広がる反乱
「それで、これから僕達はどうする?」
闘技場内にいる反乱剣闘士の制圧を終えたフェルディアスが問う。
「……今、どういう状況になっているか分かるか?」
今のタルキウスには、現状がほとんど見えていないというのが正直な所であり、判断材料があまりにも少なかったのだ。
「ご、ごめんよ。闘技場で反乱が起きたって聞いて、ここまで突っ走って来ちゃったから、僕もよく把握できてないんだ」
申し訳無さそうに言うフェルディアス。
「いや。別に謝る事じゃないよ。そういえば、フェルは何でここに来たんだ? 予定より到着が早過ぎないか?」
タルキウスのカプア行幸は、三日目の最終日という予定で、カプアへの到着も明日の正午頃という事になっているはずだった。
タルキウスに扮したフェルディアスが国王直属部隊の親衛隊を引き連れてカプアに来るという段取りなのだが。
「リウィアさんから、タルキウスが行方不明になったって連絡を受けてね。それでマエケナス様がカプアで何か起きてる可能性が高いって判断をして僕等を送ったわけ」
タルキウスはなるほどな、と納得する。
「流石はマエケナスだ。いつもながら良い判断をしてくれる」
マエケナスの意図とは異なるだろうが、予定の前倒しは結果として正解だった。
反乱が起きた直後に、現場へフェルディアスと親衛隊が駆け付けてくれたのだから。
「今頃、闘技場の外にウァリニウス様が来てるはずだけど合流する?」
フェルディアスがそう提案する。彼が口にしたウァリニウスとは、マエケナスやグラベルと同じエルトリアの法務官である。
「ウァリニウスが来てるのか?」
タルキウスは妙に不満そうな顔をした。
「う、うん。僕と護衛の親衛隊五百人を率いてね」
「ちッ! マエケナスの奴、もっとまともな人選をしろよな」
小声で不満を漏らすタルキウス。
なぜ彼がそこまで嫌そうな態度をするかと言えば、ウァリニウスはグラベルと同じように選民意識が強い割に大した能力も無い男だったからだ。
名誉欲や出世欲が強いが、それに見合う実力が無い。現場に来ても迷惑なだけだろう。
ただ、権力や権威に弱いというのがグラベルとは違う所で、国王として権勢を振るうタルキウスには従順な姿勢を見せている人物だった。
その点で言えばタルキウスとしてはグラベルよりは扱いやすい男と言えるだろう。
とは言え、なぜマエケナスが、指揮官に彼を選んだのか、タルキウスには見当もつかない。
「まあ、こうしていても仕方ないし、ウァリニウスと合流するか」
タルキウスはそう言って歩き出す。
フェルディアスとリウィアもそれに続き、闘技場を後にした。
闘技場の外の広場では、フェルディアスの言っていた通り、ウァリニウスが陣を構えて、親衛隊の兵士とウァリニウス個人の私兵がその周りを固めていた。
「あ! 陛下!」
部下と話をしていたウァリニウスは、不意にタルキウスの姿を視界に捉えると一目散に駆け寄る。
因みに、闘技場から出るタイミングでフェルディアスが話していた事だが、ウァリニウスはタルキウスがお忍びでカプアに先行していた事とその間はフェルディアスが影武者を務めていた事を承知しているらしい。
「ご無事なご尊顔を拝見でき、大変嬉しく思います、陛下」
タルキウスの前で跪いたウァリニウスは首を垂れる。
外見からして三十歳くらいの彼は、背が高く立派な体格をしており、若々しい容貌をした男性だった。
「早速報告をしてもらおうか。状況はどうなっている?」
「は、はい! どうやらこの一件の首謀者は、かなり前から周到な準備を進めていたらしく、カプアの各地で暴動が起きており、今はそれを一つ一つ鎮圧しているところであります」
「ふむ。で、首謀者の所在は掴めているのか?」
「……いえ。それどころか、闘技場から逃亡したと思われる反乱奴隷の多くが行方不明となっております。おそらくは混乱のどさくさに紛れて、既に町の外へ出たものと」
