最後の会合
タルキウス率いるエルトリア軍の親衛隊一千人は、アッピア街道を通ってタラキナの町付近の草原にまで進出した。
この地でレティシアが率いる奴隷軍二万人が、エルトリア軍の南側に布陣して対峙する。
全身を白銀の鎧に身を包み、紫色のマントを纏った親衛隊の兵士達の前にタルキウスは王自らが立つ。
タルキウスは、いつもの黒色のトゥニカの上にトーガではなく、エルトリアにおいて軍隊を意味する赤い色をしたマントを身に付けている。
親衛隊の兵士達と違って鎧といった防具類一切は付けていないが、これがタルキウスの軍装だった。
「敵の戦力が二万だと? どういう事だ? 昨日の報告では奴隷軍は五万いるという事だったが?」
奴隷軍五万と言っても、その中には非戦闘員も大勢含まれているだろうが、それを差し引いても数が少な過ぎる。
「周囲に斥候を走らせましたが、敵の別動隊が動いているような様子はありません。おそらくですが、敵は二手に分かれて別々の進撃ルートを通ってローマを目指すつもりなのかと」
タルキウスの問いに答えたのは親衛隊長官ルキウス・ウォレヌスだった。
やや癖のある金髪に、子供には怖がられそうな厳つい顔に鋭い目付きをした、三十代半ばくらいの彼は│神々の末裔ではなく普通の人間だ。
幼い頃に神殿で修行を積んでいるので、多少魔法を扱えるがあまり得手ではない。
かつては北方の最前線にて百人隊長として、異民族との戦に明け暮れる日々を過ごしていたのだが、その優れた戦略眼と剣術の才を聞きつけたタルキウスによって新設された親衛隊の長官に抜擢されたのだ。
これは血筋ではなく能力を重視するというタルキウスの人材登用政策の一環でもあった。
そんな彼の言葉を聞いたタルキウスは舌打ちをする。
「二手に分かれやがったか。そいつは厄介だな」
「如何致しますか?」
「……作戦通り進める」
「御意。では私は兵達に指示を伝えて参りますので、しばしの間だけ失礼します」
去り際にウォレヌスは、掌を下に向け、腕と指をまっすぐ伸ばして前方上に上げる。これはエルトリア軍で使用されている敬礼だ。
敬礼をした後、ウォレヌスは駆け足でその場を離れる。
タルキウスは身体を反転させて、視線を自分の後ろへと向けた。
そこにはリウィアとフェルディアスの姿がある。
「というわけだからリウィア、作戦通り宜しくね」
「は、はい。ですが、本当に大丈夫なんですか?」
心配そうな表情でタルキウスを見つめるリウィア。
「大丈夫! 俺は強いからッ!」
そう言って満面の笑みをリウィアに向ける。
「い、いえ、そういう話では、」
リウィアは何か言いたい事がある様子だが、彼女が言葉を言い切る前にタルキウスはフェルディアスに声を掛ける。
「フェル、リウィアの事をちゃんと守ってくれよ」
「へ、了解! って僕はタルキウスの警士のはずなんだけどなぁ」
本来、護衛対象のはずのタルキウスから、リウィアを守るよう指示を出された事に多少の違和感を覚えるフェルディアス。
今のフェルディアスは、下着一枚の状態で小さな身体で鍛え上げられた筋肉を露わにし、その上から真っ赤なマントを纏っている。
防具の類は、前腕には籠手を、足には脛当てを付けている程度だった。その手にはカプアでの戦いでも用いた棘付き金棒が握られている。
これはフェルディアスの故郷、スパルタの標準兵装であり、フェルディアスが最も戦うのに慣れた格好だった。
スパルタでは鍛え上げた鋼の肉体があれば、重たいだけの鎧や兜など不要という考えがある事から、エルトリアの軍団兵と違って鎧や兜と言った重装備は身に付けていないなど、やや特徴的な姿ではあるが、スパルタの戦士は世界最強とも名高い戦闘能力を披露して各国から畏怖と畏敬の念を抱かれている。
因みに、首には奴隷の証である首輪はしっかりと嵌められているのだが、両足の自由を制限している足枷もフェルディアスの強い希望があってそのままになっていた。
一方、エルトリア軍と対峙する奴隷軍の最前列に立つガリア人剣闘士のクリクススは、感知魔法で敵軍の中にかつてローマのコロッセオで対戦した少年と同じ魔力を感じ取った。
「間違いない。あの敵軍の中に黄金王はいる」
クリクススの隣に立つレティシアは、彼の言葉を聞いて小さくほくそ笑む。
「敵の数はせいぜい一千。これなら楽勝ね」
「……」
クリクススは何か不満そうな視線をレティシアに送る。
それに気付いたレティシアはそっぽを向きながら何か、と問う。
「妹の事は良かったのか?」
「ええ。良いのよ。私の生きる意味は、もうあの子しかいないんだから。たとえあの子から恨まれる事になったとしても、私はやっぱり。……あの子に生きていてほしいのよ」
今、この奴隷軍にパルタティアの姿は無い。
