誤解
翌朝。
遂にリウィアが帰ってくる事は無かった。
「うわ~~~~~ッ!! リウィアに嫌われた~!」
タルキウスは大粒の涙を目から流しながら赤子のように泣いていた。
リウィアが一晩明けても帰ってこないので、勝手に嫌われたと思い込んだのだ。
「た、タルキウス、まだそうと決まったわけじゃないよ! その、またまた、かもしれないしさッ!」
「そ、そうよ。まだ何も言ってきてないだから分からないでしょッ!」
昨日と同じくタルキウスを宥めるフェルディアスの隣で、パンドラも今日はフェルディアスと意見を共にする。
親友の泣く姿を見て、彼女も彼女なりに虐め過ぎた責任を感じたのだ。
「ねえ、タルキウス。何か美味しいものでも食べましょうよ! 昨日から何も食べてないんだから、お腹空いてるでしょ?」
「……す、空いてないよ」
パンドラの提案を素っ気なく返すタルキウス。
大食漢のタルキウスは、とりあえず何か食べさせておけば元気になるはず。そう思ったパンドラの思惑はあっさりと失敗に終わった。
かと思いきや。
グウウキュルルル~
タルキウスのお腹が豪快に音を立てた。
どんな状況でもお腹は空く。それがタルキウスの胃袋だった。
タルキウスは恥ずかしそうに顔を真っ赤にし、フェルディアスとパンドラはクスクスと笑いを堪える。
「うぅ。くそー! 笑いたければ笑え!! 腹減った!」
「ふふふ。分かった。果物でも持ってくるから少し待ってて」
フェルディアスは楽し気に笑いながらその場を後にする。
タルキウスの下に残ったパンドラは、魔法で自分の髪の一房をまるで手のように動かしてタルキウスの頭を撫でた。
「昨日は意地悪してごめんなさい。リウィアはタルキウスの事を心から愛してるわ。間違いない! だからあなたはもっと自信を持ちなさい!」
「パンドラ……。うん! そうだよな! くよくよしてるなんて俺らしくない!」
「そうよ。タルキウスはいつでも呑気に腹減ったーって叫んでるのがよく似合うわ!」
「……な、何かすごく馬鹿っぽくないか?」
「そんな事ないわよ。だってそれがいつものタルキウスだもん!」
パンドラはニッコリと笑って言う。
その笑顔を前にして、タルキウスも釣られるように笑った。
不本意ではあるが、やはり親友が楽しそうにしてくれるのはタルキウスにとって嬉しい事だったのだ。
「ほら、タルキウス。果物を持ってきたから一緒に食べよう」
フェルディアスが両手にたくさんの果物を抱えて戻ってきた。
「おお! サンキューな、フェル!」
三人は果物で朝食として食べ始める。
タルキウスが甘い果物で胃袋を満たした頃、ダヴィニスが中央市場に姿を現したという知らせがもたらされた。
タルキウスは早速、フェルディアスとパンドラを伴って中央市場に向かった。
◆◇◆◇◆
多くのヴェネツィア市民が集まっている中央市場を訪れたタルキウスは、騒ぎを起こさないようにと庶民の装束を身に付け、フェルディアスもその庶民に仕える奴隷に扮するために質素で古びた衣服を着ている。
そしてパンドラは、拘束衣姿が目立たないように上から黒いマントを纏っていた。
まだ朝早くだというのに、中央市場は多くの市民で賑わっている。
まずは市民達の中を掻い潜り、タルキウスはダヴィニス、そしてリウィアを探し回る。
感知魔法でリウィアの魔力を探り当てるのはタルキウスには造作もない作業だったので数分と経たずにリウィアを見つけ出す事には成功した。
しかし、リウィアの傍らにダヴィニスがいる事を知った瞬間、タルキウスは素直に喜ぶ事ができずに凍り付いた。
リウィアは昨日、ダヴィニスと一夜を共にしたという事になる。
ひょっとしたら、男女の契りも交わしているのかもしれない。
そう思った瞬間、凍り付いたタルキウスの頭は鈍器で殴られたような感覚に襲われた。
「た、タルキウス、大丈夫!?」
足元がふらつくタルキウスを、フェルディアスが支えながら言う。
「あ、あぁ」
しばらくダヴィニスとリウィアの動向を窺うも、特に何をするでもなく、市場を散策していた。
てっきり穀物を売却して銀一千タラントを確保しようとしているのかと思ったのだが、そんな様子は無かった。
「ね、ねぇ、ひょっとして、タルキウスの取り越し苦労だったんじゃないの?」
「……だ、だってパンドラが!」
タルキウスはパンドラを睨み付けるが、パンドラは素知らぬ顔でそっぽを向いて口笛を吹いた。
そんな中だった。
リウィアの方が視線を感じたのか、突如タルキウスの方を見た。
「み、見つかった!」
反射的に逃げ出そうとするタルキウス達。
しかし、そんな三人をリウィアが呼び止める。
「ま、待って下さい!!」
人混みを掻き分けて、リウィアはタルキウスの小さな手を掴んだ。
「どうして逃げようとするんですか?」
「ど、どうしてって、リウィアはダヴィニスと一緒になるんでしょ! だから邪魔物は退散しようとした! それだけだよッ!!」
タルキウスはこれまでの不安を全て怒りに変えてリウィアに叩き付けた。
「え? あぁ、そういう事でしたか」
リウィアはニッコリと笑みを浮かべた。
そしてしゃがんこんでタルキウスと同じ高さにまで目線を下げる。
「安心して下さい。告白でしたら、ちゃんとお断りしましたから」
「う、嘘だ! ならどうして昨日は帰ってこなかったの!? それに今だってダヴィニスと一緒にいたじゃないか!」
「ダヴィニスさんにせめて今日まで一緒に過ごしてほしいと頼まれたんですよ」
「じゃあ、夜は何をしてたの?」
タルキウスが目を細めて追求する。
「も、勿論、何もしてませんよ! ベッドは別々の部屋でしたし」
必死に弁明するリウィアの隣にダヴィニスが立つ。
「陛下、このような場で恐縮ですが、お渡ししたいものがあります」
「渡したいもの?」
「こちらです」
ダヴィニスは一枚の丸まった紙を差し出した。
「何だ、それは?」
「私が経営しております農園で生産した穀物の証書です。陛下に献上致します」
「え?」
「タルキウス様! これでローマの飢饉も抑えられますね!」
「……う、うん」
何が何だか分からずに、素っ気なく返すタルキウス。
「リウィアさんには負けましたよ。私がどれだけ求婚しても、陛下のお世話をしなければなりませんのでと断られましてな。リウィアさんほどの素晴らしい女性がそこまでお慕いするお方のお力になりたいと思ったわけです。尤も私も商人ですから。無償では言いません。せめて今日まで共に過ごさせてほしいとお願いしたわけです」
リウィアを独占された事に強い敵意を覚えるタルキウスだが、穀物を提供してくれるというのであれば国王として無下にもできない。
「そ、そういう事であれば、ありがたく受け取っておこう。礼を言うぞ」
「いや~これで一件落着ね。まったく、タルキウスの考え過ぎにも困ったものねぇ~」
そう言ってパンドラはアハハと笑う。
「パンドラのせいだろ!!」
タルキウスはこれまでの仕返しと言わんばかりに、両手でパンドラの頬を思いっきり引っ張った。




