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フェルディアス

「僕は、僕の不注意でタルキウスをあんなにも苦しめてしまった。許されて良いはずがない」


 黄金王タルキウスに仕える国王保有奴隷フェルディアスは、黄金大宮殿ドムス・アウレアウェスタ宮にある自室の隅で蹲りながらそう呟いた。

 タラキナからローマに戻って以降、フェルディアスはずっとこの調子で、食事はおろか水すら口にしないという有様だった。


 タルキウスがリウィアをどれだけ大切に思っているか。それをフェルディアスはよく熟知している。

 そんなリウィアの護衛を任されたという事は、それだけタルキウスがフェルディアスを信頼していたという何よりの証。

 だというのに、その信頼と期待を裏切ってしまった。その自責の念が今のフェルディアスの心を支配していた。


「また、あの時と同じだ」

 そう言ってフェルディアスは目を閉じて涙を流す。


 フェルディアスの故郷スパルタには、大きく分けて二つの身分が存在する。

 “スパルタ市民”と“国有奴隷ヘイロタイ”である。


 この内、スパルタ市民の男子は七歳になると親元から引き離されて、軍隊が運営する男子集会所アンドレイオンで同じく集められた男子と共に共同生活を送る。

 ここではスパルタ式教育制度“アゴゲ”という教育が施される。俗にスパルタ教育とも呼ばれるこの制度は、スパルタ市民の子供を国家の管理下に置き、極めて厳格かつ過酷な訓練を施すというものである。


 本来であればフェルディアスは十二歳になるまでここで過ごすはずだったのだが、九歳にしてスパルタの熟練戦士をも上回る高い戦闘能力を発揮。その実力を目の当たりにしたスパルタの将軍は、特例としてフェルディアスを戦場への従軍を許した。


 しかし、それはフェルディアスにとって不幸な結果をもたらした。

 戦場でフェルディアスは、最初こそスパルタの戦士の名に恥じない、初陣とはとても思えない戦いぶりを披露した。

 だが、戦いの最中で色々と面倒を見てくれていた先輩戦士が負傷して倒れてしまった。

 心優しいフェルディアスはその先輩戦士を見捨てられずに敵の手から助け出し、傷の手当てをするために独断で戦線を離脱するという行為に出た。

 これは仲間を救うための行為と言えなくもないが、スパルタでは敵前逃亡は如何なる理由があっても最大の恥辱と言われ、フェルディアスは戦場から逃げ出した臆病者のレッテルを貼られてしまう。

 更にフェルディアスに従軍を許した将軍にまで責任を追及する声が及び、彼は将軍の地位を辞する事態にまで陥った。

 せっかく期待を掛けてくれたのに、それに応えられなかったばかりか、その期待を裏切ってしまった。その事をずっと後悔していたフェルディアスは、今回またしても同じ失態を演じてしまったと悔やんでも悔み切れなかった。


「フェルー! いるかー!?」

 今、フェルディアスが最も顔を合わせたくない。いや、合わせる顔が無いと考えている少年の声が扉の方から部屋の中に鳴り響く。


「た、タルキウス?」


「なあフェル。そんなに落ち込まなくても良いから出て来いよ。俺もリウィアも無事だったんだしよ」


「そうはいかないよ。僕は、役目を全うできなかったどころかタルキウスを苦しめてしまったんだから」


「んん。だからってこのまま引き篭もってるわけにもいかないだろ」


「そうですよ、フェル君。私はこの通りもう大丈夫ですから」

 タルキウスはフェルディアスの主人なのだから、部屋から出るよう命じるのが手っ取り早そうな気がしないでもないとリウィアは思っていた。

 真面目なフェルディアスの事だから、命令だと言えばとりあえず今は解決しそうだと思うわけだが、それをしないであくまで説得して部屋から出るように促そうとする辺りがタルキウスらしいなとリウィアには思えた。


「だいたいフェルがずっと部屋に籠ってたら、一体誰が俺の護衛をやるんだよ?」


「でも、僕にはもうタルキウスの護衛をする資格なんて無いよ」


「はぁ~。まったくフェルは気にし過ぎだぞ」


「……」

 扉の向こう側から聞こえてくる声にフェルディアスは胸が痛む。自分の事を一切責めようとしないタルキウスの優しさを感じ、そしてそんな彼を苦しめてしまった己の罪深さを改めて痛感したのだ。