エルトリアとの戦いを望み、ローマへ進軍して囮を務めるレティシアの部隊二万。アルプス越えを目指し、非戦闘員とそれを護衛する部隊三万。ここへ至る直前に、この二つに奴隷軍は分かれた。
その際、パルタティアはレティシアと共にローマへ向かうと主張するのだが、レティシアを聞き入れずに彼女を気絶させてアルプス越えを目指す部隊に連れて行かせていた。
「悪い姉よね。私の我儘に振り回して」
「妹を思っての事なら、それも良いのではないか」
クリクススの言葉を聞いたレティシアは、意外そうな顔をして視線を彼へと移す。
「珍しく優しい言葉を掛けてくれるのね。……それはそうと、あなたは良かったの? そもそもアルプス越えはあなたの提案だったのに」
「この戦いには多くの同胞が参加している。彼等を残して俺だけ逃げるわけにはいかんさ」
「律儀な事ね」
「お互いにな」
二人は互いに微笑み合うと、そこへ一騎の騎馬がエルトリア軍の方から駆けてきた。
レティシアはすぐに戦闘準備の指示を出すが、その騎馬は「戦闘の意思は無い!」と宣言をする。
「タルキウス王の使者として奴隷軍の首領に話がある!」
「へえ。何かしら!? 言っておくけど、つまらない話だったら、返答にあなたの首を送りつけるわよ」
鋭い殺気を秘めた視線を使者に送るレティシア。
「……へ、陛下は、奴隷軍の首領と会って話がしたいとの仰せだ。場所は両軍の中間地点。随員は共に二人まで」
「へえ。面白い提案ね」
レティシアはこれに応じる意向を示した。黄金王がどんな人物なのか見てみたいし、自分にどんな話をするつもりでいるのか興味があったからだ。
しかし、銀髪の女剣士アーティカはレティシアに用心を促す。
「注意すべきです。黄金王はあなたをおびき出して抹殺する気かもしれませんよ」
「だったら返り討ちにしてやるまでよ。随員は二人までって話だったし、アーティカ、私の護衛に付いてきなさい。もう一人は、」
「俺が行こう。俺は防御魔法にはそれなりに自信がある。いざという時が守ってやる」
レティシアが指名する前にクリクススがそう言った。
「あら。頼もしいわね。黄金王と会った事があるのはあなただけだし、本人確認もついでにお願いしようかしら」
◆◇◆◇◆
タルキウスの要望に応えて、レティシア、アーティカ、クリクススの三人は軍勢より先行して、エルトリア軍との中間地点までやって来た。
少しして、エルトリア軍の方からも、タルキウス、フェルディアス、ウォレヌスの三人が現れた。
タルキウスの姿を最初に見た時、レティシアは絶句した。
「あ、あなた、何でここにいるのよ!?」
「ん? お前、黄金王と会った事があるのか?」
クリクススが不思議そうに問う。
「お、黄金王? この子が? え? 何よそれ?」
レティシアにとって目の前の少年は、カプア市役所に忍び込んでいたところを捕らえて剣闘士として地下闘技会に送り込んだ子だった。その正体が黄金王という事実をこのような場で突き付けられて、彼女の頭は理解が追い付かなかった。
そんなレティシアにタルキウスは、カプアでは見せた事がないくらい尊大な笑みを浮かべる。
「この黄金王に対して、何だその無礼な態度は。余はお前のような小娘など見た事もない」
「え? ……あぁ、そういう事、ね」
まだ全てを納得できたわけではない。しかし、今は悠長に混乱などしていられるような状況ではないと、ひとまず強引に自分を納得させた。
タルキウスは続いてクリクススに視線を向けた。
「久しいな、クリクスス。奴隷軍の中にお前の魔力反応がある事には気付いていたが、まさかここで再会する事になろうとはな。という事は、余の臣下になるという話は白紙で良いのだな?」
「せっかくのお誘いだったが、まあ、そういう事だ」
クリクススの話が終わった所で、レティシアはタルキウスに本題に入るように促す。
「そろそろ本題に入りなさいよ。一体何で私達を呼び出したの?」
「取引だよ」
「取引ですって?」
「そうだ。降伏しろ。そうすれば、首謀者以外は助けてやる」
まさかの提案にレティシア達は驚く。しかし、彼女達の答えは決まっていた。
「丁重にお断りするわ。降伏したら、また奴隷に逆戻りなんでしょ。だったら、ここで止めるわけにはいかないし、その理由も無い」
「勝ち目があるとでも思っているのか?」
「それはこっちの台詞よ。私達はそっちの約十倍もいるのを分かっているのかした?」
「十倍だろうと百倍だろうと、余の前では何の意味も無い。さっさと降伏した方が身のためだと思うがな」
「くどいわ! 私達の決意は変わりはしない!」
「……そうか。では仕方がない。戦うしかないな」
「最初から分かってるくせに」
これを最後に両者は振り返ってそれぞれの軍勢の下へと戻っていく。
 




