カプア行幸
カプアに端を発する奴隷反乱を終息させ、残る混乱も大方片付けた黄金王タルキウスは、正式にカプアへ行幸した。
以前より財政が悪化していたカプアは、今回の奴隷反乱で経済を完全に止めを刺されて町は荒廃の一途を辿っている。
また奴隷反乱を起こしイタリア中を混乱の渦中に叩き落した都市という汚名から、支援の手も期待できなかった。
そこでタルキウスは自らカプアに赴く事で王を挙げて支援に乗り出すという意を示したのだ。
当初、カプア市長ルキウス・ウィテリウスが主催する予定だった闘技会は、カプアで活動する剣闘士団がほぼ壊滅状態な事もあって開催は不可能だった。
そこでタルキウスはローマを拠点としている剣闘士団を引き連れてカプアに赴き、カプアの闘技場で闘技会を開催した。
その闘技会の企画立案をタルキウスより任されたのは、マルクス・ウェディス・クラッススだった。
先の反乱で、国中に醜態を晒してしまったクラッススは自らこの役目に志願したのだ。
以前に行われたローマでの剣闘試合の際にタルキウスから告げられた“余が剣闘試合を主催する時は、お前にも助力を頼みたいものだ”という言葉を持ち出し、数多いた志願者の中からこの役目を勝ち取った。
闘技会の開催を明日に控えたタルキウスは、宿泊用にウィテリウスが用意した邸にてウィテリウス市長の訪問を受ける。
「黄金王タルキウス陛下、この度は多大なるご迷惑をお掛けしたにも関わらず、これほどのご支援とお心遣いを賜り、感謝に堪えません」
黄金大宮殿にある玉座に比べると数段劣るが、このカプアで最も豪勢な造りの椅子に腰掛けるタルキウスに対して、ウィテリウスは深く頭を下げて感謝の意を示す。
祖父並に歳の離れた年上の男に頭を下げられるのは、国王になったばかりでは戸惑う事もあったが、今ではすっかり慣れた様子のタルキウスは堂々としている。
「良い。気にするな。今回の反乱は、エルトリアの都市であればどこでも起こり得るものだった。古くより続くエルトリアの悪習そのものに原因の一端はあったのだ。口煩い元老院に、その悪習を改めさせる良い口実ができた。……それより反乱以前にそなたが作成していた復興案を先日見させてもらったが、実に良い出来であったぞ」
「お、お褒め頂き、ありがたき幸せ!」
黄金王は冷酷で傲慢な王。そんな噂がローマから流れていたので、どんな処罰を下されるのかと内心ヒヤヒヤしていたウィテリウスは、予想外の言葉に驚いた。
「どうだ、市長の職を辞してローマで新たな官職に就く気は無いか?」
「え?で、ですが、私のような者が陛下のお役に立てるとはとても……」
せっかくの誘いを真っ向から断っては失礼。そうは思いつつも、やはり国王の下で王国全体のために働くローマの政務官は自分には荷が重い。そうウィテリウスは思ったのだ。
「案ずるな。官職と言っても、いきなり国の舵取りを任せるわけではない。そう難しく考えるな。それに地位としてもカプア市長職よりずっと高位の職を用意しても良いぞ」
「……せっかくのお誘いですが、私はこのカプアで生まれ、それから六十年間ずっとこの町で生きてきました。この歳になって今更、他へ移るというのは厳しゅうございます。どうかご理解下さいませ」
「左様か。まあ無理強いするつもりはない」
タルキウスは、ウィテリウスにその気が無いのを確認するとすぐに引き下がった。
「ところで余はカプアの復興については、王国を挙げて支援の手を惜しまぬつもりだ。必要なものがあれば、人手でも金でも遠慮なく申せ」
「ありがたき仰せに御座います、陛下」
それからしばらくタルキウスとウィテリウスは、カプアの復興に関する協議を数時間に渡って行なった。
◆◇◆◇◆
