空飛ぶ軍船
思い立ったらすぐに行動を起こす。
それが良くも悪くもタルキウスという少年の性格だった。
タルキウスは水害に悩まされるローマの政務を法務官マエケナスに委ねて、自らは海神ネプトゥヌスを祀る神殿があるカプリ島へ天候回復を祈願するという名目でカプリ島へと旅立った。
とはいえ、イタリア本土とカプリ島を隔てる海は、嵐によって荒れに荒れており、とても船を出せるような状況ではない。
この状況で船を出せば、どんな大型軍船だとしても波に攫われてあっという間に転覆してしまうだろう。
だが、その問題はこの際考えなくても良かった。
なぜなら今回、タルキウス達が乗り込んだ船は海の上ではなく、空中を航行しているのだから。
それはエルトリア軍の魔法工房が、最先端の魔導技術を費やして建造した魔法道具【空飛ぶ軍船】。そのプロトタイプである。
これはエルトリアと同じく三強国の一つであり、世界最強の海軍を持つカルタゴの艦隊に対抗すべく開発された飛行軍艦。
見た目はエルトリア軍でも広く使われているガレー船に似ているが、船体は木製ではなく白銀の鋼鉄に覆われており、吹き荒れる雨に濡れた事で綺麗な光沢を帯びている。
船が海を進むためには必需品であるはずのマストも帆も無ければ、櫂すら無い。
ではこの船は何を動力に前進するのか、そもそも何を動力に宙に浮いているのかと言うと、それは船底に配置された百五十人もの奴隷の魔力である。
この船の船底には魔法が扱えない一般人からでも体力を魔力へ変換して吸収する新技術が投じられていたのだ。
彼等は一般的なガレー船の漕ぎ手のように隙間なく席に座ってはいるが、特に何をするでもなくただ座っているだけである。
そこにいて、魔力を提供する事が彼等の役目なのだ。
ガレー船の漕ぎ手と言えば、戦争捕虜や奴隷を鎖で繋ぎ、厳しい労働環境の中で酷使して使い捨てるのが通例であったが、タルキウスはそのような真似はしなかった。
彼等には充分な食事が無償で提供され、さらに一定期間職務に精励すれば国王命令として解放奴隷になる事が約束されていた。そして解放後の資金として安価ではあるが給金まで支給されるため、そこ等の奴隷よりも優遇された環境となっていた。
そんな奴隷達の魔力によって宙に浮かぶ船には、奴隷の他にタルキウスとリウィア、そしてフェルディアスの三人、そして船を操る水夫や魔法工房の魔導師が二十人ほど乗り込んでいる。
何があるか分からず、カプリ島の原住民である人魚族がどんな民族なのかも分からない事から、親衛隊長官ルキウス・ウォレヌスは護衛をもっと連れて行くべきではと進言したのだが、そう多くの人員は乗れない【空飛ぶ軍船】ではそれも難しかった。
港を出港した船は、嵐の中を航行してカプリ島を目指す。
空中を飛べると言っても、あまり高度を上げる事はできず、津波が船底に掛からないギリギリのラインより少し高いくらいの高度を飛翔している。
津波による転覆の危険性は無かったものの、強風で船体は大きく揺れるため、あまり快適な乗り心地とは言い難かった。
「あぁ~退屈だな~」
船に設けられたタルキウス専用居室にいるタルキウスは、航海を始めて三時間ほど経過した頃にそんな事を呟いた。
居室に備え付けられている大きなベッドに腰掛けているリウィアに膝枕をしてもらっているタルキウスは、退屈そうではあるが、幸せそうでもある。
外は嵐なので航海の最中は部屋に籠っているしかなく、タルキウスは暇を持て余していた。
「じゃあまたタブラでもして時間を潰す?」
窓の傍に立って、外の嵐の様子を眺めていたフェルディアスが言う。
この船は部屋の数があまり無いため、フェルディアスとリウィアはタルキウスと同じ部屋で寝泊まりする事になっていた。
「んん。タブラも飽きちゃったしな」
フェルディアスの提案にあまり乗り気ではない様子のタルキウス。
“タブラ”というのはエルトリアで流行している、サイコロと駒を使って遊ぶボードゲームである。
サイコロを振って、出た目に応じて駒を進めて先にゴールできた者が勝利というシンプルなルールで、エルトリアでは子供だけでなく大人にも大人気のゲームだった。
当然タルキウスも好きなゲームではあったのだが、ここまで来る段階でリウィアと三人で遊び尽くしていたので流石に飽き始めていた。
