私の主は名探偵
朝、教室の扉を開けると、賑やかな生徒達の笑い声や話し声が、一気に耳の奥に流れ込んでくる。
「みなさん。おはようございます」
「おはよー。姫ちゃん」
「おはー。姫」
白雪 姫が丁寧にお辞儀をすると、クラスメイト達は苦笑いをしながら手を振っていた。
「そんな丁寧に挨拶しなくていいよ」
「そうだよ。姫は真面目だな」
「すみません。仕事柄こちらの方が慣れてしまっていまして・・・・・・」
以前から言われていて、自分でも同い年の子達に対して変だとは思い、直そうとしているのだが、習慣というものは中々————。
「————さっさと入れ、姫。俺が入れねぇ」
背後から現れたその男は、鋭い目つきで姫を見下ろしていた。
「申し訳ありません。坊っちゃま」
「学校では・・・・・・」
「失礼いたしました。羊様」
高身長で髪の毛をツンツンに逆立てている、この男は城野財閥、御曹司の城野 羊。
【城野財閥】といえば、代々ホテル、宝石、衣服、テーマパークなど様々な業界でその名を轟かせる複合企業で、日本・・・・・・いや、世界屈指の財力を持っている。
80年以上続く大企業である彼の家は、東京都内にあり、その姿はまさにお城だ。
姫の家系は、そんな城野家に代々使用人として仕えており、中学校に上がる前から姫もメイドとして働いていた。
「フン」
他のクラスメイト達に挨拶をすることもなく、羊はポケットに両手を突っ込んだまま、廊下側にある自分の席に歩いて行ってしまう。
「いっつも、エラそーね」
「家でもあんな感じ?」
「大体は、あんな感じですね」
「うわっ、やっぱり」
「あっ、でも優しい所もあるんですよ」
「?」
「この間、夕食の時間なんですけど、羊様が皿の端に寄せてあった人参を私に食べさせてくれたんですよ。私はまだメイドの仕事中だったのに、お優しい方です」
「・・・・・・」
「・・・・・・あぁ、そう」
何とも言えない表情をしているクラスメイト達に見送られながら、羊の席に近付くと何故か、彼はまだ椅子に座らず立ったままだった。
「どうかされましたか? 羊様」
「何だ、これ」
主人が顎でさす机の上には、北海道の名産であるお菓子【白い恋人】が一枚置いてあった。
「城野く〜ん、おはよー」
「・・・・・・」
「おはようございます。花岡さん」
「・・・・・・おはよ」
羊に挨拶した時とはまるで違う、鬱陶しそうな目線を姫に向けた花岡は、セクシーな体型と綺麗な黒髪が特徴的なクラスメイトである。
そんな彼女は羊の腕に抱き付いたまま自分のブレザーのポケットから白い恋人を取り出しニコニコしている。
「北海道旅行に行った、木下のお土産らしいよ。あたしも、もらった〜」
自慢の黒髪を右手でくるくると弄る彼女から目を離し、周りを見てみると他の席にも、同じ白い恋人が置いてあり、窓際の方では、木下が自慢のキノコ型のサラサラヘアーを振り乱しながら、北海道での話を他の生徒に自慢気に語り聞かせていた。
「————イヤイヤ。この時期でも本当に寒かったけど、マジで最高だったぜ!」
「くわぁ! 羨ましいな!」
その姿を見た羊は、興味なさそうに【白い恋人】を姫に向かって放り投げてくる。
「やる」
「よろしいのですか?」
「北海道なんて、珍しくもねぇよ」
最後の方は、わざと聞こえるように言ったのか、木下がこちらを睨んでいる。
「あぁ? 何か言ったか城野?」
「悪い。バカには聞こえない言葉で喋ったわ」
「はぁ!」
「羊さま。木下さん、すみません」
このような態度が気に入らないのか、木下以外にも羊に対して敵意をむき出す生徒は多かった。
まぁ半分以上は、この主人が悪いのだが————。
「羊ちゃんよぉ、あんまり態度がデケェと、バチがあたんぞぉ」
木下が大笑いをしながら、挑発する様子を無視して自分の席へ羊は腰を下ろしている。
「白雪さん。おはよ」
そんな中、背後から掛けられた優しい男性の声が、クラス委員長の葉山のものだという事は、すぐに分かった。
「おはようございます。葉山さん」
「少しモメたみたいだね。ごめんね、ちょうど今来たからフォロー出来なくてさ」
「いいえ。そこまで大事にはなっていないので。むしろ、お騒がせてすみません」
「白雪さんのせいじゃないよ」
「————俺のせいだってか?」
未だに近くに寄ってくる花岡を片手でシッシッと退かしながら、羊は葉山委員長を睨みつけている。
