少し混じってるだろ。乗り移ったんじゃなくて絶対本物がいたな。人に化けていたかそのままヤったか。どちらにしろちょーっとだけ関係者? いいんじゃないの」
ここが地元だと言っていた。だから魔の者と接触する機会が多くあったのだろうと推測する。昔の、力の強い者がまだいる頃であったなら人に化けることも可能だったかもしれない。ただし繁殖力は人間のほうが遥かに強い。何も残せなかっただろう。あるいはそれが隠れ蓑となり平和に暮らせた・・・などとルージュは想像した。彼女には別世界の話のようだ。
ツバキを見る。彼は困惑していた。いい歳した大人の男が何を言っているのか、という顔に見える。わかる。これは、ちょっと、どういう反応をしていいか困る。
「信じなくていいから。どうせこれといった証拠みたいな物があるわけじゃない。変な奴が変な事言っている、それだけだと思っていいから」
「ううーん。信じたいんですけど、うーん? ええ・・・本当ですか? でもルージュさんの言う事だから信じる・・・」
「信じなくていいから」
ツバキやルージュの反応を見てようやく満足したのかアキが言った。
「明るくなってきた。終わりだ」
見ると魔の者は船のような物に乗せられ、沖合いへ出されていた。きっとあの船は沈んでいくように出来ている。もう誰にも見付からなければいい、と思った。
太陽が昇って明るくなるともう人間の時間だ。
ここぞとばかりにルージュは退散しようとした。
「ちょっと待て」
今までで一番強い言い方だった。平静さを保ちながらアキを見た。
「お前さ、事務のなんかの書類、受け取ってないだろ。事務の人が文句言ってたぞ」
別の意味で青ざめた。
「し、知ってる! わかってる! 覚えている! さすがに今日は疲れて眠くてですね・・・そのうち取りに行きま・・・」
「今から行けばいいだろ。何言ってんの」
「ほらあ・・・今行っても誰もいないしー・・・」
「あと一時間か二時間待てばいいだけだし。よし上がりの奴らと一緒に帰れよ。おーい」
行きたくない。出来ればもう二度と行きたくなかった。しかし身元引受人になっている館に、就職や引っ越し時など各種書類が届くようになっていたのだ。これには参った。想定外だった。やはり逃げられないのか、とがっくりした。で結局、今の今まで放っておいている。想像しただけで胃がひっくり返りそうだ。口の奥から何かせり上がってくるような。胸と腹が苦しくなってきた感じがして押さえた。そこまで嫌だったのか?と逆に笑えてきた。
「あの、付いて行ってもいい?」
「いい。要らないです・・・」
「だって全然大丈夫そうじゃないよ」
「いいじゃん。あいつらに見せてやれよ」
アキが楽しそうに言った。あいつらとは研究職の者だろう。今の時間でも多分いる。あそこに住んでいるのかと疑うほど研究熱心だ。
「獲って喰われたらどうするの」
「喰うとかって。今時なに?」
「おいしくないよー」
というわけで数人の作業者と一緒に館へ行くことになった。
「人の子に好かれて良かったじゃん。せいぜい自分好みの眷属に育てるんだな」
「眷属とか古い習性は持ってない」
アキは言うだけ言って挨拶などは一切なしでその場を去ってしまった。
一行は十五分ほど歩いた所にある館へ向かうことになった。体力仕事の夜勤明け、既に明るくなった外を歩く者たちは独特の重い足取りだった。ルージュも同じような足取りだ。思い出したら疲れがぶり返して来た。
同行した者たちは、明らかに人間であるツバキを最初はちらちらと見たがもう興味はなさそうだった。住宅街の狭い道は車も人もまだあまりいない。ツバキにやや近づいて話し掛けた。徹夜明けで眠そうだった。
「大丈夫ですか? ごめんなさい。普通に今まで通り普通に、普通にして貰えたら助かります」
「うん、わかった。でもまだ信じられないというか、え本当に? はああ・・・凄いことになってしまったなあ。体の一部を異形にしたりビーム出したりとか出来ないの?」
