遭難
嵐で荒れ狂う海の上。
そこで漂流物に掴まっているタルキウス、リウィア、フェルディアスの三人を巨大な大津波を今にも襲おうとしていた。
今からではさっきのように大いなる魔法で津波を丸ごと吹き飛ばすのは時間的に不可能だった。
「こうなったら仕方がない」
タルキウスがそう呟くと、彼のすぐ傍の空中に複雑な模様の魔法陣が浮かび上がる。その魔法陣の中心から一振りの剣が姿を見せた。
しかし、それを目にしたリウィアとフェルディアスには、本当にそれが剣なのかという疑問を抱かずにはいられなかった。
なぜなら、それは剣と呼ぶにはあまりに美し過ぎたからだ。
確かによく磨き込まれた剣は美術品のように美しくなる事もある。
だが、今そこにある剣はそれ等とは決定的に違った。
刀身も柄も全てが半透明、すなわち氷でできている。見ているだけで寒気がしそうな冷たさを感じさせる剣だった。
その剣の名は【氷牢の剣】という。
エルトリウス王家が所有し、今はタルキウスが所有者となっている神器である。
神話によると、人間は死ぬと冥界と行くが、悪人は冥界よりもさらに下層の奈落へと落とされる。
そこへ落とされた者の中でも最も重罪人とされた者には、触れた者を氷漬けにしてしまう川があり、そこへと叩き落されるのだと言う。
そして、その川の名がコキュートスなのだ。
つまりこの剣は、神々がその川の水を凍らせて作った神器。という言い伝えが王家の文献には残っている。
魔法陣からおよそ半分だけ姿を見せているその剣の柄を、タルキウスは右手で掴んで魔法陣から一気に引き抜いた。
その柄は恐ろしく冷たく、触れた者は文字通り氷を素手で掴んでいるような感覚を覚えるだろう。
尤も身体のほとんどを海水に浸かっている今のタルキウスには、その冷たさはいまいちよく分からなかったが。
タルキウスが【氷牢の剣】を手にした瞬間、その剣はタルキウスの魔力を遠慮無しに貪り始めた。
魔力量が少ない人間であれば、魔力の枯渇で干からびてしまいかねない勢いで。
しかし、底無しの魔力を誇るタルキウスは眉一つ動かさなかった。
それどころかタルキウスは、自らその剣に魔力を注ぎ込んだ。神器の力を最速で、そして最大限に引き出すために。
魔力の供給は、ほんの一瞬で完了した。
次の瞬間、タルキウスは大津波の迫る方を向いて横一線にその剣を振るって水面をその切先で斬る。
斬られた水面は、荒れた状態そのままに凍り付いた。
それは扇状に広がり、大津波をあっという間に凍らせてしまう。
その範囲は広大であり、海の上にポツンと小さな氷の島が出現したような風になった。
「す、すごい」
フェルディアスは感嘆の声をもらす。
自然現象にも匹敵する巨大な力を宿す神器。それをあっさりと使いこなすタルキウス。
そんなフェルディアスを他所にタルキウスは、リウィアを連れて氷の上へと飛び乗った。
「フェルもこっちへ来いよ。氷の上って言っても、海水に浸かっているよりはましだろ」
先ほどの喧嘩口調とは違い、いつものように無邪気な口調でフェルディアスを呼ぶタルキウス。
この僅かな間に、タルキウスの苛立ちは冷めてしまったのだろうか。
そう思った時、フェルディアスは無性に罪悪感に襲われた。
タルキウスは自分の身を案じて助けに来てくれた。さっきのやり取りもフェルディアスを思って言った事。
それに対してフェルディアスは自分の価値観を押し通そうとして喧嘩にまでなりかけた。
「ど、どうしたんだよ、フェル? まさかまだ怒ってるのか?」
氷の岸辺からタルキウスはやや困ったという表情を浮かべた。
「あ。ううん。違うよ」
フェルディアスは急いで氷の岸辺へと上がる。
あくまで氷なので気を抜くと、嵐の強風に足を取られて滑りそうになる。
そこでタルキウスは天の無限蔵から黄金天劇で操る黄金を使ってドーム状の建物を作り出す。
それは正に黄金のかまくらである。
その中は思いの外、暖かかった。
換気のために小さな窓は開けてあるが、雨と風が防げるというだけでかなり防寒対策になったらしい。
しかし、海水を被ってずぶ濡れになった服を着ていては風邪を引いてしまう。
三人は着ていた服を全て脱ぎ、今はタルキウスが天の無限蔵に収納していた大きな布を三等分して、皆それぞれ毛布のように身体に巻いている。
元々何の用途で入れておいたのか当のタルキウス本人すら忘れていた布ではあるが、備えあれば患いなしというどこかの国の諺が思い出された。
かまくらの中心では、タルキウスの天の無限蔵から取り出した物を火魔法で燃やして焚火をし、それを囲むように三人は座る。
これまで来ていた服は、壁と壁に取り付けた棒状の黄金に掛けて乾かしていた。
「タルキウス、さっきは本当にごめん!」
一段落着いたところで、フェルディアスはタルキウスに頭を下げて謝罪した。
「え?」
