理由
酷い腐臭と共に地の底から蘇った人間だった者達の集団。その多くは身体の一部分が欠損しており、中には首から上が存在しない個体さえいた。そんな多少の個体差はあれども、それらは一様に王国軍で使っている金属の甲冑を纏っており、長い歳月によって風化した装備には擦れた飛竜の紋章が描かれていた。
おおよそ切れ味など期待できないであろうさび付いた長剣を片手に、生者へと明確な敵意と殺意をまき散らすその姿は、まるで目の前の生者を自分達の仲間に迎え入れようと、黒い感情に突き動かされているかの様でもあった。
そんな悍ましくも、痛ましい姿を晒す死者達を見て、ルキウスはリカードへと問い詰める。
「この場所に来る道中、俺達を襲った王国軍はお前の差し金か。 道理で旧式の甲冑なんて着込んだ王国騎士が待ち伏せてたわけだ」
「ご名答。 ただでさえ精鋭揃いの王国騎士団だというのに、相手が不死とはレイナも不運ですね。 こんな所に来なければ、死ぬことは無かったというのに」
「生憎だがレイナはそんなヤワな奴じゃない。 旧時代の武具を装備した、意思を持たない相手如きに遅れはとならないさ」
常に最強にして最高の武を志す王国の騎士達は自分の技量を向上させる鍛錬は当然の事、装備や魔法といった直接的、あるいは間接的に戦いに関わる様々な技術も最新の物を取り入れ、更に先を見越した戦闘技術を身に着けていく。
その中でも武具は最たる例であり、高い物理防御と魔法耐性の付与という点に関しては、王国の騎士甲冑は大陸でもっとも堅牢な事で有名だった。
それ程の相手をレイナに任せてしまったことに、ルキウスは少しばかりの不安を感じたが、すぐにそれも振り払う。ここでレイナの意思と覚悟を無駄にするわけにはいかないのだ。
「強がるのもいいですが、どうか安心してください。 私の力とこの魔導書さえあれば、死すら決別の理由にはなりえないのだから」
リカードは壮絶な微笑みを湛えて、腰に下げた一冊の本を取り出すと、その施錠されていたはずのそれを強引に開け放つ。
それと同時に、写本のみで蘇生されていた王国兵達にも変化があった。不完全な姿でよみがえった兵士たちが、生前の様な姿へと変貌した。五体は完全に蘇り、装備は土に汚れさび付いた物から、新品同様の輝きを放っていた。
リカードを取り囲むルキウス達を、さらに取り囲むように整然と整列した死者の軍勢。見れば流星の魔法を起動していた数人の魔女達さえも死者達に囲まれ身動きが取れなくなっていた。
その一糸乱れぬ、よく訓練された軍隊の様な練度の高さを見て、ルキウス達は一層警戒を強めた。
「素晴らしい! まさに想像通り、手足の様に死者を操る事ができる! これが写本ではなく、原本の力。 生者の書本来の力という訳ですか」
「それはフィオナの本! 貴方が持っていていい物じゃない!」
目の前で奪われたそれにマリーが飛び掛かろうとするも、それを遮った者がいた。手当を受けていたはずのフィオナ本人だった。今のリカードに不用意に近づけば、周囲の兵団に嬲り殺されるのが目に見えていた。アンクという似た存在を有するフィオナは、その兵士たちに感情や情けといった心理的な枷が存在しない事を理解している。下手な行動は容易に死を招く。
だがマリーは怒りに支配されていた。友人として接してくれたフィオナの覚悟と決意の表れである魔導書を奪い去ったリカードを見て、その怒りは何倍にも膨れ上がり、留まるところを知らずにいた。
当初見たマリーとは裏腹に、怒りに燃える彼女の姿を見ていたリカードは、丁寧な語り口で言い放った。
「自分の意思を通したいのならば、正しさを示したいのならば、力を証明するべきです。 ここは戦場。 戦場では力が正義となる。 ですが戦場では、最も力のない者から死んでいくのは世の定」
「そんなこと、させると思うか?」
自分達を取り囲む死者達の行動に意識を尖らせながら、ルキウスはリカードの言葉を遮る。
リカードはアンクの陰に隠れていたマリーへと向けていた視線をルキウスへと移しながら、言った。
「戦場の非情さは貴方が一番理解していると思っていたのですが」
「十分に理解している。 戦場が真面で正義感の強い奴から死んでいく、理不尽な場所だってことぐらいな」
「なら今さら説明は無意味ですね。 そこの魔族のように綺麗事だけを並べ立てて、無責任に死んでいく者達を、私と貴方は嫌という程みてきたでしょう」