その時だった。ウァリニウスが築いた陣に二羽の鳩が降り立つ。
これはただの鳩ではない。神々の伝令使メルクリウスを祀る、王都ローマのメルクリウス神殿にて開発・育成された使い魔・伝書鳩である。
魔法によって人為的な操作を受けた鳩で、長い時間を掛けて覚えさせた人間の魔力反応を感知してそこを目指して飛翔する。その背には通信文を入れた筒を背負っており、エルトリアには長距離通信手段として重宝されている。
エルトリア以外の国でも導入する国は増えつつあるが、伝書鳩を育成・飼育するのには大規模な設備と高度な技術を要した。そのため、誰でも簡単にというわけにもいかず、導入できる国は大国に限られる。
その伝書鳩が運んできた通信文を兵士の一人が確認してウァリニウスに報告する。
「報告します! ネアポリス及びポンペイでも奴隷反乱発生! 両市の戦力だけでは鎮圧は困難であるとの事です!」
「ネアポリスとポンペイでもだと!?」
ウァリニウスが声を思わず上げる。
その影でタルキウスも舌打ちをした。ネアポリスとポンペイはどちらもカプアと違って海に面しており、大きな港を構えている。
つまり奴隷を運ぶ奴隷船も多く入港しているのだ。反乱奴隷が奴隷船を襲って同胞を解放するような事態になれば、敵は大きく戦力を増大してしまうだろう。
そしてこれはおそらく偶然起きた反乱ではない。レティシア・バティアトゥスが裏で糸を引いているに違いない。根拠は無いが、そんな気がタルキウスはしたのだ。
「どうやら一刻の猶予も無さそうだな。すぐにも鎮圧しなければ、」
「お待ち下さい、陛下」
タルキウスの言葉を遮ってウァリニウスが口を開く。
そのあまりの勢いに、タルキウスは思わず圧倒されてしまう。
「な、何だ?」
「この場は私にお任せになって陛下はローマへお戻り下さい。たかが奴隷反乱如きに陛下が動かれるまでもありません。それに、これを機にカルタゴやパルティアが動くやもしれません。いや、それどころか奴等が背後にいる可能性もあります。これだけの規模の反乱ですから」
「あ、あぁ」
タルキウスはやや驚いた様子を見せる。ウァリニウスが妙に真面な進言をしてくるので、意表を突かれたような気分になったのだ。
一時はウァリニウスの勢いに押されるも、改めて思案を巡らせた後、彼の案を是とした。
反乱の規模は、タルキウスが思ったよりも広範囲で根が深い。今の戦力で反乱を鎮圧する事を不可能だと考えてはいないが、時間が掛かり過ぎる。これ以上、長期に渡ってローマを空けるというのは、カルタゴやパルティアといった国外の敵に対して隙を晒してしまう事になる。
今現在、エルトリアは、カルタゴやパルティアと戦争をしてはいない。しかし、隙あらばいつでもその喉元に噛みつく機会を、お互いに窺っているのだ。
こうなった以上、もうレティシアやパルタティアを救う事はできない。タルキウスにできるのはせめて自分の手で殺す事くらいだ。そう思っていたタルキウスだが、どうやらそれすら許されない状況になりつつあるのだと自覚した。
「余はローマへ戻る。ウァリニウス、ここはお前に任せるぞ」
「はい! お任せ下さいませ!」
そう言うウァリニウスは、心の中でほくそ笑む。
彼は何の二心も無しに、自ら奴隷討伐を買って出たわけではない。これだけの規模の反乱を、今の手勢だけで鎮圧するという功績を立てる事で今後の栄達に繋げようと考えていたのだ。
先ほど受けた報告によれば、先発していたグラベル法務官がこの反乱で死去したという。単なる奴隷反乱でもエルトリアの法務官が殺された事件ともなれば、王国政府や元老院の注目度は大きく変わってくる。
ウァリニウスは、グラベルとは同じ貴族であり、同僚の法務官であり、決して不仲というわけではなかったが、自らの栄達に役立つのならと、彼の死を心の中で喜ぶのだった。