「出来ませんね。私たちの体は普通の人です。なのでもうそんな能力?とか無いですよ。中身はともかく、見た目だけは見た目どおりの腕力と体力です」
稀に乗り移っても魔の者特有の能力を持ったままの者がいる。噂だとアキがそうらしい。
「カイトさんてどんな方だったの」
「どんなか・・・。自分のことは喋らない奴だったのでよくわからないですね」
「変て言われていたけど、どんなところが変だったんですか」
「何か色々・・・あ、グラタン奢ってくれた」
「グラタン」
「普通に美味しかった。まあ変と言えばそうだけどあの程度普通でしたよ。私はアキ達のほうがよほど変に思っていたり・・・これは秘密ですよ」
先程のアキとここにいる部下たちの関係は特に問題がないように見えた。むしろ世話焼きで配慮も出来る良い先輩のような。それが、実の弟にはあれだ。
そして下の弟とは確か仲が良かった。彼はアキによく懐いていた。それをカイトに見せつけていた節もある。
カイトはあの感じでは海神である母親とも距離がある。食事に行くと言ったあの日、皆あの場では普通に振る舞っていた。カイト以外は所謂普通の家族なのに、カイトにはあの扱いだ。これは、彼が悪いのだろうか? 彼自身に何かがあってそれを嫌悪されているということか? 家族と仲良くする一方で、家族にああいう態度もする。血縁なんて所詮そんなものか、と思わせた。
「よくあの環境で生きてこれたな、みたいな感じ。よく一緒に住んでいたなあ。窮屈だし色んなものでごちゃごちゃ固められていたのに。鈍感とは思えなかったですけどね。だからこそ引き篭もって漫画やアニメで遮断していたのかも。確かにあれらは面白いけれど・・・。あ、これは私の見た感想だから正確ではないですよ。偏見が入っていますね・・・地元の者達に似ているような気がしたので」
地元の者達みたいに気持ち悪い、という意味だ。周りに館の者がいるので直接には言わない。それに口に出すと増長されそうで嫌だった。
ツバキがお、という顔になった。
「人に成らないことに決めたんですよ。死ぬのが怖いくせに、何もしない。直前まできっと何もしない。どうするのかって訊いたらなんて答えたと思います?」
ルージュはツバキの返答を待たずに続けた。
「そんな怖ろしい事を言うな、よ! あははは!」
ルージュは仰け反って笑った。全然面白い話題ではないがおかしいからだ。
「というわけで私は出て来たのです。何十年も前の話です。懐かしい・・・。しかしどうして出て行かなかったんだろう。そこだけはわからない。聞けば良かった」
「あるいは出て行くという選択肢を思い付けなかった」
「外出は普通に出来るのに?」
「うんそう。何十年もそうだと思っているとそれ以外思い付かなかったりするからね。僕もそうだったし。実家を出て一人暮らししてから気付いた実家の変なところ・・・あーあれは恥ずかしかった・・・」
項垂れながらツバキが言った。それから顔を上げて聞いたきた。
「もしかしてルージュさん、物凄く年上だったりする・・・んですか?」
「ええ、まあ。えーと君の二倍・・・三倍くらいかな? 息子と同じくらい? 息子というより孫か」
「こ、こここ子供いたんですかあ!?」
「いないけど。いたらその位というたとえだったんだけど・・・」
もうここまで来たならこのくらい言っても大丈夫だろう。馬鹿ではなさそうだから自分の生活に戻っても口外はしないと思えた。何より人間側の理解者は貴重だ。
「でも人に成ったのはまだ数年だからツバキさんのほうが先輩ですよ」
「ああ、どうしよう。ちょっと考えさせて下さい」
「いやだから敬語とか要らないから。今まで通り普通に」
「駄目ですよう。凄く凄く大事なことですよ!」
館の敷地に近づくとツバキが教えてくれた。館そのものは昔からあるので知ってはいるけど何をやっているかわからない、とにかくお金ありそう、というのがこの辺の人間達の認識だそうだ。
