epsode1 始まりはシリアスに
肌を刺すような冷たい風が吹く深夜の埠頭に、100人ほどの男達が集まっていた。男達は一様に裾が膝と同じくらい長く、派手な刺繍で彩られた白や黒、紫などの特攻服を身に纏っていた。この寒さの中、特攻服の下にはさらしを巻いただけの者達も多くいる。
彼らは暴走族『騎竜会』の構成員だ。ド派手に改造されたバイクが整然と並んでいる様は彼らが統率された集団であることを物語っていた。
そこから少し離れた所、埠頭の先端部に2人の男が立っていた。一人は燃えるような赤髪を持つ大男にして騎竜会総長『喧嘩最強』龍ヶ咲伊織、そして騎竜会旗持ちにしてイオリの『第一の舎弟』立花大地である。
「ついにここまで来たな、ダイチ」
赤髪の男が海に浮かぶ波を見つめながらポツリと呟く。その言葉を受けてダイチはこの男と共に喧嘩に明け暮れて過ごした3年間を思い返す。
最強の男、竜ヶ崎イオリ。彼はその拳と持ち前の胆力で一代にしてこの暴走族『騎竜会』を作り上げた。
かくいうダイチも高校入学式の当日にイオリに喧嘩を売ってコテンパンにのされたクチだ。それ以来、半ば強引にイオリの舎弟となったクチだ。
「兄貴、あの日の言葉覚えてますか」
「『男なら決して止まらず上を見て走りつづけろ。とりあえずオレはこの街のてっぺん取る』だろ」
そう、その言葉だ。当時、人生に生きる意義を見出せず自暴自棄になっていたダイチはその言葉を聞いてイオリに強烈な憧れを持った。そしてイオリが頂に立つ姿を見る事が、彼の生きる目標となった。
「俺、あの時の兄貴の言葉がなかったら今頃その辺で腐ってました。兄貴の舎弟になってから俺、生きてるって実感してます」
「そうかそうか。それにしても慣れってのはこえぇよなぁ。同い年だしお前の方が誕生日早いってのに、兄貴って呼び方よぉ。最初はスッゲェウザかったけど今となったら慣れちまったよ」
イオリはおどけた表情で肩をすくめた。確かに兄貴というものは普通、年長者に向けて使う言葉だろう。しかし、ダイチにはイオリを兄貴と呼ぶ確固たる信念があった。
「押忍!兄貴は俺の、心の兄貴っすから!」
迷いのないダイチの返答にイオリは明るい声調で応えた。
「ふっ、心の兄貴ねぇ。オレはそんな偉いもんじゃねーが。あぁ、兄貴と言えばよぉ。うちの妹、大学行くらしいわ。双子だってのに似てもにつかねぇよな、偉いぜあいつは」
イオリの妹はアスカという。ダイチも何度か会ったことがある。双子なのにイオリとは似ても似つかない、美しい黒髪の大人しそうな女の子だった。日夜喧嘩に明け暮れる健全な非行少年たるイオリが夜遅くに帰宅するのに付き合うと、玄関先にイオリを迎えに来るアスカと顔を合わせるのだ。
アスカはいつもキッとした視線をダイチに送って来た様に感じられた。
あの視線の意味は何だったのだろうかと、そんな事をダイチが考えている時、イオリは何かを思いついたのだろう。ニヤリとした笑顔を浮かべた。
「オレもアスカの事、心のお姉様とでも呼んでみるかな」
くだらない冗談だったと言うとイオリは静かに振り返り、他のメンバーが待っている方角へ向けてゆっくりと歩き出した。ダイチもそれに付き従った。
今日はイオリとダイチ、そしてその他の高三メンバーの引退式の日である。引退に向けてイオリは一抹の不安を持っていた。
それを事前に伝えられているダイチはこの引退式を何としても成功させる事が騎竜会の今後を決める最重要事項であると気を張っていた。
