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カプアの町

 カプアは、イタリア南部のカンパニア地方で最も栄えている都市で、人口三十万を誇る大都市である。

 白亜の神殿や邸、闘技場などが立ち並ぶその様は、黄金都市ローマとはまた違った感動を訪れた旅人に与えるだろう。


 この町はエルトリアの貴族や資産家の別荘地として昔から栄えてきた地であり、ここを訪れた貴族達が不自由しないように産業が発展してきた。

 例えば、カプアの名産として有名な葡萄酒ワインやバラもカプアへやって来た貴族が満足できるように栽培が始まった。


 今では貴族・平民を問わず人気がある剣闘試合も主産業の一つで、カプアの郊外には幾つもの剣闘士団ファミリア・グラディアトリアが養成所を構えて剣闘士の育成に励んでいる。


 そんなカプアの町の中心に位置する公共広場フォルム。カプアの市役所や裁判所、集会場、神殿などの公共施設や列柱廊で取り囲まれたこの広場には今、旅人の姿に扮したタルキウスとリウィアの姿があった。


「うわぁ、すごい賑わいだねぇ」


「ここがカプア最大の市場のようですからね」


 二人がいるのは、この公共広場フォルムの一角にある中央市場。多くの商店が軒を連ねて、空いたスペースでは町の外からやって来た行商人が露店を開いている。

 その中を二人は呑気に観光気分で歩いていた。


 なぜ国王たる者が護衛も付けずに都から離れた地で観光を楽しんでいるかと言えば、理由は簡単だ。二人はお忍びでこのカプアへやって来たためである。

 タルキウスが招待された闘技会は開催されるのは一週間後で、本来の予定よりも六日早くカプアを訪れたのだ。


 ローマにはタルキウスと同じ背丈をした奴隷を影武者に立て、政務はマエケナス等に任せて、誰にも気付かれないように護衛も付けずに二人だけで出立した。

 わざわざこのような行為に出たのは、カプアに関する不審な知らせの真相をタルキウス自ら探るためである。


 とはいえ今の二人は一介の旅人。町に着くと、まずは宿を探してそれからはカプア観光を堪能していた。


「ねえリウィア! 次はあっちの店に行ってみようよ!」


「分かりましたから、少し落ち着いて下さい」


 タルキウスはその小さな手でリウィアの手を引き、色々な店を見て回る。

 正体がバレない様に身体をマントで覆い、顔もフードで隠しながら。尤も黄金王がこんな場所にいるとは誰も思ってはいないだろうし、この無邪気に楽しむ子供が黄金王だと誰も思うはずが無い。仮に素顔を見られたとしても大丈夫だろうが。


 宮殿の中で世界最高峰の物に日々囲まれているタルキウスにとって、ここで見る物は取るに足らない物だろうが、宮殿の中では見られない庶民の物や国外から輸入された珍しい品は好奇心旺盛なタルキウスの心を掴むのには充分だった。