玄関の扉をくぐると皆は思い思い自分の方向に散って行った。その者たちがいなくなると別の者がやって来た。明らかに外で作業する服装では無い。
「ふふふ・・・聞いています。あなたがそうですね。お待ちしていました」
玄関ホールにある椅子に座ろうかというところで惨事が始まる。
「ぎゃー!」
待ち合わせや簡単な打ち合わせに使うために、椅子やテーブルがいくつか置いてあり広く作られた玄関ホールに変な声が響く。
「やめて下さい! やめて下さい! やーめーてー!!」
「大丈夫です、血液を少し採るだけです。このスピッツ見た目はこれですがわずか五mlしか採りませんから。ちょっとでいいんです。痛くしませんよ・・・」
「やだー! 何本もあるんですよねそれ! 怖いー!」
妙な息遣いで研究者は近づいて行く。
ツバキが椅子やらテーブルの向こう側にどたどた逃げる。
「しょうがありませんね・・・毛髪だけでいいですから、ほら、ほら」
ポケットから鋏を出して開閉してみせる。
「嫌! です!」
「むう・・・最後の手段です。唾液を」
更に変な声が響く。おかしな会話の攻防をルージュは椅子に座ってぼんやり眺めていた。何も秘密などなく、いがみ合いもなく、冗談な本気のやりとりをしている。
我々が目指しているものを見ることが出来たような気がした。
そこへもう一人誰かがやってきて少し話すと研究員は潔く引き下がった。物凄く名残惜しそうで、あれこれ言っていたがよく聴いていない。
ぐったりとしたツバキが戻って来てルージュの近くの椅子に座った。
「・・・」
「ちょっとルージュさん、笑いすぎですよ」
「ふふふふふ。ごめんなさい。ありがとう」
「お礼言われるとこじゃないですよね?」
「いいもの見せて貰ったし」
「ええ・・・?」
「あ、来た。こんな早くにありがとうございます」
ルージュは椅子を立って目的の人物のほうへ行った。あまりに放置していた事をぐちぐち文句を言われるかと思ったが意外と普通に終わった。まだ就業時間前だというのに働かせてしまって申し訳なく思ったが、絶対にやらなきゃいけないのに滞ってるものが一つ終わって清々した、と返された。
4
「もう忘れ物ないですか」
館の建物を出て外を歩く二人。敷地の出口とは反対へ向かっていた。
「やけにあっさり引き下がったのなんだったんだろう。ところでどこへ行くんですか」
「忘れ物を思い出した」
「あ、それなら取りに行きましょう行きましょう」
敷地の外れの崖の近くにその建物はある。
外見は一見するとプレハブ小屋だが作りは意外としっかりしている。扉を開けるとひんやりとした空気が流れてきた。コインランドリーのようにドアが上と下、部屋の片側だけに二段に並んでいる。通路は一本でそれでこの部屋の全部だ。それぞれのドアの横にはランプが点灯している。ドアは全部で三十ほど。動いているのは半分くらいだ。
その一つにルージュは迷うことなく歩いていき、認証でロックを解除、スイッチを切った。ぶうんと機械の止まる音がして、この部屋は少しだけ静かになった。
「ここは? ちょっとひんやりしていますね」
「ここは・・・」
説明する前にガタンという大きな音がした。すぐ近くだが音の出所がわからない。建物の外からの音だからだ。ルージュは視線だけゆっくり下を向く。
「私たちの元の体を冷凍保存している。そのスイッチを今、切った」
「切ったって」
「人間に乗り移るとき約束させられるのだけど、いつか必ず元の体を処分しろ、と。でなければ死体がどんどん溜まるから。これを維持するにも電気や人間の技術を必要としている。うん、やっぱりもうずっと前からここは人間と協力していたんだ」
この冷凍保存設備、館という建物そのもの、そして出所のわからない人間が社会に出るための仕組み。それは魔の者だけでは到底不可能な仕事であった。普通に考えて本物の人間が介入している。一体いつからだろう。国は星はどこまで知っているのだろう。一部の一般人だけとは思えない。人間が無償でやるとは思えない。こちらから何か渡している? 渡せるものなどルージュには思い付かなかった。