イオリが言うにはこういうことだ。騎竜会は今どきの不良としては珍しいほど硬派で通している。盗みは禁止、クスリやシンナーも禁止、ヤクザとも関わらない。タバコは禁止しなかったが、喧嘩最強を目指すイオリが吸わなかったため何となく吸いにくい雰囲気が広がっている。
全てはイオリの尋常ならざる拳力の為せる技だ。対して騎竜会の後輩たちはイオリの影に隠れて表にでないし、何処と無く自信が無いように感じられる。
イオリの様な強烈な個性が抜けた後、騎竜会はどうなってしまうのか。勿論、引退式以降は二代目が騎竜会の看板を背負って、彼らのチームを作れば良い。だがイオリにはまだ彼らが、最低限の不良なりの仁義の様なものを守っていけるのか信じきれないでいた。
そこで今回の引退式で後輩たちを見極めよう、そういう思いでイオリはこの会を開いてる。ダイチもイオリの考えに賛同していた。
イオリは整列した暴走族の前に毅然とした様子で仁王立ちになった。ダイチと他数名の引退者たちはその後ろに横になって並んだ。
イオリが大きく息を吸い込み、今にも声を発そうかというその瞬間に一台の黒塗りのベンツがものすごい勢いで突っ込んできた。ベンツは急ブレーキをかけてドリフト気味にイオリの目の前で停止した。
この時の様子を見てダイチは、流石イオリだな、と思った。ダイチを含めイオリの後ろに立っていた者はその勢いに身の危険を感じて一、二歩後ずさりをしている。酷い者に至っては腰を抜かしてしまっている。
だが最も危険な場所にいたイオリは、仁王立ちの姿勢を崩さず、カッと目を見開いて立っている。見切っていたのだろうか、あるいは仮に衝突しても耐え切ってやろうという腹づもりだったのだろうか。いずれにしてもイオリのこの度胸溢れる姿勢がイオリが喧嘩最強と言われる一因だとダイチは考える。
ベンツのドアが開く。最初に降りてきたのはパンチパーマにサングラス、柄の悪そうなスーツを着た男だった。見るからにヤクザである。パンチパーマの男の後に続いて角刈りで筋肉質な男が3人、ベンツから降りてきた。何れもヤクザ然とした格好をしている。
パンチパーマの男は胸ポケットからタバコを取り出して吸い始めた。
……その時ダイチは違和感を感じていた。
突然のヤクザの襲来に驚きの色を隠せていないのはダイチの周辺にいる数人だけだ。後のメンバーはベンツが突っ込んで来た時には多少の動揺を見せたものの、今は落ち着いて何かを待っている様に見える。
短気なヤツも何人もいる、ベンツを取り囲んで恫喝してもおかしくない。それなのにこの平然とした様子は何事なのか。
パンチパーマの男は二、三口程タバコを吸うと、それを捨てて靴で踏み潰した。そして下からイオリを睨めつけるような視線を向けながらその口を開いた。
「えーっと、騎竜会のイオリ君だっけ。キミたちチョイとオイタし過ぎてんのよね。んでさ、もっと怖〜いオジサン達にオシオキされちゃう前に優しいオジサンが取り持ってあげよぉかなってよ。勿論タダじゃねぇけどよぉぉ!」
要はヤクザが上納金を納めろと言ってきているのだ。イオリはそれをきっぱりと断った。
「上納金払えって事ですか。勘弁して下さいよ。騎竜会は腕っ節一本でやって来たんだ。ヤクザ上等!このイオリを舐めるなよ!」
「あぁん?ヤクザ上等?おめぇ意味わかって言ってんのかコラァァ!」
パンチパーマの男は怒り心頭な様子で、顔を真っ赤に染めあげながら怒鳴った。だがイオリは平然とした態度を崩さなかった。
「まぁ、いいよ。お前は払う気がないとして、後輩クン達はどうかなぁ。実は事前に相談してたんだけどね。心よーく了解してくれたよ。ねぇ!」