「そうとは言わないけど。城野君、もう少し言い方を考えた方が————」
「姫、ちょっと来い」
葉山の言葉を無視して、姫に目線を向けてきたので、申し訳ないと深くお辞儀をしつつ羊に近寄ると、急に何かソワソワして、目も泳ぎ始めていた。
「どうかされましたか? ご気分でも・・・・・・」
「ち、違ぇよ。えっ、えっとな・・・・・・」
————キーンコーンカーンコーン。
「おはよぉ! みんな、元気に来てるかぁ?」
朝のホームルームの時間になってしまい、担任の森野先生が元気一杯な挨拶と共に入ってくる。
小さく舌打ちをし、苦々しい表情で「戻っていい」と言う羊を気にしつつも姫は、自分の席に歩き出した。
学生の一日と言うものは、始まる前は長く感じるが、いざ始まってしまうと一瞬の風のように過ぎ去るもので、本日の学校生活もあっという間に放課後になり、姫と羊は学校まで迎えにきてくれたリムジンの後部座席に座っていた。
隣に座り、流れる車窓の景色を無表情で眺めている羊に注意を払いつつ、屋敷に帰った後の仕事内容を手元のメモで確認していると、城野財閥の使用人兼運転手の山田さんがルームミラー越しに声を掛けて来た。
「いやぁ、姫さんが坊っちゃまのメイドになって、そろそろ五年になりますねぇ」
山田さんは、姫が生まれる前よりもずっと前から、城野財閥で使用人をしている大ベテランで、姫にとっては優しい先輩であり、お父さんみたいな人である。
「はい。でも、私なんてまだまだ未熟者で————」
「そんな事ありません。姫さんほど優秀な方は、そうはおりません。この前も坊っちゃまが褒めて————」
「山田、何を言おうとしている」
ギロッと運転席に目を向ける羊の視線をルームミラーで確認すると、山田さんは小さく両肩を上げて姫に微笑んできた。
そんな二人に対してどんな反応を返せばいいのか分からず、何となく姿勢を正してしまう。ただ内心では羊が自分の事を褒めていた、という事実がとても嬉しく顔がほころんでしまった。
「・・・・・・あっ」
「羊様?」
「坊っちゃま、何かございましたか?」
突然、呟かれた一言に空かさず反応をする使用人の二人に、羊は額に手を当て、ため息混じりに口を開く。
「すまん。忘れもんだ」
放課後の校舎内には、ほとんどの生徒が帰宅したり部活に行ったりして、昼間の賑やかさはなく、遠くの方で野球部のバッティングの音だけが、一人廊下に立っている姫の耳に届いているだけだった。
なぜ、こんな寂しげな場所にいるのかと言うと、忘れ物を取りに戻ってきた直後、担任の森野先生が「先週サボったテストの追試をやるぞぉ!」といきなり羊の元へ駆け寄って来たのだ。
基本的に勉強も運動も出来る羊だが、とにかく面倒臭がりで大事なテストなどでない限り、いつも保健室や屋上などでサボっていた。
今日も「別に0点でいい」と言って、森野先生の横を通過しようとしていたが、「お前の父親に相談したら、次にテストをサボったら小遣いは抜き・・・・・・だ、そうだ!」と笑いながら手首を掴んできたので、流石に羊も観念したらしく、小さく舌打ちをして、先生の後に続いた。
「よし! では城野! ここでやるぞ!」
そう言って案内された場所は、姫達のクラスのちょうど隣に位置する空き教室だった。
昨年までは、ここも一般教室として使用されていたのだが、今年は少子化の影響なのか生徒数の問題で一クラス少なくなり、ここが空き教室になってしまっていた。
何故わざわざ自分達の教室でやらないのかと尋ねると、「他の生徒が教室で残っているからな!」という単純な理由らしい。
「姫、少し待っていろ」
「はい、羊様」
「では、行くぞ!」
目の前で扉が閉まると、一気に静寂が訪れる。
そうして一人残された姫はテスト中、側にいるわけにもいかず、自分たちの教室で待っていようかと思い、扉を開けると室内には木下一人がノートを広げ、右手に持ったペンをクルクル回しながらコッチを見ていた。
今朝の事もあり、何となく気まずい雰囲気だったので深くお辞儀をして出てきてしまい、仕方なく羊がテストを受けている空き教室の前で待つ事にした・・・・・・というわけだ。
30分ほどで終わるとの事で、そのことを外の駐車場で待っている山田さんにお気に入りの猫のストラップを付けたスマホで連絡していると、隣の教室から木下がカバンを抱えて飛び出して来た。
