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希望ディストピア

作者: 虹色 七音

奈央ちゃんは黒髪のロングです。

奈央ちゃんのイメージはキツネです。

 車が、走っていた。


 一家全員でのドライブだったのだが、私はその日、気分が悪かった。

 そう、ただでさえ気分が悪かったのに、さらに嫌なことが起きた。


 父が、口を開いたんだ。


「奈央、志望校はどうするんだ」


 その言葉が耳から私の心に入ってきた途端に、足の上で人差し指が踊り出す。

 一定のリズムを持って、感情を発散する。


「ちょっとお父さん。今日くらいは」

「そうだよ、父さん。やめなよ」

博人(ひろと)も母さんもちょっと黙ってろ。今は俺と奈央が話してる」


 母と兄が父を諭そうとしたが、父はそれを無視して話を続けた。


「奈央、どうするんだ。答えなさい」

「…………」


 口はほんの少し歪み、指は荒れる様に踊る。

 隣に座っていた兄が、少しだけ身を引いた。


「奈央!」

「……別に、変わんないよ。北高」

「なんでだ」


 いらつきから溜め息が漏れた。

 声に、怒気がこもり始める。


「何だっていいでしょ? 父さんは私じゃないんだから」

「いい訳があるか。お前は俺の娘だ」

「娘だからって何でもかんでも口出ししていい訳じゃ無いじゃん! 私の人生だよ!」

「生意気言うな! 俺がいんと高校にもろくすっぽいけないくせに」


 唸るような言葉は、確かにその通りだ。確かに、そうだ。

 ああ、私は父さんがいなけりゃ生きて行けないんでしょうね。だって、それが子供ってものなんだから。


「…………」

「…………」

「……また、あいつか」

「あいつって何よ。そんないい方しないで」

「いい加減あの一家に関わるのはやめろ! そんなことで人生の行く末を決めてどうするか!」

「別にいいでしょ! 私の人生じゃん!」

「お前のために言っているんだ! お前は綾上高校ヘ行け!」

「何の権限があって言ってんのよ!」

「それがお前のためになると言っているんだ!」


 綾上高校は、うちの近くでも相当の進学校。父は私をそこに行かせたいらしい。

 そして私は、北神嶋高校に行きたい。


「あの娘とは縁を切れ」

「いやだ」

「それに引っ張られて冷静に高校を選ぶことも出来んなら縁を切った方がお前のためだと言っているんだ!」

「そんなの父さんが勝手に決めないでよ! 私の人生だって言ってるじゃん!」

「まだ自立もしていない子供が生意気なことを言うんじゃない!」


 ……私の母は、離婚歴がある。

 その離縁した男には今、娘がいる。その娘は今、私の友人だ。


 その子の志望校は、北神嶋高校だ。


「…………母さん、止めて」

「え?」


 母が、一瞬どういう意味かと声を漏らす。


「だから、車止めて」

「おい奈央! お前何のつもりだ!」


 叫んだ父に、私も叫び返す。


「うるさい! 父さんは私が勉強してればいいんでしょ!!? それで満足なんでしょ!」

「そんなことは言ってない!」

「言ってるんだよ、遠回しに!」


 獣どうしが睨みあう様な空気が漂う。

 暫くして、私の方が口を開いた。


「……母さん、止めて」

「奈央! 逃げるな!」

「いいから止めて!」


 それからスピードを少し落として、車が道路の隅の方で止まる。


「奈央、どういうつもりだ! 全く何も考えとらんくせに行動ばかり起こしおって……」

「何も考えとらんって、ここからなら歩いてでも帰れるでしょ」

「いい加減にしろ!」

「いい加減にするのはそっちだ! 勉強しろって言うなら勉強くらいやらせろ!」

「時と場合を考えろ!」

「時も場合も考えずにこの話を始めたのは父さんでしょ!?」


 荒い息だけが空間を支配していた。

 私はイラつきに任せて、そのままドアを開けて出て行く。


「先に帰ってる」

「おい、待て!」


 父さんがドアを開けて出てこようとした、刹那。





 ――鉄の風船が砕けた様な音が聞こえた。





 私は交通事故というモノを、はじめてみた。






     ☆





『先日、□△市で交通事故が発生しました。

 暴走したトラックが乗用車に追突し、死亡者三名。重傷者一名。軽傷者一名との事です。

 死亡者は天宮(あまみや)明子(あきこ)さん。天宮博信(ひろのぶ)さん。天宮博人さん、の三人で、トラック運転手の神崎(かんざき)耕司(こうじ)さんは現在意識不明の重体で病院に搬送されたとの事です』


