少年王の奴隷戦士
二人が抱き締め合ってお互いの存在を確かめ合っているその時。
地下の収容所からアリーナへと続く出入り口から反乱剣闘士およそ十人が新たに姿を現した。
彼等は闘技場の地下深くにて闘技場で働いていた番兵などと戦っていたために先ほどのタルキウスの黄金と雷魔法による感電から難を逃れたのだ。地下にいた番兵達を全員殺し尽くしたので、こうして地上へ上がってきたのだろう。
「な、何だ、こりゃ?」
「一体何があったんだ?」
アリーナの今の状況は、とても普通とは言い難い。十四本もの神器による攻撃でアリーナのほぼ四割近くが木っ端微塵に消し飛んで、砂の下にある地下施設がむき出しになっている。そして辺りにはタルキウスが出して操っていた黄金が、まるで瓦礫の山のような状態で放置されていた。
「おい! 見てみろ! あそこにエルトリアの女とガキがいるぞ!」
「おお! とっ捕まえて女をじっくり味わってから、ガキは虐めて遊んでからぶっ殺してやろうぜ!」
「この場に居合わせた不運を呪うんだな!」
反乱剣闘士達は下品な笑い声をしながら走ってタルキウスとリウィアを襲おうとする。
それを見たタルキウスは、雷霆の杖を右手で握り締めると立ち上がってリウィアの前に立つ。彼の力であれば、反乱剣闘士が例え十人二十人いたとしても脅威にはなりえない。
「不運か。そうだな。俺がこの場にいた不運を呪うと良いさ」
タルキウスは不敵な笑みを浮かべながら、自分達に向かってくる反乱剣闘士達を見据える。
その時、両者のほぼ中間地点に当たる砂上に、高速で何かが落下してきた。
突然起きた轟音と共に、辺りに砂埃が巻き起こる。
タルキウスは己の身体でリウィアを砂埃から守り、剣闘士達は駆ける足を止めてその場に静止した。
次第に砂埃が晴れてくると、そこには砂上に突き刺さる一本の金棒がそびえ立っている。
多くの棘が生えているその金棒は、とても一人では持ち上げられないほど重そうで、もし一発でもその金棒で殴られれば頭は容易く砕け散るだろう。尤もこの重たい金棒を振れる者がいればの話だが。
しかし、この金棒は空から降ってきた。つまり、誰かがここへと投げ込んだという事。
「こ、これは……」
タルキウスは、突如現れた金棒に心当たりがある様子だった。
そして感知魔法で周囲の魔力反応を全て探知した後、すぐに後ろへと振り返って上を見上げる。
彼の視線の先には、観客席の上に立つ一人の少年の姿があった。
背丈はタルキウスとほぼ同じくらいで、髪もタルキウスと同じ黒色。その頭には純金で作られた月桂冠をつけている。身体には黒いトゥニカに、赤紫の生地に金色の縁飾りをしたトーガを纏っている。そのトーガはエルトリア国王のみが着用を許された格式の高いトーガだった。本来、タルキウス以外の人間が着る事などありえないものなのだ。
その少年は、観客席の上から高らかに宣言する。
「余は黄金王タルキウス・エルトリウス! 反乱奴隷達、これ以上の、って、た、タルキウス!? 何でこんな所に!?」
自らを黄金王タルキウスと名乗った少年は、アリーナにタルキウスの姿があるのを澄んだ青色の瞳で捉えて、慌てた様子で声を上げた。
それに対して本物のタルキウスは、無邪気に手を振って応える。
「よぉ! フェル! 影武者の役目ご苦労!」
「ご苦労、じゃないよ! 急にローマを出ていったかと思えば、行方不明になったって言うし、とっても心配してたんだからね!」
フェルと呼ばれた少年は、観客からアリーナへと飛び降り、タルキウスとリウィアの下まで駆ける。
その間に頭に被っていた黒髪の鬘を脱ぎ捨て、本来の地毛であるふわふわとした金髪が露わになった。少年の金髪は、日の光に照らされて眩い輝きを放つ。
頬を膨らませてご立腹の様子だったが、タルキウスはそれを誤魔化そうとするかのようにけらけら笑う。
「あはは。まさかフェルが来てくれるなんて驚いたよ」
「驚いたのはこっちだよ」
タルキウスと親し気に話すこの少年の名は、フェルディアス。
タルキウスに仕えている奴隷少年だ。奴隷と言ってもタルキウスとは同い年の十一歳で、タルキウスは彼を大切な友人として扱っている。タルキウスがローマを留守にしている間は、背丈が同じフェルディアスがタルキウスに変装して影武者の役目を担っていた。
「何でここにいるのさ? しかもその恰好は何だい?」
「まあ、色々とあってな。後でちゃんと話すよ。それより、ちょうど良かった。フェル、服を脱げ」
「え? な、何を言い出すんだよ、急に!?」
フェルディアスは頬を赤くして動揺する。
「だって俺は見ての通りこんな格好だし。ちょうど俺の服を持ってきてくれたのならちょうど良いじゃないか」
タルキウスはまるで悪戯っ子のように笑う。