「うぅ~! ふぇ、フェル! た、助けてくれ!!」

 その時、扉の向こうから再びタルキウスの声が聞こえてきた。どういうわけか、今度は苦しそうに助けを求める声だった。


「タルキウス?」

 急に耳に入ってきた声に、フェルディアスは頭を下げて視線を扉の方に向ける。


「フェル! 早く、来て! く、苦しい! も、もうダメだ……」


 フェルディアスは何も考えずにその場から立ち上がり、扉に向かって一目散に走る。

 両足を繋ぐ足枷の鎖をジャラジャラ鳴らしながら扉を押し開けると、フェルディアスの視界に飛び込んだのは悪戯っ子のような笑みを浮かべたタルキウスの姿だった。


「え?」


「フェル、つっかまえた!」

 タルキウスは両手でフェルディアスの両肩をガッチリと掴む。

 そんなタルキウスの後ろでは、リウィアが右手で口元を隠しながらクスクスと笑っている。


 ここでフェルディアスは全てを察した。さっきのは全て自分をおびき出すための演技だったのだと。

「もう! タルキウス、僕を騙したな!」


「へへん! 騙される方が悪いんだよ~!」

 楽しそうに語るタルキウスは、そのまま右手をフェルディアスの首に回して彼の身体を一気に自分の方へ寄せる。そして透かさず左手でフェルディアスのふわふわとした金髪をごしごしとかき混ぜた。


「ちょ、た、タルキウス! や、止めてよ!」


 フェルディアスが抗議をしたその時、タルキウスのお腹がグウウ~と大きな音を立てた。

「フェル、腹減ったぞ。何か食べに行こうぜ」


 食事の話が出た途端、丸一日何も口にしていないフェルディアスは急に空腹感に襲われて、タルキウスのようにお腹の虫を鳴らす。

 フェルディアスは恥ずかしそうに顔を赤くして下を向いてしまう。


「ほら! フェルも腹減ってるんだろ」

 しめしめという風にタルキウスは笑みを浮かべる。


「へ、減ってないよ。スパルタの戦士は十日間飲まず食わずでも戦えるよう訓練を受けてるんだから! タルキウスだって知ってるだろ」


 スパルタの少年は、訓練の一環として常に己の空腹と戦う事を強要される。

 最も過酷な訓練では本当に十日間飲まず食わずで訓練漬けの日々を送る事になるのだ。

 その訓練を乗り越えた経験のあるフェルディアスにとっては一日の断食など何の苦でもないはず。という思いがフェルディアスにはあった。


「十日間食わなくても生きていられるからって、腹がまったく減らないってわけじゃないだろ。さ。そんな事より早く食堂に行くぞ」

 そう言ってタルキウスは、半ば強引にフェルディアスを連れて食堂へと向かう。


 最初は僅かに抵抗したフェルディアスだが、ここで力づくでも逃げようとしたら、今度はタルキウスも断食と言い出しかねないという考えが脳裏を過る。

 タルキウスはとても食いしん坊だが、その一方でとても頑固である事をよく知るフェルディアスは、一度でも彼に断食すると言わせてしまえば、自分が止めるまで決して断食を止めないだろう。

 しかも責任感の強いタルキウスはその間も国王としての仕事はちゃんとするはずだ。もしそんな事になったらと考えると、フェルディアスは背筋が凍る思いがし、抵抗の意思が一気に消えた。


 タルキウスに、首に回された腕で強引に連行される中、フェルディアスは顔を上げてタルキウスに目をやり、おもむろに彼の名を呼ぶ。

「タルキウス」


「何だ?」


「心配掛けてごめんね。僕、次こそはタルキウスを失望させないように、これからもっと頑張るよ」


 フェルディアスの言葉を聞いたタルキウスは足を止める。

 左手で握り拳を作り、フェルディアスのこめかみ辺りにぐりぐりと押し付けて攻撃した。


「うぅ。痛い! 痛いよ、タルキウス!」


 痛がるフェルディアスから左手を離すと、タルキウスは自分のおでこをフェルディアスのおでこにくっ付けた。

「フェルは俺が最も信頼する戦士だよ。フェルがいてくれて、俺は本当に大助かりしてるんだぜ。だからもっと自信を持てよ。なッ!」

 タルキウスはそう言ってニッコリと笑みを浮かべる。


「タルキウス……。ありがとう」

 フェルディアスは目に涙を浮かべて礼を言う。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 何か失敗したあとに、落ち込む間もなく次の仕事をしなくてはならない。それも平常運転で。ということは社会人にもよくあることで、塞いでいるのはただの、時間の浪費、自分や周りの人の損、そんな結論に…
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