国王と長老貴族
エルトリア王国の最高権力者は、言うまでも無く黄金王タルキウスである。
その事は先日、タルキウスが元老院より《レクス》の称号を与えられた事でより確実なものになった。
しかし、エルトリアも二十九代目の国王を迎えた歴史ある大国。
これだけ長く続けば、国内には国王と言えども容易に手出しできない聖域というものが幾つも存在する。その一つの例が“長老貴族”と呼ばれる十三の貴族である。
エルトリア王国初代国王ロムルス・エルトリウスに仕えた十三人の貴族を祖とする。
エルトリア建国神話によると、王国を築き上げたロムルス王はある日、突然姿を消してしまった。
その直後、後に長老貴族に列せられるユリウス氏族の始祖プルクロス・ユリウスが突如、神託を受けた。
それによると、ロムルス王はクィリヌスという神になり、祖神ユピテルなどの神々が住む天界へと昇ったのだという。
この事態を受けて、十三人の貴族はロムルス王の長男ヌマリスを急遽、新たな王として即位させて、さらにまだ若い王を補佐するための機関として元老院を創設。王国の混乱を迅速に終息させた。
それから時が流れ、ヌマリス王は功臣達の功に報いるために、十三人の貴族に長老貴族の称号と様々な特権を与えた。
やがて長老貴族は、王都ローマから南東三十キロメートル離れたアルバヌス山の山頂に築かれた、王家の祖神ユピテルを祀るユピテル・ラティアリス神殿へと移り住んだ。
この神殿は今も現役で使用されており、山一体とその周辺地域は全て神殿領に指定されている。
この広大な敷地のほとんどは山林及び森林で覆われているが、その中にはエルトリア街道から山頂の神殿まで一本道で通じている参道が存在する。
しかし、それはエルトリア街道のように石や粘土で綺麗に舗装された道ではなく、木や草を除去しただけのものだが。
その参道を今、黄金王タルキウスは歩いていた。
本来、馬が運ぶ用のものであろう大きな荷車をたった一人で引きながら。
荷車の上には、ピラミッド状の何かが布で覆われて縄でしっかりと固定されている。
腕力と体力に自信のあるタルキウスは、その荷車を長時間引いても疲れた様子は見せないものの、不満気に声を漏らす。
「くそ! あのジジイども。何だってこの俺が毎月毎月、こんな物を運んで山登りなんてしなきゃならないんだよ!」
タルキウスは何も自分の自由意思でこんな所にいるわけではない。
これもエルトリア国王に課せられた儀式なのである。
エルトリア国王は戦時下などの事情が無い限り、月に一度、長老貴族と山頂の祖神ユピテルを祀るユピテル・ラティアリス神殿に奉納品を贈る事が義務付けられていた。
しかも、己の足で神殿まで赴き、己の手で奉納品を運ぶ。という決まりになっているため、馬を使う事はできず、奉納品も自分で運ばなければならない。
祖神ユピテルにエルトリアの繁栄を祈り、その礎となる決意を見せるための儀式なのだ。
しばらく歩いていると、参道の両脇に広がる森林からそれぞれ黒鉄の鎧のような物に覆われた狼が三匹ずつ現れてタルキウスを取り囲む。
「重装狼か」
タルキウスは特に焦る様子もなく冷静に計六匹の狼に目をやる。
この狼は名を重装狼と言う。これ等は自然に生まれた動物ではなく、大昔にエルトリアの魔法工房が生み出した、伝書鳩と同じ魔導生物である。
身体を覆う鎧は、人が身に付けさせたものではなく、皮膚と体毛が変化して出来上がった外殻だった。
人間よりも遥かに優れた視覚や嗅覚を駆使して斥候・偵察・奇襲と言った任務をこなす事が期待されたのだが、育成に掛かる費用ほどの戦果を上げられなかったという事で、研究は打ち切られたという経緯を持つ。
しかし、この神殿領には重装狼の群れが多数生息している。
それは神殿領への侵入者の発見及び撃退に重装狼が有効である事に目を付けた時の長老貴族が魔法工房から重装狼の研究資料を全て買い取って、独自に重装狼を作り上げたのだ。
この神殿領に侵入者があれば、森林の中から重装狼に襲われて食い殺される事になる。
そのため、神殿領には塀や番兵などが一切存在しないにも関わらず、侵入者が現れる事はまずない。
「ったく! 来いって言うから来てやってるのに、どうして侵入者扱いされなきゃいけないんだよッ!」
タルキウスが不満を口にすると、重装狼は一斉に飛び上がってタルキウスと後ろの荷台に襲い掛かる。
