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レティシアの暗躍

 闘技会初日を明日に控えた夜。

 カプア市内では、前夜祭が行われてもう祭り本番のような賑わいを見せている。

 そんな中、カプア市長ウィテリウスは明日の闘技会に出場する剣闘士を確認しておくために、自らの邸にレティシア・バティアトゥスとバティアトゥス養成所の精鋭剣闘士十名を呼び寄せていた。

 邸の中庭に、首輪と腰布一枚のみのほぼ半裸状態の剣闘士十名が横一列に並び、その鍛え上げられた肉体を披露している。


「ほほぉ。実に素晴らしい剣闘士だ。私は剣闘試合によく精通しているわけではないが、ここにいる皆が素晴らしいという事は素人目でもよく分かる。それにこの娘、君の自慢の剣闘士。彼女には期待しているぞ」

 ウィテリウスが視線を向けたのは、十名の剣闘士の中で最も若く、女性の奴隷だった。男性剣闘士と違って腰布以外にも胸に一枚の布を巻いている。紫色の髪をした少女の名はパルタティア。公にはしていないが、レティシアの実妹である。

 彼女の実力はバティアトゥス養成所でも随一であり、カプア最強とも言われるほどの強さを誇っていた。最近になって活躍するようになったという事もあってまだまだ知名度は低いが、いずれはローマのコロッセオでもその実力を披露できるだろうとカプア市民の誰もが思っている。


「市長のご期待に沿えるよう、彼女も私も全力を尽くす所存です」


「うむ。陛下がお越しになる三日目の闘技会は勿論の事だが、一日目と二日目の闘技会も市民の不満を発散させる大切な催しなのだ」


 今回の剣闘試合は、単に黄金王をもてなすだけが目的ではない。それだけなら、わざわざ三日間も闘技会を開催する必要は無い。黄金王が来る三日目だけ開催すれば良いとなってしまう。

 財政難で困窮を深めつつある市民の不満を解消させ、新たな産業政策を起こす際の原動力に繋げるためだった。黄金王の援助を受けて戦車競技場キルクスの建造が決まれば、多くの建築労働者と彼等の作業道具や建築のための石材を手配する商人が必要になる。これを職を失った者達に提供する事で、失業者救済を実現する事も目的の一つなのだ。


「この剣闘士は妙に肌艶が良いし、髪も綺麗に手入れされているな」

 ウィテリウスが気になったその奴隷は、他の者とは違って褐色の肌をしている。照明に照らされた腰まで届く銀髪は神々しい輝きを放つ。

 それは奴隷ではなく、まるで貴族の令嬢のようにウィテリウスには見えた。


「流石は市長。お目が高いですね。その奴隷はシリアの部族長の娘だった者です。それもかなりの有力部族の。かなり値が張りましたが、それに見合う実力の持ち主です。それにその美しい美貌で観客の心も虜とするでしょう。あの黄金王の御心も」


「それは望み薄というものだ。何しろ陛下は御年十一歳だ。優秀な御方らしいが、女性の色香は流石に分かるまい。それはともかく、この娘、名は何と言うのか?」


「アーティカです。因みに歳は二十歳。もしお気に召しましたら、今夜は、」


 レティシアの言葉を遮ってウィテリウスが口を開く。

「いや。そのような気遣いは無用だ。皆、明日は命懸けの試合を披露するのだからな。今夜は早く休ませてやるべきだろう」


「最後の夜になるかもしれません。彼女に一夜の楽しみを与えるのも高貴な方の慈悲というものではありませんか?」


「であれば、もっと若く、顔の良い男を宛がってやれ。こんな太った老人ではなくてな。ははは」

 そう言ってウィテリウスは軽快に笑う。

 それを見たレティシアもウィテリウスに合わせて共に笑った。


「それにしても、まさか君がこの数年でこれほどの興行師ラニスタになるとは正直思わなかったぞ。あの汚い奴隷だった君が、まさかここまでの人物になるとは」


「これも市長の手厚い後援があればこそです」


 レティシアとウィテリウスの関係は、彼女がまだバティアトゥス養成所に買われた奴隷だった頃から始まっていた。ウィテリウスは影から彼女が解放奴隷となり、バティアトゥス養成所を乗っ取れるように細やかながらサポートをしていたのだ。

 しかし、ウィテリウスが彼女にそこまで肩入れしたのは、富や名誉のためではない。


「ところでだ、レティシア。彼女達は明日の試合があるが、君はどうだね?」

 ウィテリウスはややぎこちない口調で話し掛ける。


「私の身体は常に市長の物です。市長のお気に召すままに」

 レティシアは両手でウィテリウスの身体に触れる。


「ふふふ。君は相変わらず口が上手いな。……うわッ!」

 自分の身体に触れているレティシアの手に、自分の手を添えてそのまま身体をレティシアに密着させようとするウィテリウス。

 しかし次の瞬間、レティシアは目にも止まらぬ速さでウィテリウスの身体を投げ飛ばし、床へと叩き付けた。

 仰向けに床に倒れ込むウィテリウスの腹の上にレティシアは座り、それを合図に十名の奴隷達が腰にウィテリウスとレティシアを取り囲む。まるでウィテリウスの逃げ道を塞ぐかのように。


