闇よりの刺客
黄金大宮殿の西側に築かれたエルトリアの政治・経済の中心地“フォルム・ロマヌム”の周りは、ローマの一等地として貴族や資産家が邸を構えている。
元老院議員にして法務官ダイタス・クラウディウス・グラベルは、そんな邸の一つに住んでいる。
今年三十歳になるグラベルは、時に元老院議員として演説を行なって政治手腕を振るったりし、時に将軍としてトラキアの蛮族を征伐した彼だが、元老院議員としても将軍としても決して有能な人物とは言えなかった。
そんな彼が活躍できたのはクラウディウス本家の援助があればこそ。それでもグラベルは順調にキャリアを積み重ねていった。神々の末裔至上主義を掲げる先代国王トリウス王の政策によって、実力よりも血筋が優先されたからだ。遠縁とはいえ、名門クラウディウス家の人間は地位と富の両方を欲しいままにできた。
しかし彼の栄光は、トリウス王の死とタルキウス王の即位によって終焉を迎えた。
元老院は実権の無い名ばかりの機関と成り下がった事により、議員という職の価値は著しく低下し、能力主義的なタルキウスがグラベルを将軍に任じる事も無くなった。
今のグラベルは、過去の栄光の余熱だけで生きていると言っていい有様である。
「遂に時は来た。あのクソガキを殺して、エルトリアを本来あるべき姿に戻す時が」
グラベルは、窓の向こう側に見える、夜空に浮かぶ月を眺めながら、銀製のグラスを手に取ってその器に注がれた葡萄酒を一気に飲み干して、そう呟く。
そんな彼の前には、身体を黒いマントで覆い、顔を黒い布で隠した、怪しげな集団がいた。目元など最低限の場所以外は完全に黒い布で全身が覆われているため、彼等の素顔どころか性別すら判別は不可能である。
「グラベル様、最後に確認しておくが、本当に黄金王を殺しても構わんのだな」
彼等の中で唯一、顔を布で覆っていない、五十代半ばくらいの厳つい顔立ちをし、本来左目があるべき場所は黒い眼帯で覆われている。
「ああ、勿論だ。あのクソガキを殺すために危ない橋を渡ってお前達をこのローマへと引き入れたのだからな。報酬とリスクに見合うだけの働きはしてもらわねば困る。だが、本当にあのクソガキを殺せるのだろうな?あいつは気に入らないが、その実力は本物だぞ」
「心配するな。我等はオエノマウス傭兵団はガリア最強。その傭兵団の中でも精鋭三十人を揃えたのだ。これだけの戦力があれば、子供一人を殺すなど造作も無い」
そう語るのは、イタリアの北にそびえるアルプス山脈のさらに北に住むガリア人で構成されるオエノマウス傭兵団の団長オエノマウス。
かつてはガリア部族の戦士として、ガリアに侵攻してきたエルトリア軍団と数々の激戦を繰り広げるも、先代エルトリア国王トリウス王がガリアを征服すると一転してエルトリアを商売相手に傭兵稼業に勤しんでいる。
「お前達の腕を見込んで、ここまで手引きしてやったのだ。成果はちゃんと出してもらうぞ。……ッ!!」
オエノマウスは目にも止まらぬ速さで腰の鞘から短剣を取り出し、剣先をグラベルの喉元へと向ける。
「くどいぞ。これ以上ぐだぐだと言うのなら、その喉を切り裂く」
「……」
グラベルは恐怖に顔を歪めながら、ゆっくりと首を縦に振る。
するとオエノマウスは剣を下げて鞘に戻す。
「分かれば良い。では我等はそろそろ行く。吉報を待て」
そう言い残し、オエノマウスと彼の部下達は外へと飛び出し、その黒い装束で夜の闇に溶け込んで姿を眩ませる。
グラベルは彼等を見送ると、少し間を置いて「蛮族風情が調子に乗りおって」と呟いた。
「ふふ。暗殺なんて卑しい仕事を任せるのには蛮族がちょうど良いじゃない」
そう言ってルクレティアは悪意に満ちた笑みを浮かべた。
◆◇◆◇◆
オエノマウス傭兵団は、一旦散り散りになって黄金大宮殿へと向かう。
