決意
緻密な意匠が施された麗美な銀色の甲冑に身を包み、強力無比な魔剣を携えた絶対の無言を貫く魔女を守る魔導騎士。
しかし今ではその全身に激しい戦闘の傷跡を残し、ハイドランジアの家紋が描かれていた深朱色のケープは半ばから引き千切られていた。心なしか構える刀身も歪んでいるように思える。
その姿は満身創痍と言っても過言ではなかった。彼の実力を知る者が見れば、驚愕を露わにするだろう。
それでも騎士は自分の使命を果たすために、主人とその友人達の外敵となる存在の首をはね飛ばしていた。
今まさに構築していた魔法陣を霧散させ、唐突に現れた騎士の背中を眺めるロロと、首を飛ばされ地面に臥せるリカード。その致命の一撃を加えたにも拘わらず、首無しの胴体を見下ろすアンク。そこには一切の油断は存在せずに、手に持った魔剣の切先は未だにリカードの心臓部分へと向けられていた。
「ロロ、大丈夫?」
瞬きの如き出来事に気を取られていたロロとルキウスは、背後の森からかけられた声に弾かれたかのように振り返る。
そこには従者であるアンクと同様に、全身に痛々しい傷跡を残したフィオナと、おなじく傷だらけの体で健気に支えるマリーが立ち尽していた。
しかしよく見れば小さな裂傷は多く見られるが、致命的とも思える傷は見られなかった。魔女の纏うローブには凄まじいまでの傷跡が残っているというのに、フィオナには目立った外傷は見当たらない。
「助かったわ、フィオナ。 それにアンクも。 そっちは無事だったの?」
ルキウスと同じ考えに至ったのか、ロロも倒れたリカードから注意を逸らさずにフィオナへ問いかける。
足を引きずりながらも歩み寄る彼女は、隣で自分を支えるマリーに目配せをしながら告げた。
「マリーのお陰で、随分早く戻ってこれた」
「フィオナに傷を癒す魔法を教えてもらいましたから。 少しでも、ルキウスさんの役に立ちたくて」
そういってマリーは掌に小さく暖かな光を湛えて見せる。それは傷を癒す力を持つ、魔法の欠片だった。その光を見たロロは小さく眉をひそめる。
「フィオナが教えたの? こんな短時間で?」
人間用に調整された現代魔法とはいえ、それを形として発現できるかは素質や資質が大きくかかわってくる。それを一日もたたない全くの素人が起動できる程に魔法は甘くはない。
だがもしも話の通りに受け止めるのなら、マリーは傷を負ったフィオナから手ほどきを受け、その場で治癒の魔法を会得した事になる。それは魔法を操る種族である魔女という種族に生れ付いたロロでさえ目を見張る程の素質だった。
フィオナはロロの言わんとしている事を察し、腹部に残る大きな傷跡を撫でながら呟いた。
「マリーには、素質があったから」
「そんなことないよ。 フィオナの教え方が上手だったんだと思う」
かぶりを振るマリーだったが、フィオナは確信に似た物を抱いていた。
元々、魔族は魔力に近い種族という事もあったが、マリーから魔法の才能の片鱗を感じ取っていた。
自分で自覚している程には口下手なフィオナの指導ですぐにでも魔法を起動できた事もそうだが、マリーが無意識の内に放出している魔力の総量は尋常ではない。それは魔力を使いこなす魔女だからこそ気付けた切っ掛けのひとつに過ぎない。
例えつたない起動式であったとしても、マリーから生成される高純度で膨大な魔力によって顕現した魔法は並大抵の現代魔法を凌駕するだろうことは、フィオナは身をもって実感していた。
「無事、だったのか……。」
ルキウスは無意識の内にそう呟いていた。襲われたと聞いてから、過去の戦場では味わったことのない安堵感に見舞われていた。人外と化したリカードに襲われては、戦う術を持たないマリーの生存は絶望的だ。その怒りに自分でさえ抑えが効かなくなっていた。