従軍経験の長いリカードはそれだけ多くの仲間も失ってきた。その多くが帝王スタリオンの提唱する大陸統一が理想世界と国家、そして幸せを実現すると信じて帝国軍へ入隊してきた優秀な若者達だった。
若いからこそ描く理想と入隊してから初めて悟る現実との格差に、若き軍人の誰しもが苦悩を抱きながら戦場へ赴く。そして残るのは、現実を受け入れた現実主義者達。理想を夢見る者達の多くは、現実の重圧に押しつぶされ戦場の餌食となる。
「理想を語る者は早死にする。 帝国軍に広まる一種の噂ですが、あながち全てが嘘という訳でもない。 ある意味では軍の規則よりも端的に戦場の摂理を現している」
無意味な理想を抱き、吹聴し、耳障りの良い夢物語を語り、そして死んでいく。残された者達はそんな屍を見ては、夢を見る事を恐怖と捉え、そして一切の希望を抱くことなく戦いに明け暮れる。
それはルキウスの同僚も同じ事だった。残ったのは自分や仲間の命すら駒として考える、冷徹ともいえる者達のみ。大を救うために、小を犠牲にすることに躊躇する事のない者達だった。
だがそれも、過去の話だとルキウスは一蹴した。
「今の俺は将軍でも、ましてや軍人でもない。 規則や柵に縛られ、思うように動けなかったあの頃とは違う。 身近な奴ぐらい、この手で守れるさ」
予想外の言葉に驚くように、そしてすぐに失笑するような仕草でリカードは目元のモノクルの位置を整えた。赤毛の悪魔と呼ばれたルキウスの言葉に、軍役時代にはない甘さが含まれていたからだ。
「それは、貴方の弱点となりますよ」
「これが弱点だとは思わない。 これは、俺の戦う理由だ」
だがそれでも魔剣の柄を握りしめるルキウスの拳に宿るのは、軍役時代では考えられなかった失う事への強い恐怖と、守り切るという確たる決意。自分に与えられた生きる理由だと、理不尽な仲間の死へ無理やり納得してきた。帝王の為に、帝国の為に命を落としてきた仲間と、命を奪ってきた敵国の兵士達。それも未来の為、平和の為だとできない納得を無理やりしてきた。
そんな欺き続けてきた自身の感情をねじ伏せる。
張り詰めた緊張感と、震える程の殺意の嵐。一瞬の隙が命取りになるであろう刹那の静寂を、リカードは容易に引き裂いた。
「ならば、いいでしょう。 貴方達には不死の軍団を相手にしてもらいましょうか。 どこまで耐えられるか、私は高みの見物と――」
魔物の物と見紛う右腕を振り上げ、死者の兵団に命令を下そうとしたその時。蘇った王国兵達が切れ味を失った禍々しい長剣を構え、臨戦態勢に移行したその瞬間だった。
今まで首を飛ばされようとも、それこそ殺されようとも止まる事の無かったリカードの動きが、唐突に静止する。見ればその顔からは常に浮かべていた張り付いたような笑みが消え去り、代わりに苦痛に満ちた泣きそうな表情を浮かべていた。
唐突に訪れた異様な雰囲気のまま、腕の動きを止めたリカードはぎこちない動きでマリーを目で追うと、絞り出すように一言だけ呟いた。
「『あの子に、手を出すなッ!』」
その行動と言葉は、再び全員を混乱の渦に巻き込んだ。
殺戮の命令を下そうと振り上げたはずの腕を、別の誰かが止めているようにも見える不可解な動きに、今までの殺伐としたリカードから放たれた言葉とは思えない言葉。乖離した行動と言葉を見て、狂気に吞まれたのかと緊張が走る。これ以上正気を失えば、リカードが何をするか予測が不能になるためだ。
だが、たったひとりだけ、リカードの行動を理解できる者がその場にいた。そしてそれは、彼女の最も知りたがっていた事のひとつでもあった。
「う、嘘だよ……だって、帰ってくるって約束したのに……。 待っててねって……言ったのに……! 必ず迎えに来るって、約束……約束したのに……!」
否定と確信が、マリーの思考と感情をズタズタに引き裂いた。決して相いれない相反する感情が入り乱れ、反射的に両耳を塞いでしゃがみ込む。全てを遮断し、否定する。それは幼いマリーが選んだ現実逃避とも言えた。
その姿を見ていたルキウスは、激しい痙攣を続けるリカードから目を離さず大声で指示を飛ばした。
「落ち着け! 今は下がっていろ!」
戦場の危険はリカードが語った通りだった。気が緩めば容易に命を落とす事となる。そんな場所で無防備に立ち止まる事は死を意味した。それを知るルキウスは焦燥の交じる声を上げた。
だがそれでもマリーは動けずにいた。
命を狙われも気丈に振る舞っていたマリーが、それほどまでに取り乱した所を見て、ロロは訝し気にルキウスへと問いかける。
