過酷な試合
小熊に扮したタルキウスと三人の奴隷剣闘士が闘技場のリングに立つ。
「ではこれより野人と野獣による戦いを始める!!」
審判のその声を以って試合が開始。周りを囲む大勢の観客達は、獣のように感情剥き出しの声を飛ばす。
「ぶっ殺せ!」
「血を撒き散らせ!」
タルキウスはすぐには動かずに身構えて相手の出方を見る。
本来なら、大した敵ではないのだが、今はあまりにもハンデが多すぎる。
封印魔法の刻印で魔法がろくに使えないどころか、身体に少し力を入れて体内の魔力がざわつく程度に動いただけでも身体を蝕む苦痛が発生するのだ。
しかも、纏っている熊は北方の雪山に生息するとされる貴重な熊で、その皮膚は寒さから身を守るために分厚く頑丈になっている。
この闘技会で使われるような古びた半端な剣なら、下手な切り込みを防ぐくらいはできるかもしれない。
それは防具になるとしてレティシアがタルキウスに贈った慈悲だったので良いのだが、問題は防御力に比例してかなりの重量があるという点だ。
ここのアリーナは狭く、三人を相手にするのは手狭だった。ただでさえ空腹と喉の渇きに苛まれている状態で、重い防具は足枷にしかならない。
その上、タルキウスは丸腰で、相手は武器を手にしている。質と量のどちらを取ってもタルキウスが不利と言わざるを得ない。
しかし唯一の救いは、対戦相手がちゃんとした訓練を受けていないほぼ素人という所だ。おそらく剣闘士としてろくに戦えず、彼等の興行師も処分に困ってこの地下闘技場で使い捨てようと考えたのだろう。
タルキウスは幼少期の訓練で、剣術など武器の扱いについても徹底的に叩きこまれている。本人が剣よりも魔法を選んだために彼が剣技を披露する時はほぼ無いが、当時の教官からはその実力を高く評価されていた程だった。
「うおおおおおおッ!」
三人いる奴隷剣闘士の一人が、野人らしく獣のような雄叫びを上げて、狭いアリーナの中を駆ける。
足の速さと気迫は戦士として申し分ない。しかし、踏み込みは浅く、剣の構えも隙だらけだ。
「まるで猪だな」
タルキウスは迫り来る奴隷剣闘士が振り下ろす剣を、横にするりと動いて避ける。
力任せに剣を振った反動で、奴隷剣闘士の動きに一瞬だけ隙が生じた。その隙を逃さずにタルキウスは背後からその奴隷剣闘士を蹴飛ばしてリングから突き落とし場外にする。
タルキウスの見事な身のこなしと強さに観客は歓声を上げるが、残る二人の奴隷剣闘士は怒りを覚えたらしく二人で連携してタルキウスに襲い掛かる。そして場外になり、リングの周りを囲う観客の海へと落ちた奴隷剣闘士もリングに舞い戻り、再びタルキウスに剣を向けた。この地下闘技場では、地上の剣闘試合のように場外も降参も許されない。敗北は即ち死を意味するのだ。
今のでタルキウスが単なる子供ではないと悟ったのか、三人ともタルキウスを囲うように広がって相互に連携をしながら攻め立てる。
しかし、タルキウスから見れば、全員素人の剣技でしかなかった。
容易に三方向から同時に攻めてくる攻撃を全て見切り、一本の剣が自分に向かって突き刺さろうとした瞬間に、タルキウスは地を蹴って宙高くに飛び上がる。
それに吊られて客の視線が一斉に上を向く中、獲物が空中へと消えた事で目標を失った剣はその先にいた同胞の身体を貫いた。
「ぐはッ!」
腹を剣で貫かれた奴隷剣闘士は口から大量の血を吐き出し、後ろへと倒れ込んで息絶える。
彼が吐いたその血は、彼を刺した奴隷剣闘士の目に入って彼の視界を遮ってしまう。
ちょうどそこへ空中から重力に身を任せて降りてきたタルキウスが、彼の顔面を蹴り飛ばした。
「このガキが!!」
残った最後の奴隷剣闘士が、一人が背後からタルキウスに斬りかかる。
タルキウスは倒れて死んでいる剣闘士の腹に刺さった剣を抜き取って、自分に振りかかる斬撃を受け止めた。そして小さな身体からは想像もできない凄まじい腕力で、相手を後ろへ弾き飛ばす。
相手が姿勢を崩した隙に、タルキウスはその身の丈に合わない剣で相手の腹を横一線に斬り付けた。
切り裂かれた箇所からは血が噴き出し、そのまま倒れ込んで息絶えた。
