七つの原罪
島の上空で繰り広げられる、戦争とも言うべき力と力のぶつかり合い。
それを離れた場所から見守るリウィア、フェルディアス、ネモスの三人は、自分達の理解できない凄まじい攻防に、瞬きをするのも、息をするのも忘れていた。
「す、すごい」
日頃、タルキウスの修練相手を務めているフェルディアスでもタルキウスがここまで本気を出して戦う様を見た事がなかった。
嵐の中から地上へと伝わる轟音、そして震動。その一つ一つが天災並みの破壊力と魔力を含んでおり、巻き込まれればただではすまないだろう。
フェルディアスは不意に、自分の後ろにいるリウィアに視線を向けた。
リウィアはフェルディアスのように、タルキウスの戦いをじっと見守っている。
タルキウスが負ける事を心配しているわけではない。タルキウスは絶対に誰にも負けない。彼女はそう信じているのだから。
しかし、それでもリウィアはタルキウスが無茶をして怪我をしたりしないかが心配でならなかった。
「タルキウス様……」
一方、ネモスは自分達がまったく歯が立たなかったパンドラと互角に戦うタルキウスに、驚きと同時に恐怖にも似た感情を抱いて戦闘の模様を凝視していた。
「な、何だよ。あのガキ、化け物なんてレベルじゃねえだろ。あの魔女と互角かよ」
「タルキウス様は最強ですから。絶対に誰にも負けません!」
「……だとしても無理だ。あの魔女には絶対勝てない。勝てないんだよ」
「どうしてそんな事が言い切れるのさ?」
自分の主人であり、友人であるタルキウスが絶対に勝てないと言われてフェルディアスはやや不機嫌そうな口調と表情で問う。
「あいつと直に戦ってみれば分かるさ。あいつと戦っていると次第に、」
激しい雨が降り、突風が吹き荒れる中。
ネモスの話を聞いたフェルディアスはクスリと笑った。
「なるほど。そういう事か。確かにそれは厄介だね。でも大丈夫だよ」
「え? だ、大丈夫ってどういう事だよ?」
「だってタルキウスは、」
フェルディアスは自信満々の笑みで理由を告げる。
◆◇◆◇◆
タルキウスとパンドラの攻防は一進一退のまま推移している。
天災とも言える力のぶつかり合いの中、タルキウスは小さく笑みを浮かべた。
「何を笑ってるのよ?」
「別に。ただ、ここまで本気を出して戦うのはもしかしたら初めてかもなと思ってよ」
最強の座を欲しいままにしている黄金王は、持てる全てを出し切って競える相手がいなかった。
そのため、タルキウスが本気を出す時は自身が圧倒的に不利な状況に置かれている場合くらいである。しかし、今のタルキウスは何のハンデも負う事なく全力を出して戦っていた。それが楽しくて仕方がなかったのだ。
「本気? この私を前にして本気ですって?」
凄まじい突風が吹き荒れ、足元にまで真っ直ぐ伸びる桃色の髪が風になびく中、パンドラは驚いた様子で口を開く。
「この私の美貌を前にして、本気で挑んでこられる奴なんているはずが無いわ!」
それは単なる自信過剰ではなく、パンドラ自身の能力から出た発言だった。
パンドラは、七つの原罪という七つの特殊な能力を有している。
その能力の一つ『色欲』は、愛と美の女神ウェヌスが創造したパンドラの美貌に付与された神性そのものでもある。
パンドラと対峙した人間は、男性は勿論、女性すらもその美貌の前に虜となり、戦意は削がれて集中力を奪われてしまう。
しかしタルキウスは、パンドラを前にして本気を出して戦っていると言った。
それはつまりパンドラの能力が、神より与えられし権能が目の前の少年には通じていないという事。それがパンドラには信じられなかったのだ。
「何で私のこの美貌を見続けているのに、今も平然としていられるのよ!?」
「な、何でって言われても、そりゃ確かに言われてみたらけっこう可愛い方かもと思うけど、お前なんかよりリウィアの方が全然美人だと思うぞ」
「り、リウィア? それってさっきあなたと一緒にいたあの娘の事?」
「そうさ!」
満面の笑みでタルキウスは誇らしげに語る。
“だってタルキウスは、リウィアさん一筋だからね。例えどんな美人が出てきたとしてもタルキウスは見向きもしないよ”
先程フェルディアスはそうネモスに語ったが、それは正にその通りだった。
「な、何よ。それ~。くぅ。まだお子ちゃまのあなたにはこの私の美貌は理解できなかったようね」
「お子ちゃまだと! 俺よりチビの癖に!」
タルキウスは子供扱いされるのが何よりも嫌いだった。
自分と同い年くらいの少女に“お子ちゃま”と呼ばれて、タルキウスはお子ちゃまのように声を荒げて怒りを露わにする。
