艦隊建造計画
ヴェネツィアのネプトゥヌス神殿。
ヴェネツィアでは主神の如く祀られている、海の女王とも称される女神サラキア。その夫であり、海の支配する神ネプトゥヌスを祀るのがこのネプトゥヌス神殿である。
建物を支える白亜の円柱を立ち並び、壁には荒れ狂う海の絵が描かれていた。
「フハハハハハッ! これは面白い事になったものだな」
神殿の真下に設けられた地下へと続く螺旋階段に、ラグナ六世の笑い声が木霊する。
ダヴィニスが黄金王の侍女に告白をしたという知らせを受けたラグナ六世は、階段を下りながら大口を開けて笑っていた。
「しかし大総督、あまり笑ってばかりもいられないのではありませんか? 我がヴェネツィアの商人が黄金王の聖女にちょっかいを出したのですよ」
ラグナ六世の後ろから続く守護神官イパルトスは、無邪気に笑うラグナ六世とは違って不安そうな表情を浮かべている。
「もし黄金王が機嫌を損ねるようなら、ダヴィニスの首を差し出せば済む話であろう。案ずるな」
「ですが、ダヴィニスは有能な男です。ヴェネツィアにとっても我々にとっても有益な人材と考えますが、それでも宜しいのですか?」
「構わぬ。私の計画が最終段階に移ってしまえば、ダヴィニス一人の犠牲など些細なものだ」
「承知しました。では、こちらからダヴィニスに何等かの支援を致しますか? 事態を引っ掻き回せば、それだけ黄金王の注意も引けるのではないかと思われますが」
「必要無い。下手に介入して、黄金王の反撃を受けるのは御免だしな」
黄金王タルキウスは、まだ幼いながらも卓越した手腕を以ってエルトリアの王として君臨している。
のだが、やはりまだ子供は子供。下手にちょっかいを出して倍返しにされた政敵の噂はヴェネツィアにも轟いていた。
実力では遠く及ばず、子供らしく悪知恵も働く方なので余計にタチが悪い。まともに相手をするだけ時間と労力の無駄というものだろう。
そうラグナ六世は考えた。
「それに奴の行動は、海賊どもから黄金王の注意を逸らす良い契機となる」
「海賊の首領は始末致しました。ラヴェンナ艦隊も順調に海賊どもを追い詰めているという話ですので、海賊との商売もここまでですな」
アグリッパ将軍が率いるラヴェンナ艦隊は、既に海賊船二隻を撃沈、一隻を拿捕、さらには海賊の根拠地の一つを襲撃するという戦果を上げていた。
アドリア海の大掃除は文字通り順調と言えるだろう。
アグリッパは本来、陸戦が専門であるが、彼の手腕は海戦においても有効だとこれで証明された。
いずれ起きるであろうカルタゴとの決戦では、彼が前線司令官として先陣を切る事になるのは疑うべくも無い。
「それに保険組合も順調に赤字になってくれた事だし、これで安く買収できるわ」
ヴェネツィアは“商人の都市”と言われるほどに商人が優遇されている町だった。
それだけに商人が自由な商売を行なう事ができ、ヴェネツィアは莫大な富を得るに至ったわけだが、ラグナ六世は自分に富と権力を集中させたいと考えていた。
しかし、損得勘定に長けて自立心の強い商人が、それを易々と受け入れるとは限らない。
そこで商人達の力を削ぎ、容易に自分の傘下に加えられる環境を作り出す。
今回の海賊を利用した作戦には、そうした意図も含まれていたのだ。
「我がヴェネツィアに喧嘩を挑めばどうなるか。これでアルバヌス山の老いぼれどもも理解したでしょうね」
「はい。ヴェネツィアあってのローマ。即ちヴェネツィアこそがエルトリアの真の核なのです。黄金王もそれを思い知ったからこそ、此度の行幸を行なわれたのだと考えます」
「海賊どもから得た穀物の転売で、資金もだいぶ貯まったわ」
「計画は全て大総督様の思い描いた通りに進んでおります」
「結構。これで我がヴェネツィアはアドリア海の女王から、地中海、いいえ、世界の海の女王になる! それこそ太古の昔に世界の海を征したフェニキア海上帝国のようにね」
大昔に巨大な海軍戦力と海上貿易を以って世界中の海を支配したと伝わる“フェニキア海上帝国”は、同じく海を征する事で勢力を広げるヴェネツィアにとって憧れであり、目標のような存在だった。
螺旋階段を下まで降り、真っ直ぐ伸びる長い廊下を進むと、広い地下広間へと辿り着いた。
ラグナ六世とイパルトスが広間に歩みを進めた瞬間、広間の壁に等間隔に取り付けられている照明型魔法道具が起動して灯りを点ける。
灯りに照らされた地下広間には、エルトリア海軍の軍船にも劣らない立派な軍船が数十隻並んでいる。
「この艦隊さえ完成すれば、世界の海はワシのもの。カルタゴさえも敵ではなくなる」
この戦力を以って対カルタゴ戦の切り札とすれば、黄金王もヴェネツィアに対してはあまり強気には出られないだろう。
自前の艦隊を完成させて、エルトリアやカルタゴにも渡り合える一大勢力を形成する。それこそがラグナ六世の最終的な目的だった。