 ここへ来た当初はこんな遊び歩いていて良いのかと思うリウィアだったが、楽しそうに笑うタルキウスを見ている内にまあいいか、と納得してしまった。


 市場を回っていると、タルキウスは甘く香ばしい香りを嗅ぎつけた。

 その香りを辿った先にあったのは、バクラヴァと呼ばれる東方の大国パルティアより伝わったパイを販売している東方人のパイ屋さんだった。

 蜂蜜や薔薇水が加わったシロップを掛けた甘く人気のあるパイである。


「ねえ、あれ食べてみようよ!」


「もうタル、……本当に食いしん坊さんなんですから」


 いくら正体がバレる危険性が少ないと言っても、“タルキウス”と名前で呼ぶのは流石にリスクが高い。という事でリウィアはタルキウスの名を呼ばないようにした。


「……さ! すごい行列が出来てるから早く並ぼ!」

 理屈では分かっていても、名前で呼んでもらえない事に少し寂しさを感じつつ、タルキウスは彼女の手を取ってパイ屋さんの行列に加わる。

 しばらく行列を並んだ後、待ちに待った順番がようやく回ってきた。タルキウスはもう我慢の限界なのか口から涎を垂らし、店の前に立つ。


「ん? 二人は旅の人か?」

 店から顔を出した店員は白髪の初老男性だった。褐色の肌からして東方から来た人間だろう。

 彼はタルキウスとリウィアの服装から、そう予想したのだが、若い女性に、まだ小さな男の子という組み合わせに疑問を抱いたらしい。


「え、ええ。まだ他にも連れがいるんですけど、途中ではぐれてしまって」


「ほお。そうだったのか。この町は広いし、人も多いからな。一度はぐれちまうと探し出すのは中々大変だぞ」


「そ、そのようですね」


 店員はリウィアからタルキウスに視線を移す。

「坊主、男なんだから姉ちゃんをしっかりと守ってやんなよ。こういう所にはタチの悪い輩も大勢いるからな」


「うん! もしリウィアに手を出そうとする奴がいたら、俺がボコボコにしてやるよ!」


「おお。頼もしい坊主だな! んじゃ、一つおまけに付けてやるよ!」

 タルキウスは至って本気で答えたのだが、店員は子供の言う事と本気にはしていないらしい。

 それでも、バクラヴァを1つおまけしてくれた事にタルキウスは素直に喜ぶ。

「え?良いの! おじさん、ありがとう!!」


 店を後にしたタルキウスとリウィアは、それぞれバクラヴァを食べながらカプアの町を歩き回る。

 しばらく歩いた後、リウィアはタルキウスの表情が少し険しくなっているのに気付いた。

「あの、どうかしたんですか?」


「いや。一見賑やかな町だけど、よく目を凝らしてみると、全てうまく行ってるってわけでもなさそうだなって思ってさ」


「どういう事ですか?」


「所々に閉店している店や閉鎖された施設がある。きっと経営難で維持できなくなって畳んじまったんだろうな。それが一軒や二軒じゃない所を見ると、町全体の景気を揺るがす何かがあったみたいだ」


「え? そ、そうだったんですか? 全然気が付かなかったです」

 流石はタルキウス様だ、とリウィアは内心で感心する。無邪気に遊び回る姿を見ているとつい忘れてしまうが、リウィアは知っていた。タルキウスはまだ十一歳という幼さながらに大人も顔負けするくらい頭が良いという事を。ただ観光しているだけに見えて、実は細かな所にまで目を配っていた。



◆◇◆◇◆



─カプア市役所─

 タルキウスとリウィアが観光しているカプアの公共広場フォルムを構成する建築物の一つにして、最大規模を誇る施設。その施設の一室には、とても精巧に作られている戦車競技場キルクスの模型を見ている二人の人影がある。


「どうだね。素晴らしい戦車競技場キルクスだろう」

 そう自慢気に模型を披露するのは白髪に白い髭を蓄えた六十歳くらいの老人だった。彼の名はウィテリウス。このカプアを治める市長である。身体は丸く膨らんだ太り気味の体型をしており、その見た目から情けなさを感じる者も多いが、ウィテリウスはその温厚で気前の良い人柄から、市民からは高い支持を集めている人物だった。


「ええ。正にこのカプアに相応しい戦車競技場キルクスですね」

 そう言うのは十八歳かそれに僅かに満たない位の外見をした女性。紫色をした髪は、緩く波を打ちながら腰まで伸びている。それは艶やかでさぞかし丁寧に手入れがされているのだと分かる。その美しい髪の下にある顔はやや童顔ではあるが、男を誘惑するのに充分な美貌を持つ。

 そしてその容姿と合わせて男の欲望に火を付けるのが衣服の中に納まっていても強い存在感を示す巨乳である。

 この美貌と巨乳を併せ持つ彼女の名は、レティシア・バティアトゥス。このカプアで剣闘士団ファミリア・グラディアトリアを経営する興行師ラニスタの一人だ。そしてカプア唯一の女性興行師(ラニスタ)だった。


「この戦車競技場キルクスを建設するためには、何としても黄金王からの資金援助を得ねばならん。傾きつつあるカプアの経済を立て直すためには、町の目玉となる建築物が必要なのだ。戦車競走と君等の剣闘試合があれば、市外からも多くの客をカプアに集める事が叶う」


「市長の尊い構想にご協力できる事は幸せの限りです。微力ながらお力添え致します」


「今度の剣闘試合も期待しているぞ。陛下にご満足頂き、競技場建設の援助を取り付けるのだ」


「それはお任せ下さい。私の養成所の剣闘士は一流揃いです。必ず国王陛下をご満足させる試合を披露してご覧に入れましょう」

 戦争捕虜や奴隷市場で売られている奴隷を買い、志願する自由民を募集し、彼等を剣闘士へと訓練して育てる剣闘士養成所を持ち、育て上げた剣闘士を闘技場へと解き放つ。剣闘士団ファミリア・グラディアトリアはそれを商売にして成り立っている。剣闘試合が人々に好評な見世物であるため、政治家や資産家が剣闘士団ファミリア・グラディアトリアの後援者となるのは珍しくない。人気のある剣闘士団ファミリア・グラディアトリアの後援者となれば民衆からも好感を持たれるからである。

 カプア市長ウィテリウスとレティシアの関係は正にそれだった。

 ウィテリウスは、レティシアが経営するバティアトゥス養成所の後援者となっているのだ。

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