そう言うとパンチパーマの男は手頃な所に居たのだろうか、一人の後輩の肩を叩いた。肩を叩かれた後輩――タツは、肩を一瞬肩をビクッとさせて、みるみるうちに顔が青ざめていった。
イオリは2人に静かな視線を送っているように見えた。
「言ってあげなよぉ。ボクたちイオリくんのお堅い感じついてけませんって、その点オジサン達ならお金さえ払ってくれれば融通聞いちゃうよ」
タツはパンチパーマの男に煽られて、意を決したかの様にまくし立てて叫んだ。
「イオリくん!俺たちもっと緩くやっていきてーんだよ!オンナだって引っ掛けて遊びてぇんだよ!!イオリくんの強さには憧れたけどヨォ!世の中にはもっと怖ぇ人もいるんだよ!この人たちにケツ持ってもらえば、スカした野郎から金巻き上げてオンナと遊んで暮らせんだよぉ!!将来性もねぇ俺たちにはよぉ、どうせ遅かれ早かれそんな生き方しかねぇんだ!」
「いいねいいねぇ。オジサン達はそういうかわいそうな青少年可愛がっちゃうよ」
パンチパーマの男は下卑た笑顔を浮かべ、上機嫌な様子で少年の発言に拍手を送った。
「お前!タツ!なんて事考えてやがる!騎竜会は上ぇ見んだろ!なに下向いて生きてやがる!」
イオリの邪魔をせぬよう黙っていようと思っていたダイチだが、身内と思っていた者に自分とイオリが過ごしてきたこの3年間を汚されたような気がして、堪えきれず言葉が飛び出してきた。
そしてそれに対してイオリが意気揚々とした様子で応じる。
「いい事言うじゃねぇかダイチ。下向いて生きてたら騎竜会じゃねぇ!死んだ方がましだ!!文句あるヤツはかかってこいや!」
「おうおう、威勢がいいねぇ。元気な若いのには現実教えてやんねぇとなぁ。ちょっとかわいがったれや!ヤス!」
パンチパーマの男の号令で、角刈りの一人がイオリの前に躍り出た。ヤスと呼ばれたその男は筋肉の塊のような体つきで、イオリを上回る巨漢であった。
「餓鬼の相手なんざ俺も落ちぶれたものですわ。まぁ精々苦痛が無いようにサッサと気絶できる事を祈ってな」
そういうとヤスは両の拳を眼前に持ち上げ、しっかりとワキを締めた構えを取る。ボクサー崩れなのだろうかとダイチは思った。対するイオリは相変わらずの仁王立ちである。その構えはヤスの目に挑発に映ったようだった。
「舐めんなよぉぉ!」
ヤスはおよそボクサーらしからぬ大振りから放たれた渾身の一撃をイオリの下顎に命中させた。通常なら一発で脳震盪を起こしてKOになってもおかしくない、仮に狙いがズレてKOまでいかなかったとしてもパンチの威力で吹き飛ばされているだろう、そういう一撃だった。――が、イオリはその一撃を受けてもピクリともしていなかった。
そして伸び切ったヤスの右腕を左手で捕まえるとグッと引き寄せ、そのままヤスの顎に目掛けて強烈な右アッパーをお見舞いしたのだ。ヤスはそのままグラリと揺れて倒れた。
「流石兄貴!カッコいいっす!!」
ダイチは思わず拳に力が入った。憧れていたイオリの圧倒的な強さの前に興奮がおさまらない。一方、そんな様子に気が気でない他の暴走族達は騒めき立った。
「ヤクザ舐めてんじゃねぇぞォォ!サブ、リョウ、ボヤッとすんな」
パンチパーマの男はこの場の主導権を取り返す為か、怒号をあげて他のヤクザを送り込んだ。更に、イオリに恐れをなす暴走族達をけしかける。
「お前らも行くんだよ!おら!殺されたくなかったら殺してこいや!!」
