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地下闘技場

 タルキウスが独房に繋がれて二日目の朝を迎えた。

 昨日は丸一日、誰一人として独房に足を運ぶ者はいなかった。つまり鉄枷で身体の自由を封じられたタルキウスは昨日、何も食べていないし、何も飲んでいない。

 タルキウスのお腹は定期的に空腹を訴えて音を鳴らし、喉の渇きも感じずにはいられない。

 そしてタルキウスの足元には彼の身体から排出された汚物が垂れ流し状態で放置されている。タルキウスとしては空腹や喉の渇きよりもむしろこの惨めな状態から来る屈辱と羞恥の方が身に応えていた。


 目をじっと閉じて微動だにしないタルキウスの胸では、X状の毒々しい刻印が活性化しているかのように点滅している。

 ろくに食事も貰えず、貴重な体力を無駄にするのは避けねばならない状況だったのだが、この忌々しい呪縛を何とか解く事はできないか、できないのであればこの状態でも魔法を使えるようにできないかを昨夜からずっと寝ずに試行錯誤していた。

 徹夜で解明できたのは、魔力消費の少ない簡単な魔法であれば発動が可能という事。しかし通常の数倍の魔力消費量が要求され、さらに激痛のおまけ付きだが。


 鎖に繋がれてまるで独房の一部に同化しているかのように動かないタルキウスの身体は汗まみれになっている。身体を伝って流れ落ちた汗は、足元の汚物と合わさって強烈な刺激臭を放つ。しかし、その苦痛にも臭いにも耐えながら、タルキウスは魔力を練り続ける。


 今タルキウスがしているのは感知魔法である。それでカプアの町中の宿にいるリウィアの魔力を感じ取っていた。

 彼女の安否が心配でならなかったからだが、何よりもタルキウスはリウィアの顔を脳裏に浮かべ、彼女の声を思い出し、彼女の魔力を感じると、力が湧いてくるのだ。どんな苦痛や屈辱に陥ろうとも、リウィアの存在はタルキウスにとって何よりの慰めだった。


 リウィアの魔力反応はいつも暖かで優しく包み込んでくれるような感覚をタルキウスにもたらした。

 しかし今は少し様子が違う。リウィアの魔力反応はややざわついた雰囲気を放っている。感知魔法は熟練者であれば、感知対象者の精神状態などが魔力の若干の変化からある程度把握できるようになる。

 タルキウスもリウィアの場合に限定されるが、この高等テクニックを扱えるようになりつつあったのだ。


 どうやらリウィアは落ち着かない様子らしい。それも無理はない。タルキウスが日を二つ跨いでも戻らないのだ。

 しかし、それでもその場を離れないというタルキウスとの約束を守っているのか、そこからは極力離れないようにしているようである。


 タルキウスがリウィアの魔力を感じている最中、独房の鍵を開ける音がタルキウスの耳を撫でる。

 閉じていた目をゆっくりと開けると、タルキウスの視界に現れたのは興行師ラニスタのレティシア・バティアトゥスだった。

「今日、あなたには地下闘技会に出てもらうわ。既に闘技会への主催者には話を通して、出場登録も済ませてある」


「……だ、だったら、何か食わせろよ」

 力の無い声で強がるタルキウス。


「それはできない。グラベル法務官の命令だからな。どういうわけか、法務官はどうしてもお前を闘技場の砂の上で死なせたいらしい」

 勝手に一人で喋り出したレティシア。

 しかし、その言葉のおかげでタルキウスは、レティシアが自分の正体を把握していないのだというのを知る事ができた。


「だが、私はお前をここで剣闘士として使いたいと思っている。そして、その気持ちは現在進行形で高まっている。まだ幼いというのに、丸一日もこの過酷な状況下に置かれて、そんな力強い目ができるのだからな」


「随分と高く買ってくれてるようで」


「地下闘技会の試合は、地上の試合と違ってどちらかが死ぬまで続く。お前が勝ち残るのを期待している」


「あんたの期待に応えるつもりは無いけど、死ぬつもりも無いよ」


「それだけの大口が叩けるなら大丈夫だろう。では行くぞ」


 レティシアがそう言うと、彼の後ろに控えていた二人の奴隷がタルキウスの両脇に移動し、タルキウスから自由を奪っていた鉄枷を外す。丸一日爪先立ちで、万歳をした状態で拘束されていたタルキウスはその場に崩れ落ちる。