 こんな感じの内容のニュースを、何度となく見た。

 そんな気がした。放送局は、『私』だったかもしれない。





     ☆





「奈央、たっだいまー」


 私が商品を整えていると北神嶋高校の制服を着た麻美(あさみ)が店の入り口から入ってきた。


「うん、おかえり。……玄関から入りなおしなよ」

「あー、うん。後でね」

「後でって、店内でうろつかれると迷惑なんですが?」

「今お客さんいないんだから少しくらいいいじゃん」

「……後ちょっとしたら金井さんが来ると思うよ」

「え、なんでわかんの?」

「別に、いつも来てるから予想がつくだけだよ」


 ちなみに大嘘だ。


「ふ~ん、そっか。まあ、そういう事なら退散しますか」


 そう言って麻美が店の入り口から出て家の玄関の方へと行く。


「じゃ、また後で」

「うん。また後でね」


 麻美が出て行くのを横目に見送りながら、店内を見回して人気が無いことを確認し、暇つぶしがてらに少し昔の事に思いをめぐらせる。

 昔の事、とは言っても何とは言い難いか。

 なんせ……色々あった。

 あれから約三年間、色々あった。


 まず、私は親戚の間を半年ほどたらい回しにされた末、麻美の家の……母さんの離婚した方の夫の家の養子となった。

 それが、冬休みの終わりごろだった。

 人様の家に迷惑をかけているのだし、家族の残した財産を使うと言っても限りがある。だから私は、進学を諦めた。

 進学を諦めてからは麻美の家のお店で働かせてもらっている。もちろん、十五歳になるまでは待ったが。

 ちなみに、お給料はとりあえずもらっている。

 私は生活費で十分に使いつぶしていると言ったが、麻美のお父さんがそれではだめだと言って渡してきた。まあ、生活費の分とまでは言わないまでも、ちょっとだけ安いけど。


「私の人生って、おかしいのかなぁ」


 ぽつりと、こぼした。

 もしかしたら、ひび割れた心の隙間からこぼれ落ちたのかもしれなかった。充分充実していると言える今でも消えない、三年前に欠けたひびから、こぼれ落ちているのかもしれなかった。


「いや……、このくらい普通か」


 ちょっとばかり、強がりを言ってみた。もちろん、これだって一つの真実ではあるんだろうけど。

 真実だけで私の人生は作られている訳じゃない。


 被害妄想や泣きごとで人生ができてたって良いじゃないか。


(って、仕事中の私語が多いか)


 ちょっと、気を取り直してレジに戻る。

 レジの近くの椅子でしばらく待っていると、誰かが入ってきた。


「ぁ、いらっしゃいませ!」





     ☆





「遺品整理、ですか?」


 定休日の朝食後に店長から言われた言葉につい訊き返してしまった。

 曰く……

 私がここの子供になった時についてきた沢山の遺品たちをいい機会だから整理してみないか。という事だ。


 確かに、いい機会だと思った。

 あの日からは色々な状況が変わり続けていたし……、休みの日だって一店員としては覚えることだらけでろくに休めもしない。

 それでも覚えることが無くなってきたらすぐに麻美に教わっての勉強を始めたから、どちらにしても暇な日はほとんどなかった。


 ――有意義な人生を過ごしていれば暇な人生にはなりえない。


 昔に父から聞いた言葉をなんともなしに思い出した。

 ……とはいうモノの、実際には少し違うかもしれない。


 正直に言ってしまえば、避けていたのだ。あの日起きたことから逃げて逃げて逃げて、本当は全てその為の口実だったんじゃないのかなんて言われてしまえば、否定しきれないだろう。

