アドリア海艦隊
ダヴィニスから受け取った穀物の証書。
そしてポロティウスが纏めてきたカルタゴとの穀物貿易。
この二つによってローマの食糧危機はおおよそ解決の目処が着いた。
ヴェネツィアとの問題はまだ多々あるが、いつまでもローマを留守にしているわけにはいかないタルキウスは、ローマへと帰る事にした。
その前にタルキウスは、真珠宮殿へと赴いて大総督ラグナ六世に対面する。
ローマへ戻る前に、最後の一仕事を果たすために。
「これはこれは黄金王タルキウス陛下。よくぞお越し下さいました」
玉座のように豪勢な装飾が施された椅子から立ち上がったラグナ六世は、仰々しい振る舞いでタルキウスを出迎える。
「ローマに戻る前に、そなたに会っておきたいと思ってな。立ち寄らせてもらった」
「それは光栄の至り」
「光栄、か。心にも無い事を」
鼻で笑いながらタルキウスは言う。
そして│天の無限蔵から複数枚の紙を取り出し、ラグナ六世に何も言わずに手渡す。
「……ッ!!」
その書類に目を通したラグナ六世は絶句した。
「お前が密かに収集していた材木や鉄、その他諸々が記された資料だ。随分と巧妙に隠して取引していたようだが、残念だったな。余の臣下には、こういうのにめっぽう鼻の効く奴がいるのさ」
そう得意げに語りながら、タルキウスは脳裏に藍色の髪をした青年を思い浮かべる。
「……こ、これが何だと言うのです? 確かに取引はしていました。それは認めましょう。しかし、それは先日の嵐で壊された建物を修繕したり、新たに区画整備を行うために色々と入り用だっただけの事。わざわざ陛下がお気になさる事ではありません」
「ほお。では近頃、船大工を大量に雇い入れているのはなぜだ?」
「く!」
ここでラグナ六世は理解した。
今、目の前にいる少年は全てを承知なのだと。
知った上で今回の行幸に及んだのかは分からないが、少なくとも黄金王は自身の艦隊建造計画を知っている。
「……確かに、私は陛下に無断で艦隊の建造を行っていました」
「では認めるというのだな?」
「ええ。しかし、それは全てエルトリアのため! 今回のような海賊騒ぎを起こさないようにするために、貿易船の護衛や海上交通の治安を維持するための艦隊です!」
「ほお。そう出るか。ではなぜ、余に黙っていた?」
まるで悪戯好きの子供のような笑みを浮かべて問い掛けるタルキウス。
「……」
年の離れた少年を相手に圧倒されて言葉を失うラグナ六世。
しばしの沈黙が両者を包み込むが、それを打ち破ったのはタルキウスの方だった。
「まあ良い。これも良い機会だ。ラグナ・ユリウス・ヴェネウス。そなたを新たに、エルトリア海軍アドリア艦隊司令官の地位を与える。そしてそなたが今、建造している艦隊はアドリア海艦隊とする。どうだ?」
「あ、アドリア海艦隊って、きゅ、急に言われても……」
この時、ラグナ六世はタルキウスの狙いが、自分の作りつつある艦隊戦力を手に入れる事にあるのだと理解した。
そしてそれはつまり、来たる海の覇者カルタゴとの戦争に向けての事。
エルトリアやカルタゴに対抗できる戦力を築き上げて、ヴェネツィアの立場を強化するための艦隊だったはずが、これでは寧ろ逆に両者の戦いに巻き込まれる格好になってしまう。
そこまで考えたラグナ六世だが、もはや後には退けない。
これはタルキウスが提示した妥協案だという事も理解していたからだ。
今回の一件は不問とする代わりに艦隊を差し出せ、と。
「無論、そなたがアドリア海の海上交通を管理する以上、エルトリア王国政府からも相応の報酬を下賜してやろう。そなたにとってこれは有益な話だと思うが? いや、ヴェネツィア市民流に言えば、良い取引だろう?」
タルキウスが畳み掛けるように告げる。
以前より対カルタゴ戦に備えて艦隊戦力の増強は必要だと考えていたタルキウスにとって、ヴェネツィアが築きつつある艦隊は排除するよりも手に入れた方が何かと都合が良かった。
それを思えば、多少の出費は許容範囲内だと考えたのだ。
「……分かりました。アドリア海艦隊司令官の地位、謹んで拝命致します」
ラグナ六世はタルキウスの口車に乗る事を決意した。
ここに今回の一連の問題はようやく解決の時を見るのだった。
◆◇◆◇◆
タルキウス達が帰路に着き、ヴェネツィアを去った後。
ラグナ六世の下に、ネプトゥヌス神殿の守護神官オルソス・イパルトスが訪れた。
「大総督、本当に宜しかったのですか? これでは小さい王の思う壺ではありませんか?」
「ふん。構わぬ。ワシ等の目下の脅威は、アルバヌス山の老いぼれ共よ。黄金王との関係を強化しておけば何かと利用価値もあろう。確かに思惑は大きく狂わされはしたが、結果としては上々さ」
ラグナ六世は新造した艦隊の武力を背景に、自治都市ヴェネツィアの立場を強化する事を目論んでいた。
しかし、結果としては艦隊はヴェネツィアの立場を強化するというよりもヴェネツィアと黄金王との関係を強化する事に役立った。
それは思惑とは大きく違うが、ヴェネツィアの権勢を高める上では充分な成果と言えるだろう。
「……大総督がそうお考えなのでしたら、私は結構です」




