死の呪い
タルキウスの杖から強烈な雷鳴と共に眩い電光が放たれた瞬間から、レティシアの記憶は一部が飛んでいた。
彼女が気付いた時には、地を駆けていたはずの自身の身体は地に伏して腕一本を動かす事もままならない状態になっていた。
全身を地獄の業火で焼かれた後のような痛みに耐えながら、レティシアは首を動かして顔を上げる。
「ッ!!」
そんな彼女の視界に映ったのは、全身が黒焦げの状態になったクリクススの姿だった。
既にクリクススは息絶えていたが、彼の倒れている場所からして、クリクススはレティシアを庇って死んだのは間違いない。
防御魔法森の加護と自分の身体という二重の防壁で彼はレティシアを守ったのだ。
しかし、それだけではない。“ディオニソスの秘技”によって活性化された魔力を全身に覆う事で疑似的な防御魔法とし、事実上三重の守りがレティシアを守ったのだ。
それにより辛うじて命を留めているレティシアだが、それも時間の問題。
もはやどんなに腕の良い医療魔導師が総力を上げて治療に当たっても助からない。
その事をレティシアは自覚している。
「ま、まだ、まだよ。まだ、死ねない。せめて、あの子が逃げる時間を、」
レティシアは最愛の妹の顔を思い浮かべながら、最後の力を振り絞って己の命を燃やし尽くして魔力とする。溢れ出た魔力は赤紫色の煙となって彼女の頭上に雲のような形に纏まり出した。
そしてレティシアの命の灯火が全て魔力に変換されて尽きた時、赤紫色の煙に人の顔のようなものが浮かび上がる。
それは凄まじい速度で、真っ直ぐタルキウス達のいる方に向かって飛翔した。空中で弧を描き、向かう先には魔力を使い果たして倒れているタルキウスの姿がある。
タルキウスは直前に、自分に接近する赤紫色の煙に気付くが、腕一本、足一本を動かす事もままならない今の状態では回避など不可能である。
魔力も枯渇し切っているので魔法で迎撃する事もできない。消耗し切った今のタルキウスならどんな雑兵の攻撃でも簡単にその命を奪えるだろう。
「はぁ、はぁ、や、やべぇ」
もうダメだ。そう思ったタルキウスは目を閉じようとした。せめて最期は愛する人の顔を思い浮かべながらが良いと、自らの死を受け入れたのだ。
しかし、目を閉じる前に、その人物の顔はタルキウスの視界に自ら飛び込んで来た。
両腕をいっぱいに広げた、黒髪の女性の背中。よく見覚えのあるその長い黒髪で、タルキウスはその女性が誰なのかを瞬時に理解し、頭を金槌で殴られたような衝撃に襲われる。
「リウィア!」
魔力で生成された赤紫色の煙に浮かぶ人の顔は口を大きく開けてリウィアの身体を呑み込んだ。
タルキウスはその様を見ている事しかできなかった。
赤紫色の煙はリウィアの身体に吸い込まれるように消えると、リウィアは意識を失ってその場に倒れ込む。
「……リウィア! しっかりしてッ!」
タルキウスは一瞬呆然とした後、我に返ると、微かに残った体力を振り絞って地を這い、リウィアの下へ駆け寄ろうとする。
そんなタルキウスにフェルディアスが心底申し訳無さそうな顔をしながら近付く。
「タルキウス、ごめん! リウィアさんを任されてながら!」
敵軍がタルキウスの一撃で蹴散らされ、フェルディアスはつい気を抜いてしまった。
その一瞬の隙を突かれたのだ。自分の気の緩みがとんでもない事態を招いてしまった。
リウィアがタルキウスにとって自分の命よりも大切な女性である事をよく知るフェルディアスは、自身の命を以ってしても責任を取り切れない。
タルキウスが望むならどんな罰でも受ける覚悟を固めているが、その話はまた後ですべきだろう。そう思ったフェルディアスは、タルキウスに自分の肩を貸して、彼をリウィアの下まで連れて行く。
フェルディアスの肩を借りてリウィアの前まで来たタルキウスは、リウィアの顔を見てさらに絶望感を深める。