スイッチを切ると中のものは外へ排出する仕組みだ。筒状のものが外へせり出していて、それを崖下に捨てる。潮が満ちていれば海へ、浅ければ激突。どちらにせよ、海岸に打ち寄せられ見付けてしまった人は気の毒ではある。
「じゃあ今の音は」
ツバキを見ると悲痛な顔をしている。
あ、失敗した、と思った。
この人間は善良なのだ。
他者の痛みを想像して、心を痛めることが出来る人間なのだ。
「駄目ですよ。そんなの・・・」
特に悲しくもなんともなかったのにこういう顔をされるといたたまれなくなる。罪悪感が一番近いだろうか。他者の体を殺したわけではないのに。
広くない室内にこの空気は重すぎるのでルージュは歩き出した。
そこでふと気が付いた。
「あ・・・カイトのがまだある」
それぞれのドアに名前などは付いてない。どれが誰のかわからないようになっている。以前カイトと遊びで来たことがあってそのとき彼はこれだよと勝手に教えた。もちろん本人の認証が無ければ何も出来ない。それでも普通は他者になど教えない。教えてもらったときルージュは、カイトはカイト自身を本当にどうとも思っていないのだなと感じたものだ。
上の段にあるそれをルージュはまじまじと覗き込んだ。
「これでいいんですか?」
「いいよ」
ドアを覗いたままで答えた。
元より後戻りは出来ないのに言葉にする事か? そういう後悔の類をルージュはあまりしない。どちらかというと、ではどうする?と先を考えるタイプだ。
「ツバキさんは本当、善良な人間ですね。気を付けないと本当に乗っ取られてしまいますよ」
「そんな事は・・・ないと思います」
「近年は人が死なないから、老体や病体しか手に入りにくいみたい。そんな体はさすがに嫌だから・・・奪ってしまえばいいと思っている連中もいるよ。過激派ってやつですね」
「それは怖い。気を付けます。・・・皆さんは人に似た感性を本当に持っているんですね」
「もしこれを解凍したら、カイトさんの魂が入るのでしょうか」
「さあ・・・でも多分無理だと思うな」
ドアはあまりクリアではない透明さで、中に電気が点いているわけではないので覗いたところで正確に窺い知ることは出来ない。包まれている何かが入っていることしかわからなかった。
「絶対もう捨てたと思ったのに。案外感慨深い奴だったんだ」
「イメージ変わりましたか」
「でもどうするんだろう。ずっとこのままにするのかな」
「家族が処分に困るのを見越して、このままにしたとか」
「ええ?」
「話を聞いているとカイトさんすごく強かみたいですね。情が厚い家族たちが、いくら自分をぞんざいに扱っていようとも、元の体というデリケートな事を蔑ろにするとは思えない。それで苦しめ、みたいな。自分は死んでいるわけだからどうされようが、それこそもう関係ないし」
「実は確執はすごかったと考えたわけだ」
「ですね。でも意外と忘れていただけかもしれません」
「密かに荷物整理していた奴が?」
「直前になってやっと気付いたかも」
「気付いたけど結局は何もしなかったわけだから・・・。発想が邪悪だなあ」
「聞いた話から勝手に考えただけです。本当は違うかもしれませんよ」
「違う、君の発想が邪悪。ああ・・・人間て怖い」
「家族があくせくしているのを見ることが出来ないのを残念がったかもしれませんね」
「もういいから。いや見ることも興味なかったよ絶対、あれは」
「確執という言葉、知っているんですね」
「あのねえ」
ツバキには言わなかったが、ここがカイトの自殺した場所らしい。
だから忘れていた、なんてことは絶対ない。
なんとなく部屋を見渡す。天井と床と。視界にはツバキがいた。
「あ、あの」
「はい?」
「うー、あのですね・・・」
「うん」
「えーと」
「何ですか」
「僕、ルージュさんの事が好きです。僕と付き合ってください」
大事な話はこれだったか。
えーと。
一歩下がる。
次の言葉を探す。
今? ここでするか?