「な、れ、レティシア、一体何の真似だ?」

 何がどうなっているのか分からず、ウィテリウスは動揺する。


「ふふふ。悪いんだけど、あなたの役目は終わったのよ。これまでの恩として命は取らないであげるから、大人しく私の言う通りにしなさい」

 レティシアは悪意に満ちた笑みで、ウィテリウスを見下ろした。



◆◇◆◇◆



─カプアの郊外・バティアトゥス養成所─

 レティシアやパルタティアなど養成所の顔とも言える面々が出払った養成所は静かなものだった。そんな養成所の普段誰も出入りしない区画に設けられている独房の中では、特にする事もないタルキウスが腕立て伏せをしていた。

 その回数が一万回に達しようかとしていた頃にパルタティアがタルキウスの牢の前に現れた。


「ん? こんな時間までどこ行ってたんだ?」

 動きを止めず腕立て伏せをしたたた鉄格子の向こう側にいるパルタティアに問う。


「ちょっとね。それよりあなた、私が外出する前から腕立て伏せやってたでしょ。まさかずっと休みなくやってたんじゃないでしょうね?」


 パルタティアの言葉を聞いたタルキウスは腕立て伏せを止めてひょいッと立ち上がり、両手を腰に当てる。

「そんなわけないだろ。途中で何度か休んでるよ。でも、おかげでこの刻印がある状態でもだいぶ身体を動かすのが楽になったよ。もう魔力でこの刻印が反応する事なく猛獣の一頭や二頭くらい簡単にぶっ飛ばしてやれる」


「そんな事をしてどうするの? まさかここで剣闘士になる気?」


「さてね。どうだろうな」

 タルキウスはニタニタと悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

 その顔を見て、パルタティアは小さく微笑んだ。

「ふふふ。魔力を封じられた上、檻の中に入れられてよくそんな顔ができるね」


「ところで、一体どこへ行ってたんだ?」

 真剣な表情を浮かべるタルキウスが問う。


「別に。タルには関係無いわ」


「ふ~ん。そっか。俺はてっきり反乱の準備に行ったのかと思ったぜ」


「……」

 反乱の準備、とタルキウスが言った瞬間、パルタティアの身体がほんの僅かに反応した。

 そして、その微かな動きをタルキウスはしっかりと捉えていた。


「なあ、パルタティア、エルトリアに反乱を起こして本当に勝てると思ってるのか? そんな事よりも遠くにいるっていう姉ちゃんを探す方を優先させた方が良いと思うぞ。俺も手伝うからよ!」


 タルキウスの言葉を聞いたパルタティアはクスッと笑う。

「ふふ。ありがとう。タルは優しいのね。でも良いの。私はもう引き返すつもりはないから」


「やけになっても姉ちゃんは戻ってなんかこないんだぞ。余計遠のくだけだ。反乱なんて無謀な事をしようとしてる主人になんてついて行ってたら、パルタティアもエルトリアに潰されちまうぞ」


「私はご主人様にどこまでもついて行くって決めてるから」


「そこまで義理立てする必要があるのか? いくら奴隷だからって」


 奴隷制度を当然の物として公認しているエルトリア王国の王としては、正直複雑な心境だった。奴隷に主人を裏切るようにと説得している。その行為自体が、既にエルトリアの支配体制を否定するようなものだったからだ。しかし、その主人が王国に反乱を企てているとなると話は変わってくる。

 主人を裏切った奴隷にはどんな理由があろうと死刑に加えて可能な限りの厳罰を下すというのがエルトリアの法であるが、タルキウスは国王の権限を最大限利用してパルタティアの生命と安全を保障すると内心で決意しているのだ。


「ご主人様はただの主人じゃないから。あの人は……」

 何かを言い掛けたパルタティアは、自分の唇を噛み締めてその言葉を堪える。


「あの人は、何だよ?」


「な、何でも無いわ」


 鉄格子の向こうに見えるパルタティアの目に薄っすらと涙が浮かんでいるのがタルキウスには確かに見えた。

「……もしかして、お前の主人って、」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 良い場面でした。最後のパルタティアの悲壮な覚悟も良かったですが。レティシアのウィテリウスの命までは取らないという甘さ?が暗示的でした。タルキウスの言うとおりかな、と思いつつも、進むしかない…
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