 だから、いい機会。

 自分で何かの機会が無ければ逃げ続けてしまうし、遺品もほこりをかぶってしまう。





 という事で、物置である。


「あちゃ、本当にほこりかぶってる。マスクいるかな?」


 この家は案外広くて、本屋と同化している家の裏に広い庭と物置があるのだ。

 その物置は広さの割にほとんど物が置かれていないので、沢山あった遺品も何も考えずにまとめて置いておくことができた。


「しかし、やっぱり多いなぁ」


 遺品の山……、とまでは言わずとも丘ぐらいになっているそれを見て言葉をもらす。

 整理するのには相当時間がかかるだろうが、手伝いを名乗り出てくれた麻美には一人でいいと言っている。

 実際には、一人の方がいいというべきか。泣いたらそれを見られるのが恥ずかしかった、というのが本音だ。

 それに、遺品を他人にあまり触らせるのはどうかとも思うしね。


「うーん、本の仕分けと同じ要領で。……とはいかないかな?」


 とにかく、始めますか。





 家族の写真の入ったアルバム。

 両親の婚約指輪。

 私の写真のまとめられたアルバム。

 兄貴の下手な絵。

 小学校の頃の卒業文集。

 兄貴の写真のまとめられたアルバム。

 大量の教科書の束。

 面白くもないのに数ばかりある漫画。

 両親の写真のまとめられたアルバム。


「なんか……、結構あるなぁ」


 整理してみればそれが案外多彩で驚いた。

 今になってはなぜ買ったのかと思う様な自分の私物も結構と見つかって、今さらお小遣いを貰えた喜びと大事に使わなかった後悔を感じてしまった。

 とりあえずは捨てるモノと保存するモノに分けているのだが……、案外捨てられないものが多い。


「まあそれでも、随分片付いたなぁ」


 と、不意に物置の扉を叩く音が聞こえた。まあ、開いている扉を叩いただけなのだが……。


「おーっす。入っていい?」

「もう入ってるじゃん……。まあ、いいんだけどさ」


 麻美だ。

 彼女はプラスチックのコップを二つと水筒を持って近くに寄ってくる。


「なにしに来たの?」

「見れば分かるっしょ?」

「わかるけど……、お茶持ってきてくれるなら二つ持って来なくても良いでしょ?」


 ……こう見えて、麻美は繊細な人間だ。敏感、というほうが正しいか。

 適等に自分の思うように生きているように見える……、と言う人もいるらしいのだが実際には人が悲しい時にちゃんとそばにいてくれる人だ。

 それでいて、自分がいてはいけない時がいつかも本能で理解しているらしいから邪魔にもならない。まあ、シリアスな時だけであっていつもは邪魔なときとか結構あるけど。

 今は……。


「別に……、泣いてないんだけど」

「なに? あんたが泣いてないと来ちゃだめなの?」


 ではなぜ来たのじゃ。


「なんか、野生のカン? みたいのがビンビンきちゃってさ」

「なにそれ?」

「……さあ?」

「麻美が分かんなかったら誰が分かるの」

「誰も分かんないんじゃない?」

「…………?」

「…………」

「…………」


 なにも言わない時間に飽きてふと麻美が口を開いた。


「あ、ねえ。これってあんたのアルバム?」


 そう言いながら麻美が“捨てない”モノの中から奈央のアルバムを引っ張りだした。

 あまり見ないで欲しいのだが……、まあいいか。


「うん。そうだと思うけど」

「そっか、見ていい?」

「見ちゃダメ」

「おー、了解」


 と、言いながら麻美はアルバムを開く。

 まあ分かってて言ったんだが……、もうちょっと躊躇というモノはないのだろうか。というか持ってくれはしないものだろうか。


「あんま見ないでよ? ちっちゃい頃の写真とか恥ずかしいから」

「いいじゃん。奈央、可愛いんだから」

「いや、そういう問題じゃなくて」

「え、可愛いってとこは否定しないの?」

「……あー。わたしなんかぜんぜんかわいくないですよー」

「棒読みが過ぎるわ」


 そんな雑談をしながらアルバムをめくっていると、不意に麻美が動きを止めた。


「ねえ、奈央?」


 突然、麻美が少しトーンを落として声を開いた。どちらかというと、麻美自身が驚いている様な声だ。


「……これ、ちゃんと見た?」

「ん? いきなりどうした?」

「ごめん。これ結構マジ」

「……ちゃんとは見てないけど」


 麻美はそれを聞くと、アルバムの中から何かを取り出しながら言う。


「私、ここにいていい?」


 そう言われてそれを見ると、それは白い封筒で、何か文字が書かれていた。

 それは、


     “奈央へ 天宮博信より”