彼女の表情は、まるで死の病に侵されて、高熱にうなされているような様子だった。医療の心得が無いタルキウスとフェルディアスでもリウィアの命が風前の灯火となっている事は分かる。
「フェル! すぐにローマへ戻ろう! こいつは呪詛魔法だ! ローマの医療魔導師を集めて呪いを解除させるんだ」
対象者に何らかの災厄をもたらす呪いに掛ける呪詛魔法。
程度にも寄るが、たいていは上級魔導師にしか扱えない高等魔法だ。しかも、今リウィアを蝕んでいるのは、その中でも最上位の死を呼ぶ呪いに分類される呪詛魔法。
それを瞬時に見抜いたタルキウスは、すぐに医療魔導師による解呪処置を行なえば助かると微かな希望を胸にフェルディアスに指示出す。
しかし、フェルディアスはその希望に縋るあまりタルキウスがある重大な見落としをしている事を、いや、あえて目を逸らしているのかもしれない事がある事に気付いていた。
「タルキウス。今からどれだけ早くリウィアさんをローマへ運んだとしても、もう……」
フェルディアスは最後まで言葉を言い切れなかった。
リウィアに掛けられた呪詛はあまりにも強力だった。助けるには、今ここで解呪処置をするしかない。
しかし、呪詛魔法の解呪というのはその道に精通した魔導師でなければ簡単にできるものではない。
魔法の天才と言われるタルキウスでも、これほど強力な呪詛を解呪するには丸一日は要するだろう。
専門の魔導師が今ここにいれば数分で作業は終わり、リウィアは助かる。更に言えば医療魔導師に長けたリウィアであれば自分で解呪する事ができるのだが、残念ながら彼女は意識を失っており、それができない状態にある。
「そんな事はない! リウィアは助かる! 絶対に、絶対に」
大粒の涙を流しながら、タルキウスは自分の残り少ない体力を燃え上がらせるように叫ぶ。そうしなければ平静さを保つ事ができないと自覚していたからだ。
まるで自分が呪いを受けたかのようにタルキウスは狼狽している。
主人のそんな姿を目の当たりにして、フェルディアスは罪悪感に押し潰されるような思いがしてならなかった。
その時、フェルディアスはこちらに凄まじい勢いで接近する気配の存在に気付いた。咄嗟に気持ちを切り替えて金棒を構え、接近する気配のする方に身体を向ける。
そしてフェルディアスの視界に飛び込んだのは、紫色の髪をした少女だった。
「あ、あなたは何者ですか!?」
「……ぱ、パルタティア?」
少女本人が名乗る前に、タルキウスが弱々しい声で少女の名を呼んだ。
「……その人、あの呪いを」
パルタティアは、リウィアが受けた呪詛魔法に心当たりがある様子だった。
「お、おい、もしかして、この呪いを知ってるのか?」
そう声を掛ける虫の息の少年の正体を、パルタティアはすぐに理解できなかった。身に付けている装束から、エルトリアの高貴な身分の人物である事は察しが着いた。
だが、そんな人物がなぜこんな所で虫の息になりながら泣いているのか。そもそもなぜこんな子供が、とパルタティアは様々な事を思うが、確信して言える事がある。
「た、タル、だよね?」
「ああ。そうだ! カプアで会ったタルだよ! そんな事よりもお願いだ! リウィアを、リウィアを助けてくれ!」
パルタティアを欺いていたという罪悪感は多少なりともあるタルキウスだが、今の彼にそんな事を考えている余裕は微塵も無い。
タルキウスはただ感情のままに、藁にも縋る思いでパルタティアに懇願する。
タルキウスの必死な叫びを聞いて、ひとまずタルキウスの正体などについては呑み込むが、パルタティアとしても、受け入れがたい事態に直面した事を自覚した。
「その呪詛魔法は、私の部族に伝わる、自分の命と引き換えに、相手を呪い殺すものよ。……自分の命と引き換えに」
そう口にしながら、パルタティアは既に姉のレティシアがこの世にいないのだと改めて理解する。
その事実を認識した時、パルタティアはタルキウスと同じように身を引き裂かれるような思いに苛まれた。




