天上の駆け引き
アルバヌス山の山頂ユピテル・ラティアリス神殿の広間では、十二人の長老貴族達が集まっていた。
「いやはや。よもや黄金王が人類最古の魔女を手懐けるとは驚いたな」
「だが結果として、シチリア属州総督の任命権を黄金王から手に入れる事ができたのだ。満足すべき成果ではないか?」
長老貴族達にとって目当てはタルキウスの命ではなく、最初からシチリア属州総督の任命権だった。
彼等は元老院の貴族とは違い、タルキウスとは利害の一致から協力している共生関係にある。そのため、元老院の貴族のように隙あらばタルキウスを追い落とそうとは考えていない。
「人類最古の魔女を召喚すればイタリアを天災が襲う。黄金王が首尾良く人類最古の魔女を討ち果たした後は、天災を鎮めるために我等に助力を乞う。そこで我等はシチリア属州総督の任命権を頂く。所々変更はあったが、結果としては上々だろう」
「むしろ人類最古の魔女を黄金王が味方に引き込めたのは、エルトリアとしては好都合ではないか? カルタゴやパルティアとの戦に備えて、良い戦力となる」
「左様。エルトリアが栄えれば、それは即ち我等が栄えるという事だ」
「しかし、世俗の権力に我等が直接手を付けるというのは前代未聞の事。些か危険な橋を渡っているような気もするが」
「状況が状況だ。仕方あるまい」
「死の舞踏団の調査では、ヴェネツィアがカルタゴと秘密裡に交易を行なっているという話。あの放浪一族をこれ以上野放しにはできん。そのためにもシチリアに布石を打ったのだ」
一人の長老貴族がそう言うと、十二人の老人達は一斉に十三本ある柱の内で空いている柱へと視線を向ける。
「黄金王が如何に親政体制を築こうともこの国は広く複雑だ。元老院、神殿勢力、そして我々。ヴェネツィアに引き篭もったあやつの一族は、その間隙を突いて絶妙なバランスの上に今の繁栄を築き上げている。……そうであろう、ルナティアよ」
十二人の老人達が今度は視線を下に向けて、柱が描く円の中心を見る。
全員の視線が集まる先には、黒い装束を纏った小柄な少女の姿があった。
膝まである黒いトゥニカ、そしてその上から赤い縁取りが施された黒い貫頭衣を頭から被っている。
そんな黒の装束と同じ色をした綺麗な黒髪は、膝まで真っ直ぐ伸びて艶やかである。瞳は海のように青く、薄暗い広間の中でも宝石のように輝いていた。
ルナティアと呼ばれた十七歳くらいの見た目の少女は、見る者全てを魅了するほど愛らしく、そしてどこか背筋を凍らせるような冷たい気配を潜ませた笑みを浮かべる。
「はい。ヴェネツィアには貿易商を幾人か介して、カルタゴに対して怪し気な物の売買を行なっているようです。それは間違いありませんわ」
「ヴェネツィアは東方のシリア属州やエジプトとローマを結ぶ海上航路を掌握しつつある。海の王者であるカルタゴと手を組まれては、エルトリアにとって、そして何より我等にとっての脅威になりかねない」
カルタゴは、地中海の南側に位置する北アフリカ沿岸地域と地中海の西側に位置するヒスパニア、さらに西地中海の島々を領有する海洋国家である。
世界最強の海軍と海上貿易で海の覇者として地中海に君臨していた。
エルトリアとは、今は戦争状態に無いものの、国境紛争や経済戦争などの小競り合いが水面下で繰り広げられており、いつ本格的な戦争に突入してもおかしくないと言われている。
一方、ヴェネツィアはイタリア半島北東部に位置するエルトリアの港湾都市で、エルトリア国王と元老院の名において強い自治権が与えられた自治都市。
東地中海の海上貿易を牛耳る事で莫大な富を生み出し、数ある自治都市の中でも最も繁栄を極めている都市と言われており、その経済力は一都市で大国にも匹敵するとされる。
ヴェネツィアはタルキウスにも多額の献金をする事でその自治権を保障させているが、タルキウスも内心では警戒心を抱いており密かに探りを入れたりもしていた。
「あッ! こんなところにいたのね、ルナティア!」
広間に元気な女の子の声が鳴り響く。
その声と共に姿を現したのは、身の丈ほどの長さを誇る桃色の髪に全身を縛り付ける拘束衣が特徴的な少女パンドラだった。
「これはパンドラ様、如何なされましたか?」
「如何なされましたか、じゃないわよ! もうお昼よ! 私、お腹空いたんだけど、ご飯はまだ!?」
「申し訳ありません。すぐにご用意致しますので、今しばらくお待ち下さいませ」
「もー! 早くしてよ」
まるで親子のようなやり取りをルナティアと行うパンドラに、長老貴族の一人が声を掛ける。
「人類最古の魔女様、ここへは立ち入らぬようにとお願いしたはずですが……」
「私に文句があるわけ!?」
パンドラはムスッとした不機嫌そうな顔で睨み付ける。
「い、いいえ。滅相もありません」
パンドラは、タルキウス達と共にカプリ島から引き上げた後、長老貴族達が住むこのユピテル・ラティアリス神殿に転がり込んでいた。
なぜかと言うと、タルキウスがパンドラとの会話の中で「あのジジイ達には監視の目を光らせておくべきだな」と不意に呟き、パンドラが「友達は助け合うものでしょ!」と言って、その役目を買って出たのだ。
「パンドラ様、すぐにお食事の用意を致しますので行きましょうか」
ルナティアは半ば強引にパンドラを連れて広間を後にした。
広間に残った長老貴族達は一斉に溜息を吐いた。
「まったく。よもやこの神殿に人類最古の魔女を居候させる羽目になるとはな」
「黄金王め。せめてもの意趣返しのつもりか」
「あやつらしいではないか。いつもいつも、まさかと思う行動をしでかしてくれる。だが、人類最古の魔女が我等の手元にいるのは都合が良い。あの娘は見た目はあれでも神代の魔法を多数知っている。つまり魔導師にとっては宝の山。それを味方にできれば強力な切り札となってくれるであろう」
「……確かに。ではそのためにも、せいぜい彼女のご機嫌を取らねばな」




