パルタティアの思い
タルキウスがパルタティアの姉の正体について一人の人物を脳裏に浮かべた。
しかしパルタティアは、強引なやり方で話題を逸らす。
「さあ! この話はここまで。さっきまでずっと動いていたのなら、お腹空いたんじゃない?」
「え? い、言われてみれば、確かに腹は減ったけど」
タルキウスが思い出したように空腹感を覚えた時、それに呼応するようにタルキウスのお腹もグゥ~と音を立てて空腹を訴えた。
「なら、ちょうど良かった。パンを持ってきたの。焼きたてじゃないから、そんなに美味しくないかもしれないけど」
そう言いながら、パルタティアは右手に握る鍵で檻を開けて独房の中へと入った。
パルタティアは、左腕の肘に掛けている籠の中からパンを一つ取り出してタルキウスに渡す。
「あ、ありがとよ」
真剣な話よりも自分の食欲を満たす事を優先させたタルキウス。
自身の食い意地は承知していたつもりだったが、こんな状況でも食べる事を優先させてしまう自分がタルキウスは急に恥ずかしくなった。
それでも受け取ったパンを、タルキウスはすごい勢いで食べ始めた。
しかし、そのパンを食べ切ってすぐだった。タルキウスは急に強烈な眠気に襲われる。
「あ、あれ?」
パンを食べた途端に急激な睡魔に襲われたタルキウスは、身体をふらふらとさせるも、両手を地面に付けて四つん這いになり、今にも眠りに落ちてしまいそうな身体を必死に起こし続ける。
その様子を見ていたパルタティアは、申し訳無さそうな視線をタルキウスに送る。
「ごめんなさいね。今のパンには睡眠薬が仕込んであったのよ。丸一日は目を覚まさないわ」
「え? な、何で」
「私達、明日になったらもう二度とここへは戻って来ないから。檻の鍵も開けておくから。タルはここから逃げて」
「ど、どういう事だよ?」
バティアトゥス養成所がグラベルやティティアヌスと結託して自分の暗殺を図ろうとしている事は承知しているタルキウスは、重く圧し掛かり、瞼を閉じようとする睡魔に必死に抗いながら問う。
「私達は明日、反乱を起こすわ。そしてそのどさくさに紛れて故郷へ逃げるのよ」
「……お、黄金、王を、殺すんじゃ、無かったのか?」
「あれはティティアヌスやグラベルを利用するためにご主人様がついた嘘よ。混乱を作るのに、必要な奴隷と逃走に必要なお金を手に入れるために。元々そういう計画だったのよ。ご主人様は黄金王を殺すつもりなんて無い。反乱は私達が脱走するための時間稼ぎなの」
「……」
「だから、私達はもうここへは戻って来ないの。あなたを巻き込みたくはないから、混乱がひとまず収まるまでここで大人しく寝てて」
「お、お前、死ぬ気なのか?」
思いも寄らないタルキウスの問いにパルタティアは動揺した。
「え? な、何言ってるの? 言ったでしょ。私達はこれから脱走するって」
強烈な睡魔に襲われて朦朧とする意識を必死に保ちながらタルキウスは叫ぶ。
「嘘だ! 逃げ出すだけにしては、いくら何でも大掛かり過ぎる。パルタティアの言っている事は不自然なんだよ」
「……」
「お前、奴隷にされた恨みでも晴らそうってのか?」
「……お姉ちゃんがね。どうしても許せないって言うの。復讐を果たせないと、もう故郷に帰っても平穏になんて暮らせないって。だから私は、お姉ちゃんの願いを叶えてあげたいの!」
これまで見た事がないほど感情を露わにするパルタティア。その様子から、彼女が如何に本気かという事がタルキウスには痛いほど伝わった。
だが、どれだけ剣闘士を集めて反乱を起こしてもエルトリアの軍事力で勝てるはずもないという事をタルキウスはよく知っている。やはり、ここで力ずくでも止めなければと睡魔に襲われて意識が朦朧とする中でも考えた。
「……」
「あなたの事は巻き込まないであげるって言ってるんだから、ここで大人しく寝ててよ!」
「目の前に死にに行こうとしてる奴がいるのに、寝てなんかいられるか!」
タルキウスがその台詞を言い終えるのと同時に、パルタティアの身体を赤紫色の魔力が包み込む。“ディオニュソスの秘技”という奴だ。
パルタティアが両手を上に突き出すと、左右の手から一本ずつ赤紫色の魔力で生成された強靭な鎖が出現する。鎖は天井に先端が天井に当たると方向転換しながら進み、独房のあちこちにまるで蜘蛛の巣のように張り巡らされた。
そして最後にはタルキウスの右手首に巻き付いた。ここまでの一連の鎖の動きをタルキウスはその黒い瞳で完璧に捉えていた。無論、自分の右手首に巻き付こうとした鎖の動きもだ。しかしなぜかタルキウスはそれを避けようともしない。
鎖は次に左手首に巻き付き、パルタティアが右手の鎖を引っ張ると、タルキウスの両腕を天井へと引っ張ってY字状に宙吊りにした。
次いで今度はタルキウスの両足首にそれぞれ鎖が巻き付いて足を開かされ、X字のような姿勢にされてしまう。
このまま睡眠薬の効果で意識を失うまで拘束しておこう。パルタティアはそう考えた。
しかし次の瞬間、タルキウスは右腕に少し力を入れて鎖を引っ張ると、鎖はその力に耐え切れずに千切れてバラバラに砕け散る。
「う、嘘?」
パルタティアは驚きのあまり目を見開いた。
彼女の作る魔力の鎖は、本物の鎖を超える強度を持つ。彼女の故郷では、獰猛な猛獣を捕えたりするのにも使用される程だった。それを魔法による補助も無しに、ただ腕力だけで引き千切ったのだ。それはタルキウスの胸に刻まれている魔法刻印が何の反応もしていない事から間違いない。タルキウスの小さな身体、細い腕の一体どこにそんな力があるというのか。
「……やっぱりタル、市役所で戦った時は本気じゃなかったのね。でも」
「くぅ」
睡眠薬の効力に耐え切れなくなり、タルキウスはその場に倒れ込み、そのまま意識を失ってしまう。
「ごめんね、タル」
タルキウスに謝罪しつつ、パルタティアはタルキウスの前でしゃがみ込むと彼の前髪をそっと撫でた。