「くそ! よくも俺の仲間を!!」
先ほど目に血が付いて視界を遮られた奴隷剣闘士は、目に付いた血を腕で拭って仲間の仇を討とうと力の限り地を駆けて剣を振る。
タルキウスは振り下ろされた剣を避けると、相手の懐近くにまで迫り、左手で握り拳を作って強烈な一撃を相手の腹にお見舞いした。
「かはッ!」
激しい衝撃が全身を駆け抜け、奴隷剣闘士は意識を失ってその場に倒れる。
そして右手に握る剣の先を、気絶する相手の首に突き付けた。
「「殺せ! 殺せ! 殺せ!」」
観客が口を揃えて、狂気に満ちた声を上げる。
地上の試合であれば、健闘した剣闘士には主催者が助命を許すという慈悲も与えられたが、地下闘技場には敗者の掛ける慈悲など存在しない。
「……ちッ!」
既に意識も無い敵の止めを刺す事に嫌悪感を抱くも、この場は観客の声に従うしかない。そう思ったタルキウスは舌打ちをした後、剣を下ろしてその先にある奴隷の首を斬り落とす。
その瞬間、これまでで最高の歓声が地下闘技場を包み込む。
「やったー!! 勝ったー! これで大儲けよ!」
観客の歓声に合わせて、タルキウスに多額の予算を賭けていたレティシアも彼等に負けない歓喜の声を上げた。
この試合は、タルキウスに圧倒的に不利だった事もあり、タルキウスへの賭け金は五倍になって返ってくる。異常な喜び様も当然と言えよう。
しかしその一方で、彼女の横に立つグラベルは苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「おのれぇ、しぶといガキ! ……おい。レティシア、あのガキをもう一度戦わせろ」
「え? で、ですが、」
「口答えするな! 勿論、無償でとは言わん。百セステルティウス払おう。次の試合に出せ」
「次は無理です。もう試合の組み合わせが決まっているので」
「では空いている枠に奴を全て出場させるよう手配しろ! 一試合毎に百セステルティウス払ってやる」
「ひ、一試合毎に、百セステルティウスですと!」
大金を得た今となっては百セステルティウスは端金だが、蓄財に余念が無いレティシアを目を輝かせて承知し、すぐに手続きに向かう。
その様子を横から見ていたティティアヌスは、グラベルに恐る恐る伺いを立てる。
「なぜそこまで、リングの上で始末する事に拘るのですか? あいつの命はもうあなた様の手の中。わざわざ労せずとも殺す方法はいくらでもあるでしょうに」
「お前のような田舎者に話す必要は無い」
「……」
事ある毎に自分を田舎者と罵るグラベルに、ティティアヌスは次第に苛立ちを募らせる。
グラベルの策謀によってタルキウスは、血で血を洗う残虐な試合を連続で、何度も何度も挑まされる事になる。
いくら相手が弱いとはいえ、何重にもハンデを負わされた状態での連戦は、タルキウスから体力を奪い、徐々に衰弱させていく。
しかし、そんな事よりもタルキウスには、本来なら百人だろうが千人だろうが余裕で戦えるであろう相手に、僅かにでも手こずる事に不満を感じずにはいられなかった。タルキウスは決して驕っているわけではないが、自分の実力にそれなりに自信を持っている。それ故に、ハンデを負わされたとはいえ苦戦を強いられている自分が情けなく、そんな自分に苛立ちを覚えずにはいられなかった。
だが、タルキウスのそんな葛藤は関係無しに試合は続けられる。
どれだけタルキウスが連戦連勝を重ねても、身体の衰弱は避けられない。喉の渇きで集中力が途切れたり、空腹で足元がふらついたりとする場面もしばしばあったが、それでもタルキウスは勝ち続けて今日の試合を全て勝ち切った。
次第にタルキウスは小熊の毛皮を纏っている事から審判から「小熊」というあだ名が付けらた。素性を伏せた上で参加し、特にこれという名も無い状態だったため、見たそのままのあだ名が付くのは自然な流れである。
最後の試合では、闘技場は小熊の名を観客達が何度も連呼して一躍人気者になってしまう始末だった。
そしてレティシアも今日、地下闘技場に集まった富の大半を奪ったのではと言われるほど大儲けしたのだった。