夜遅くになって協議を終えたウィテリウスは帰路に着いた。
「あ~疲れた~」
先ほどまで威厳ある黄金王の衣を纏っていたタルキウスは、人目が無くなった途端にそれを脱ぎ捨てて、ベッドの中へと飛び込んだ。
「ふふ。お疲れ様でした」
リウィアがベッドに腰掛けて、俯せに横になっているタルキウスの頭を優しく撫でる。
「ようやく戦後処理が片付いたら、今度はカプアの復興をと思って、こっちに来たけど、市長も少しはこっちの身を考えてほしいよ」
奴隷反乱が終結してより、戦後処理などで多忙な日々を過ごしていたタルキウスにとってこのカプア行幸は最後の大仕事だった。
明日からは闘技会を含めた式典の数々が続くので、今日中に身体を休めておきたかったタルキウスにとってウィテリウスの訪問は本音を言えば迷惑でしかなかった。
「明後日に正式な会談の予定があるんだから、そっちで話してくれれば良いのにさ」
「そう言ってあげないで下さい。きっと市長さんも一刻も速く事態を解決せねばと必死なんですよ。タルキウス様のように」
「……」
「タルキウス様だって連日連夜働き詰めの中で、この行幸も極力予定を前倒しにされましたもんね」
タルキウスの頭に添えられていた手を放して言うリウィア。
「な、何か怒ってない?」
タルキウスはリウィアの言葉に微かの棘のようなものを感じた。
「いいえ。そんな事はありませんよ。いつもいつも私の話なんて聞かずに、ご自分のなさりたいようにされるタルキウス様に困り果ててはいますが」
「え? い、いや、それは、その……」
早めに仕事を切り上げて休息を取るようにというリウィアの忠告を半ば無視して仕事を続けたりする日が続いていた事を思い返し、何と答えれば良いのか分からず言葉を詰まらせるタルキウス。
リウィアはいつも自分の身を案じて気遣ってくれる。その事については感謝してもし切れない。そうは思いつつも、タルキウスはその思いにちゃんと答えられているかというとそんな事は無いというのが実情だ。
「タルキウス様はいつも大丈夫と言われますが、私はいつかタルキウス様が過労で倒れてしまわれるのではないかと心配で仕方ありません」
「……そ、そりゃ、リウィアにはいつも申し訳ないと思ってる。それに感謝もしてるよ。でもさ。俺はエルトリアの国王なんだ。その責任を果たさないわけにはいかないでしょ。……ん?」
俯せの状態で話すタルキウスにはリウィアの姿は死角になっていた。
というよりリウィアの怒った顔を見たくないタルキウスは今の姿勢から動こうとはしなかったのだ。
しかし、ふとタルキウスの耳にリウィアの口から漏れたであろう微かな笑い声のような音が届いた。
タルキウスがゆっくりと顔を上げて、視線をリウィアの顔の方へ向ける。
タルキウスの視界に飛び込んだリウィアの横顔は、笑いを必死に堪えようとしているものだった。
「な! リウィア! 俺を揶揄ったな!」
タルキウスは身体をガバッと起こしてリウィアに詰め寄る。
「ふふふ。ごめんなさい。ですが、今言った事は全て本心です。タルキウス様はとても頭が良いんですから、もう少しご自身のお身体の事にもお考えを巡らせてもらいたいものだといつも思っているんですよ」
「それなら大丈夫でしょ! だってリウィアがいつも俺の事を見ててくれるんだからさ!」
屈託のない笑みを見せるタルキウス。
そこに反省などは微塵も感じられないが、不思議とリウィアの顔にも笑みが零れる。
この笑顔を見ていると、どんな事でも許してしまいたくなる。そしてこの笑顔をいつまでも見ていたい。そうリウィアは思ったのだ。
「ったく。タルキウス様はいつもそうやって都合の良い事を言われるんですから」