しかし、その時だった。
タルキウス、そしてフェルディアスは異様な気配が船に近付いてくるのを感じた。
「リウィア、ここにいてッ!」
タルキウスは扉を開けて部屋を飛び出し、暴風雨の吹き荒ぶ外へと出る。
「え? た、タルキウス様?」
急な事に驚いたリウィアは、反射的にタルキウスを追い掛けようとした。
そんなリウィアをフェルディアスが制止する。
「リウィアさんはここで待機してて。外は危険だから」
ここでリウィアはようやく危機が迫っている事を理解し、タルキウスとフェルディアスの指示に従う。
タルキウスとフェルディアスが甲板に上がると、巨大な津波が船に向かって押し寄せていた。
【空飛ぶ軍船】を限界高度まで上げても届かないほどの大津波だ。
「こりゃ自然の津波じゃないな」
タルキウスが真剣な面持ちで呟く。
「そうだね。あの津波から強力な魔力を感じるよ。たぶん魔法で作った津波だ」
「どうやら俺達をこの先に進めたくない奴がいるらしいな。でも、このくらいで止まるほど俺は甘くないぞ。……フェル、ちょっと離れててくれ」
「うん。分かったよ」
フェルディアスが後ろに下がって、タルキウスから少し距離を置く。
それを確認したタルキウスは、一回瞬きをすると澄んだ黒色をしていた瞳が黄金の輝きを放つ。
そして右手を前に突き出す。
すると、タルキウスの手前の床に複雑な模様をした真紅色の魔法陣が浮かび上がる。そこから先端に大きなダイヤモンドが取り付けられた純金製の杖がタルキウスの右手へと自ら姿を現した。
それはエルトリウス王家に代々伝わる神器【雷霆の杖】である。伝承では、王家の祖神ユピテルが使用していた杖と伝えられている逸品だ。
タルキウスは膨大な量の魔力を杖へと集中させる。
集束された魔力は神々しい光を発して、嵐の中でもはっきりと見える輝きを放つ。
そしてまだ魔法を発動する前だというのに、タルキウスの身体を中心に凄まじい竜巻が起こり、流石のフェルディアスも目を開けていられなくなる。
「大いなる魔法!烈風の暴嵐竜!!」
タルキウスがそう唱えた瞬間、杖の先に小さな竜巻が生じた。
その竜巻は一瞬にして、辺りに吹き荒れる嵐にも負けない威力を誇る暴風の渦へと変貌し、その巨大な風の塊は、杖が指し示す正面の大津波に向かって飛翔する。
その様はまるで海の上を一直線に突き進む竜のようであった。
その暴風の竜は大津波に衝突すると、瞬く間に大津波を突風で消し飛ばしてみせた。
「これでひとまず針路クリアだな」
タルキウスが小声で呟く。
「お疲れ様。やっぱりタルキウスの大いなる魔法はすごいね」
フェルディアスの言った大いなる魔法とは、数ある魔法の中でも頂点に立つ威力を持つ大魔法の総称である。
通常の魔法との区別に明確な定義が存在するわけではなく、同じ大いなる魔法とされる魔法の中でもその威力には大きな開きがあるが、全ての大いなる魔法に共通して言える事は、習得難易度が高く、熟練魔導師でも実戦で使えるほど自分のものに出来ている魔導師はそう多くはない。
しかも、威力に比例して非常に多量の魔力を要するため、一日に一回発動するのがやっとという魔導師がほとんどである。
しかし、タルキウスはわずか十一歳で先ほどの烈風の暴嵐竜を初めとするエルトリア王国に伝わる魔法、エルトリア式魔法における大いなる魔法のほとんどを習得してしまうという天才的な魔法のセンスを見せた。
さらに言えば、大いなる魔法を発動した直後だというのに、タルキウスの表情には疲労の色は一切見えない。
それどころか息一つ切らしていない。熟練の大魔導師すら顔負けの膨大な魔力量を誇るタルキウスだからこそ、これだけ平然としていられるのだ。
「でも、まだ油断はできないぞ。またいつ襲われるとも限らないからな」
そう言いながら、タルキウスはある結論に達した。
自分達の航海をわざわざ妨害しようとする者がいる。それはつまりカプリ島に来ては困ると考える者がいるという事だ。
「ッ!!」
突如、タルキウスの感知魔法に強力な魔力反応が引っ掛かった。
左右に目を向けると、一瞬にして辺りの海が不自然な動きをして山を作るように盛り上がり、船へと押し寄せる大津波を生成する。
今度は左右からの挟み撃ち。しかもさっきよりも近距離からの津波である。