どうしたのだろうと思っていると、こちらに気付いた木下がビックリした表情をしていたが、すぐに目線を逸らして姫の前を駆け抜けて行く。
「?」
木下が走り去った廊下の先を見ていると、大量のプリントを抱えた葉山が、こちらに向かって歩いてくるのが見える。
「やぁ、白雪さん。こんな所でどうしたの?」
「葉山さん。羊様が出てくるのを待っているんです」
「城野君? ・・・・・・あぁ、テストの追試だね。さっき森野先生が大声で探していたから。でも、ここで待たなくてもいいんじゃないかな」
「えぇ、まぁ、そうなんですけどね・・・・・・」
「なんなら、中庭のベンチで飲み物でも飲みながらとかはどうかな? 僕も付き合うよ」
葉山の眩しすぎるほどの爽やかな笑顔を前にすると、つい「はい」と言いそうになるが。
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
「そ、そっか」
木下がいなくなったので、教室にいても良かったが、何となくここまできたら、主人の帰りを黙って待つのもメイドの仕事だと思い直したのだ。
「それより、葉山さんはどうされたんですか?」
「うん、明日の一時間目で使うプリントを教室に置いておいてくれって、頼まれてさ」
葉山の手元にあるプリントの束を見ながら、「ご苦労様です」と声を掛けてあげると嬉しそうに微笑みながら自分達の教室に入って行く。
その後、プリントを置き終えた葉山と少し談笑したのち、彼が立ち去るのを見届け、スマホで時刻を確認していると、いきなり声を掛けられる。
「城野君いるの!」
「きゃっ」
自分の腕を掴まれてびっくりした姫は、思わず悲鳴を上げてしまった。
「何、そんなに驚いてんのよ。それより城野君は?」
掴んでいたのが、クラスメイトの花岡だと分かると一気に気が抜ける。
彼女は今も尚、心臓がドキドキしている姫の事など全く気にしていないようで、自慢の黒髪をくるくると弄りながら、辺りをキョロキョロと見回していた。
「羊様なら、この中でテストをしています」
「えぇー あと、どれくらい?」
「十分ほどかと・・・・・・」
「うっわ、間に合わないじゃん」
がっくりと肩を落とした花岡は、自分達のクラスに入っていき、カバンを持ってすぐに出て来る。
「・・・・・・おかえりですか?」
「部活」
すでに姫に興味を失ったような花岡は、素っ気なく答え、一人廊下を歩いて行った。
————パリンッ。
テスト終了残り5分となった時に、廊下で一人立つ姫の耳に突然、何かが割れた音が聞こえた。
「?」
その音が聞こえてきた階段の方に歩いて行ってみると、ちょうど一階と二階の踊り場の所に割れた皿が散乱してキラキラと光っている。
「まぁ、大変」
慌てて踊り場の脇に設置してある掃除用具入れから、箒と塵取りを取り出して掃除を始める姫。
結構、細かく割れてしまっているせいであちこちに欠片が飛び散っていて、中々時間が掛かりそうだ。
誰に言われたものではないが、汚れていれば掃除をする癖が普段から身についているので丁寧に箒を掃く。
「・・・・・・だ・・・・・・も・・・・・・先生!」
「あら、木下さん?」
微かな声だが、一つ下の階の昇降口から、先ほど教室にいた木下の声が聞こえてくる。
まだ学校に残っていたのかと思いながら、テキパキと掃除を終えた姫は、割れた破片をビニール袋に入れて、空き教室の方に歩いて行く。すると、すでに廊下に羊と森野先生がテストを終えて出てきていた。
「羊様、お疲れ様でした」
「何してたんだ?」
待っていろと言ったのに、居なかった事を苛立っているのか、姫が持っているビニール袋に鋭い目線を向けてきたので、二人に今あった出来事を話すことにした。
「なぁにぃ! 誰なんだ、そんな事をした奴は! しかも片付けもしていかないなんて!」
「とりあえず掃除はしましたので、ご安心下さい」
姫からビニール袋を受け取った森野先生は、距離感無視の大きな声でお礼を言いつつ、職員室へ戻って行った。
「では、羊様。忘れ物を回収して、帰りましょうか」
「あぁ。そ、そうだったな」
何かを思い出したのか、朝のように急に動揺する羊を心配しつつ、その後を付いていき自分達の教室のドアをくぐる。
「!」
「えっ! これは・・・・・・」