 それは、父の字。

 紛れもなく、奈央の父親の書く字だった。


「…………」

「……?」

「お願い、麻美。ここいて」


 麻美は、なにも言わずに首を縦に振った。





     ☆





『奈央へ


 あなたがこれを読んでいる時には、私はもうこの世にいないと思います。もしもまだ生きているのに読んでしまったなら、読んだ内容を忘れて元の場所に戻してくれるとありがたいです。』



 その手紙は、そんなふうに始まった。

 記憶の中にいる厳しい父には似合わず、随分と他人行儀で懇切丁寧な文には少し口の端が緩んでしまう。きっと本人は真面目なのだろうが……、それも含めて面白い。



『私はつい先日、街中で占い師の方と出会いました。そして、予言を受けたのです。』



「は?」


 つい、そんな声が漏れてしまった。

 街中で突然であった占い師など……、詐欺のにおいしかしない。そんなモノにかかるなど、厳格な父では考えられなかったのだ。



『その男は非常に胡散臭い人間で、私が死ぬという事だけを予言したら金も取らずに消えてしまいました。

 悪戯の類だとは思ったのですが、それからしばらく経っても頭から離れず、家族への遺書を書くことにしました。』



 …………下らない。

 そう思ったのだけど、実際に死んでいるのだからバカにならない。

 なんか、泣く気も失せたようだ。



『私はあなたに綾上高校に行ってもらいたいです。そうでなくても、なるべく高学歴なところを選んで進学するようにしてください。

 他の人よりも優秀でいてください。』



 そこまで読んだ瞬間、それを破り捨ててしまおうかと思った。


「……クソオヤジが」


 手紙を閉じようとしたら、横から声がとんでくる。


「奈央、どうしたの?」

「……別に、読む価値が無さそうだったから」


 そう言いながら“捨てるもの”の山に手紙を捨てようとすると、その腕を麻美につかまれる。


「最後まで読んで」

「なんで」

「なんでも」

「ちゃんと理由を言って」

「言っても聴かない」

「聞くから」


 睨み合いそうな雰囲気になってから数瞬、麻美が口を開いた。


「死人に口なし。だったら死人の言葉を消してしまうのはあんまりだ、なんて言っても納得しないでしょ?」

「……まあ。たぶん……」

「でしょ。だから、なんでも」


 それに反論しようとしたが、麻美の真っすぐな目を見てしまうと言えなくなった。

 しばらく戸惑った後、手紙を手元に寄せたが、それでも怯えた様に読むことをためらっている私を見て麻美が言う。


「大丈夫、奈央のお父さんは、奈央のことが好きだった」


 それはとても、とても優しい声で、安心できた。


「…………」

「…………」

「…………分かった。読む」


 手紙を開くと、そこにはこう続いていた。



『でも、やりたいことが決まったら学歴にはこだわらないでください。

 ただ、やりたいことが決まるまではやりたいことが決まった時に諦めずに済むように、進路を広げる為にも優秀になっていてください。

 やりたい事をやって、幸せになってください。


 奈央は、幸せになってください。

 人間には、幸せになる権利があります。

 子供には、幸せになる義務があります。

 私のために何かをするのではなく、自分のために色々な事をしてください。


 自分がやりたい事をしてください。

 自分にとって大事だと思う事をしてください。

 自分の夢を行きたいところまで追いかけてください。』



 ……

 …………

 ………………

 ……………………


 泣きたくなった。視界がぼやけ始めた。

 その続きを読んで、泣いてしまった。



『奈央の幸せが、私の幸せです。

 だから奈央は、幸せになってください。』





     ☆





「遺品整理の続きは、また今度にしよっか」


 さんざん泣いて、泣き疲れて泣くのをやめた頃に、麻美が私の背中を軽く叩きながらそう言った。

 顔を上げて涙をぬぐってみれば、外はもう茜色に染まっている。


「もうこんな時間だったんだ」

「長いこと泣いてたからねぇ」


 そう言われた瞬間、私は頬が赤く染まるのを感じた。


「ちょ、そのこと義父(おとう)さんたちに言わないでよ!?」

「そんだけ目、赤くしてたらばれるでしょ」

「え、あ、それはそうだけどっ」

「……何でもないって言ってあげるから、安心して」


 そう言った麻美の笑顔はとても、とても優しくて。


 私はまた泣きそうになったんだ。

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