「さっきからあの声はなんなの!? 説明しなさい、ルキウス!」
二度目となる不可解な声。一度はロロが不意を突かれる原因となっていた。それでも事情を知らなければこの状況を理解できる者は少ないだろう。それを説明する必要がある事は十分理解できていた。
しかし、そのあまりにも残酷な事実を口にすることをルキウスは躊躇していた。心を守るように否定の言葉を並べ立てるマリーのか細い声を聞いては無理もない事だった。
しかしこの状況で不明瞭な理由を隠し続けるのは、全体の不穏を招く。ルキウスは意を決したように、ただ事務的に事実を告げる。
「マリーの両親は帝都で失踪している。 俺が将軍を下りる、少し前の話だ」
ともすればルキウスの告げた事実は、この状況にはまったく関係のない話に聞こえただろう。だが、数瞬の時間を経て真の意味を理解したロロは目を見開き、リカードへと視線を向けた。無表情を貫いているフィオナの表情も、心なしか険しい物となっているような錯覚をルキウスは覚えていた。
同情や驚愕といった感情が入り乱れたその視線は、やがてしゃがみ込んだマリーへと移っていく。
「嫌…だよ……そんなの……。 なんで……? なんで……!? なんで……ッ!」
ただただ痛々しい程の否定と答えのない問いかけを、マリーは繰り返していた。
ルキウスもリカードの姿を見た時に考えなかったわけではなかった。エルドの言葉を信じるのならば、リカードが将軍に着任した当初から王都での魔族の捕縛件数が爆発的に増えたという。それは恐らく、リカードが事前に仕掛けた何らかの手引きによって王都に呼び寄せられた哀れな犠牲者だったのだろう。
不運にもその中にマリーの両親が入っていたのだろう。ルキウスには今まで確証はなかったが、対面したマリーの様子を見て推測は確信へとかわっていた。
そんな悲しみに沈むマリーをみても、ルキウスは言葉を掛けられずにいた。
親を失うという経験がルキウスにないことも理由のひとつだった。戦場で生まれる悲しみの海に沈んだ者への同情は、どれだけ言葉を並べ立てても慰めにはなりはしないと、ルキウスが知っていたということもある。だがしかし、本当の理由はルキウスにも理解はできなかった。
両親に捨てられた覚悟は決めていたはずだった。
それが分かりながらも再開を望んでいたはずだった。
自分を捨てたはずの両親と再会し、感謝の言葉を贈るのだと笑っていた。
それを後押ししたのは、誰でもないルキウスだった。
使用人としてリフィアやマリーを家に迎えたのはそう昔の話ではない。軍役時代から考えても、付き合いが長いとは言い難い。それでも彼女らの力になるためには、自分の努力を惜しまないという確かな決意がルキウスの中に産まれていた。それは仲間や友人と知った間柄ではなく、同じ家に住まう家族としての絆。例えマリーが家を出る事を選んだとしても、ルキウスはそれを引き留める気はない。それが彼女の選んだ道だからだ。だが、心に大きな喪失感を抱えるであろうことは、今からでも容易に想像ができていた。
初めて得た、血の繋がらない家族。口に出せば壊れてしまうかもしれないほど脆く儚い関係だが、ルキウスはそれを気に入っていた。そして同時に、失うこと恐れてもいた。だが自分が認め、いつか彼女らにも認めてもらえるよう、努力していこうと覚悟を決めていた。
ならば、ルキウスがすることはたったひとつ。
「マリーッ!」
両親にもらったという、彼女の名前を家族として呼びかけること。
悲しみを分かち合う家族がここにいることを、彼女に伝えること。
リカードの横をすり抜け、ルキウスは名前を呼びながらうずくまるマリーを抱きとめる。華奢な体を傷めないようにそっと、そして力強く抱きしめた。
かつて絶望の淵に立っていた彼女を救い出した時のように。
しかし、その声が心の壊れた少女に届く事は無かった。
「嫌ぁぁぁあああッ!!」
かつて育ての親を亡くした少女が感情と引き換えに莫大な魔力を手に入れ、幻想の森で魔女となった。その悲劇が今一度繰り返されようとしていた。
元々膨大な魔力を有する魔族の少女の魔力覚醒。それは下手な古代魔法を上回る、純粋な魔力の嵐を作り出す。そのうねりは少女の荒れ狂った感情を表していた。音が消え去り、暴力的な衝撃があたり一帯を薙ぎ払う。
その後に残っていたのは、怒りと悲しみによって完全な覚醒を遂げた、ひとりの魔族だった。
その瞬間、マリーという純真な少女の心は、死を迎えた。