教室内は無人で、換気ために開けられている窓から入ってくる少し強めの風が、室内を吹き抜けていた。
そんな中、たくさん並べられている机の中に異様な光景を見つける。
紙のような物で首を絞められて、心臓にナイフが突き刺さったヒツジの人形。
それが姫の主人、城野羊の机の上に痛々しく倒れていたのだ。
現場となった教室には、木下、葉山、花岡の三人を加えた五人の生徒が揃っていた。
最初に姫が教室に来た時から、テストが終わり再び戻って来るまでの間に犯行は行われたと分かった羊が、テスト中に教室に入っていた者を聞き出して、無理やり全員をこの教室に集めたのだ。
全員はさすがに集められないかと思ったが、葉山は職員室に、花岡は所属している家庭科部の部室に、そして木下は今までずっと昇降口にて、廊下を走っていた事を先生に怒られていたそうだったらしく、上手く全員を集められた。
「これは酷いね」
「うっわ、城野君が可哀想・・・・・・ちょっと! 誰がやったのよ」
「俺じゃないぞ! 知らないぞ。こんな物!」
集められた三名が問題の人形を確認し終えたので、改めて姫も人形を観察してみる。
三十センチくらいの大きなヒツジ人形が仰向けになっていて、その心臓に小型のナイフが刺さっている。しかも、首元には細長く折られた白い紙が結ばれていた。
「————明らかに、俺をバカにしてんな」
「私が追試前に、この教室に入った時には、人形はありませんでした」
「お前ら三人がここに来た時、誰か見てねぇか?」
鋭い視線をぶつけられた三人の中で、まずは葉山が返答してくる。
「僕がプリントを置きに来た時には、無かったと思うよ」
「姫の話だと、お前は二番目に入室してるな。それが本当なら、木下も犯人では無いって事になるが・・・・・・」
羊に横目で見られた木下は「当たり前だ」と言って鼻息を荒くして腕を組む。
「ちょっと待ってよ! それじゃ、あたしが犯人みたいじゃない」
「お前で決定じゃん」
「ふざけないでよ、木下」
「じゃあ、白雪。お前じゃねぇの?」
「えっ」
いきなり向けられた言葉に姫は動揺してしまう。
「『ずっと見張ってた』なんて、一番犯行が行いやすいじゃん。違うか」
不敵な笑みをする木下に対して何の反論も出来なかった。確かに一番疑われやすいポジションにいるのは自分だと気が付いたからだ。
「・・・・・・家庭科部」
「はっ?」
他の者が、それぞれを怪しみ疑心暗鬼になる中、羊は人形に刺さったナイフを凝視していた。
「ナイフの持ち手の部分に掘られてる」
「城野君! ごめん、ちょっと見せて」
驚きの声を上げた花岡が、ナイフの持ち手部分に目一杯、顔を近づける。
「やっぱり! これ、うちの部で盗まれた奴だ!」
「どうゆう事だい? 花岡さん」
「ついさっきの事だったんだけど、あたしが入ってる家庭科部でさ。調理に使う果物ナイフが一本無くなって、騒ぎになってたんだよ。まさか、こんなとこにあったなんて」
「では、誰かが盗んで、この人形に刺したという事でしょうか?」
「だろうけど、そんな簡単に盗めるのかな?」
「今日は、先輩たちが遅れてくるって事になっててさ、一時間くらい前から家庭科室は鍵が開けっぱなしだったんだよ。『不用心過ぎだ!』って先生にめっちゃ怒られたわ」
「・・・・・・盗まれたのが発覚したのはいつだ?」
「確か、あたしがここに荷物を取りに来て、家庭科室に戻った時には無くなってるって騒いでたよ————あっ、ちなみにここに来た時、あたしも人形は見なかった」
と言われたものの、花岡が見ていないとすると一体誰が置いたというのだろうか。三人の中に本当に犯人がいるのならば、必ず嘘をついて人がいる事になる。
「花岡、皿は盗まれなかったか?」
「家庭科部から?」
「それ以外にどこがあるんだ」
「か、確認します」
すぐさま家庭科部の生徒に連絡を取った所、確かに一枚お皿が減っているとの事が判明する。
「羊様、なぜ分かったのですか?」
「テストが終わる直前、お前が片付けてた〝割れた皿〟」
「んっ、何かあったの? 白雪さん」
他の三人は、その出来事を知らないので、姫が簡単に説明することになった。
「————なるほどね。つまり城野君は、その割れたお皿も〝犯人が今回の犯行に利用した物〟だと考えているわけだね」
「あぁ」
葉山の言葉に鬱陶しそうに返事をしながら、羊はツンツン頭をガリガリと掻いている。
