黒衣の男は闇に消ゆ
やる気のなさそうな顔で森を歩く影が一つ。
街を囲む壁から一歩でも出れば魔物の領域だと言うのに、そんな場所で私服の上に外套を羽織っただけと言う街中の市民のような格好で歩くその影はザックだ。
そんな勇者はこの男しかいない。
一応、外套の下には分厚い金属板を研いで刃をつけただけかのような無骨な2本の剣が隠されている。
外套の下にそんなものを隠しているのは冒険者か犯罪者か、中二病という恐ろしい病にかかった村人くらいだろう。
そんなザックが欠伸交じりに向かう先はこの森の西部にある「青の洞窟」と呼ばれるダンジョンである。
あまり広くはない洞窟だが、その中にはいたるところから青く輝く水晶が突き出しており、魔物さえいなければ人気の観光スポットになっていたことだろう。
そこに何のようがあって行くのかというと、ギルドから直々に出された依頼を達成するためだ。
ギルドのごく一部の人間はザックの能力の高さを知っており、たまにこうして依頼を出すことがある。
その依頼内容というのは、ほとんどが新人冒険者の世話だ。
世話と言っても戦い方を教えたりはしない。
そもそも、ザックの戦い方を真似できる人間のほうが少ないだろう。
ただ、新人冒険者の様子を後ろから気付かれないように見て、必要があれば救助をするというのがザックの仕事。
こういう依頼の場合何も起きないということも少なくはなく、そういった場合ザックは「楽な仕事だぜ」とホクホク顔で一人、高級料理店に行ったりしている。
「ステーキ・・・あそこのカレーも捨てがたい・・・」
口にたまる涎を飲み込みながら、今日のご飯を何にするかと一人考えを巡らせる。
「ぁぁぁあああああああああ!!」
「うるっせぇな!いま、飯考えてんだろうが・・・!!」
突如斜め後ろから聞こえた大音量の叫び声にザックはイラついたような声で怒鳴りつける。
だが、ぱっくりと口を開けた洞窟の入り口を見て、ザックは「あっぶね、通り過ぎるとこだった」と呟き数歩戻って洞窟の闇の中へと進んでいく。
カツン・・・カツン・・・。
ザックの履いているブーツが洞窟の硬い地面に当たるたびに、洞窟内に何重にも足音が響き渡る。
「(ああ、やだなぁ・・・青の洞窟ってことは・・・あいつらだよなぁ)」
ザックはこの洞窟に潜む魔物の姿を思い浮かべ、心底嫌そうな顔で足を進める。
レベル999のザックでさえも考えるだけで苦虫を噛み潰したような表情になる相手。
「く、来るなぁ!!」
洞窟の角を曲がるとそこに冒険者達がいた。
血溜まりに尻餅をつきガタガタと震える少女とそれを庇うように剣を振る少年。
勇気ある行動ではあるがその構えはへっぴり腰でなんとも滑稽だった。
たとえ少年のでたらめに振る剣が魔物に当たったとしても殺すことはおろか、傷を付けることでさえ難しいだろう。
「(あれ?4人パーティーって聞いてたけど・・・2人は喰われたか)」
彼らとは対照的にザックはのんびりと洞窟の闇の中、2人のもとへと進み冷静に状況を分析をする。
カチャ・・・カチャカチャ。
そのとき、とうとうザックの視界にもやつらの姿が入る。
油でてらてらと黒光りする外殻。
動くときになるカチャカチャという湿った機械音のような不快な音。
あちこち動き回る触覚。
やつらの名は「人喰い蜚蠊」またの名を「ジャイアントコックローチ」。
家庭によく出る黒光りするあの昆虫「G」をそのまま大きくしたような見た目の魔物。
じめじめとした洞窟などに群れを形成して住み着くことが多く、巣に入ってきた動物を集団で狩る。
「ギギギギギ」という錆びた金属同士をすり合わせるような鳴き声を聞けば、冒険者を辞めたくなること請け合いだ。
「退け」
「ひっ・・・」
ザックは、いつものように魔物に警告をする。
傍から見れば頭がおかしいのかと思われるような行動だ。
その警告の声を聞いてか、少女が短く悲鳴をあげる。
「退けといった・・・」
カタカタと少女の歯が音をたて、体は先ほどよりさらに大きく震えている。
少年も振っていた剣の動きがピタリと止まり、カチャカチャと鎧が耳障りな音をたてる。
2人はゆっくりと後ろを向く。
黒い外套が洞窟の闇に溶け込んではいるが、そこに細身の青年が立っていることはかろうじて確認できた。
「最後の忠告だ・・・退け」
ザックは低い声で最後の警告をする。
人喰い蜚蠊はその場から数歩下がるも、逃げる様子はなく、依然「ギギギギ」と気色の悪い鳴き声をあげている。
それを確認したザックは1度溜息を吐き、何かの構えをとる。
ヒュッ・・・ズドンッ!!!
