灯台もと暗し
施設の受付では、警官がリゼロッテと話していた。
就労ビザの確認をするので、身柄を預かりたいと言うのだ。
毎回ではないが、偽造ビザで入国する者が居ないわけではない。
少なくとも、リーは、正規の就労ビザで来ている。
戸籍はロンダリングされた偽物だが、ビザは本物だ。
しかし、これは間違いなく、NOS.Eの仕業だと、リーは考えていた。
リゼロッテに迷惑がかかるし、騒いでも立場が悪くなるだけだ。
「ビザを持って来ますね。」
リーは、大人しく業務員用のロッカーに向かった。
パトカーに乗せられて、向かったのは、確かに入出国管理局だった。
受付で、警官から局員に引き渡され、呼び出された係員に引き継がれる。
「長くなるので、トイレを済ませておいて下さい。」
通路の途中にあるトイレで、強制的に絞り出した。
勿論、こう言った施設のトイレには逃亡防止処置がされている。
その後、廊下を通って個室に・・・ではなく、裏口に連れ出された。
裏口駐車場には三台の黒いフォードが止まっており、グレースーツの男が四人、立っていた。
左肘が若干、体から離れている。脇に銃が隠されているのだろう。
加えて、駐車場は、高い壁と監視員付きのゲートで囲まれており、逃げ出すのは無理だ。
「どうぞ。」
スーツの男が、車のドアを開けて、乗車を促す。
リーは、抗う事なく、乗り込んだ。抵抗して、撃たれてトランクルームに放り込まれるよりは、増しだ。
乗り込んだ後部座席には、先客が居た。
スミスだ。
スミスはユーカリ風味のソフトクリームを食べながら、アイコンタクトを取った。
閉められたドアは、ロックされ、高級車は静かに走り出す。
運転席とは仕切りで区別され、窓には濃いフィルムが貼られ、外部はよく見えない。
スミスは、ソフトクリームのコーン部分を必死に咀嚼しながら、ドアポケットから情報パッドを出して、目を通していた。
「リー・・さんでしたっけ?プチ整形なさったんですねぇ。探すのに苦労しましたよ。まさか、こんな近くに・・」
恐らくは、観光客の流したネット動画で足がついたのだろう。
スミスがパッドで、動画の再生をはじめた。
「タナカで大丈夫ですよ」
既に正体が知れているので、ジタバタしても仕方がない。
アルバートは、逃亡生活を思い出していた。
母方の知人には、直接会って話をした。
特殊な情報を知ってしまった故に、マフィアらしき組織に狙われているので、家族に迷惑がかからない様に、失踪した様に見せたいと話した。
いっそ、事故死した事にすればと言われたが、時間がたてば解決するので、再会出来る様にしておきたいと願ったのだ。
日本では、イベント会場に華僑のグループがサークルを出していた。
サークルのバックルームで、電波遮断素材で出来た着ぐるみを身に付け、キャラクターマスクを被って、会場で数回の巡回をした後に、サークルの自家用車で横浜に向かった。
キャラクター着ぐるみのまま、自家用車で首都高とかを走るのは、なかなかシュールだった。
横浜では、ビルの地下駐車場で降りて、そのままビルの地下室で、簡単な手術を行った。
手のひらに埋め込まれた、インプラントIDの摘出と、顔にシリコンの注射だ。
これは、空港などの顔認証システムに対応する為だ。
パソコンや携帯端末などの持物処理も、ここで行った。
ガイド一人を付けて、ハーバーへ向かう。
港では、中型のクルーザーに乗り込み、沖へ出た。
整形の腫れを冷しつつ、数日過ごすと、ガイドがしきりにGPSを確認しだした。
やがて、見えてきた別のクルーザーと合図をしあい、ロープで二隻の船を繋いだ。
相手の船からは、数人の女性と、年配の男性が乗り込んできた。
『客』の入れ替えだ。
アルバートも鞄を抱えて乗り換える。
その後は、上海経由で中国奥地の農村に住み込んだ。
いまだに、一部の村では戸籍の管理が不充分で、死んだ村人の戸籍を、そのままにしてある場所がある。
現金入手の為に、非合法に戸籍を売買する為だ。
住み込むのは、村ぐるみで、村の生活をさせて、偽の過去を演出させるのだ。
地理や方言を覚え、ロンダリングされた戸籍を持って、町に働きに出かけ、場合によっては都市部へ返り咲く。
アルバートは、『李 俊章』の戸籍の戸籍を持って、都市部へ、そしてオーストラリアへと渡った。
やはり、文化的にも英語圏の方が過ごしやすく、ボロが出ない。
留学経験があると言えば、アメリカナイズされていても違和感はない。
オーストラリアを選んだもう一つの理由は、核燃料ウランの産地でも有るからだ。
恐らくNOS.Eは、核関係の組織だろう。
当然、逃亡者は関連施設を避けるのがセオリーだ。
一応は調査されるが、長期的には、関連施設や国を避けて行われる。
中国でおとぼりを冷まし、あえて核関連国へ行く事で、見つかりにくいと思ったのだ。
オーストラリアでは、初めての毛染めも行った。
黒髪を脱色して、明るいブラウンに染めた。
ある程度の収入を得るために、農園ではなく観光業を選んだのが、裏目にでてしまった。
こうして、アルバート・タナカは、社会の表舞台から、消える事になった。