転んでもただでは起きない
タラキナでの決戦からほぼ丸一日が経過した頃、タルキウスは黄金大宮殿の国王寝室にて目を覚ます。
あまりに見慣れた天井に安堵してか、タルキウスはすぐに自分の状況を理解できなかった。
「タルキウス様、目が覚めましたか?」
そう言いながら、リウィアがほっとした表情でタルキウスの顔を覗き込む。
まだ目覚めたばかりで頭がはっきりしないタルキウスだが、彼女の顔を見ている内に次第に意識が覚醒してくる。
「ん。り、リウィア? ……あ! リウィア! もう大丈夫なの!? どこか痛かったり、気分が悪かったりとかない!?」
上半身をガバッと起こして、リウィアの顔や身体に触れて無事を確かめようとするタルキウス。
その様にリウィアも最初は驚くが、徐々にそれだけ心配をさせてしまったのだと改めて自覚し、タルキウスを安心させたい一心で彼を優しく抱き締める。
彼女自身、あの時はタルキウスを助けたいという一心で前後の事はあまりよく記憶していなかった。
しかし、後で意識を取り戻した時にフェルディアスから事情を聞き、タルキウスが自分の事をどれだけ思ってくれているのかを知って嬉しく思う一方、タルキウスに自分の命を投げ出す決意をさせてしまう所まで追い詰めてしまったのだと罪悪感を覚えてもいた。
「タルキウス様、ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした。私はもう大丈夫ですから」
「うん! 本当に、本当に良かったよ! もう! めちゃくちゃ心配したんだからねッ!」
タルキウスもリウィアを抱き締めて彼女の胸で涙を流した。
「本当にすみません」
二人はそのまましばらく抱き締め合った状態で微動だにしなかった。
そしてようやく気持ちを落ち着けたタルキウスは、リウィアから離れて深呼吸をする。
「ところでリウィア、俺ってどのくらい寝てたの?」
「ほぼ丸一日です」
「え? い、一日も寝てたの?」
過去に習得するための訓練の中で万物を蹂躙する雷霆を放った事は幾度かあるし、そこで急激な魔力消費から意識を失ってしまう事もあったが、だいたい数時間もあれば目を覚ましていた。なので今回もそのくらいだろうと思っていたので、それを遥かに上回る時間に驚かずにはいられない。
「はい。私のせいでタルキウスの御心に余計な負荷を掛けてしまったのかもしれません。申し訳ありません」
そう言って謝罪するリウィア。
「いや。良いよ。俺こそさっきは声を荒げたりしてごめんね。リウィアがいなかったら、ろくに動けなかった俺なんて呪いにあっさり負けて死んじゃってたかもしれないし」
「タルキウス様……」
「っと、それよりリウィア。今の状況がどうなってるか教えてくれる?」
タラキナでの決戦はタルキウスの一撃で圧勝したものの、問題は山積みとなっているはず。本来ならベッドで寝ている場合ではないのだ。
「タルキウス様、まだ起きたばかりなんですから、もう少しお休みになった方が、」
「そうはいかないよ。何たって俺はエルトリアの国王、黄金王なんだからね!」
タルキウスは疲れた様子を見せずに無邪気な笑みを浮かべた。
実際には若干の気怠さを感じてもいたのだが、このくらいで自分の国王としての責務を果たさないわけにはいかない。そして何よりリウィアに心配を掛けたくないという思いがタルキウスを奮い立たせたのだ。
「……分かりました。ですけど、ちょっとでもお疲れになったら、ちゃんと休んでくださいね」
「うん! 分かったよ、リウィア」
◆◇◆◇◆
イタリア本土には、レティシアとは別行動を取っていた三万の奴隷軍がアルプス越えを行なうべく移動しているが、タルキウスとパルタティアとの取引によってこれをエルトリアは見逃す事になったために追撃は行われなかった。
と言っても、この三万の奴隷軍が針路上の町を襲撃して略奪等を行う恐れがあったためにウォレヌスが兵を率いて奴隷軍の針路上の町の安全を確保する等の処置に追われるのだったが。
タルキウスが職務に戻ってから最初に行なった事は。アルプス越えを目指す奴隷軍残党の安全確保に必要な処置だった。パルタティアとの約束だったので、タルキウスは何よりもこれを優先させた。