「休んでいる暇は無いぞ。すぐにも出立する」


 レティシアの奴隷達は、タルキウスの両手と両足をそれぞれ護送用の手枷で拘束した。再び手足の自由を奪われたタルキウスだが、それに抵抗する様子は無い。


 タルキウスは全身の力を抜いてぐったりした様子で、両脇に立つ奴隷達に引きずられるように独房を後にした。



◆◇◆◇◆



─カプアの地下闘技場─

 カプアの都市部の地下に設けられている地下闘技場は、一般的には禁じられているような武器が使用できたり、法外の賭け金で違法賭博ができたりと無法地帯と課している。

 しかし、ここの管理者はティティアヌス副市長に多額の賄賂を贈る事で、地下闘技場の存在を黙認させているのだ。

 闘技場の周りには、ごろつきとしか思えないような柄の悪い観客達が密集しており、試合の興奮による後押しもあるのか、あちこちで喧嘩も起きている。しかし、例え喧嘩が起きようとも、主催者側も周囲の客もそれを止めようとはしない。むしろそれを面白がって観戦していた。


 そんな闘技場に、グラベルが姿を現す。

 勿論、正体がバレないようにマントで身体を隠し、フードで顔を覆っている。そして彼の四方には護衛の兵士が一人ずつ、周囲に溶け込めるようにごろつきの姿に変装して配置されていた。


「これはこれは。よくお越し下さいました。てっきりお越しにはならないかと」

 やや慌てた様子でティティアヌスがグラベルに近寄る。


「私もこのような下賎な所に来たくはなかったさ。だが、あの生意気なガキが嬲り殺しにされる所を拝みたくてな」


「随分とあの少年にご執心のようで」


「別に執心などしていない。それより、レティシアはどこにいる? 私が来たというのに、なぜ挨拶に来ない?」


「賭博に忙しいのでしょう。ここでは法外の額で賭け事ができますから、勝てば大儲けです」


「ふん! 奴の守銭奴ぶりはクラッススにも負けず劣らずだな」

 グラベルは、同じ元老院議員でありながら蓄財に没頭するクラッススに嫌悪感を抱いていた。


「しょせんは卑しい興行師ラニスタですから」


「お前も人の事は言えまい。カプアの田舎者めが」


 グラベルは、レティシアだけでなくティティアヌスの事も見下している。そう思った時、ティティアヌスの中に何とも言えない苛立ちを覚えるが、ここで激昂しては身の破滅だ。

「……せっかくです。法務官も一口買われませんか?」


「んん。では、あのガキの対戦相手に賭けるとしよう」


 そう言ってグラベルが手で軽く合図を出すと、傍にいた奴隷が一礼をしてその場を離れる。



◆◇◆◇◆



 それから少ししてだ。闘技場の上にタルキウスが姿を現した。

 しかしグラベルの出した条件に従い、タルキウスの正体に周りの者が気付かないような格好をさせてだ。


「これより始まりますは! 野蛮な蛮族達と、これまた野蛮な野獣の戦いだ!!」


 闘技場に立つ審判役が、そう高らかに宣言してタルキウスを観客達に紹介する。

 彼が指し示す先にいたタルキウスの姿は正に野蛮な野獣だった。

 子熊の毛皮を全身に纏っているからだ。熊の身体の中に入っていると言った方が似つかわしいかもしれない。

 熊の毛皮を、中の骨や肉を丁寧に剥ぎ取った後、魔法で毛皮の切り目を繋ぎ合わせ、まるで熊の身体から骨と肉だけを取り除いた抜殻ような状態を作り出しているのだ。

 何らかの事情で幼い子供を闘技場で公開処刑にする場合、観客の同情を買わないように汚らわしい獣の衣を纏わせて戦わせる事が多々ある。

 タルキウスの身体は、子熊の抜殻によってすっぽりと覆われ、その視界は熊の口部分から辛うじて確保されている。


 そして、そんなタルキウスと戦うのは北方にてエルトリアに歯向かった蛮族の奴隷三人である。

 タルキウスが武器を持たず丸腰の状態にも関わらず、彼等は剣を手にしていた。


 状況はタルキウスにとってかなり不利であり、観客達も試合ではなく、狩りを見るような感覚で見物している。

 その様には、タルキウスの死を望むグラベルも満足そうにした。


 そんな彼の下にレティシアが駆け寄る。

「これはこれは法務官。よくお越し下さいました。如何でしょう? 法務官のご要望に従い、このような趣向を凝らしてみましたが」


「うむ。悪くない。ローマにもお前のように良き演出のできる者はそう多くないだろう」


「お喜び頂けて何よりです。では、試合を存分にお楽しみ下さい!」

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― 新着の感想 ―
[良い点] タルキウスのピンチが続きますね。どうなってしまうのか。糞尿にまみれながらも頑張る少年王、応援したくなる要素で素敵と思います。 [一言] 試合がどうなるのか。とても楽しみです。
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