「・・・・・・なぁ、俺の後には本当に葉山が入ったのか?」
先ほどから黙っていた木下が机の上にある人形を見つめながら姫に問いかけて来た。
「はい、葉山さんでしたよ」
「あっそ」
姫が木下から質問をされてる間に、いつの間にか羊は窓際に移動して外を確認していた。
「2階の一番端の教室だから、外部犯の可能性は低いな」
「そうですね。隣の教室には羊様と森野先生がいましたし。やはり、犯人は廊下を通るしかないようですね」
羊が顎に手を当て何かを考えるその仕草からは、いつもの横暴な感じはまるでなく、むしろ頼もしい印象を受ける。
「ねぇ、この紙、何か文字が書いてあるよ」
しばらく人形を眺めていた葉山が気になる事を口にしたので、全員そこに注目する。
よく確かめてみると首に結ばれた紙の一部に確かに黒い文字の端のようなものが見えた。雑に結んだのだろう縦になってしまっている結び目を解くと、葉山は細長く折られた紙を開いた。
《親の七光りが偉そうにしてるなんて滑稽だ。その内、お前の無能さを思い知らせてやる。》
利き手とは逆の手で書いたのか、ミミズがのたくったような汚い字で城野羊への罵声の言葉がそこには書かれていた。
「酷〜い! 城野君になんて事書くのよ!」
「羊様、大丈夫ですか?」
「・・・・・・」
二人の言葉が聞こえていないのか、羊の目は虚空を見つめていた。
そんな主人を見て姫は、何としても犯人を見つけようと思い人形を手に取る。
今の所はこれだけが唯一の手がかりなので、何か犯人に繋がる証拠が残っているかもしれない。
刺さっているナイフに気をつけながら、背中や足の先まで入念に調べてみると、何やら気になる場所を発見した。
「あっ・・・・・・」
「おっと」
その時、誤って手が滑らせ、人形を落としそうになってしまったが、寸前のところで、左隣に立っていた葉山が左手で見事にキャッチしてくれた。
「申し訳ありません。お怪我などされませんでしたか?」
「うん。うまくナイフを避けてキャッチしたからさ」
人形を姫に渡しながら、笑顔を見せる葉山に姫も深くお辞儀をしつつ笑顔を返すと、羊のいる方へ近付く。
「羊様、ここなんですが」
ヒツジの人形のちょうど頭の天辺付近に、プラスチックの欠片が付着していた。
「タグの切れ端か?」
「私もそうだと思いました。しかも綺麗にハサミで取り外したのではなく、力任せに引きちぎったものかと」
タグが付いていたと思われる所の生地は、ほんの少しだが破けて中の綿が見えてしまっている。
「・・・・・・」
姫が指摘した場所を確認しながら、ツンツン頭をガリガリと掻いている羊は何やらブツブツと呟いていたが、姫には聞き取れなかった。
「————でも危険だね、白雪さん」
「?」
何故か葉山が姫に対して、心配そうな表情を向けている。
「おそらく、この事件は城野君へ恨みを持っている人の犯行だよ。今回は人形へのイタズラで済んだけど、次は何が狙われるか分からない。・・・・・・もしかしたら次は、白雪さんかもしれない」
「えっ」
「おいおい、葉山。ずいぶん大事じゃん」
「でも木下君、冗談で済まないかもしれないよ。ナイフまで持ち出しているんだから。ねぇ、城野君。しばらくの間、危害が加えられないように白雪さんと距離を置いた方がいいかもしれないよ?」
「おぉ! いいよ、それ! そうしなよぉ、城野君。白雪さんもその方が安心でしょ?」
「えっ、いえ、私は・・・・・・」
戸惑う姫をよそに、二人の会話がどんどん進んでいく。
家ではメイドとして彼の側にいるのが当然の姫だが、学校内まではその範疇ではないのは確かだ・・・・・・でも。
「その必要は無ぇよ」
「あっ? どうゆう意味だよ。城野」
肩に掛けていた、学校指定のカバンを近くの机の上に放りながら、木下は羊を睨んでいた。
「バカか、テメェは。犯人が分かったからに決まってんだろ」
「あははは、何のマネだよ」
「だから、人形を置いた犯人はお前だろ? 木下」
羊に指を差され、明らかに動揺する木下は、他の三人の方を見ながら笑っている。
「おいおい、コイツおかしいぜ」
「根拠ならある」
その発言にビクつく木下の横を通り過ぎた羊は、机の上にあった人形を持ち上げて、その後頭部を全員に見えるように向けてくる。
「姫がさっき気づいた、このタグが付いていたと思わしき部分。これを見て確信した」
