原始獅子の毛皮
「理解した? あなたは私には勝てない」
そうは言うパンドラだが、彼女はこれでタルキウスが諦めるとは思っていなかった。むしろこの事実を前にしてタルキウスがどんな手を打ってくるのかを興味深く観察している。
対するタルキウスは、軽く深呼吸をすると「仕方がないな」と呟く。
「あんまり人目に晒したくはなかったんだけど、そうも言っていられないから俺のとっておきを見せてやる」
タルキウスの背後に真紅色の魔法陣が浮かび上がり、そこから流体の黄金が噴き出してタルキウスの身体を包み込み、まるで卵のような球体を形成する。
一体何をする気なのかとパンドラが首を傾げたその時、タルキウスを包み込んだ黄金の卵は、雛が孵る瞬間のように亀裂が入ってバラバラに砕け散った。
中から姿を現したのは当然タルキウスであるが、先ほどとは着ている衣装が変わっていた。
まだ小さいながらも、程よく引き締まった綺麗で凛々しい肉体は露わになり、身に付けているのは下着として腰に巻いている赤い布一枚。
そして金色に輝く毛を持ったライオンの毛皮を頭から被り、黄金の毛皮がマントのように背中を覆っている。
タルキウスの頭にはライオンの頭部が乗り、見ようによってはライオンに食べられてしまう寸前にも見えた。
その姿は神話に登場する大英雄のようである。
パンドラはじっとタルキウスの姿を注視している。
「そのライオン。ただのライオンじゃないわね。神話の時代から生きた神代種のようね。という事はその毛皮もある意味で神器と言って差し支え無さそう」
「神代種“原始獅子”の毛皮で作った、俺の、最高の魔法道具さ」
原始獅子。
それは神代に生きたとされる神代種の一種であり、世界最強の生物とも言われるドラゴンに匹敵する強力な種だった。
しかし、時代が進むにつれて人間やドラゴンとの生存競争に敗れてその数を減らし、今では絶滅してしまって存在自体が伝説と化しつつある。
「……」
パンドラはその毛皮が単なる飾りでない事をすぐに思い知る事となった。
これまでの戦闘でタルキウスは大きな傷こそ負っていないが、それでもかすり傷といった目立たない小さな傷は幾つか負っている。
それが医療魔法を用いたわけでもないのに、見る見るうちに治っていったのだ。
それだけではない。タルキウスの体内から迸る魔力反応が若干だが強くなった。
その事からパンドラは、あの毛皮には外傷を治し、魔力を回復させる癒しの力があるのだろうと理解する。
そうなると、パンドラにとっては厄介だ。
原始獅子の毛皮の癒しの力がどの程度まで効力を持つのかにもよるが、このまま消耗戦に持ち込むのは得策とは言えなくなった。
しかし、彼女自身認めるのは癪ではあるが、パンドラとタルキウスの攻撃能力はほぼ互角と言わざるを得ない。
魔法攻撃が効かないという欠点をタルキウスは、無数に持つ神器と黄金による攻撃で完璧にカバーしている。本来ならば数分と持たずに魔力切れになって命すら危うくなるような戦法を続けているというのに、タルキウスはまったく疲れた様子すら見せない。
この状態で回復効果を付与する道具を持ち出されては、パンドラの方が一手不利になってしまう。
「くぅ」
パンドラは苦虫を嚙み潰したような顔をする。
一方、タルキウスはパンドラの心中を察してかニタニタと得意気に笑っていた。
「ムッ! 何を笑ってるのよ!?」
「へへ~ん! 何でもねえよ~だ!」
「生意気な! 今に見てなさい! 泣いて私に許しを乞う事になるわよ!」
パンドラの背後に、大気中の水分が集まり、剣のような形状となると凍結として、氷の剣を作り出す。それが何十、いや何百という数にもなり、剣先をタルキウスに向ける。
パンドラであれば魔法で一から水分を作り出す事もできるが、魔力を節約するために、そして魔力を一本一本の威力増強に回すためにあえて大気中の水分を活用する事にしたのだ。
それとほぼ同時に、タルキウスの背後にも数百という魔法陣が浮かび上がり、その一つ一つから金塊が顔を出した。
金塊はパンドラの氷の剣に対抗するかのように変形して、黄金の剣へと姿を変える。
次の瞬間、双方が展開した数百という剣は、剣というよりは矢のように射出された。
氷の剣と黄金の剣がぶつかり合う。両者はまるで本物の剣と剣が接触したかのような音を立て、共に力尽きて粉々の粉砕される。
その光景は、正に軍隊同士が相争う戦場そのものだった。
「くそ! 何て頑丈な氷だよ」
タルキウスは舌打ちをした後に吐き捨てるように言う。
タルキウスが黄金天劇で操る黄金はただの黄金ではない。天の無限蔵の中で長い時間を掛けてタルキウスの濃厚な魔力に浸して馴染ませた代物。その黄金から作り出される剣の強度と切れ味は並みの剣を凌駕している。
そして、タルキウスが下着代わりにしている赤い布。これもれっきとした神器である。
神器【マルスの包帯】。
エルトリアが祀る軍神マルスが所持していたと伝わる神器で、所有者の身体能力と魔法の威力を向上させる能力を持つ。タルキウスはこの効力を使って、黄金の剣の威力を向上させていた。
これによりタルキウスが生み出す黄金の剣は一本一本が神器にも並ぶ破壊力を有しているはずなのだ。
だと言うのに、パンドラの作りだした氷の剣はタルキウスの黄金の剣と互角の攻防を繰り広げている。
それがタルキウスには受け入れがたい事だった。
受け入れがたい事ではあったが、タルキウスは小さく微笑んで、今の状況を楽しんでいる。
「こんな感覚は初めてだ。まさか手こずる事が楽しく思えるなんてな。……一応、感謝してやるよ、パンドラ!!」
魔法陣から無尽蔵に湧き出る黄金を剣へと変えて撃ち出す傍らで、無邪気な笑みを浮かべて礼を言うタルキウス。
降り注ぐ黄金の剣を、氷の剣で撃ち落とし、隙あらば今度は逆にタルキウスに剣を打ち出すパンドラは目を見開いて唖然とする。
この戦闘の最中で、喜怒哀楽様々な表情を見せたパンドラだが、今の表情が一番新鮮だったかもしれない。
「感謝? 人間が私に? あなたを殺そうとしている私に? ……あなたは一体、何を言ってるの?」
「何って言葉通りの意味だよ。だいたいパンドラだってさっきから口元が緩んでるぞ。俺を殺すだの何だのと言って、パンドラもけっこう楽しんでるんじゃないのか? パンドラこそそれならそれで俺に感謝の一つもしてほしいものだな」
「た、楽しんでる、ですって? この私が、……ッ!」
この時、パンドラは気付いた。
彼女は自分が好敵手の登場に喜んでいるのではない。
彼女が喜んだのは、いつの間にかタルキウスの自分への呼び方が“お前”から“パンドラ”に変わったという事。
それは即ちタルキウスがパンドラを、ただ欲望をぶつけるだけの対象でもただ忌み嫌うだけの対象でもなく、パンドラという一人の個人として見ているという事を意味している。
目の前の少年は自分を対等の存在として見てくれている。それが何よりも嬉しくて仕方がなかったのだ。
そう自覚した時、パンドラの表情は小さな微笑みから満足気な笑みへと変化した。
「良いわ。あなた、いえ、タルキウスに感謝してあげるわ!」