「死体がごろごろある所なんだけど」
「ええ、はい。わかっています」
「話聞いてた? 話からすると私とあなたは親戚・・・」
「はい。それもわかっています」
「あまり魔の者に関わらないほうがいい」
「ルージュさんは人間ですか、魔の者ですか」
生まれてから半分以上もの年月、こちらでの生活が長くても故郷の〇〇出身と言われる。ずっと付いてまわるのだ。だから多分どちらにも成れない。
しかしどう思われようと自分は自分が何者であるかを知っている。
「勝手に区別していいよ。どちらにしろ、もうここで生きると決めてしまったし」
「人間と付き合うのは禁止されているんですか」
人間との交流は禁止されていない。人の世に溶け込むのが最終的な目標であるのでむしろそれは推奨されている。昔からそう言われていたがやはり皆遠慮していた。しかし海神の三番目の息子が人間の女性と結ばれ、子を成したことによってそれはもう過去のものとなった。
「いいえ、されてはいないけど・・・」
ツバキから一歩離れる。外に出たい。ルージュは正直そう思っていた。別に嫌だったわけではない。驚いたがむしろ嬉しい。
「うん、嬉しいんだけど・・・でも、あの私、ツバキさんの事あまりよく知らないんだけど・・・」
あ、という顔をしている。
「じゃあ、知っていたらいいということですか?」
「何言ってるんですか。オーケーする理由が無いというか」
「でも断る理由も無い、それはオーケーでも良いのでは?」
食い下がるなあと思ったが、そうとも言うか?
いけないいけない、言い包められるぞ。
なぜ自分だ?と訊こうと思ったが、これはさすがに訊くことは出来なかった。
しばし沈黙。
ツバキは口を結び緊張した面持ちだ。
ルージュはもう駄目だ、と思った。
「とりあえず出ましょう」
入口付近にいたのですぐに出ることが出来た。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「あの」
「・・・・・・」
「返事は」
「・・・・・・・・・」
割と早足で、そして無言で歩くルージュの後を付いて来ているツバキが言った。
「ルージュさんの髪、綺麗ですね」
「おい」
「本当は染めていないですよね」
「これは私の色だ。元の・・・」
いちいち教える事でもないと気が付いてやめる。
敷地から出てさらに角を曲がったところで歩みを止める。
「返事をください」
「じゃあ今度出勤した時に・・・」
彼は退職してしまったのでその機会は訪れない。
退路は既に断たれていた。
どうすればいいのだ、これは?
うう、という苦い反応を表に出してしまった。
「・・・今日はもう帰りましょう。送ります」
「う、いい。要らない」
と言った瞬間これはちょっと酷いか、と思い至った。
こんな心変わりみたいなものを経験するのは新鮮だった。しかも悪い気はしない。他者の為に優しくしている自分凄い、みたいな感じだろうか。これも少し酷いと思うが。
「あ・・・ごめんなさい。あの、ではお願いします」
書類の入った封筒を両手で抱いて言った。ツバキは笑った。
「寮はこっちでしたっけ」
「はい」
今までのバイトは割がいいし実家に近いけど学校には遠く、アパートもそちらだということで通うのが大変になったそうだ。新しいバイトは駅前の漫画喫茶だという話を聞いた。
「そうだ。実家に忘れ物取りに行くので寄って行ってもいいですか? ち、違いますよ!? 外で待っていてください!」
ツバキの実家が近くだという事は聞いたが本当に近かった。
敷地の少し遠くで待つ。もうすっかり朝は終わっている日射しだ。住宅街の道路は車も歩行者もいない。静かだった。
自分を選んでくれる…考えればなかなかに良いシチュエーションと思えてきた。
良い具合ではないか。オーケーしてもいいのでは? 楽観的とも言える。
胸がつかえてぎゅうとなる。居ても立っても居られない。
家の内部から見えない位置に移動しようと思った。
そこでぎょっとする。
今の季節なので葉は少ししかないが、生長すると公道にはみ出るであろう庭木。
暗かったし別の道から来たのでわからなかったが、間違いない。
あの夜に逃げ込んだ家だ。
では、声を掛けたのは・・・。
何年前だっけ・・・。
もう思い出すことも少なくなっていたので正確な数字はすぐには出て来ない。
でもまだ懐かしいという年月には程遠い。美しい記憶でもない。
頭の隅ではもしかしたらまだ終わっていない処理かもしれない。
さて、出て来たとき彼はどんな顔をしているだろう。
覚えているだろうか。
すっかり忘れている可能性が一番。
それともこのタイミングで連れて来たのは意図的とも言える。
こちらが気付いたことに気付くか、気付かないか。
訊いてみたら答えるだろうか。
殴ってやろうか。
キスしてやろうか。
完