けしかけられた暴走族からすればたまったものでは無い。前門は喧嘩最強、後門は最凶のヤクザという、彼らにとっては進むも地獄、引くも地獄といえる状況となった。
こうなっては組織であるヤクザを敵に回すより、1人の不良をリンチにする方がまだ勝ち目があると判断したのだろうか、一塊の集団がイオリに向けて突撃する。
イオリは今、戦闘の場であるこの埠頭においてまごう事なき喧嘩最強の存在である。タイマンを張ってイオリに勝てる者はいない。
だがしかし、集団戦となれば話は別である。包囲して死角となる位置から襲えば一人の不良を倒す位ワケがない――ハズだった。イオリの死角から迫る不良の一人の脇腹に、ダイチの強烈なミドルキックが突き刺さって倒れる。
1vs100、不良vsヤクザの構図の死闘において1を守ろうと思う者は少ない、まして行動に移せる者は更に少ない。現にヤクザの襲撃を知らなかったであろう一部の者たちはこの場から逃げ出すか、あるいは流されてヤクザの側についている。
だがイオリの為ならば、それをやってのけるのが『第一の舎弟』立花ダイチである。
「兄貴ィ!俺、引退撤回しますわ。これ終わったらまた二人で、一から上ぇ向いて出直しましょう!」
「おうおう、カッコいいじゃねーかダイチ!俺がオンナだったら惚れてたぜ!!」
「押忍!」
ダイチとイオリはお互いの背中を守るようにして、迫ってくる相手を次々に迎撃していく。ダイチからするとイオリが背中を守ってくれているため、これ以上ない程心強かった。
対してイオリはどうだろうか。ダイチに背中を任せて安心して闘えているだろうか。少しでもイオリに不安を与えない為、ダイチは気力を振り絞って闘った。
ふとダイチの視界の片隅に煌めくものが映った。パンチパーマの男だ。片手に折りたたみのナイフを持って此方に――いや、イオリの方に駆け寄って来た。
「兄貴ィィ!」
考えるよりも早くダイチの体は動いていた。凶刃からイオリを守るために。
ドスッ!
ナイフはダイチの脇腹につき刺さった。ダイチの脳には腹部からの鈍い痛みが一瞬遅れて届いた。その痛みのする部分を手で抑える。そこは温かく、湿った感触がした。
手についたドス黒い血を確かめると、ダイチはその場に倒れた。
「ウォォォォ!クソガァァァァ!」
パンチパーマの男は人を刺した高揚感と、狙いを外された怒りで雄叫びをあげた。刹那、男の顔がグシャリと歪んだ。
イオリの一撃はパンチパーマの男の顔面を捉え、振り切ったその拳は男を3メートルも吹き飛ばした。
「ダイチィィィィ!」
イオリはパンチパーマの男が地面に崩れ落ちるより早く、倒れているダイチに向けて駆け寄った。
「ダイチ!ダイチ!しっかりしろぉぉ!!」
そしてダイチの脇腹に突き刺さる白刃と、流れ出る血に気がついたのだろう、イオリを抱きかかえて慟哭する。ダイチは薄れていく意識の中、イオリの特攻服を掴んで言った。
「兄貴……すいません。なんか……視界が真っ暗……で兄貴の声……聞こえてるのに……兄貴の顔……見えません」
「いいよ!ダイチ!しゃべんな!喋るんじゃねえ!」
イオリは焦点のあわないダイチの瞳を見ながら泣き叫ぶ。2人を取り囲む暴走族たちは目の前で起きた出来事に身動きが取れず茫然と立ち竦んでいた。
「クソォォォォォォ!」
イオリの慟哭と共に、イオリとダイチを包みこむ様に真っ黒な霧が現れた。――やがてその霧が晴れた時、そこには2人がいた痕跡は何も無く、一本のナイフが転がっていた。
初執筆です。
完結を目指してゆっくりと更新していきます。