“こんな格好”という割には、腰に手を当てて堂々と己の裸体を晒しているが。
フェルディアスは溜息を吐く。
「タルキウスには何でもしまっておける便利な宝箱があるんだから、服の予備くらいちゃんと用意しておきなよ」
「あはは。入れたつもりだったんだけどな~」
後頭部を右手でポリポリ掻きながら笑って誤魔化すタルキウス。それは主人と奴隷の会話とは程遠く、対等な関係性が窺えるやり取りだった。
フェルディアスの言う便利な宝箱とは、天の無限蔵の事である。天の無限蔵に収納できるのは金塊や神器だけではない。本来、日用品や衣服など様々な物を入れていく事ができるのだ。
フェルディアスは仕方ないなぁと小言を良いながら主人の言う通りに着ている服を脱ぎだして、それをタルキウスに渡していく。
「ほら。これで良いだろ」
タルキウスのように腰布一枚のみになったフェルディアスがそう言う。
露わになったフェルディアスの裸体は、その温厚そうで優し気な容姿とは裏腹に、タルキウスよりも筋肉質な身体つきをしている。日々よく鍛錬されている事が分かるその裸体は綺麗な白い肌も合わさって、一流の彫刻師が作った全身像のような美しさすら感じられた。
「まだ一枚残ってるぞ」
タルキウスが茶化す。
にたにたと笑いながら言うその言葉が冗談なのは、傍にいるリウィアにはすぐに分かったが、フェルディアスは「これは流石に良いだろ!」と恥ずかしそうに抗議の声を上げる。彼もタルキウスの冗談を真に受けているわけではないのだが、元々真面目な性格な事もあって、つい素直に身体が反応してしまっていた。
「ったく。フェルは相変わらず冗談が通じないな」
フェルディアスから受け取った衣服をリウィアに手伝ってもらいながら着ていくタルキウスは、楽しそうに言った。
タルキウスは、自分の冗談に一々真面目に反応してくれるフェルディアスが面白くて仕方がなく、いつもついおちょくりたくなってしまうのだ。
「タルキウス様、あまりフェル君を虐めてはいけませんよ」
タルキウスの着替えを手伝いながら、見かねたリウィアが軽く注意をする。
「い、虐めてなんか無いよ。まったくリウィアは人聞き悪いなぁ~」
タルキウスの反応を見たフェルディアスは、ついつい吹き出してしまう。
「ふふふ。タルキウスは相変わらずリウィアさんに頭が上がらないようだね」
「むッ! そ、そんな事は無いぞ!」
今度はタルキウスが頬を膨らませて機嫌を損ねてしまう。
その時、金棒のさらに向こう側にいる反乱剣闘士およそ十名が痺れを切らせて声を上げた。
「おいお前等!何を呑気にしてやがる!」
「いつまでも俺達を無視してるんじゃねえぞ!」
「舐めやがって、このガキども!」
騒ぎ出した反乱剣闘士達を見て、フェルディアスは着替えの真っ最中のタルキウスに伺いを立てる。
「ねえタルキウス、あいつ等どうする?」
「ん? あぁ、面倒だからフェル、片付けておいて」
軽々と無関心そうに言うタルキウス。
しかし、フェルディアスにとって、それは主人からの命令。決して軽々しく聞く事などできない。フェルディアスは「了解」と呟いた後、砂上を駆けてアリーナに突き刺さる金棒を片手で握り締めると、それを軽々と引き抜いた。
そして自身の体重よりもずっと重量のある金棒を、まるで自分の手足のように自由自在に振り回しながら、反乱剣闘士達に襲い掛かる。
フェルディアスは凄まじい怪力を披露し、金棒で反乱剣闘士を一人、また一人と薙ぎ払っていく。
彼は今でこそタルキウスの奴隷であるが、元は世界最強の戦闘民族とも名高いギリシャの都市国家スパルタの戦士なのだ。しかも、そのスパルタでも高い才能の持ち主でまだ幼いながらも将来を嘱望された戦士だった。そこ等の反乱剣闘士が束になって掛かってもフェルディアスに敵うはずがない。
着替えを終えたタルキウスは、フェルディアスの戦いぶりを見物する。
「あいつ等も気の毒にな。フェルは白兵戦だけなら俺より強いから。あくまで白兵戦、だけは!だけどな」
総合戦闘能力は、言うまでもなくタルキウスの方が上。そう言わんばかりのタルキウスの態度にリウィアは思わず笑ってしまう。
「タルキウス様ったら。わざわざ言わなくても、私はちゃんとわかっていますよ。タルキウス様が誰よりもお強いという事は」
「ふふんッ!」
リウィアに最強だと認めてもらえた。そう思ったタルキウスは無邪気に笑う。
「あ、あの~。人を戦わせておいて、何二人でいちゃいちゃしてるのさ」
「「え?」」
タルキウスとリウィアが声のする方に目をやると、呆れたように目を細めているフェルディアスの姿があった。
「あ、あれ? フェル、もう終わったの?」
「終わったよ!」
そう言うフェルディアスの後ろには、彼に叩きのめされて地に伏している反乱剣闘士達の姿があった。




