マクシムス
聖女裁判を終えたその日の夜。
タルキウスは大鷲の間にマエケナスとマクシムスの二人を呼び出した。
「マエケナス、今日はご苦労であったな。礼を言うぞ」
「勿体なきお言葉、痛み入ります」
マエケナスは静かに頭を下げる。
内心では、まったく面倒事を押し付けてくれたものだな、と不満を零しているのだが、それを一切表に見せない辺りがマエケナスの政治家としての技量の高さを物語っている。
「迷惑ついでに、ドラゴンの襲来で壊れてしまった中央広場の後始末だが、そなたに頼めるか?」
「勿論でございます。陛下の仰せとあらば何なりと」
「よし。手間を掛けるが、頼んだぞ」
「御意。……では、私はこれにて」
マエケナスは一礼すると身体を反転させて、大鷲の間を退出した。
「ところでマクシムス、余に何か言いたい事はあるか?」
タルキウスは視線をマクシムスに向ける。
「陛下に無断で女神の降霊を行なった事は謝罪致します。ですが、女神と言ってもあくまで劣化コピーです。神として権能が震えるわけでもなく、その力は限定的。決して陛下に有害となる事はありますまい」
「よく言う。宮殿の天井を壊されて突然襲われたのだぞ。これで有害で無いとどの口が言う?」
「その程度、陛下のお力の前では微々たるものでしょう。特別問題視する話でもありますまい」
「む! そ、それは……」
「宮殿の修理代はこちらで用意致します故、何卒お許しを」
そう言って一礼するマクシムス。
タルキウスの自尊心を適度に刺激しながら自分のペースに引き込む話術には、長年に渡って神殿勢力の舵取りを担ってきた男の経験が見て取れる。
「ま、まあ良い。で、フリュネは今はクラッススの下に身を寄せているのだな?」
「はい。お望みであれば、陛下のお傍に招くように取り計らいますが、如何なさいますか?」
「無用の気遣いだ。クラッススに任せる。……因みにこれは魔導師として単純に興味で聞くのだが、あれの人格は女神ウェヌスの劣化コピーで相違無いか?」
「厳密に言いますと、女神ウェヌスの劣化コピーと高級娼婦フリュネの魂が混ざり合ってできた人格とでも言いましょうか。女神の降霊は我が神官団の総力を挙げても数十年に一度できるかどうかの代物なので、完全な降霊はまず不可能なのです。その結果、フリュネ本人の人格が残ってそれが混ざり、今の状態に至るというわけです。また、愛の女神と高級娼婦の相性が良かった事も今回の降霊成功の一因でしょう」
「なるほど」
タルキウスも魔導師の一人。自分の知らない神殿の魔法には関心があるようで、興味津々にマクシムスの話を聞いている。
「またフリュネ氏も聖女になりたいという強い野心を抱いていた事が女神降霊の際に女神の魂に屈せずに食らいついた事も一因と思われます」
「そういえば、フリュネは女神の依り代になる事を同意していたのか?」
「はい。聖女になるには女神の力を得るしかないのだと儀式の直前に話しておりました」
「ほお。まあ、結果はともかく本人が同意していたのなら良いか」
「陛下、念のために申し上げますが、私はリウィアを聖女に相応しくないとは考えておりません。ただ、女神ウェヌスが対抗馬になると流石に、」
「分かっている。皆まで言うな」
マクシムスの言葉を遮ったタルキウスはどこか疲れた声で言う。
「……」
「お前への用は済んだ。もう下がって良いぞ」
「はい。では、失礼致します」
マクシムスは一礼して大鷲の間を退出した。
◆◇◆◇◆
─最高神祇官公邸─
自身の邸に戻ったマクシムスは、奴隷によく冷えた水を用意させた。
よほど喉が渇いていたのか、銀のグラスに注がれた水を受け取ると一気に飲み干した。
「お疲れ様でした、マクシムス様」
そう言って邸の奥から姿を見せたのは、薄紫色の長い髪を後ろで一本に纏め、緋色のトーガを身に付けている若い男性だった。
「来ていたのか、クレメンス。君もどうかね? 何なら酒でも用意させるが?」
「いいえ。それには及びません。お気遣いありがとうございます」
彼の名はクレメンス。
マクシムスが自らを補佐させるために設立した“枢機卿団”を束ねる主席枢機卿という地位につく者である。
「今回は残念でしたな。せっかくあのクソガキに痛い目を見せられるチャンスだったものを」
タルキウスは即位してすぐに国の財政難解決のために神殿の財宝を接収した過去がある。
そのため、クレメンスは個人的にタルキウスの事を嫌っていた。
「いいや。これで良いのだ」
「はい? ……それはどういう事でしょうか?」
「クラッススのつまらぬ野心なんぞに付き合うつもりはない」
「ではなぜ、クラッススの思惑に加担されたのです?」
「分からぬか? 我等神殿勢力の存在をアピールするためだ」
「アピール、ですか?」
「そうだ。この国は今、三極化していると言って良い。国王、元老院、そして我等神殿。三つ分かれている内、二つが結んで残る一つを叩くのは定石だ。だが、今の我等にとっては悪手というもの」
「なぜです? 元老院と組んであのクソガキにもっと痛い目を見せてやるべきでは?」
「ふん。お前は若いな」
「え?」
「黄金王の所業は確かに目に余る。だが、実際のところあのぐらいやらねば、この国は内側から滅びていただろう。貴族達によって国益を食い潰されてな。先王は国の富を己の軍団に注ぎ込むために元老院と神殿を懐柔した。だが、その結果はどうだ? 無秩序な軍備拡張と領土拡大。貴族や神官達の豪遊ぶり」
「……」
「仮に黄金王が現れなければ、エルトリアは先王の懐柔策によって強欲になった諸侯によって分裂して内戦状態に陥っていただろう」
「ま、まさか、そんな……」
「違う、と言い切れるかね? 君にも心当たりはあるのではないか?」
「……確かに、当時の神官達の堕落ぶりは私も覚えがあります。ですが、だからと言って黄金王の功績を認めよと?」
「そうは言わぬ。だが、物事は考えようだ。あれだけの所業があったからこそ、乱れていた風紀が正され、今の秩序が維持されている、とな。だからこそ、ワシは黄金王と真っ向から対立するつもりはない。だが、かと言って黄金王に一方的に肩入れするつもりもない」
「元老院と神殿の繋がりが断たれれば、我等の利益が減るからな」
「つまり国王、元老院、そして我等神殿は、適度な距離を保っている今の状態が望ましいと?」
「少なくとも、それが可能な間はな」