狼達の動きは俊敏だったが、タルキウスは加速魔法“閃駆”によって更に素早い動きを披露して、六匹の狼を一瞬にして殴り飛ばす。
目にも止まらぬ速さに狼達は何が起きたのか理解する間もなく、殴り飛ばされて地面に身体を叩き付けられる。
荷台の上に足り立ったタルキウスは、六匹の狼を一匹ずつ殺気に満ちた鋭い視線で睨む。
「どうだ? まだやるつもりか?」
強烈な威圧感に襲われた狼達は、子犬のような甲高い鳴き声を上げながら森林に姿を消す。
「ふう。今回は諦めの良い奴等で助かった」
そう言ってタルキウスは軽い足取りで荷物から降りた。
重装狼の群れは、特定の縄張りを持たずに常に移動している。
そのため、同じ地域でも日を跨ぐと、違う群れに遭遇する事がほとんどだった。
ただ不思議な事に、重装狼の活動範囲は神殿領の中に限定されていて、その外に出たという事例は今のところ存在しないのだ。
何か特殊な魔法処理をしているのか。何らかの習性によるものなのかは分からないが。
それからもタルキウスは、何度か重装狼の群れの荒っぽい出迎えを受けるが、特に何の問題も無く森林地帯を抜けて坂になっている山道を登り始めた。
ここでは参道が坂なので、不用意に荷車から手を離すと、荷車が坂を下って麓まで戻ってしまう。
そうなった場合、荷車も荷物もただでは済まないのは言うまでもない。
なのでタルキウスもこれまで以上に周囲を警戒するが、幸いな事にそれ以降は襲われる事もなく山頂に辿り着く事ができた。
山頂には巨大な白亜の神殿が立っていた。
山の上の澄んだ空気の中、太陽の光に照らされたその神殿は、エルトリアの芸術と大自然が調和した美を生み出している。
神殿の前まで進むと、まるでタルキウスの到着を察知していたかのように、白いローブを身に纏い、頭には白いフードを被った男の老人が姿を現した。
「よくぞ参られた、王よ。皆、奥で待っている。さあ。参られよ」
「ちょっと待て。その前にせっかく持ってきてやった奉納品を納めやがれ」
「おっと。そうであったな。ではまず中身を確認させてもらおうか」
興味無さげにしてはいるが、実際のところ彼等がタルキウスの訪問で最も楽しみにしているのはこの奉納品に他ならない事をタルキウスは知っていた。
タルキウスは荷台を縛る縄を解き、荷物を覆う布を引き剥がす。
その中から姿を現したのは、山のように積まれた金塊であった。
太陽に照らされ、神々しい輝きを放つそれは正に黄金のピラミッドである。
「確かに。ではこれは神殿に納めておくとしよう」
老人がそう言うと、神殿の方から若い神官が二人現れて、荷車を移動させていった。
「では、参られよ」
「ああ。分かってるよ」
タルキウスは老人に案内されて神殿の中に入る。
神殿の中は窓一つ無い広間ながらも、まるで外にいるかのように明るかった。
そして広間の中央には十三本の柱が円を描く様に立っており、その内の十一本の柱の上には白いローブとフードを纏った老人達がそれぞれ座り込んでいる。
タルキウスがその円の中に入り、十三本の柱のほぼ中心点に立つとタルキウスを案内した老人が地を蹴り、自身の身の丈の数倍はある柱の上へと上がって座った。
「エルトリア国王、タルキウス・レクス・エルトリウスよ。今月の奉納品は確かに受け取った。王家の祖神であらせられる天空神ユピテルもさぞお喜びの事だろう」
「そう願うよ。わざわざこんな所まで足を運んだんだからな。これで機嫌を損ねられたら、たまったもんじゃない」
「タルキウス王、その神をも恐れぬ物言いは止めるようにと以前にも言ったはずだ」
「如何に国王と言えども神を愚弄する事は許されぬ! その事をしかと肝に命じよ」
「民を代表して、天空神ユピテルの恩恵に感謝する事も国王の重要な務めぞ」
長老貴族達は、ローマの元老院議員達と違ってタルキウスを一切恐れることはなかった。
「へいへい!」
タルキウスも、長老貴族には一切敬意を払おうとはせずに、聞き分けの悪い子供ような態度を振舞い続けた。
このようにタルキウスと長老貴族の関係は、決して良好とは言えなかった。
しかし、タルキウスが玉座に就いた際には、これを支持してタルキウス王の誕生に一躍買っている。
タルキウスが単に力ずくで元老院を抑え込もうとしているのであれば、玉砕を覚悟で反発する者がもっと現れて内戦が始まってもおかしくはなかった。
それを回避できたのは長老貴族の後援を得られたからであり、タルキウスも彼等の権威を無下にする事はできなかったのだ。




