取引
姉レティシアの死を知ったパルタティアは、膝から崩れ落ちた。
「酷い。酷いよ。お姉ちゃん。私に嘘をついて、私を残して、先に行っちゃうなんて」
「パルタティア!」
泣き崩れる彼女を呼ぶ声。
涙で視界がぼやける中、パルタティアは声のする方を見た。
「タル……」
「パルタティア、お願いだ! リウィアを助けてくれ! ……ゴホッ! ゴホッ!」
衰弱し切った身体で声を枯らし、むせてしまったタルキウスは苦しそうに咳き込む。
「た、タルキウス、落ち着いて。弱ってるんだから、大人しくしてないとタルキウスまで!」
タルキウスを気遣い、フェルディアスが声を掛ける。
しかし、精神的に余裕などないタルキウスは、それに対して「煩い!」と激しい怒気に満ちた声を上げた。
「……」
リウィアを守れなかった罪悪感から、フェルディアスはそれ以上何も言えず、目を閉じて一歩後ろへ下がる。
「なぁ、パルタティア、頼むよ」
必死に懇願するタルキウスに、パルタティアは冷たい視線を向ける。
「私はその呪詛魔法の解呪方法を知ってるわ。その子を助けてあげても良い。でも、条件がある」
「条件? な、何だ? 何でも言ってくれ!」
「私のお姉ちゃんを返して」
「え? ……すまん。それは無理だ」
タルキウスは唇を噛み締めて悔しそうにする。
彼女の姉レティシアは万物を蹂躙する雷霆の直撃を受けたのだ。既に命は無いだろう。だから、彼女の要求には応えられないと瞬時に察した。
「私の大切なお姉ちゃんを殺しておいて、自分の大切な人を助けてくれってちょっと虫が良過ぎると思う」
「……なら、パルタティアの気が済むまで俺を痛め付けてくれて構わない。それでも気が収まらないなら、俺を殺してくれても良い! だからお願いだ!! 俺の命と引き換えにリウィアは助けてくれッ!!」
地に伏したタルキウスは嗚咽混じりに懇願する。
「タル……」
タルキウスの必死の願いにパルタティアは思わず圧倒された。
パルタティアは最愛の人とずっと一緒にいたいと思っていた。しかし、当のレティシアは違った。
レティシアはパルタティアに自分の身を犠牲にしてでも生きていてほしい。幸せになってほしいと思っていたのだ。
そして今、タルキウスもレティシアと同じく、自分の身を代償にしてでも最愛の人を救いたいと思っているとだと感じた時、パルタティアの目には、タルキウスの姿にレティシアの影が重なって映った。
「……分かったわ。でも一つ約束して。私達を無事に故郷へ帰らせるって」
「ああ! 構わない! 約束するよ! だから早くリウィアを」
何の迷いもなく決断を下すタルキウス。
もはや彼の目にはリウィアの事しか映っていないらしい。
その様を目の当たりにしたパルタティアとフェルディアスは驚いて目を見開くが、特に何か言う事は無い。
交渉は成立し、パルタティアは早速、解呪の処置を始めるべくリウィアの身体に触れた。
タルキウスとフェルディアスは共に心配そうな表情でその様子を見守っているが、両者の心配の理由は少々異なっている。
タルキウスは、単純にリウィアの実を案じていた。パルタティアの言葉を疑っているわけではないが、それでもリウィアの苦しそうな顔色を見ると、タルキウスは不安を覚えずにはいられなかった。
その一方でフェルディアスは、パルタティアがタルキウスの約束を反故にしてリウィアに手を掛けるのではないか、そして最初にタルキウスが自分を殺してくれても良いと宣言した通りにタルキウスの命を奪おうとするのではないかという心配をしていたのだ。
そしてもしリウィアが助かり、その見返りにタルキウスに害を及ぼそうとするなら、自分が身を挺して主人を守らなければと密かに決意を固めていた。このような事態に陥ったのはそもそも自分の不注意が原因なのだから、と。
そんな二人の心配を他所に、パルタティアは解呪の処置を進める。
彼女がリウィアの身体に触れると、リウィアの身体は温かな白い光に包み込まれた。やがて先ほどリウィアの身体に入った赤紫色の煙が、まるで蒸発して天に向かって昇る水蒸気のように身体の外へと放出されていく。
それに合わせるように、リウィアの呼吸は徐々に安定して、苦しそうだった表情も和らいでいった。
次第に顔色も良くなり、煙が出てこなくなった頃には、リウィアは気持ち良さそうに熟睡しているように見えるほど回復した。
「終わったわよ」
そう言ってパルタティアはリウィアの身体に触れていた手を離す。
「ああ! ありがとう! 本当に、ありがとう、パルタティア!」
リウィアが回復した嬉しさから、タルキウスは遂に体力の限界を飛び越えて歓喜の声を上げ、心の底から感謝の意を示す。
満面の笑みを浮かべるタルキウスを見て、パルタティアはほんの僅かに頬を赤くした。
「た、タル、さっき、あなたが言ってた事だけど」
「ああ。勿論覚えてるぞ。パルタティア達は無事に故郷へ帰す。それに俺の事はパルタティアの気の済むようにしてくれて構わない」
何の迷いも無くそう言い切るタルキウス。
動揺しているのはむしろフェルディアスの方だった。
「ま、待って! タルキウスは、この国にとって必要な王様なんだ。タルキウスの代わりに僕を、」
フェルディアスの言葉を遮って、タルキウスが彼の名を呼ぶ。
「フェル。止めろ。これは俺とパルタティアとの約束なんだ」
タルキウスはたとえ自分の命が掛かっていても、一度交わした約束を反故にするような事はしないとフェルディアスは知っている。
そして今回もその例に漏れず、自分の命を捧げる覚悟を固めている。
こうなったらもうフェルディアスが何を言っても聞かないと理解している彼は、苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべつつ黙り込む。
パルタティアはタルキウスの前でしゃがみ込むと、彼に問いを投げる。
「ねえ、タル。一つ聞いても良い?」
「ああ。何だ?」
「あなたにとって、その人は何なの?」
タルキウスが己の命を引き換えにしてまで救いたいと思ったその女性は、彼にとって一体何なのか、パルタティアはなぜか無性に気になった。
「リウィアか? ……リウィアは俺の生きる理由だ! リウィアが傍にいてくれたから、俺は今日まで生きてこられた。リウィアがいない世界だったら、死んだ方がましだよ」
タルキウスの言葉を聞いた時、パルタティアは以前にレティシアが自分の事を生きる最後の理由と話していたのを思い出す。
そしてそれに対して、レティシアと離れ離れになるくらいなら死んだ方がましだと自分が返した事も。
ここでようやくパルタティアは、レティシアの気持ちが分かったような気がした。
パルタティアはレティシアと生涯共に歩む事を望んでいたが、レティシアとタルキウスは自分を犠牲にしてでも愛する者の幸せを望んでいるのだと。
先ほどのタルキウスの必死の懇願を思い出し、今のタルキウスの満足そうな顔を目の当たりにしてパルタティアはそう理解した。
「……タル。私は、あなたを苦しめたいとも、殺したいとも、思ってないわ」
「え? そ、それじゃあ」
「私達が故郷へ帰る邪魔をしない。それだけを約束してくれれば充分よ」
「本当に良いのか?」
「ええ。私はあなたにも死んで欲しくないみたいだから」
まるで他人事のように言うが、彼女の表情はとても晴れ晴れとした様子だった。
「ありがとう。心から感謝するよ」
タルキウスは満面の笑みを浮かべながら礼を言った後、遂に体力が底をついて気絶するように眠りに着いた。




