青の神殿
港から出発して、数十分ほど島を沿岸部に沿って進むと、海に面した崖の一角に洞窟が見えてきた。
波などの浸食で形成された海蝕洞だ。
その洞窟の中へと船を進める。
洞窟に入ると、中は出入り口から差す日の光以外はまったく灯りが無いという状態になった。
その日の光も嵐の天気では、あまり期待はできず洞窟の中は真っ暗だった。
「タルキウス様、パンドラちゃん、起きて下さい。もうすぐ着くようですよ」
リウィアはそろそろ起こした方が良いだろうと思い、眠っているタルキウスとパンドラを交互に擦る。
戦いの疲れは勿論だが、満腹になった状態で、船の揺れが心地良く睡魔を誘ったのだろう。二人はお互いに体重を預け合うようにして眠っていた。
「んん、リウィア?」
まだ眠りは浅かったらしく、タルキウスはすんなり目を覚ます。
「んんん。もう、着いたの?」
パンドラもタルキウスのすぐ後に目を覚ました。
タルキウスとパンドラは同時に大きな口を開けて欠伸をした。
その様を見たリウィアとフェルディアスの二人は、不思議と笑みを溢す。
「ええ。もうじきのようです」
「んん~。何だよ、ここ? 真っ暗じゃないか」
目が覚めたら真っ暗な空間にいたタルキウスは、もう一度眠ろうと瞼が閉じようとする。
「寝てはダメです!」
リウィアがタルキウスの両肩を掴んでかなり強めに揺する。
「アハハ! タルキウスったら可笑しな顔しちゃって!」
タルキウスとは違い、もう目が覚めた様子のパンドラは、タルキウスの寝惚けた顔が面白かったらしく大口を開けて笑う。
その笑い声に反応してタルキウスの意識が徐々に覚醒した。
「んん~。そんな笑わなくたって良いだろ!!」
洞窟の中でタルキウスの叫び声が反響して全員の耳を攻撃する。
「た、タルキウス、洞窟の中なんだからもっと静かにして!」
両耳を押さえながらフェルディアスが言う。
「あ、ああ。悪い」
タルキウスも自分の声で、ちゃんと目が覚めたらしい。
タルキウス達がそんなやり取りをしている間、長老は船首の方で何かの作業をしている。
そして、袋に入った粉を海水へと注ぎ込んだ。
少しすると、海が青く発行して洞窟の中は、青く輝く海水に照らされて紺碧の光を帯び、幻想的な光景が生み出された。
「おー! すげーな。こりゃ!」
「ええ。本当に綺麗ですねえ」
タルキウスとリウィアは、目の前の光景に感嘆の声を漏らす。
すると、長老は誇らしげに口を開く。
「この美しい光景から、ここは“青の神殿”と呼ばれています」
「じゃあこの洞窟自体が神殿なのか?」
「いえ。神殿はこの奥にあります。すぐそこです」
長老が船の進む先を指差す。一同がその指を追って視線を前方に向けると、その先には石造りの停泊所があり、更にその奥には廃墟と化した神殿跡があった。
「あれがパンドラが壊したっていう神殿か。随分と派手にやったもんだな」
「あはは。そうね」
船を停泊所に泊めると、タルキウス達は続々と船から降りる。
パンドラはふわりと風船のように浮かび上がって船から降り、それからもずっと宙を浮いていた。
「パンドラのその魔法ってすげーな。今度、俺にも教えてくれよ」
「んん~。これはちょっと特殊だからねぇ。タルキウスには無理かもしれないわ」
「えー! やってみなきゃ分からないだろ!」
「ふふふ。確かにタルキウスならもしかしたらできるかもね。じゃあ今度、一応教えてあげるわ」
「よっしゃ! ありがとうな!」
二人が親し気に話をしていると、フェルディアスが恐る恐るパンドラに声を掛ける。
「あ、あの、パンドラさん、ちょっと良いですか?」
「そんな他人行儀にしなくても良いわ。あなたもタルキウスの友達なんでしょ。だったら呼び捨てのため口で良いわよ」
「じゃ、じゃあ、パンドラ。その衣服、窮屈じゃない? 良かったら、脱がそうか?」
「フェルディアス、だっけ? 人前で女の子の服を脱がそうなんて、大人しそうな顔をして結構大胆ね」
「え!? ……ち、違うよ! そういう意味じゃなくてッ!」
慌てた様子で顔を真っ赤にし、必死の形相で訂正するフェルディアス。