対するパンドラは“チビ”と言われた事にムスッとした。
「チビとは何よ! 失礼ね! これはこの拘束衣で力を制限されただけの仮の姿よ! 私が真の姿に戻ったら、すごいことになるんだからね! あなたみたいなお子ちゃまは私の胸で溺れ死んじゃうんだから!」
「へえ。そんな真っ平らな胸で溺れ死ねるものなら、やってもらいたいものだね」
「だ、だから、これは仮の姿だって言ってるでしょ!」
「はいはい。負け惜しみはけっこうですよ、パンドラちゃん」
殺し合いをしている相手に向けて、というより親しい友人に向けるような軽口を言うタルキウス。
「む~。馬鹿にして! 私が真の姿に戻ったら、すっごいのよ!」
「胸は大きければ良いってもんじゃないんだよ。大きくて形が良くないとね。リウィアみたいに」
「またリウィア。どんだけあの娘が好きなのよ」
「この世の何よりもだ!」
「よ、よくそんな大声で宣言できるわね」
「だって事実なんだから、隠す事も無いだろ!」
「ぷッ! アハハハハ! あなたって面白いわねぇ~。この私にそこまで堂々と物を言う人間なんて初めてだわ! アハハハハ!」
パンドラはタルキウスの行動の一つ一つ、そして話の一つ一つが可笑しくて仕方がなかった。
彼女にとって人間とは、自身の美貌の虜となり媚びへつらう、もしくは不幸の元凶として忌み嫌われるかのどちらか。神話の時代より今日まで例外は一切無い。
対等の敵として接し、言葉を掛けてくる者との相対など生まれて初めての経験だったのだ。
楽しそうに笑うパンドラの満面の笑顔は、リウィア一筋のタルキウスですら思わず見惚れてしまうほどの美しさと愛らしさを兼ね備えていた。
「……お、お楽しみのようなら、もう一つ話を聞かせてやるよ。俺はお前の能力の一つを見抜いたぜ!」
「私の能力? へえ。本当かしら?」
「勿論だ! ずっと気になってたんだ。何でお前はわざわざこんな大嵐を引き起こしたのかって、さっきお前は俺への招待状だって言ったが、それはあくまでフェイクで何か別に狙いがあったんじゃないかってな」
「ふ~ん。それで?」
パンドラは興味深そうにタルキウスの話に耳を傾ける。
「さっき俺の魔法を吸収した暴食とかいう能力は、魔法だけじゃなくこの世界の全てを形作る自然界の魔力、根源からも魔力を吸い上げる事が出来るんだろ? お前は嵐を起こす事で、大気中を荒れ狂う根源で満たし、戦いながら魔力を迅速に補給できる環境を整えたってわけだ」
「面白い仮説ね。でも、どうしてそう思うの? そもそも人間の魔力と根源はまったくの別物よ。魔法から魔力を吸える魔法があったとしても、根源から魔力を吸える魔法なんてあるかしら? あなたならそのくらい分かると思うけど」
まるで試すような口ぶりのパンドラ。その口調には、明らかにタルキウスへの強い興味が含まれていた。
「確かに根源から魔力供給を行うなんて芸当は聞いた事もない話だが、最古の魔女ならそのくらいできそうだろ」
「何か最後の一言で、馬鹿っぽく感じてきたわ。……まあ、ぶっちゃけちゃうとあなたの言う通りよ。私の暴食は根源からも魔力を供給できる。この嵐も私にとって都合が良いから用意した舞台よ。でも、それが分かったからといってどうだと言うの? 私の魔力源が根源という事は、言うなればあなたの相手は世界そのものという事。いくら黄金王だって世界丸ごと相手にはできないでしょ?」
「俺が気付いていないとでも思ったか? 確かにお前の扱える魔力は無限かもしれないが、お前自身の魔力は有限だ。そしてお前がその暴食とか言う能力を行使する時に使っているのはお前自身の魔力が消費されている。つまり、このまま戦い続ければ、確実にお前は魔力切れになる」
タルキウスが自信満々に持論を披露し終えると、パンドラの表情が一瞬だけ険しくなった。
それはタルキウスの話、不覚にもを無言のまま肯定した事を意味する。
しかし、パンドラ本人はそれを大した問題とは思わなかった。
「そこまで見抜かれてたとは流石に驚いたわ。ご褒美に教えてあげる。私の持つ能力、七つの原罪は、文字通り七つの能力で構成されていて、どれも私自身の魔力を必要とするわ。暴食、そしてあなたが見向きもしなかったけど私の美貌に付与される色欲、この子達魔物を召喚して使役する怠惰」
パンドラを背に乗せて宙に浮かぶ大蛇赤の毒蛇が、タルキウスを鋭い眼力で睨み付けて威嚇する。
「あと四つ。私はあなたに披露していない能力があるわ。あなたがどれだけ強いとしても、今みたいに神器を乱れ打ちしているようじゃあなたの方が先に魔力切れになるのは明らかよ」




