始祖王の神樹
タルキウスが青の神殿にてある決断をした僅か一時間後、彼の姿はカプリ島から遠く離れたイタリア半島のアルバヌス山の山頂ユピテル・ラティアリス神殿にあった。
ここは、神殿というより宮殿のようだった。
タルキウスはこの神殿を訪れる度にそう思う。山頂の土地を存分に使った神殿は、その敷地のほとんどが長老貴族の居住空間に当てられており、ユピテルを祀る神殿らしい空間は全体の二割程度しか無い。
突然の来訪にも関わらず神殿の中の広間には、この神殿の住人である十二人の長老貴族が集まっていた。
長老貴族達はいつも巨石の柱の上に座して客人を迎える。
広間の中央に円を描くように建てられた十三ある柱は、エルトリア王国初代国王ロムルス王が王都ローマに建てたとされる王宮に使用されていたもので、当時の長老貴族がこのユピテル・ラティアリス神殿へと持ち込んだのだ。
「黄金王、突然の来訪とはいつもながら無礼な奴だな」
白いフードで顔を覆い隠した長老貴族の一人が感情の籠らない声で言う。
「ふん。こんな神殿に籠りっ放しだと刺激が足りんだろうと思って、ちょっと驚かせてやろうと気を遣ってやったんじゃないか。王の心配りを少しは感謝してほしいな」
タルキウスも負けじと嫌味を言ってのけた。
十三の柱が描く円の中心点に立つタルキウスは、十二人の長老貴族全員から見下ろされる格好になっている。
この構図にタルキウスは少なからず不満を抱いていた。事実上はともかく形式的には長老貴族も王の臣下なのだ。
だが、今の状態は明らかにその真逆。王が長老貴族に見下ろされる。しかも長老貴族は座し、王は立っている。
これでは誰か見ても、床に立つタルキウスを王だとは思わないだろう。
過去に何度かタルキウスは、いつも空いている一本の柱の上に飛び乗ってやろうかと悪戯心をくすぐられた事があったが、流石にそれをしては長老貴族との関係をこじらせてしまうと、王としての責任感がブレーキを掛けていた。
「それでタルキウス王、此度は何用があってここへ参られた?」
「言わずと知れた事。今、イタリア全土を襲う嵐についてだ」
「それは我等も憂いていた事だ。だが、天候とは本来、王家の祖神ユピテル様が司るもの。我等にどうこうできるものではあるまい」
「ほお。お前がそれを言うか」
意味有り気にほくそ笑みながら言うタルキウス。
「……それはどういう意味かな?」
「ふん。……おい。もう出てきて良いぞ」
タルキウスが誰かに声を掛ける。
それに返事をする者はいなかったが、代わりにタルキウスのすぐ横の床に純白の魔法陣が浮かび上がった。
その魔法陣からパンドラが姿を現す。これはパンドラの転移魔法である。人数と距離には大きな制限はあるものの、通常では数時間、場合によっては日を跨がねば移動できない距離を一瞬で移動できる非常に便利な魔法だ。
タルキウスが一時間程度で、カプリ島からアルバヌス山に移動できたのも、この転移魔法の賜物である。
パンドラを見た長老貴族は全員が衝撃を受けて言葉を失い、そのまま石になったかのように固まってしまう。
「やあ皆、久しぶりね!!」
しかしパンドラは、そんな彼等にはお構い無しに軽い挨拶をした。
「ひ、久しぶり? 何のことかな、娘?」
長老貴族の一人が絞り出すような声でとぼける。
そんな彼等を嘲笑したタルキウスは、悪戯っ子のように笑いながら見上げた。
「紹介するよ。余の新たな友となったパンドラだ」
「宜しくね!!」
「と、友?」
「友とはどういう事だ!?」
長老貴族達は口を揃えてざわめき出す。
「言葉通りの意味だよ。ついでに言うと、パンドラは色々と物知りでな。色んな事を教えてくれたよ。色んな事を、な」
長老貴族達は、脳裏には鈍器で頭を殴られたかのような戦慄が走る。タルキウスは全て知っているのだと。自分達がパンドラを召喚し、この災害を引き起こした事を。
「……それで、此度の嵐とそのご友人に一体何の関係があるのかな?」
「それを説明する必要があるのか?」
質問を質問で返すタルキウスの口調は、高圧的であり自信に満ちている。
「……良し。つまらぬ探り合いは止めとしよう。用件を言え、タルキウス王」
