表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/10

⑥歴史を知る

 そんな出来事の一方、趙が家にいることで、学ぶ、ということからはじき出されてしまった不本意な境遇の翠に、好きだった朝鮮語を使えるという大きな喜びが訪れていた。

 翠は、かつて学んだ朝鮮古語を駆使して夕食の後などに趙にこの町のことを話した。趙が貴人の邸だと思った『百済王の邸』はこの町の博物館の一つであること。この町には、昔朝鮮半島の古代国家百済より王族が逃げのびてきたという伝説があり、それを裏付けるような銅鏡なども数多く残っていること。

 そしてその伝説に残る百済王族の逃亡の行程などを教えた。


 ――昔、西暦六六三年の白村江の戦いの後のことと語り継がれている話である。

 百済の王族達は母国を追われ、二艘の船に分かれて船出し、まず日本の安芸の国(広島)の宮島に着いたが、さらに九州の筑紫へと向かう途上で嵐に遭って流された。二艘の船はいったんはぐれた後、奇跡が起こり、太平洋を望むこの町の海岸にたどり着いた。それぞれの船に分かれて乗って居た王家の王族の一人である父王福寿王とその息子の富高王は再び相まみえることができ、双方感極まって詠んだ歌が伝えられている。その後,向かうべき土地を占い、一行は二手に分かれた。王家の血筋を根絶やしにせんと欲するものから御身を隠し、血脈を後世に伝えるためにである。そのうちの一人の王、福寿王らの一行がこの町に向かう途中お産をする女性がおり、その地を『子産み』、その子を洗った地を『産湯川』と名づけた。現在では『子産み』は『小海』、『産湯川』は『宇布由川』とその土地の由来を隠すように文字を変えている。


 そこまで話した時、趙が顔色を変えた。

「では、その女性は無事に出産を済ませることができたということでしょうか?」

 翠は急に激しい勢いを見せた趙に驚きながらも、

「そういうことになりますね。産湯を使ったという地まで残っているのですから」と答えた。

 そして翠は、その後本国からの追っ手が入って戦が起こり、『阿賀槌谷』という地で特に激しい戦いがあったといわれていること、その戦での王族の死、そしてこの地の豪族『力太郎』の加勢もあって追っ手を撃退した、という伝説の続きを語った。

 趙は戦や王族の死の部分では顔を歪め、その後言葉を発さなくなり、何かを考えこんでいる様子であった。




 翌朝、翠が厩舎に行くと趙はあまり眠れなかったような顔で、昨日翠が話した伝説に登場する地へ案内してもらえないかと頼んできた。

 そういった伝承に残る地というものは、時代の流れとともにその場所が変わってしまった、またはその場所自体がなくなってしまったということも考えられる、そう前置きしながらも、翠はその日、趙を伝説の中の地へと連れて回った。

 趙の希望は福寿王の一行の足跡ということだったので、福寿王の一行が漂着したといわれる海岸や後に激しい戦場となったと言われる『阿賀槌谷』(この地は元は『赤土谷』と書き戦で流れた血がそこの土地を真っ赤に染めたためこう名付けられたと言われていた)を回り、福寿王を祀っているといわれる福富神社を回った。そして昨日趙が強い興味を示した『小海』、そして『宇布由川』を回った。

『小海』では趙は全く身じろぎもせずその地を見つめていた。そこは今では歴史を示すものは何も残っていない、ただ地名にのみ伝説が残るだけの場所であるというのに。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