魔女の謀略
それから十分後。
外で待機していたフェルディアスは、いつまで経っても出てこないタルキウスの様子を見に雲海の間へと戻ってきた。
「パンドラちゃん、来てたんだ。って、な、何て事をしてるんだよ!!」
衝撃のあまりフェルディアスは目を見開いた。
彼の視線の先には、黒い墨で頬に可愛らしい猫のような三本線と鼻に点が描かれたタルキウスの姿があった。
しかし当のタルキウスは、そんな事には気付かず頬杖をつきながら呑気に夢の中にいる。ご馳走を食べている夢でも見ているのか、口から涎を垂らして幸せそうな顔をしていた。
「どう? 上手く描けてるでしょ!」
口に先の尖った黒い棒のような物を加えたパンドラが誇らしげに言う。
パンドラが加えているのは、王都ローマの魔法工房で開発された【墨泉筆】という筆記用魔法道具である。
この棒の中は空洞で中には墨が入っており、握っている人間の魔力によって筆先から墨が供給される事で文字を書く事ができる魔導師用の筆記具だ。
「上手く描けてるでしょ、じゃないよ! これからすぐに出発しないといけないのに、こんな落書きをして……」
「む~。少しは褒めてもらいたいわね。手が使えないから口で描いたのよ。口で描いたにしては綺麗に描けたと思わない?」
パンドラはそう言うと、また何か思いついたのか。口で加えている筆をタルキウスの顔に近付ける。
落書きをさらに追加されてしまう。
そう思ったフェルディアスは咄嗟にパンドラから筆を奪い取った。
「ちょっと! 私の筆を返してよ!」
「ダメだよ! また落書きしようとしてたでしょ!」
「くぅ~。あなた、タルキウスの友達だからって調子に乗るんじゃないわよ! あんまり私を怒らせると、殺しちゃうからね」
鋭い覇気を秘めた視線でフェルディアスを睨みつける。
膨大な魔力を秘めたその覇気は、無邪気な子供が無自覚に見せる邪気とは明らかに違う。一睨みで数々の戦場を渡り歩いてきたフェルディアスを恐怖させるのに充分な威圧感を備えていた。
タルキウスはこんな目をする少女を相手に臆せずあそこまで戦えたのか、と思わずにはいられない。
「……」
動揺したフェルディアスの顔を見た時、パンドラは一瞬悲しそうな顔をする。
その赤い瞳からは“あなたも私をそんな目で私を見るのね”という悲痛な声が漏れ聞こえるようだった。
パンドラの放った殺気とも思える強烈な覇気に当てられて、フェルディアスが思わず委縮してしまい、両者の間に奇妙な空気が流れる。
そんな中だった。タルキウスの瞼がピクピクと動く。
「んん。ん~。ふぁあああ~。……あれ? パンドラ、来てたのか」
大きな欠伸をしながら、タルキウスが目を覚ます。パンドラの顔を視界に捉えると、タルキウスは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「……ふふ。やっと起きたのね。せっかく遊びに来たのに、タルキウスったら寝てるんだもん!」
先ほど見せた悲しそうな瞳は一瞬で鳴りを潜め、満面の笑みで目を覚ましたタルキウスに声を掛ける。
「ごめんごめん。ちょっと疲れちゃってさ。……フェル、どうしたんだ? そんな青ざめた顔をして?」
タルキウスはじっと自分の顔を見ているフェルディアスの視線に気付くと、不思議そうな顔をしてフェルディアスの方に視線を向けた。
「た、タルキウス、その顔が……」
「顔?」
タルキウスが首を傾げた直後、彼の傍らに小さな真紅色の魔法陣が浮かび上がる。その魔法陣からから姿を現したのはただの手鏡だった。
その手鏡を手の取り、タルキウスは自分の顔を映し出して見る。
「な、何だこりゃ!?」
タルキウスは落書きされた自分の顔を見て声を上げた。
「フェルディアスが犯人よ!」
パンドラは即行でフェルディアスに罪を擦り付けようとする。
「え?」
パンドラのまさかの発言にフェルディアスは一瞬固まった。そして次の瞬間、自分の手に筆がある事に気付く。
これでは自分が犯人です、と言っているようなものじゃないか。そう思いながら恐る恐るタルキウスの顔に視線を向ける。