しかし、傷だらけだがしっかりと自分の足で戻ってきたマリーの頬に付いていた血を拭い、その体温に触れてそれは瞬く間に氷解した。
一方で、照れくさそうに微笑むマリーはその手に治癒の魔法を宿したまま、フィオナを治し続けていた。
「わたしひとりだったら、ダメだったと思う。 アンクが必死に私を守ってくれたんです。 でも、代わりにフィオナが怪我をしちゃって……。」
「魔女は死から遠い存在。 それに私は死者の書に選ばれた魔女。 簡単には死なない」
マリーの言葉を受けてどこか自慢げに胸を張るフィオナは、すぐにその視線をアンクの方向へと向けた。
そこには魔剣の刃を素手で握り、血溜まりを作りながらもアンクを押し返しているリカードの姿があった。刀身に迸る紫電によって肉が焼かれ、数本の指が刃によって手から切り落とされる。それでもリカードは一切の躊躇を見せる事無く、肥大化した右腕で軽々とアンクを弾き飛ばす。
それはもはや、人間という種族の限界を超越した一撃だった。
甲冑を含めれば相当な重量があるはずのアンクが容易に吹き飛ばされ、受け身を取り態勢を立て直すも、その反射速度はルキウスの知る洗礼された動きとはかけ離れていた。
それでもアンクは背後のフィオナやマリーを守るかのようにリカードの視界を遮るよう立ち回っていた。だがそれも所詮は時間稼ぎに過ぎない。
上等な魔力結晶の魔力を宿した魔剣と数百の剣士達が培ってきた戦いの技術を持ってしても、不死を殺すには至らない。
「偶然にも助かった命を再び捨てに来るとは、やはり他種族の考える事は理解できませんね。 素直に逃げていればいいものを」
禁忌の魔女と、それ守る魔道騎士。古代から続く純血の魔女に、伝承に残る程の魔剣を振るう赤毛の悪魔。その全員が共通の敵に身構えるが、過剰なほどの殺気に晒されているリカードは悠長なほどゆっくりと自分を取り囲む相手の顔を見渡した。そしてその視線はフィオナとマリーのふたりに定められる。そこには憐みの色さえ浮かんでいた。
「私は守人。 この森を守る義務と使命がある」
「わたしだって、みんなを置いて逃げるなんて絶対にしない。 わたしの帰る場所は、みんなの所だから」
問いかけにも似たリカードの言葉に、フィオナとマリーは一瞬の迷いもなく切り返す。
その迷いを知らない危い程に純粋な言葉は、知らずのうちにルキウス達を飲み込んでいたリカードの威圧を振り払うには十分すぎた。
再びフィオナ達の前に躍り出たアンクと、それを背後から支援するフィオナ。そんなフィオナを守るかのようにロロとマリーが隣に寄り添い、アンクに呼応してルキウスがリカードの背後に位置取る。
「なるほど。 殺してしまうには惜しい能力を持っているようですが、私の邪魔をするというのならば、致し方ありません。 そちらの騎士も含めて、次は確実に仕留めるとしましょう」
「この状況を理解できない訳じゃないだろう。 この面子なら下手すると王国との戦争にも勝っちまうかもな。 これだけの戦力差でお前に勝ち目があると思ってるのか?」
「逆説的に言えば、今ここで大陸でもっとも厄介な相手を殲滅できる好機ということ。 私に言わせてもらえば、非常に好都合です」
「ふざけたことを言ってくれるじゃない。 私達を相手に勝てるとでも思っているわけ? 死なない事しか脳のない貴様風情が」
激情の見え隠れするロロに、リカードは一切感情を揺らす事無く両手を広げて見せた。
「私の本当の能力は、この程度ではありませんよ」
瞬間、絶叫が大気を震わせた。
その絶叫は生者の持つ根底の恐怖を思い起こさせる。それはもっとも原始的な死への恐怖。
草木が生い茂る草原の地面からは幾重もの腕が出現し、そして苦痛の叫びと共にその全貌を露わにする。土の中で静寂と共に眠りについていたはずの者達が、今一度生者の世界へと強引に引きずり出され、屍達が再び躍動を始める。