そして次にタルキウスが行なったのはあるエルトリアの制度の改正だった。
その発表をタルキウスは黄金大宮殿の大鷲の間にて行う。
「此度の反乱事件への対応がここまで後手後手に回った最大の原因は何だとお前達は思う?」
玉座の前に姿を現した黄金王タルキウスは、集まっている大勢の貴族を前に問う。
少年王の問いに貴族達は動揺した。この少年王が自分達にこのような質問をするなどこれまでなかったからだ。一体何を言い出すつもりなのかと貴族は不安を感じる。
待っても貴族達はこれという答えを出さないので、業を煮やしたタルキウスは自らの私見を述べる。
「エルトリア軍は“イタリア本土内で軍団を展開してはならない”という規則の存在だ。もし仮にこの反乱がイタリアではなく、他の属州で起きたものであれば、現地の総督は即座に軍団を纏めてあげて鎮圧に乗り出した事だろう。しかし、このイタリアではそうはいかない。そこで余はこの規則を撤廃しようと思う」
「な、何を言われますか、陛下!」
「その規則は古来より伝わるエルトリアの伝統ですぞ!」
貴族達は声を上げて反論する。
それも無理はない。イタリア本土における軍事活動の抑制。それはただの意味のない悪習ではない。ちゃんと理由があって創設された規則なのだ。
その理由とは、軍団による政権奪取の危険性を回避する事。もしイタリア本土に纏まった軍事力が存在し、それが反乱を起こした場合、対処する間もなくエルトリアは滅亡してしまう。それこそ今回の反乱事件よりも厳しい状況に置かれるだろう。
かと言って治安維持などを行うためにもまったく軍事力を配備しないわけにもいかず、そこで少人数の部隊しか配置できない仕組みが作られたのだ。
「静まれ!! 諸君等は子供かね?まずは陛下の話を最後まで聞きたまえ」
キケロの叫び声が大鷲の間に木霊する。
その声に圧倒され、騒いでいた貴族達は一斉に黙り込んだ。
今回の事は、キケロも初耳であり気持ちは他の貴族達と変わらなかった。しかし、タルキウスが単に規則を破る事を楽しむ悪ガキではない事をキケロは知っていたのだ。
広間が静まり返ったところで、タルキウスは再び口を開く。
「余は親衛隊を一個軍団規模にまで増員してローマ周辺に配置するつもりだ。余の直属部隊である親衛隊であれば反乱の危険は無かろう。そもそも反乱など起こそうものなら、余が一撃で屠ってくれるわ」
親衛隊を一個軍団規模に増員してローマに配置する。それはつまりタルキウスの私兵をローマに置くという事。更に言えば貴族達はタルキウスの私兵に囲まれながら暮らす事を余儀なくされるという事だ。
要するに、タルキウスの真の狙いは国王権力の強化に他ならない。
「それとな。またこのような事態が起きぬように奴隷の扱いについての法案を作成するつもりだ。具体的な内容はまたいずれ公布するが、例えば保有する奴隷の人数に上限を設ける。奴隷にも多少なりとも権利を保障する。と言った具合にな」
タルキウスの宣言に、貴族達は絶句する。
エルトリアの貴族達は、奴隷を安価な労働力として使い捨てにする事で大規模農地経営を成立させて莫大な富を手にしていた。タルキウスの言った事はこれに歯止めを掛けて、貴族の財力を削ぐ狙いがあるのは明白だった。
今回の反乱の発端こそ剣闘士だったが、途中で奴隷軍に加わった奴隷の多くは貴族達が大規模農地経営でこき使っている者達だったというのも事実。
タルキウスでなくても、何らかの制約等を設ける事を考えた可能性は否定できず、表立って逆らえる貴族はいなかった。
もし自分の農園で反乱が起きたら、という恐怖心がタルキウスに反論する意思を削いでいたという一面もあっただろう。それだけ今回の反乱は貴族達にとって恐ろしいものだったのだ。
タルキウスは、今回の反乱を最大限に利用して、国王の権力を強化し、貴族の力を削いでみせた。
この強かさは、タルキウスの国王としての能力を証明するものとなったが、一方でタルキウスを嫌悪する反国王派を生む原因にもなっていた。




