リウィアの奮闘
タルキウスがリウィアの下から離れて三日目の朝。
タルキウスが戻るまで宿から離れない。という約束をタルキウスとしているリウィアは、タルキウスを心配する気持ちを抑えながら宿に留まり続けていた。
そんな中、目を覚ましたリウィアは、タルキウスから貰った金鷲の首飾りが自分の首から無くなっている事に気付いた。
タルキウスが自分を思って用意してくれた首飾りを、リウィアは文字通り片時も離れずに身に付けていた。それが無くなっている事にリウィアは動揺して、ベッドから飛び起きる。
急いで部屋中を探そうとするも、首飾りは机の上に置いてあるのをすぐに発見し、リウィアは安堵の息を漏らす。しかし、よく見ると、金鷲の右半分がまるで溶けたように消えており、そのすぐ横にエルトリアの文字で『バティアトゥス養成所』の名前が金色で描かれている。金鷲の右半分の形状を糸状に変化させて机の上に文字を描いたのだ。
その後にも何かを書こうとした形跡はあるものの、読み取れるのはここまでだった。
こんな芸当ができるのは、この金に魔力を込め、金を自由自在に操る能力を持つタルキウスくらいだろう。
「バティアトゥス養成所。タルキウス様は、今はここにいるという事なのかしら?」
養成所の名前だけという、あまりにも少な過ぎる情報に、リウィアはタルキウスが一体何を求めているのか判断しかねる。
しかし、このような形でコンタクトを取ってきたという事は、タルキウスが自分の下へ戻れない状態にあるというのは間違いない。そう考えたリウィアは宿から飛び出し、このバティアトゥス養成所について調査を行う事にした。
まずはローマにてタルキウスの留守を預かるマエケナス法務官にこの事を伝えるための使いを送り、自らは町に出てカプア市民に対して聞き取り調査を始める。
三日前にタルキウスと共に観光して回った、カプアの公共広場に繰り出す。
バティアトゥス養成所は、カプアでも有数の剣闘士団だったらしく、情報はすんなりと集まった。
公共広場の市場で果物屋を営む店主からは丁寧な説明を聞く事ができた。
「あそこも数年前まではどこにでもありそうなちんけな剣闘士団だったんだがな。今の興行師レティシア・バティアトゥスがトップになってからはみるみるうちに成長して、今じゃティティアヌス副市長を後援者に付けるくらいだ。まだ十八歳だってのに大したもんだよ」
「十八歳? それに女性の興行師なんて珍しいですね」
「それにも色々と事情があるのよ、お嬢ちゃん」
「そのお話、詳しく聞かせてもらえませんか!?」
「構わないぜ。お嬢さん、美人だからな。はははッ!」
四十歳くらいの中年男性の店主は、そう言って豪快に笑う。
そこからほんの少し離れた場所で、嫁が仕事をしながら鋭い視線を向けているのにも気付かずに。
「今の興行師レティシアは、元々トラキアから連れてこられた奴隷だったのさ。今から十年くらい前だったかな。最初は生意気な子供だったんだがよ。これがかなりの商才の持ち主でな。あっという間に先代の興行師レントゥルス・バティアトゥスの右腕になっちまった」
「随分とお詳しいんですね」
「この町じゃあ有名な話さ。それに俺の店はバティアトゥスの邸にも果物の商売で出入りしているからな。……そんでよ。レティシアのおかげでバティアトゥス養成所はあっという間にカプア有数の剣闘士団になって、その恩賞としてレティシアは奴隷から解放されて自由の身になったんだ。ところがそれから少しして、レントゥルスが急な病に倒れちまったのさ。だがレントゥルスには養成所を継ぐ子供がいなかった。不運な事に少し前に事故に会ってな。そこでレントゥルスは死の間際にレティシアを養子にして、養成所を継がせたんだ」
「んん。何だか少し胡散臭いお話ですね」
「はははッ! まあ無理もない。商売の才能があるって事はそれなりに知恵が回るって事だ。そんな奴が奴隷から解放された途端に、元主人の養子になって元主人の全てを手に入れた。確かに話が出来過ぎてる。だが、俺も流石に真相までは分からん」
「……」
タルキウスがバティアトゥス養成所の名を示した事とこの話は関係があるのか無いのか。リウィアは考えを巡らせた。