「どうゆう事でしょうか、羊様」
「単純な理由だ。今回、俺の机の上に人形を置くことを決めた犯人は犯行を行う直前、タグの取り忘れに気づいた」
その発言を聞いた三人は、それぞれに首を傾げた。
「でもタグなんか、別に気にならなくない?」
そうだ。例えば値段や商品名が書いてあったとしても、犯人の名前が記されているわけでもないのだから、わざわざ外す必要はないはずだ。
「それが重要だったんだよ。その事に気づいた犯人も慌てて外そうとしたが、力任せに引っ張ったせいで、布が破けた」
「そんなに見られたくなかったのか?」
「何て書いてあったんだろうね」
自慢の黒髪をクルクルといじる花岡の右手を横目に、姫は羊の方へ視線を動かすと、自身の満ち溢れた笑みが零れていた。
「・・・・・・北海道」
「えっ?」
「このヒツジの人形は、北海道旅行で買った物。だよな? 木下」
今朝、彼は友達に自慢げに話していて、しかも私たちにまでお土産の【白い恋人】まで渡してくれた。もしタグに《北海道》という文字があったら、確かに一発で犯人が分かってしまうが・・・・・・。
「・・・・・・そ、そんなのでっち上げだっ! 実際にタグを見てないんだから、本当に北海道で買った物か分からないだろうが!」
近くの机に足をぶつけながら、後ずさる姿は、もはや自供してるに等しいが、こちらに証拠が無いのも事実。
そんな様子の彼に対して、ポケットに両手を突っ込みながら、平然とした顔で羊は口を開いた。
「まだ、持ってるだろ? タグ」
「ひぇ?」
あまりにビックリしたのか、真っ青な顔でおかしな声を上げて羊を見つめる木下。
「カバンか・・・・・・制服か・・・・・・捨ててないはずだ」
「本当かい? これだけ時間があったんだったら、学校内か敷地外のゴミ箱に捨てるはずじゃ」
「タグを外した直後は、こいつもそう考えていただろうが、教室から出た時に姫に姿を見られている。破けた部分を見つけられ『タグが怪しい、探してみよう』なんて言われたらアウト。学校内のゴミ箱に捨てんのは危ない」
「なら、外に・・・・・・」
「あっ、外には出られませんよ」
羊の言葉で姫は気がついた。彼は廊下を走っていたことを先生に注意され、説教を姫たちが呼びに来る直前までされている。そんな状態じゃ、外には一歩たりとも出られなかったはずだ。
「おら、出せよ」
半分、恐喝のような態度の羊の言葉に、木下は『くっそ』と言いながらポケットに入っていた小さな紙切れを床に叩きつけた。
【北海道 道の駅 牧場の里】
可愛いヒツジのキャラクターがプリントされた、クシャクシャになっているタグが全員の目に映る。
「・・・・・・決まりだね」
「木下。あんた最低ね! 城野君にこんなイタズラして、あたし達まで巻き込んでさ!」
「ちょっと待ってくれ! 確かに、人形を買ってきて置いたのは俺だけど、ナイフとか手紙は知らないんだって!」
「はぁ? 何言って・・・・・・」
「そうだ。俺は〝人形を置いた犯人〟とは言ったが〝ナイフを刺した犯人〟とは言ってねぇよ・・・・・・なぁ、ヒツジ殺しの犯人さん」
全員が状況を飲み込めていない中、一人不敵に笑う羊は、人形の心臓部分に刺さったナイフを抜き、その切っ先をクラス委員長、葉山の顔面に突きつけた。
「二番目に教室に入った葉山は『人形を見なかった』って言ったな。木下が人形を置いた犯人なら、おかしいよな」
葉山と羊が人形が置かれた机を挟む形で睨み合うその光景に、他の三人は一切口を挟めなくなっていた。
「あぁ、ごめんごめん。今思い出したけど、君の机の上に何か乗っていたように感じたよ。きっと、この人形だった」
「・・・・・・」
先程とはまるで違った言葉を言い放つ葉山に、姫は目を見開いてしまう。
「城野君、やっぱり木下君が自分でナイフも刺したんだよ」
「はぁ? ふざけんなぁ、葉山ぁ!」
飛びかかろうとしそうな木下を羊は、片手で跳ね除ける。
「この馬鹿が、ナイフを刺した犯人なわけねぇだろ」
「根拠は?」
「ナイフは家庭科部から盗まれたもんだ。こいつが犯人ならナイフなんか最初から用意すればいいんだろうが」
「忘れたから————」
「ここから出て行った後、昇降口でずっと教師に捕まっていたのを忘れてんのか? 委員長のくせに頭悪ぃな」
「・・・・・・」
バカにしたように鼻で笑う羊を葉山は、ただ黙って見ている。