皆、その姿を闇夜の中に隠して人目から逃れ、凄まじいスピードで移動しているので誰かに気配を悟られる事もない。
やがて彼等は、宮殿を覆う塀の前の、最も警戒の薄いポイントに集結する。この場所に集まったのは偶然ではなく、グラベルからの情報提供があったためだ。
「こりゃすげーや。町中黄金だらけだが、この塀も全部黄金で出来てるぞ」
「ああ。それに高さもすげえ。宮殿の塀というより砦の城壁だな。こんな物が人間に作れるのかよ」
「黄金王なんか無視して、町中の黄金を奪い取って帰った方が良いんじゃないか?」
傭兵団の特に若い衆の中には、この黄金都市ローマの荘厳さに圧倒されて、思わず下心が出てしまう者が現れた。
「バカもん! お前等、それでも戦士か!」
オエノマウスは若い衆を叱り付ける。
「しゅ、首領、声が大きいです。エルトリア人に気付かれてしまいます」
「ん? ああ。そうだな。すまん」
「首領、この塀の向こう側に黄金王はいるんですかい?」
「ああ、グラベルの話ではそうらしい」
「んじゃ、さっさと登って黄金王を殺しに行きましょうぜ」
「待て。エルトリアは魔法道具の研究に力を注ぐ魔導大国だ。この塀にも何らかの仕掛けがあるやもしれん。例えば塀を乗り越えようとする者が現れれば警報が鳴る魔法陣が仕込まれている、とかな」
「……では、どうするんで?」
「ふん。この黄金の塀に穴を開けるのさ。まさかエルトリア人どもも塀に穴を開けて侵入しようとする輩がいるとは思わんだろう」
そう言いながら、オエノマウスは右手の掌に火魔法で炎を生成し、それは魔力によって形を整えられていき、まるで剣のような形状を成す。
そしてそれを勢いよく黄金の塀へと突き刺した。超高温の炎で熱せられ、その場所を中心に黄金は徐々にだが形を歪めていく。
「よし。手応え有りだ。お前等も手伝え。一気に穴を開けるんだ」
彼等は総出で塀の一ヶ所に火力を集中させて、一気に黄金を高熱で溶かしていく。
「よし。行くぞ。続け!」
オエノマウスを先頭に、傭兵団の戦士達は順に宮殿の敷地内へと入る。
皆が中に入る頃、オエノマウスはグラベルから預かった宮殿の地図を確認して、急に舌打ちをする。
「ち! 何て雑な地図だ。まあいい。こっちだな。お前等、付いて来い」
三十人もの人数で同じ場所にじっとしていれば宮殿の衛兵に見つかるリスクが高くなる。
オエノマウスは全員が中に入ったのを確認するとすぐに移動を開始した。
真夜中で、月明かりくらいしか頼りになる灯りが無いと言っていいほど薄暗い黄金大宮殿の庭園。
その中をオエノマウス傭兵団の精鋭三十名が、闇夜に身体を潜ませ、足音一つ立てない俊敏さと身のこなしから彼等の存在に気付く衛兵は一人としていない。
これなら容易に黄金王の寝所を襲えそうだ。オエノマウスがそう考え出したその時だった。
突如、周囲に赤い半透明の魔力でできた壁が四方に出現して、オエノマウス達がいる庭園をすっぽりと覆ってしまう。
「な、何だ!?」
「こいつは、結界魔法か? 何かの罠が作動したのか?」
「い、いや。近くに魔法道具の痕跡は無い」
「つまり敵だ! 周囲を警戒しつつ突き進め! 結界を破るぞ!」
敵に発見された以上、もはや手段を選んではいられない。この場を強行突破で切り抜けて黄金王の命を奪い、すぐにこの宮殿から撤退する。それしか無い。
そうオエノマウスは判断した。
しかしそんな彼の耳に、幼い少年の声が届く。
「どこへ行く? 余に用があったのではないのか?」
「ん?」
オエノマウスは足を止めて声のする方に視線を向ける。
その先には、少し離れた場所に庭園の中にぽつりと立つ黄金の輝き放つ円形のガゼボがある。そしてその上には小柄な黒髪の少年の姿があった。
その少年は腕を組み、オエノマウス達を見下すかのような尊大な態度で見下ろしている。