「では遠慮なく。お前達の力を借りたい」
「我等の力を?」
「ああ。お前達が隠し持っているという神器【始祖王の神樹】の力で一ヶ月だけこの嵐を鎮めてもらいたい」
「一体何の話かな?」
「とぼけても無駄だ。余が何も知らないと思っていたわけではないだろう。お前達がこれまでエルトリアで絶大な権威を保持し続けられていた理由。それはイタリア全土の龍脈を流れる根源を操作して、イタリアに豊穣をもたらす事も天災をもたらす事もできる初代王の秘宝を隠し持っているからだ。その力を使えば一ヶ月間、嵐を抑える事くらいできるんじゃないか?」
【始祖王の神樹】
それは初代王ロムルス王が、所有してローマの地に突き刺したと言われる一本の槍。
その槍は大地に刺さった瞬間、巨大なな大樹へとその姿を変えた。この木が生い茂るとイタリアが栄え、木が枯れるとイタリアが荒廃するという伝説を持つ。
「ははは! なるほど。失われたとされる神樹を我等が隠し持っていると知っていたか。だが、あの神器を動かすのには色々と厄介な制約があってな。我等の協力を求めるのであれば、タルキウス王にも相応の対価を払ってもらいたいものだ」
「対価? 臣下が王の命令を聞くのに条件を出すとほざくか」
タルキウスとしては、そのくらいの反応は予想通りであり、よほどの無理難題でもない限りは全て要求を受け入れる覚悟でいた。
しかし、二つ返事で受諾するのはタルキウスのプライドが許さなかったのだ。
「臣下とは、王より地位や領地、富を貰い受ける見返りに忠誠を尽くすもの。王の臣下に一人でも無償で尽くす者がおるか?」
「……ふん! で、その対価ってのは何だ?」
タルキウスはばつが悪そうにそっぽを向くと、膨れっ面で要求を聞く。
「もうじきシチリア属州総督の任期が切れる頃であろう。次の属州総督の任命権を我等に譲ってもらいたい」
エルトリアの国土は、イタリア本土以外は全て“属州”という行政区画で分けられて統治されている。
その属州を統治する属州総督の任命権は、元々国王と元老院の合議によって決められていた。しかし、タルキウスはこれを改めて、軍事的経済的に重要な属州は国王の一存で総督を決められる“国王属州”、元老院に総督の任命権が委ねられている“元老院属州”の二つに再編した。
その中で、シチリア属州は国王属州に分類される属州。
イタリア本土のすぐ南、そして地中海のほぼ中央に位置している事から海上交通の要所として機能している。また、エルトリア有数の穀倉地でもあり、大都市ローマに穀物を供給するための重要拠点でもあった。
軍事面においてもシチリアは、エルトリアと同じ三強国の一角であるカルタゴに睨みを利かせられる地であり、軍事的要所でもある。
そんなエルトリアにとって重要な属州の総督の任命権を、長老貴族は対価に要求してきたのだ。
これは世俗から離れて神殿に引き篭もっていた長老貴族としては極めて異例の要求であり、流石のタルキウスも驚きを隠せずに目を見開いた。
「なッ! し、シチリアだと!?」
シチリアは穀物の生産地として、そして海上交通の要所として多額の富を生み出す地。そんなシチリアに総督になって私腹を肥やしたいと考えている貴族は多い。
贈賄などあらゆる手を尽くして、その地位を得ようとするはずだ。
長老貴族の狙いもそこにあるのだろう。地位欲しさに媚びてくる者達からもたらされる貢物、そして就任した総督からの返礼。
それは莫大な物であり、長老貴族には良い財政基盤の一つとなるだろう。
どうしたものかタルキウスは頭を悩ませる。
金のある無能貴族はエルトリアには大勢いる。そんな連中にシチリア属州総督の地位が渡るリスクをここで負うか。
とはいえ、タルキウスも長老貴族が単に私利私欲で動くだけで無い事は知っている。だからこそ、目の上の瘤と思いつつも互いが互いを利用し合う共生関係をこれまで続けてきたのだ。
であれば今回もただ自分達の利益を求めての事ではなく、何等かの計算があるはず。
そう考えたタルキウスは決断する。
「分かった。その要求を呑む。ただし、一か月間、嵐が治まったのを確認してからだ」
「良かろう。交渉成立だな」




