聖女リウィア
エルトリアにおける聖女制度の歴史はそれほど長くない。
タルキウスから遡って四代前の国王、暴虐王ヘリオガルス王がウェスタ神殿の巫女を見初めて自らの妻とした事が起源となっている。
ウェスタ神殿の巫女は処女を守らねばならず、破った場合には処刑となる厳しい戒律があった。
国王と言えども公然とこれを無視するわけにはいかず、ヘリオガルス王は妻にするのではなく、国王に直接仕える神官なのだと説いた。
しかし、ヘリオガルス王はいざその巫女を手元に招くと処女を奪い、毎夜肌を重ね合わせてまるで娼婦のように扱った挙句、一年もしない内に飽きてしまったのか神殿に送り返すという暴挙に出た。
これには元老院や神殿も当初は強く反発したが、次の国王の代になって聖女が国王と神殿の間を繋ぐ橋渡し役になった事で、この“聖女制度”が正式に制度化したのだ。
◆◇◆◇◆
リウィアは宮殿の厨房で、タルキウスの夕食の支度をしながら思い出していた。
タルキウスが国王に即位した直後の事を。
『俺はエルトリアの王になる。でもリウィアを巻き込むわけにはいかない。これは俺の始めた事だから』
そう言ってタルキウスは、当時はまだタルキウスに仕える侍女でしかなかったリウィアを解任して手元から離した。
それはリウィアを不要だと思ったからではない。リウィアを危険から遠ざけておくためなのだとリウィアはよく理解していた。
最初はその思いに負けて、タルキウスの下を離れて実家に戻った時期もあった。
しかし、国王としてのタルキウスの評判を聞く度にリウィアは胸が締め付けられるような思いがしてならなかった。
本来なら無邪気で心優しいタルキウスが一人孤独に戦っている様を想像すると居ても立っても居られなくなったのだ。
幸い、リウィアには活路があった。
王子時代のタルキウスが日々の過酷な訓練や遠征で怪我を負った際に、少しでも力になりたいという思いで学んだ医療魔法だ。
その技量は神殿の巫女長の折り紙付きで第一線で働けるレベルだと評されたほど。
そこでリウィアは神殿の巫女となって修行を積み、最高神祇官マクシムスからの試験に合格して晴れて聖女の称号を得るに至った。
聖女となった彼女がタルキウスと再会を果たした時の事を、リウィアは今でも鮮明に覚えている。
『リウィア、会いたかったよ』
目から大粒の涙を流し、震えた声で言いながら、リウィアの胸に飛び込んできた。
その時の弱々しくも虚栄を張った姿を見て、リウィアは思ったのだ。
これから何があったとしてもタルキウスの傍を離れないと。そして何があっても自分だけはタルキウスの味方であり続けると。
しかし今、リウィアに代わる聖女候補として女神がやって来た。
「女神様相手が太刀打ちできるはずないですよね……」
リウィアは公私共にタルキウスをよく支えているが、それは身の回りの世話といった侍女的な側面が強く、公の場での活躍はあまり無かった。
聖女としての公務は必要最低限に留めて、極力タルキウスの傍を離れないようにしているのだ。
それはリウィアを権謀術数渦巻く政争の渦中にリウィアを置きたくないというタルキウスの意向による部分が強かった。
これに関してリウィアの元老院や諸侯からの評価は賛否両論という感じだった。
王からの寵愛を独占しながらも、リウィアはそれを笠に着る事はせずに低姿勢を貫き、地位や富を欲しいままにするといった行動を一切取らなかった。その貞淑さはエルトリア女性の鑑だと賞賛する声が多い。
その一方で、王からの寵愛を独占しているのを良い事に聖女としての職務を蔑ろにしていると見る者も少なからず存在した。
公の場に出る事が少ないために、リウィアの活躍は陰に隠れがちになり、結果として低評価を下す者がいるというわけだ。
「タルキウス様は、私を必要として下さっているのでしょうか……」
もし、聖女の座を追われれば、リウィアは今のようにタルキウスの傍にはいられない。
聖女でなくなればリウィアは、巫女として神殿に戻る事を義務付けられているのだから。
最高神祇官が別の聖女を擁立した場合、今の聖女と新たな聖女候補とでどちらが次の聖女に相応しいかを決める聖女裁判が行われる。
その裁判で、新たな聖女候補として現れた女神ウェヌスの方が聖女に相応しいという結論が出た場合、リウィアの意思に関係無く聖女の座はウェヌスに譲渡されてしまうのだ。
リウィアが不安に駆られているその時だった。
グウウウギュルルル~
豪快なお腹の音が厨房に響き渡る。
その音の主はリウィアではない。
それでは、と思って後ろを振り返ると、そこにはタルキウスの姿があった。
そしてタルキウスはいつもの無邪気な顔で「リウィア~腹減った~」と声を上げる。
「は、はい!! ちょ、ちょっと待って下さい。すぐにできますから」
タルキウスが後ろにいる事にまったく気付かなかったリウィアは思わず裏返った声を上げる。
つい上の空になっていたリウィアだが、急いで料理を作ろうと再び前を向いたその時。
タルキウスは後ろからリウィアに抱き付いた。
「た、タルキウス様!?」
「俺、リウィアが傍にいてくれて本当に幸せなんだよ。だから、リウィアが聖女になって戻って来てくれた時、すっごく嬉しかったんだ」
「タルキウス様……」
「リウィアは俺が守る! 絶対にだ! だからこれからもずっと傍にいて!」
強い決意の籠った声がリウィアの胸を射抜く。
「……はい! 私はいつまでもタルキウス様のお傍にいます!」