奴隷としてカプアへ連れて来られたのだとしたらエルトリアに恨みを持ち復讐を目論んでも不思議は無い。
ましてわずか数年足らずで奴隷から興行師にまで成り上がった人物だ。増長してその勢いに身を任せて大それた野望を抱く事もあるかもしれない。
いずれにせよ。今のままではまだ情報は不充分と言わざるを得ない。
「レティシアの事が知りたいなら、直接会って来たらどうだ?」
「え? あ、会えるんですか?」
「ああ。と言ってもあの娘が頻繁に出入りしている場所を知っているというだけだから、絶対に会えるとは限らんけどな」
「構いません! 教えて下さい!」
食い下がるリウィアを見て、店主は小さく笑みを浮かべる。
「教えるのは構わないが、タダってわけにはいかねえな。可愛いお嬢ちゃんに免じてさっき話した事のは無料で良いが、流石にこれ以上はな~」
店主の話を聞いたリウィアは迷わず、財布を取り出してセステルティウス銅貨4枚を店主に差し出した。
「これで教えて頂けますか?」
「え? ちょ、こんなにくれるのか?」
「ええ。構いません」
「……いや~。参ったな。こんなに貰っちゃあ話さないわけにもいかねえな。レティシアは最近、奴隷市場に頻繁に出入りしてるって話だ」
「奴隷市場に、ですか?」
「ああ。まあ興行師だからな。剣闘士の素質がある奴隷を見つけて買うために奴隷市場に行くのは別に普通の事なんだけどよ。最近はどうも実戦経験のある元兵士を片っ端に買い集めているらしい。もうじき黄金王がこのカプアに行幸なさるだろ。そこで開かれる闘技会で大規模な合戦を模した剣闘試合でも開く気なんじゃないかって専らの噂だよ」
「元兵士を片っ端に……。分かりました。ありがとうございます!」
嫌な予感を覚えたリウィアはとにかく一度行ってみようと考えて、すぐに奴隷市場へと向かう事にした。
「あ。ちょっと待ちな! これ持っていきな!」
店主はそう言って店頭に並んでいる果物の中からよく熟した赤いリンゴを手に取ってリウィアに渡した。
「え? い、良いんですか?」
「ああ。お嬢ちゃんには儲けさせてもらったからな。そのお礼だよ」
「ありがとうございます! では失礼します!」
リウィアは一礼して小走りでその場を立ち去る。
店主は、そんな彼女が視界から消えるまでニヤケ顔でリウィアの背中を見送る。
すると背後から嫁が凄まじい剣幕で店主の頭を引っ叩いた。
「イテッ! 何するんだよ、お前!」
「何、鼻の下伸ばしてるんだい! 良い大人が見っともない!」
「な! あ、あんな美人と話してたら、男は誰だってそうなるんだよ!」
「まったく。もう良いから、奥から新しい果物を持ってきな。こっちの棚はもう全部完売したよ」
「え? い、いつの間に?」
「あんたがあの娘と話し込んでいる間だよ。おら、いつまでもサボってないで、さっさと行きな!」
「へいへい」
そう言って店主は、店の奥へと姿を消す。
◆◇◆◇◆
─カプアの郊外・バティアトゥス養成所─
ここの独房に入れられているタルキウスは、特にする事もないので静かにごろ寝していた。
「リウィア、今頃どうしてるかな?」
リウィアの身が心配でならないタルキウスは、険しい表情をしながら天井を見上げている。
昨夜、大量の大麦で胃袋を満たしたタルキウスは、奴隷刻印による痛みに耐えながら、魔力を総動員してリウィアにメッセージを送ろうと試みた。しかし、その途中で痛みのせいで集中力を切らせてしまい、文章が途中になってしまったのだ。
「バティアトゥス養成所に潜伏してるから、安心して宿で待っててねって送ろうと思ったんだけど、一体どこまで書けたのかもよく分からないんだよな。やっぱり離れた場所にある黄金を操るのは難しいや」
リウィアに渡した黄金には、タルキウスの膨大な魔力が宿っており、それ単体でリウィアに迫った危険から彼女の身を守る機能が付与されている。しかし、遠隔操作して操ろうとすれば、尋常ではない程の集中力と魔力を要した。奴隷刻印でうまく魔力が練れず、激痛に苛まれながら行うのはかなり難しかったのだ。
「リウィア、ちゃんと大人しく待っててくれてるかな?」




