潜入
─カプア市役所─
カプア市役所はカプアの行政を取り仕切る施設というだけあってかなり立派な建物だった。
しかし、大国エルトリアの威光もあり、カプアの治安は安定していた事もあってか衛兵の数はそう多くはない。人の目を盗んで役所内に忍び込む事はそう難しくはなかった。
タルキウスは黒い無地のトゥニカの上から真っ黒なマントとフードで全身を覆い、闇夜に紛れながらカプアの町を建物の屋根の上を走りながら進み、衛兵の穴だらけの警備網を潜り抜けて市役所の内部に忍び込む。
今夜は月が雲に隠れており、月明かりが無い分、姿を隠すのは容易だった。
幼い頃から数々の過酷な軍事訓練を父親から課せられてきたタルキウスには、潜入や暗殺の技術なども基礎は叩き込まれていた。
タルキウス本人は基本的は正面から正々堂々と戦う事を好む性格なのに加え、わざわざ姑息な手段を用いずとも余裕で勝利を勝ち取れるだけの実力を持つが故に、学んだ潜入や暗殺の技術が活かされる事はほぼ無かったのだが、こういう時には重宝していたのだ。
目的の部屋は、市長室と資料室の二つ。市長室に行けばウィテリウス市長の思惑の手掛かりが掴める可能性があり、資料室に行けばカプアの町に起きている異変に関する情報が掴めるかもしれないためだ。
タルキウスは気配を殺し、柱をよじ登ったり天井に張り付いたりと高度な潜入技術を披露しながら市役所の中の探索を行う。
その末に、タルキウスは市役所の中庭に出た。
そこでは二人の男性が会話をしている。その様子が気になったタルキウスは足を止めて、彼等に気付かれないように会話を盗み聞きする事にした。
一人は白地に赤紫の縁飾りをしたトーガを纏っている。これは元老院議員や上級政務官などの上流貴族が身に付ける事を許されたトーガだ。少なくともカプアの人間が纏える代物ではない。
「副市長、戦力は予定通りに集まっているのだろうな?」
共にいる男性に問い掛ける声。
その声にタルキウスは聞き覚えがあった。少し考えた後、ちょうど雲で隠れていた月が、雲の切れ目から少しだけ姿を現し、中庭に月明かりが差し込む。
その月明かりに照らされ、声の主の顔がタルキウスの視界に入る。
声の主の正体は、元老院議員にして法務官のダイタス・クラウディウス・グラベルだった。
そして、そのグラベルから“副市長”と呼ばれた、もう一人の男がグラベルの問いに答える。
「カプアに数ある剣闘士団の中で最も信頼できるバディアトゥス養成所に集めさせております。抜かりはありません」
そう答えたのは、カプア副市長ティティアヌス。長身だが、痩せ気味な体型に加えて色白の肌からやや弱々しい印象を受ける五十歳くらいの人物だった。
「宜しい。一週間後の国王行幸時にあの小さい王を闘技場で殺し、我等元老院がエルトリアを支配する」
グラベルの放った言葉に、身を潜めているタルキウスは驚いて口から声が漏れそうになった。
「公衆の面前で奴が死ねば、元老院の老いぼれ共も挙って私達の側に付くだろう」
「それと私を王国の要職に就けるよう御取り計らい下さるというお話もお忘れ無きように」
「分かっておる」
「あぁ、そのお言葉を聞けて安心致しました」
「先日の襲撃計画は失敗してしまった事だしな。お前には期待しているぞ」
「手傷の一つでも負わせられれば、今回の暗殺計画の成功率が上げられる、というお話でしたが、黄金王はまったくの無傷なのですか?」
「ふん! あのガリア人どもめ。あれだけ大口を叩いておきながら何の成果も上げられずにくたばったわ! ……ところでウィテリウス市長にこの事は伝えたのだろうな?」
グラベルの問いに、ティティアヌスは一瞬言葉を詰まらせる。
「…い、いえ。市長はまだ何も知りません」
「何だと? なぜだ? 市長の協力が無ければ、カプアの掌握が難しくなる。黄金王を殺した後、エルトリアを覆うであろう混乱を迅速に終息させるためにもカプアには一丸となって私に従ってもらわねば困る。それに、カプアの財政が傾いた原因は黄金王。その恨みを晴らせるのであれば、ウィテリウス市長も喜んで我等の計画に協力するはずだ」
「……そ、それが、市長は以前より黄金王贔屓で、協力を持ち掛ければ黄金王側に告げ口するかもしれず」
「ふん。市長は人が良く、市民から慕われていると聞いているが、しょせんは下賤な平民に迎合する小さい王の同類か。まあいい。その程度の男であれば、小さい王の骸を目にすれば、あっさりとこちらに味方するだろう」
二人のやり取りを盗み聞きしていたタルキウスは、重要な情報が向こうから勝手に集まっている事に内心で歓喜した。
状況的に考えて2人が嘘を言っている可能性は低く、信頼できる自供によって情報収集を行う。
先日、宮殿に侵入してきた謎のガリア人集団はグラベルが差し向けた刺客だったようだ。
そして、不穏な噂があるとされていたウィテリウス市長は無実らしい。しかし、この噂自体は真っ赤なデタラメというわけではなく、犯人は市長ではなく、副市長ティティアヌスだった。そしてその黒幕にいたのは何かとタルキウスの主張に難癖を付けていた若手議員グラベル。
一週間後に控えたカプア市長主催の闘技会にて、タルキウスを観衆の見守る中で殺害し、元老院中心の支配体制の構築を目論んでいる。
ここでタルキウスは、この構想はグラベルの独創によるものなのか、元老院の総意とまではいかないまでも元老院内に多くの支持者がいるのかが気になった。
そんなタルキウスの疑問に答えるかのように、ティティアヌスがグラベルに対して、元老院の方の首尾は如何ですか、と問う。
「……元老院の老いぼれどもは、怖気づいて私に協力しようとしない。皆、小さい王が怖いのさ。まったくどうしようも無い連中だ」
グラベルは、元老院の面々を思い出しながら不満を漏らす。
どうやら元老院に協力者はいないらしい。しかし、協力を持ち掛けられるも断ったという風であり、彼等はグラベルの叛意を知っていながら故意に隠蔽していた。これは見方によっては立派な共犯行為に当たる。流石に今の状態では証拠不十分だが、マエケナスに命じて調査をさせれば尻尾を掴めるかもしれない。そんな事をタルキウスは考えた。
「ねえ。そこで何してるの?」
突如、背後から聞こえる少女の声。
その声にタルキウスは思わず驚き、すぐに後ろを振り返る。