「でも、城野君。何で葉山は『人形を見なかった』って言ったの? 『あった』って言えば、この馬鹿を一発で犯人にできたじゃん」
「お前ら、馬鹿、馬鹿って・・・・・・」
「もし、この馬鹿が人形を置いた犯人とバレたら、ナイフの件の不自然さが残り、自分も疑われる可能性が出ちまうから〝この三人の中には犯人はいない〟という方が都合がいいと考えたんだろ。まっ、タグの件から犯人がバレて、むしろ状況を悪くしただけだったが・・・・・・ちなみに花岡が人形を見なかったのは、ナイフの案を思いついた、こいつが隠したからだ」
「げっ、まじ」
口に手を当て、花岡は葉山を見る。
「でも、葉山さんは人形の事は知らなかったはずですよね? つまり最初に入ったのちにナイフを取りに行ってから、もう一回来なければなりません。でも、私は葉山さんが通るのを一回しか見ていないですよ」
姫の質問に主人は、首を横に振った。
「そのための、皿だ」
「!」
「ナイフを刺す事を思いついた葉山にとって、隣の教室前で立っている姫の存在は邪魔だ。なんとか目を逸らさせる事が出来ないか? と考える」
自分が割れたお皿を発見し片付けていたあの時、どこかに身を潜めてやり過ごした葉山は教室で犯行を行っていたという事か。
「ちょっと待ってよ。それじゃ、まだ僕だけが犯人とは限らない。花岡さんだって可能だろ?」
「はぁ? ふざけないでよ! 何であたしが!」
教室の窓から入ってくる、冷たく強い風が五人の間に流れていく。そんな中、羊は小さく笑いを堪えていた。
「何を笑っているんだい?」
「・・・・・・いや。自分のミスに気付かない犯人ってのは、こんなに間抜けなのかと思ってよ」
「ミス・・・・・・?」
驚く葉山に羊は、人形の首に巻きついていた手紙を指差した。
「葉山、お前って左利きだよな?」
「?」
「羊様、葉山さんは確か————」
普段の学校生活で、彼が字を書いていたり、飲み物を飲んでいる場面を何度か見た事があるが、全部右手だったはずだ。
「まっ、親に聞いてもいいが。さっき姫が人形を落とした時に気づいた。葉山は〝元々左利きだったのを右利きに直したんだ〟とな」
「えっ・・・・・・」
確かに、左利きの人が右利きに直すという事は結構あると聞くが、それが事件に関係があるのかと、未だにこの話の着地点が見えない姫は心配になってしまう。
そんな気持ちをよそに、ポケットに両手を入れながら、羊はアゴで人形を指してくる。
「人形の首に手紙が巻きついていたが、結び方が変だったろ?」
「あぁ、何か縦になってた気がすんな」
「そうだ。普通、一つ結びは横になるはずなのに、なぜ縦になるか分かるか?」
姫と木下が首を捻る、その隣で花岡がブツブツと何かを口にしていた。
「左利き・・・・・・右利き・・・・・・あっ! あたし、聞いたことあるよ! 左利きの人が右利きの人に教わるとそうなるって、テレビで見た!」
「マジかよ! そうなのか」
まさか人形の首に巻きついていた手紙の結び方から利き手を割り出すなんて、自分の主人ながら姫はその洞察力に驚いていた。でも、いつも話をしている他の生徒が気付けなくて、なぜ羊には彼が左利きだと分かったのだろう。
気になった姫が質問をしてみると、窓から入って来る風が鬱陶しいのか乱暴に閉めながら、羊はその答えを口にした。
「人間、咄嗟の時には体が無意識に反応する。さっき姫が人形を落とした時、そいつは左隣に立っていたのに、右手では無く。わざわざ〝遠い左手〟でキャッチするのを見て気づいた。普段は気をつけているんだろうが、迂闊だったな」
一番近くで見ていたのに、全く気付かなかったが確かに、それはおかしい・・・・・・。
「・・・・・・」
葉山は無言で俯いていたが、その肩が少し震えているのが分かった。
「でも、何でわざわざ結んだのよ。普通に机に置けばよかったのに」
「俺もそれが気になってた。最初は窓からの強風で紙が飛ばないようにするためか、とも思ったが、それなら重しを置けば済む問題だしな・・・・・・」
近くの机にお尻を乗せて腕を組んだ羊が、葉山を睨みつけている、この謎に対しては答えを出せずにいたようだ。
「・・・・・・フン。感情に流されるのは良くないな」
ポツリと呟かれた一言が、シンと静まり返った教室内に響く。
