女神の襲撃
平穏なローマの町。
市場には人々の賑やかな声が飛び交い、闘技場では剣闘士達の戦いに市民が熱狂するいつものローマ。
しかし、そんなローマの中心地である黄金大宮殿に突然の来訪者が現れた。思いもしない来訪者が現れた。
その直前に玉座に座るタルキウスはその気配を感じ取る。
「何か来たな」
タルキウスがそう呟いた、正にその直後だった。
玉座が置かれている大鷲の間の天井の一部がいきなり崩落した。
そしてその開いた穴からは一人の女性が姿を現し、空中を舞うようにゆっくりと降りてきた。
その女性が一体誰なのか。
それを明かしたのは彼女本人の口からではなく、天井崩落の音を聞き付けて集まってきた衛兵だった。
「あ、あれは高級娼婦フリュネ!?」
「ま、まさかフリュネ様!?」
「どうしてこんな所に?」
「噂通り、すげー美人だな」
「フリュネ様を見られるなんて今日はついてるぜ!」
一瞬にして、侵入者であるはずのフリュネに魅了されてしまった衛兵達。
そんな彼等の体たらくはタルキウスの逆鱗に触れた。
「馬鹿者! 襲撃を受けたというのに何だその醜態ぶりは! もう良い! そいつの相手は余がする。お前達は下がっていろ!!」
「「は、はい! 申し訳ございません!」」
駆け付けた衛兵達は、タルキウスの一喝に恐れおののいて広間から退散した。
「で、お前は何者だ? ただの高級娼婦でない事くらいは分かっている。つまらない戯言は聞かんぞ」
頬杖をついて尊大な態度を取るタルキウスが問う。
そしてタルキウスの背後の空間には多数の魔法陣が展開された。いつでも攻撃できる態勢を整えたのだ。
「ふふふ。流石は黄金王、話が速いわね。なら単刀直入に行きましょう。私の名は女神ウェヌス! 美と愛の女神、ウェヌスよ!」
「は?」
只者でない事は身の内から迸る魔力で察していたタルキウスだが、流石に女神を名乗るとは思わず唖然とする。
そして、タルキウスとその傍らに控えているリウィアは共に哀れむような視線をフリュネに送った。
「ちょ、ちょっと、何なのよ、その目は!? 人をまるで可哀想な人を見るような目で見ないでよね!」
必死に抗議をするフリュネだが、それが却って彼女を惨めにした。
「くぅ~もう怒ったわよ! この私に恥を掻かせた罪を後悔させてやるわ!!」
フリュネの身体から燃え上がる炎のように魔力が溢れ出して迸る。
そして彼女の両手にはどこからともやく現れた短剣が一本ずつ握られる。
右手に握る短剣は、燃え上がる炎をそのまま固めたかのような真っ赤な剣。
左手に握る短剣は、流れる波のようにギザギザの形状をした青色の剣。
そのどちらからの異様な魔力が満ちている。
それを目の当たりにしたタルキウスは、短剣の正体をすぐに理解した。
「神器を二本か。中々やるようだな」
“神器”とは神々が生み出し、神々が用いた神代の宝物である。
人智を越えた力を秘めており、王が国を挙げて収集に躍起になるほどの代物だ。
ただ、神器はその真価を発揮するためには膨大な魔力を供給して神器自身から忠誠心を得る必要がある。
そのため、魔力値の少ない者は扱う事すらできず、魔力の多い者でも精々三つまでが限度と言われていた。
それを二つも所持している事からして、ただの高級娼婦であるはずがない。
「そっちから来たんだ。少しは楽しませてくれよ」
タルキウスはどこか楽しそうに笑いながら、背後の魔法陣の一つに手を伸ばす。
すると魔法陣から先端に大きなダイヤモンドが取り付けられた黄金製の杖が一本、姿を現す。
この杖は、エルトリウス王家に伝わる神器【雷霆の杖】である。
それを見たフリュネは何かを察したかのように目を細める。
「その杖。ふーん。なるほどね」
そう呟いたフリュネは、床を蹴って空中へと飛び上がった。
「行くわよ! 【情熱の短剣】!!」
フリュネが空中で右手の短剣を振ると、一瞬にして炎の塊が出現した。
炎は弓から放たれた矢のようにタルキウスに襲い掛かる。
神器より放たれた炎は、凄まじい火力と熱量を備えているが、それを前にタルキウスは眉一つ動かさずに杖で床を一度突く。
「蒼水の壁陣!」
タルキウスの足元に真紅色の魔法陣が浮かび上がり、そこから噴水のように水が噴き出し、一瞬にして水の壁を形成した。
炎の矢が水の壁に突き刺さると、水の壁は一瞬にして水蒸気に代わり、広間全体を白い霧が包み込む。
「リウィア、俺の後ろに隠れてて。ちょっと危ないかもしれないから」
「は、はい!」
リウィアが慌ててタルキウスの小さな背中に隠れる。
彼女は怪我を治したりできる医療魔法の達人ではあるが戦闘向きの魔法はまったく習得しておらず、戦闘要員としての活躍は期待できなかった。
タルキウスは白い霧で視界が悪い中、目を閉じて意識を集中させる。
魔力反応を探る感知魔法を駆使して、フリュネの魔力反応を見つけ出そうとしたのだ。
「そこだッ!」
天の無限蔵から計五十もの金塊が姿を現す。
金塊は一瞬にして形状を剣に変えて、まるで弓から放たれた矢のように撃ち出される。
素早いスピードで、霧の中を切り裂きながら目標目掛けて飛翔する。
その勢いで周囲の霧は外へと吹き飛んで視界が回復した。
五十本の剣は、その一本一本が確実に剣先をフリュネの身体に向けている。
あと一秒もしない内にフリュネの身体は串刺しになるだろう。
だが、寸でのところでフリュネはまるで舞を舞うかのような優雅な身のこなしで飛来する剣を回避していく。
フリュネから狙いが逸れてしまった剣は、近くの床に壁に柱に突き刺さってはその威力でそれを木っ端微塵に吹き飛ばす。
「おっと。やっちまったな。あはは……」
自分の宮殿を自分で壊してしまった事に、苦笑いをして誤魔化すタルキウス。
その間にもフリュネは素早い動きでタルキウスとの距離を詰める。
その行動と先ほどの彼女の攻撃パターンからタルキウスは、彼女が遠距離戦を不得手としている可能性を考えた。
彼女が手にしているのは神器とはいえ、どちらも間合いの狭い短剣。特にその短剣以外で魔法を使う様子が無いところを見ると、魔法の技術はさほど高くないのかもしれない。
であれば、ここは遠距離戦に徹した方がタルキウスには有利だろう。
元々タルキウスは、その膨大な魔力量から高火力の大規模魔法を得意としており、室内での戦闘はあまり得意とはしていない。
まして宮殿、そして何よりも後ろにいるリウィアを守りながらの戦闘となると、遠距離で魔法を撃ち合うよりは接近戦に持ち込んだ方が無難だ。