パンドラは手足を厳しく拘束された姿をしている。常人がこんな状態で何日もいたら発狂しそうなものだが、パンドラは発狂どころか無邪気な子供らしく振舞っていた。
移動や食事なども魔法で事足りているようだし、一見大丈夫そうだが、それでもやはり手足が自由に動かせないというのは辛いはずだとフェルディアスは思った。
「プッ! アハハハハ! フェルディアスって面白いわねッ!」
「パンドラ、フェルは真面目だから、意地の悪い冗談は止めてやってくれ」
「そうなの? じゃあ、真面目に答えると、窮屈は窮屈よ。でも大丈夫。それにこれは無いと困るから」
「困るってどういう事だ?」
隣にいるタルキウスが首を傾げながら問う。
「この拘束衣はね。私をこの地上に留めておく効果があるの。つまりこれを脱いだら、私は元いた奈落に戻されちゃうわけ」
「そ、そんなの嫌だよ! せっかく友達になれたのにッ!」
タルキウスの大声が再び洞窟内に木霊する。
それに対してパンドラは、タルキウスを安心させようとするかのようにニッコリと優し気な笑みを浮かべた。
「あんな所に戻るくらいなら、タルキウスの傍にいた方が楽しそうだから、このままで良いのよ! それにそもそもこれは、神々が付けた枷だから、脱ごうにも脱げないしね」
「そ、そうなのか」
パンドラが傍にいてくれるというのを喜ぶべきなのか。パンドラが地上にいる限りずっと不自由なままなのかと憐れむべきか。タルキウスは二つの感情が入り混じって複雑そうな顔をする。
そんなタルキウスの心中を察して、再びパンドラはニッコリと笑う。
「心配しなくても大丈夫よ。奈落に幽閉されている間もずっと身動きなんてできなかったから、手足の使い方なんて忘れちゃったわ!」
「「え?」」
タルキウスとフェルディアスがほぼ同時に目を見開いた。
「そッ! だから、ってタルキウス、何で泣いてるのよ!?」
「だ、だって。パンドラって、能天気に見えて、く、苦労してたんだなって、思ってよ」
「の、能天気は余計よ。……ふふ。でも、ありがとう。私のために泣いてくれたのは、タルキウスが初めてだわ」
パンドラは心底嬉しそうに笑った。
「フェルディアスもありがとうね。私の事を気に掛けてくれて」
パンドラに礼を言われて、フェルディアスは頬を赤くする。
三人はそんなやり取りをしつつ、崩壊した神殿の前まで移動した。
ローマの神殿にも似た造りをしていたであろう“青の神殿”はその名の通り大理石を青の塗料で一色で塗られた美しい神殿にあったに違いない。
廃墟と化した今の状態から見てもその美しさが窺える。
「とはいえ、何でこんな神殿が壊れただけで、こんな大災害が起きるんだ?」
素朴な疑問を浮かべるタルキウス。
それに答えたのはパンドラだった。
「この島は大地の根源が流れる龍脈が集中しているのよ。で、この神殿はその龍脈から莫大な魔力を汲み上げて蓄える機能を持った、ある意味で神器のようなものなのよ」
「で、パンドラがその神器を壊したせいで、蓄えられた魔力が暴走したってわけか」
「正解! 流石はタルキウスね!イタッ!!」
タルキウスは意気揚々と語るパンドラの頭に鉄拳を叩き込んだ。
「それで、こいつの元の形に直さないと、この嵐は止まらないってわけか?」
タルキウスの問いに今度は長老が答える。
「その通りです。ただし、伝承によると仮に修復が済んでもしばらくは嵐が続くとされています」
「……」
タルキウスは復旧工事を迅速に行う方法は無いか思案する。
この神殿の中身はともかく構造はエルトリアの神殿と大差は無い。ならばローマから一流の職人を集めてはどうかと考えたが、この嵐では到着する前に海の藻屑と消えるだろう。そもそも到着する頃には一ヶ月など経ってしまう。
やはり、人魚族に任せるしかない。
だが、一ヶ月後に嵐が治まったとしても、その頃にはイタリア中が災害で滅茶苦茶になってしまうのは間違いない。
では、どうするか。
考えに考えた末、タルキウスはある決断を下す。
「……腹立たしいけど、背に腹は代えられない。あの手で行くか」