急に謝られたタルキウスは、すぐに状況が呑み込めずに驚いた様子である。
「タルキウスは僕を気遣って言ってくれたのに、僕はそれを無下にして。僕はタルキウスの奴隷だ。タルキウスが望むなら、誇りも矜持も捨てるくらいしないといけなかったのに僕の我儘を通そうとしてしまった。心構えが足りなかったよ」
「い、いや。俺こそ悪かったよ。フェルは俺との義理を果たすのに命まで懸けてくれたってのに、俺がそれを馬鹿するような事を言っちゃって。それにだ。俺はフェルの事を奴隷だなんて思ってないんだぞ。俺にとってフェルは友達だ!」
「タルキウス……」
友達、と言われてフェルディアスは少し照れ臭そうにしつつも嬉しそうにほほ笑む。
「だからまあ、その誇りや矜持を重んじるフェルディアスの気持ちを否定するのは筋が通らない。フェルが俺の奴隷でいたいと思うならそれでも良い。誇りや矜持に殉じようとするならそれでも良い。だから最期の瞬間まで俺の友達でいてくれないか?」
ニッコリと笑いながらタルキウスは右手を差し出した。
フェルディアスは何の躊躇も無くその手を握り返した。
「当たり前だよ! これからも宜しくね、タルキウス!」
「おう! こっちこそな!」
二人は固い握手を交わしながら、無邪気に、そして愛らしく微笑み合った。
そんな二人の姿を見て、リウィアも釣られるように微笑む。
「お二人とも無事に仲直りができて良かったです。一時はどうなるかと思いましたよ」
グウウウ~
かまくらの中に誰かのお腹の虫が木霊する。
その犯人はすぐに自ら名乗り出た。
「あ~腹減ったな~」
タルキウスが両手でお腹を押さえながら声を上げた。
「お昼前でしたからね。しかし、食糧は全て船と一緒に海の中ですよ」
「仕方ない。だったら、現地調達してくるか。海に潜れば魚の一匹や二匹くらい見つかるだろう」
「うん。そうだね」
タルキウスとフェルディアスがそう言って立ち上がる。
二人はそれぞれ幼い頃に、軍事訓練の一環としてサバイバル訓練も受けている。目の前に海があるなら潜って魚を取ってくるというのは自然な発想だった。
「んじゃ、俺とフェルで行ってくるか。リウィアはここで待機しててくれ。帰る時はリウィアの魔力反応を道しるべにさせてもらうから」
外は嵐である。
ほんの少し離れただけでも帰り道が分からなくなってしまうかもしれない。
しかし、視界がダメでも感知魔法であれば嵐の中でも問題はない。
「いや。ちょっと待って。漁には僕一人で行ってくるよ」
「えー何でだよ? 二人で行った方がたくさん捕まえられるだろ」
フェルディアスの提案にタルキウスは難色を示した。
「タルキウスは大いなる魔法と神器を使ったばかりで疲れてるだろ。それにさっき助けてもらったお返しもしたいしね」
「別に気にしなくても良いのに。てかフェルは、俺があのくらいで疲れたと思ってるのか?」
「い、いや。そうじゃないけど。今日はタルキウスばっかり活躍してるんだから、少しは僕にも出番をちょうだいよ。それにリウィアさんよりタルキウスの方がずっと魔力反応が大きいんだから、感知魔法でも探しやすいだろ」
「……まあいいや。分かったよ。その代わりちゃんと大物を頼むぞ」
そう言ってタルキウスは、│天の無限蔵から一本の銛を取り出してフェルディアスに手渡した。
「ただの銛だけど、無いよりはあった方が便利だろ」
「ありがとう、タルキウス! じゃあ行ってくるよ!」
フェルディアスはかまくらの外へと出て嵐の中へと飛び込む。
二人きりになったタルキウスとリウィアは互いに向かい合うように焚火を挟んで座る。
「リウィア、寒くない? 大丈夫?」
リウィアが寒そうに布の中で小さくなってブルブル震えている事に気付いたタルキウスは、心配そうな顔をしてリウィアに問い掛けた。
「だ、大丈夫ですよ。タルキウス様こそ寒くはありませんか?」
「俺はこのくらいへっちゃらだよッ」
そう無邪気な声で返しつつ、タルキウスはリウィアの様子をじっと観察した。
布の中で少しでも体温を外に逃がすまいと身体を縮こませている事に気付く。
それを目にしたタルキウスは立ち上がって自分の纏っていた布をリウィアに被せる。
「え? た、タルキウス様?」
「俺のも使ってよ。俺は大丈夫だからさ」
下着一枚だけの姿になり、ほぼ裸状態のタルキウスは、寒さなど微塵も感じさせない元気な笑顔を見せる。
「で、ですが、それではタルキウス様のお身体が冷えてしまいます!」
「んん~。じゃあこうしようか!」
タルキウスはリウィアが包まっている布の中に入って、リウィアの股の間に座り込んだ。
「ふふふ。リウィアの身体、温かいねえ」
幸せそうな声でタルキウスが言うと、リウィアはそんな彼の頭をそっと撫でる。
「私もタルキウス様の温かさが感じられてとっても温かいですよ」