「その答えは、簡単で、簡潔で、シンプルだ。城野君、君の事が大嫌いで、首を絞めて、ナイフで刺したい気持ちが出てしまったから」
いつもの爽やかで優しい笑みはそこには無く。ただただ憎しみを帯びた表情が広がっている。
「ハァ、イかれたサイコパスバカ野郎だな。俺のために、こんな事までしてくれるなんて、テメェも暇な————」
「お前のためじゃない!」
否定の声を大きく上げた直後、いきなり姫の方へ彼は振り向いてくる。
「・・・・・・愛する、君のためだよ。白雪さん」
突然の言葉に驚いた姫から羊に顔を向ける葉山の目は、とても鋭かった。
「こいつが、大好きな君の事を、いつも連れ回して迷惑を掛けているのが、許せなかったんだ!」
頭を抱え震える葉山は、もう冷静さを失っているようだ。
「私は、迷惑なんて————」
「仕事上で仕方なくでしょ? こんな奴、別に好きでもないんだよね?」
ジリジリと近づいて来る葉山から離れようとするが、怖くて足が震えてしまっている。
「僕は・・・・・・僕は・・・・・・!」
そんな時、目の前に大きな背中が立ちふさがった。
「お前、姫の事が好きなのか?」
「羊・・・・・・様・・・・・・」
メイドとして主人に守られている状況は、どうかと思ったが、今はこの安心できる背中の後ろに居たかった。
「あぁ! 好きだよ! だからムカつくんだ! お前が一緒にいると彼女は一生不幸だ! 何が城野財閥だ! 親の金で偉そうにしやがって! 誰もお前の事なんか認めてねぇよ!」
その発言にほぼ無意識の内に反論してしまった。
「分かったような事、言わないで下さい!」
自分が一番びっくりしているだろう、まさかこんなに大きな声を出すなんて。
でも止めずにいられなかった————。
「羊様は、確かに他の方に横暴な態度を取ったりしてしまう方です! 世間の常識も全く知らない。子供のような人です!」
「おい、姫・・・・・・」
「でもっ!」
目を見開いている羊を避けて前に出た姫は、一気に捲し立てる。
「親しくなった方には、とても優しく接して下さる人でもあります! 一面だけを見てその人の全てを分かった気でいるなんて何様ですか! 私は、この方にメイドとして仕えて、とても幸せです!」
生まれてきて城野家に仕えて、小さな頃から羊と一緒に居た姫にしか分からないのかもしれない。
だから、伝わらなくてもいいと思いながらも・・・・・・どうしても言っておきたかった。
————キーンコーンカーンコーン。
事件の終わりを告げるようなチャイムの音が、姫たちを包み込んでいく。
姫の発言に放心状態になってしまった葉山と、人形をふざけて置いた木下の二人を羊は攻め立てるかと思いきや、「もう、面倒くせぇ」と言い、何やら自分の机から袋を取り出して小脇に抱えると、無言で教室を出て行ってしまった。
姫はこの場をどうしていいのか分からず、とりあえず全員に大きく頭を下げて慌てて主人を追い掛ける。
「羊様、よろしかったのですか?」
「別にいい・・・・・・それより、ほらっ」
姫の言葉を遮った羊は、先ほど机の中から取り出した袋を突き出してきた。
「?」
「これだけで、用件は済んだはずだったのに、本当に今日はツイてねぇ」
何だか目で「開けろ」と言った感じが伝わってきたので、お辞儀をして、そっと受け取り袋の中身を確認すると、そこにはリボンが付いた可愛らしい猫の人形が入っていた。
「羊様、これは?」
「・・・・・・お前が俺に仕えて、そろそろ五年だろ。・・・・・・その、プレゼントだ」
「えっ」
顔を背けた羊の顔が少し赤みを帯びているように見えたが、校舎内に差し込む夕陽のせいだったのかもしれない。
「どうゆう物が喜ぶか、分かんねぇから嬉しくねぇかもしれねぇけど・・・・・・なんかスマホに、そんな猫が付いてたからよ」
そう言って姫のブレザーのポケットから飛び出していた、猫のキーホルダーを一瞥してくる。
「・・・・・・まぁ、要らなかったら・・・・・・捨てろ」
羊からプレゼントをもらうなんて、初めての事で驚き・・・・・・そして。
「いいえ。凄く・・・・・・本当に凄く嬉しいです。ありがとうございます」
袋から出した赤いリボンが付いた白い猫を抱きしめて、姫は笑顔で答える。
そんな姫をチラッと見た羊は、ツンツン頭をガリガリと掻きながら、駐車場に向かって歩き出した。
「まぁ、これからもよろしくな。姫」
「はい、よろしくお願いいたします。羊様」