風を切る音、轟く轟音、そして飛び散る洞窟の壁の破片。
少年も少女も洞窟の暗闇でザックが何をしたのか理解できなかった。
いや、たとえここが真昼間の草原でもわからなかっただろう。
ザックはどうしても人喰い蜚蠊に触りたくなかった。
自分の剣で斬ることさえも絶対に嫌だった。
だから、そこらに落ちている小石を一つ拾い上げ、人喰い蜚蠊の頭めがけて投げたのだ。
ザックの手から放たれた小石は、凄まじい速度で人喰い蜚蠊の頭に吸い込まれ、見事頭から尻まで大きな風穴を開けることに成功した。
ザックのレベルになると、小石を投げるだけでもそこそこの魔法使いが使う第3等級魔法よりもよほど強い威力になる。
「よいしょ!もいっちょ!あそーれっ!」
次々と飛んでくる洞窟の壁の破片と洞窟内に響く耳を劈くような轟音に、2人はその場に伏せビクビクとおびえている。
そろそろ崩れてもおかしくないんじゃないだろうかと2人が本気で心配し始めた頃にようやくザックの手が止まる。
砂塵が収まるとそこには見るだけで吐き気を催すような光景が広がっていた。
「うへぇ・・・きもいな」
ザックはまるで人事のように呟くと、蹲る2人のもとへと向かう。
「大丈夫か?」
2人を立ち上がらせると、ザックは二人の体を見回しながらいった。
「は、はい」
唖然とした様子で少年が頷く。
少女は何も言わずただ険しい表情で腕を押さえていた。
腕からはポタポタと血が滴り落ちている。
「見せてみろ」
少女の手をどかさせ腕を見ると想像以上に深く切り裂かれていた。
「あーあ、これ魔物の傷か?」
「・・・はい」
その目いっぱいに涙を溜めて言う少女に、ザックは「ちょっと待ってろ」と言ってベルトについたポーチから二つの小瓶を取り出す。
「こっち飲め、こっちはかけるぞ・・・ちと沁みるが我慢しろ」
魔物によってつけられた傷はあらゆる病気を引き起こす原因となる。
ザックが取り出した小瓶は、傷口を消毒する薬と、傷を癒すポーションだ。
「どうした」
ザックがなかなか薬を飲む様子のない少女の顔を覗きこむ。
「これ・・・ポーションですよね」
「ああ、そうだ」
「そんなお金・・・ありません」
少女はそういうとポーションをザックに返そうとする。
ザックは、ポーションにアレルギー反応でも示す珍しい体質なのかとも思ったが、少女の口から出た言葉を聞いて「なんだそんなことか」と笑う。
「いいから飲め、金はいらない」
「でも・・・」
まだ、何かを言おうとした少女はザックに無言で見つめられ、その口を止めた。
そして、小瓶を開けて一気に飲み干す。
それと同時にザックは消毒薬を傷口にかける。
「ぁぁああ・・・!・・・あれ?痛く・・・ない・・・」
最初の一瞬こそ沁みたものの、すぐにひいていく痛みに少女は目を丸くして呟いた。
「よしっ!じゃあ、俺帰るわ・・・お前らも新手が来る前に帰れよ」
ザックは空の小瓶を2本、ポーチの隙間に詰め込むとさっさと洞窟の出口へと歩き始める。
お礼を言う二人に振り返ることもなく軽く手を挙げて洞窟の闇へと消えていたった。
ザックは冒険者の間ではちょっとした有名人だ。
黒衣の男という名が出れば「俺はこんな助けられ方をしたことがある」「私のときはこうだった」と結構な人数の冒険者が話を持っているため、酒の席などでは定番の話題だったりする。
だが、ザックの話をするものはみな一様にこう言う。
「彼は化け物であった」と。